ある日の生協談義 side 三枝と椿と相原
それは一月のある日のこと。
三枝と椿は学食のある生協で待ち合わせて一緒に昼食をとっていた。
「あ、桜だあ」
「どこ?」
うどんを吸い終わった椿が指差す方向に三枝が顔を向けると、確かに離れたところに桜が座っていた。
「本当だ」
「一人だね。こっちに気付かないかなあ」
そのまま椿が見つめても、こちらに背を向けるように座っている桜は視線に気付くことなく食事を続けている。
「気付かないねぇ」
「混んできたし、背を向けてるからなかなか気付かないだろ」
「そっかあ」
残念と言いながら椿はうどんを食べることに戻った。
「ところで陽ちゃん、初詣の話聞いた?」
「いや。ああ、梶君から、ちゃんと桜と初詣に行ってきたっていう事後報告はあったけど、詳しくは聞いてない」
「そうなんだあ。どんな感じだったって? 桜は初詣の話、全然してくれないんだよねえ」
「ふぅん……。ま、俺が聞いた話でも、特に何かすごいことが起きたわけじゃないらしいけど。言及すべきことがあるとすれば、相原と杉浦が年上にナンパされたってことくらいか」
「え、マコくんとツーくんが? それはまた……、お姉さんたちいいところに目を付けたねぇ」
箸を持ち上げた椿の瞳がきらりと光った。
「なんだそりゃ。なんでも最初はその二人が狙われたんだけど、最終的には梶君と桜も標的になったとか」
「皆、見目がいいもんねぇ」
「で、あんまりにもしつこく誘われたから、最後は逃げ出したんだとさ」
「むう。しつこいのは良くないね。そのお姉さんたちダメだなあ」
「いやいや、それ以前の問題だろう。なんせメンツ的にはWデートみたいなもんだろ。そんなのに声かけた時点で敗北は目に見えてるだろう」
「あ、それもそっか。まあ、運も実力のうちだよねえ」
「そういうこと。っと杉浦だ」
うんうんと頷く椿の遥か後方を、杉浦が食事を乗せたトレーを持って歩いていく。椿と三枝が視線だけで追うと、彼は桜の向かいの席に腰を下ろした。
「一緒に御飯食べてるんだね」
「相変わらずマメだねえ。ま、桜がきつい態度取るから、杉浦くらいのやつじゃないともたないか。まあ? 杉浦もまだまだみたいだけどなあ」
「桜も意地っ張りだしねえ。でもうまくいってるみたいで、安心したよ。なんだかんだ言っても、桜だってツーくんのこと好きなんだよね」
「そうだろうなあ。素直になれないだけなんだろうな~」
「……陽ちゃん、桜のこといじめすぎたらダメだからね」
ニヤニヤしながら言う三枝に、椿は少しだけすねたような声を出した。
「はいはい、わかってますって」
「わかってるならいいけどー」
「拗ねない拗ねない。俺は生暖かく見守る主義だから、そんなに心配するなって。その代わり俺にも楽しみを少しは残しといて」
そう言って三枝が意味ありげに視線を桜の方にやると、たまたまこちらの方に目線を移した杉浦と目が合った。ひらひらと手を振ると杉浦も返してくれる。こういうところでも礼儀を失わないのがあの後輩のいいところでもある。
杉浦が桜に話しかける素振りをするとすぐに桜がこちらの方を向いた。けれどちらと見ただけで特に何のリアクションもせずに体勢を戻してしまった。こちらはとことん冷たい態度だ。
「わあ、つれないねえ」
ふざけたように三枝が言えば、一緒にその様子を眺めていた椿も頷き返した。
「まあ、桜だしー。見つかってちょっと嫌だなあ、とか思ってるんじゃない?」
「だろうねえ。まだまだ慣れないのか、ツンデレなのか」
「桜のツンデレかあ。うん、それも楽しそうだねえ」
「だろ? 皆の前じゃあ意地張ってるけど、二人のときは全然違うとか」
「うーん、妄想としては面白いけど、桜じゃあまずないと思うよー」
「なんだよ、もうちょっと夢見させてくれてもいいだろ。どうせ妄想なんだから」
「たしかに妄想なら色んなことやりたい放題だけどねえ。それでもあんまりにも現実味がないのは楽しくないよー」
「……さっきからなに妄想妄想言ってるんですか。ここ、一応公共の場ですよ」
「おう、相原」
「あ~マコくん」
「こんにちは。そこいいですか?」
「おう、構わないぞ」
いきなりぬっと現れた相原は、昼食を買ってきて三枝の隣に腰掛けた。
「で、何が妄想なんですか?」
「ああ、さっきの? 桜のツンデレなんて面白いよなーって話」
「は?」
相原の目が点になっている。
こいつは意外に桜のことをわかっていない。そして椿のことも三枝のことも、まだよくわかっていないのだ。
「だから、桜がツンデレだったらっていう想像を楽しんでたの。な、椿」
「そうなの。あそこに桜がいるんだけどー」
「あ、本当だ。杉浦と一緒じゃないですか」
「そうそう。相原、あっちに行ってもいいんだぞ?」
「嫌ですよ。馬になんて蹴られたくありません。それに俺、各務さんに嫌われてるますから。こっちでいいです」
「あ、そう?」
「そうです」
自分の身に降りかかりそうな危険には鼻が利く上に、機転がきくのも相原の特徴だ。
「それでね、桜ったらこっちに気付いたのに、手を振ってもなーんの反応もしてくれなかったんだよ。ツーくんと二人でご飯食べてるの見られたくなかったからって大人げないよね」
「というわけで、そんな桜は実はツンデレで、二人きりの時にはメロメロしてるんだ! という想像になったわけなんだよ」
「でもー、桜に限って本当にツンデレなわけないし」
「………………だから妄想ですか?」
「その通り」
「その通りだ」
椿と三枝の息の合いすぎた説明に圧倒されたのか、相原が絶句した。こいつは人心掌握に長けていて突拍子もないことを突然言い出す割には、意外と良識的な人間である。
二人の答えに掛ける言葉を見つけられなかったのか相原は話題を逸らした。
「ところで、あの、……ツーくんて?」
「うん? ツーくんはツーくんだよ?」
「やっぱ杉浦のこと、ですか?」
「うん」
満面の笑みで答えた椿に一瞬相原の返事が詰まった。たしかにあの偉丈夫を『ツーくん』などと呼ぶことには違和感があるが、でも自分だって椿に『マコくん』と呼ばれているのだから、そんなにショックを受けることでもないだろう。
「あの、なんでツーくん、なんですか」
「杉浦の名前が務だから」
「ああ、なるほど。……って、それならツーくんじゃなくてもいいのでは」
「だって、桜は名前で呼んでないんだよ? それなのにツトムくんって呼んだら、桜、すねちゃうでしょ? でも名字で呼んでも楽しくないし。それなら、桜がちょっぴりジェラシー感じるツーくんて呼ぶのが一番いいでじゃない」
「……ちょっと待ってください。それのどこにわざわざツーくんて呼ぶ理由がどこにあるんですか、椿さん」
「えー、だからあ。自分は呼べないのに、他の人に呼ばれてちょっと嫉妬しちゃう桜だよう」
「……もしかしなくてもそれが理由なんですか?」
「うん。素直になりきれなくてちょっとむっとしてる桜を見るのが好きなの。だからねー、桜の前でツーくんて言うのが楽しくて~」
語尾にハートマークが付きそうな勢いの椿の発言に相原がフリーズした。
「…………………………え? え、え? 椿さんてそんなキャラだったんですか?」
「うん、そうだよ~? 知らなかった?」
「……知りませんでした」
「ちなみに俺は桜を生暖かく見守ることを信条にしてる」
「それはなんとなく知ってましたけど」
「あ、でもー、今のこと桜には内緒ね?」
「え、なんでですか?」
「だってえ、そんなこと知ったら桜のちょっとむっとした顔、見られなくなっちゃうよー。あの、悔しいのに、でもそんなの見せられないって複雑な表情と行動を見せる桜がたまらなく可愛いのに、それを見られなくなるなんて堪えられない……っ」
「いや、そんなに力説しないでください……」
「でも、そうだよなあ。あの意地っ張りが揺らぎかける瞬間ってのは見てて楽しいよなあ」
「いや、だから、そんなにニヤニヤして言うセリフですか?」
「相原にはわからないかあ。そりゃあ残念」
「ホント、ホントー。桜をいじめる楽しさを知らないなんて、マコくん、ちょっと人生損してるよ~」
「………………………………そうですか」
そのとき、相原は思った。
桜をおもちゃにできる二人は何でも食い物にできそうでさすがに敵わない、と。そこには相原にも理解しがたい底の知れない闇が広がっていたのだった。
――――四限後。
五限の教室へ向かっていた相原は偶然にもキャンパスを歩いている杉浦を見付けた。
「杉浦」
「ああ、相原。お前は帰りか?」
「いや、俺は五限がある」
「そうか、俺もだ。……なんだ? 人の顔をじろじろ見て」
相原は前に立つ杉浦の顔をじっと見て、それからポンッとその肩を叩いた。
「お前、食い物にはされるなよ」
「え? あ、おいっ」
言うだけ言って相原はその場を立ち去った。
呼び止められても、いっそ無視するような清々しさで止まらなかった。
自分も食い物にされないようにしないと、密かに思いながら相原は五限の教室に向かったのだった。
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