真相篇
(1)
◎◎
御園九郎を逮捕してから、数日が過ぎた。
事件は幾つかの進展を迎え、同時に行き詰ってもいた。
茄子島健。
衆人監視下で犯人不在の傷害事件に巻き込まれたと証言していた彼は、文字通り犯人不在ということで虚偽申し立ての罪に問われている。彼に加担したホームレスたちも、厳重注意を受けた。公文書偽造……には、今回は至らなかっただけ、その罪は小さいと言えるが、しかし、彼が行動するに至った動機は御園九郎の甘言に惑わされた部分が大きいようだった。
その御園九郎であるが、いまはだんまりを決め込んでいる。
彼の、あの時倉庫で口にした言葉から新たに調査が行われ、結果、別々のもと思われていた過去二つの四肢損壊事件が、野岳八千代殺害と恐らく同一犯によるものであることが判明した。
共通点は、どちらも生きているうちに四肢を引きちぎられたという事実だ。
生活反応がそれを裏付けていた。
幾つもの罪が浮き彫りになり、複雑に絡み合った今回のヤマ。
しかし、その
あの日のような饒舌さは、今の彼には欠片も存在しなかった。
アリバイに関しても、何の進展も見られない。
私は、それが如何にも腑に落ちなかった。
逮捕されるまでの彼のすべての言動は、まるで自分を疑ってくれと言わんばかりのものだったにもかかわらず、そしてほとんどの犯罪については自供してしまっているにもかかわらず、殺しについてだけは口を全く開かない。
殺したと、彼は確かに私に告げた。
だが――
「あ、壬澄。これ、頼まれていた資料。持ってきてやったわよ。しっかし、あんたも物好きね。一年も前の失踪事件を、いまさら洗い直すなんて。それ、今回のヤマと何か関係あるわけ? 担当の刑事ぼやいていたけれど、不正入国していた外国人が単純に国に帰っただけだって事件でしょう? まあ、ビザも何もなく、結構な期間この国に滞在してたみたいだから、怪しいと言えば怪しいけれどさ」
「うん、ありがとう、ミっちゃん。ちょっと、気になっているのです」
書類と、差し入れのドーナツを親友から受け取り、私はぱらぱらと内容に眼を通していく。
署内のどこかでいつもついているテレビが、夕方のニュースを流し、今回の事件をセンセーショナルに報じている。
巷ではこれをして、現在の切り裂きジャック事件と呼んでいるそうだ。
まあ、主にマスコミがそう呼んでいる訳だが、切り裂いてはいないのに切り裂きジャックとはどういうことなのかと首をかしげたくなる。
それに、どうしてこう日本人は、切り裂きジャックという単語が好きなのだろうか?
本人の意図とは完全に逆の引用をされている量子論の猫や、万能鍵に熱量の悪魔、あとはニーチェと超光速粒子――それらと同じように正確な意味をくみ取らず、曲解でも納得しようとする人間が、私には、少々多すぎるように思えてならないのだった。
……曲解。
そう、いま私が抱えている疑問、疑惑は、その類だ。
ジレンマ、とでも言えばいいのか。
御園九郎は、声高に自分が犯罪者だと訴えているし、実際に犯罪者であることは間違いない。だが、それはなにか、意図的に曲解させられた結果であるような気がしてならない。不信を払拭しえない。
まるで真実から、
「――……?」
そんな、あてどない思考を続けているうちに、私はあるものに気が付いた。資料の最後に、厚手の封筒が添付されていたのだ。ご丁寧に
「ミっちゃん。なんです、これ?」
まだ近くにいた親友に尋ねると、彼女は不思議そうな顔で、「あんた宛に、それ届いてたわよ?」と、逆に自分が何だか聞きたいといった顔で告げてくる。
私は首をかしげながら、それでも一応、その封筒に何らかの悪意が内包されていないかチェックして(一時期、炭疽菌やら剃刀やら贈りつけてくる不届きでは済まない輩がいた)、ペーパーナイフを使い、開封した。
中から出てきたのは……一枚の便箋。
そこには達筆な文字で、次のようことが書かれていた。
『拝啓 斑目壬澄 様』
『君はいよいよ愚か者だ。僕の意図など、一つも汲んでくれやしなかった。元より期待したわけでもなかったが、失望をしたわけでもなかったが、しかしやはり、この事件は君の手には重すぎたようだ』
『正確には君達だ。これだけ超常犯罪が世界に跋扈して居ながら、そのもっとも一極化し集中し中枢たる犯罪温床都市永崎の住人でありながら、君達警察はあまりに無能すぎた。あの御手洗ですら、君を事件に近づけないという消極的な戦術しか取れなかったことに、僕は深く軽蔑を告げることにする』
『どうしようもない。本当にどうしようもない。僕は言ったはずだ、人間は必ず嘘を吐くと。何のために嘘を吐くか、そんなもの紀元前から理由は一つしかあるまいに』
『斑目壬澄。これは、僕からの最後通牒だ。今すぐ事件の、最後の謎を解き明かしたまえ。この事件は、今回の事件是に限っては、僕が真犯人だ。僕がすべてを見逃してきたからこそ、ここまで見るに堪えない醜悪な代物と化してしまった。罪という意味では、僕にある』
『だから、一つだけ〝
『四肢損壊事件は、誰の為に起きた? そして四肢奪取事件は何のために行われた? どうして、四肢を奪うときだけ殺す必要があった?』
『シンプルに、そして最速で答えを求めたまえ。猶予は長くない。丘の上の鳥は夜半にはその偽りの翼で飛び立つだろう。その前に、僕はすべてを砕くつもりだ』
『……こんなにも虚しい文章を君におくることを、これでも僕は躊躇したのだ。これは紳士の振る舞いとは、とても呼べない代物なのだ。どうか、それだけは解って欲しいのだよ、ミス・斑目』
『最後に、これだけは言わせてほしい』
『僕は、美しいものの味方だ。君の、その気高き精神を、信奉する。願わくは、僕の到着よりも早く、君が醜悪に零落した異形の芸術に、せめてもの慈悲として終止符を打たんことを』
『切り裂きジャック事件の真犯人より 敬具』
「――――」
私は、その手紙を握り潰した。
震える怒りが、そうさせていた。
「――……ッ」
この手紙の贈り主が誰であるか、そんな事、考えるまでもないし、考えたくもなかった。だけれど勝手に思考を進める私の頭は、知りたくもない事件の真相に到達していた。
醜悪だ。
こんなもの、これ以上なく醜悪だ。
「くそったれ!」
悪態と共に、怒りに任せ私は走り出す。
「ちょ、壬澄!? どこにいくのよ!?」
親友の言葉に返答する余裕はない。外を見る。既に日は暮れかけている。
何処に行くのか。
――行きたくもないところに行くのだ、と。
そう、叫びたかった。
◎◎
CLOSED。
立ち入ることを拒むようなその看板を無視し、扉に手をかける。
予想外にというか、或いは予想通りに、扉は私を受け入れた。
工房のなかは、薄暗い。
あの時は子細に観察できなかった色々な工具、道具、義肢の見本などが所狭しと吊るされており、一種の密林の如き様相を呈している。
ジャックの義肢工房。
そこが、この事件の終点だった。
私は、その終点の向う側へと進む。
店内を奥まで進むと、鎖された扉があった。
どうしようもなく見慣れたその文字を、やはり無視し、私はその扉をこじ開けた。
暗闇。
見通せない暗闇。
その暗黒に、私は一歩を踏み入れて――
「――ようこそ、めくるめく
視界を
私の視界が、一瞬で奪われ――
「カッ……ガフッ!?」
鳩尾を突き抜けた衝撃に、呼気のすべてを吐きだしてその場に崩れ落ちる。
痛い、熱い、苦しい、気持ち悪い――
えっぐ、えっぐと、何度もえづき、詰まった息で呼吸不全に陥り苦しみ悶えながら、それでもいまだ眩しさに順応しない涙がにじむ目で必死に見遣れば、そこには愉悦の表情を浮かべる人影が――長袖長ズボンにエプロンをつけた作業着姿の影があった。
「まあ、まあ、やっぱり丈夫! 鍛えあげている人間は、やっぱり強く美しいです!」
「黒詩――継美ッ!!」
吐き出すようにその名を呼べば、彼女――義肢職人黒詩継美は、満面の笑みで「はい!」と答えた。
「そうです。わたしです! わたしがあなたをお呼び立てしたのです! ……ですが、驚きにはならないんですね、これは意外な事です……」
相変わらずの歌うような声で、しょんぼりと、彼女は私に問いかける。
「どうして、解っちゃったんですー、斑目さん? あの手紙を――私が書いたって?」
「…………」
わからいでか。
あんなにも解りやすい致命的なミスをやらかしておいて、露見しないとでも思ったのだろうか。
私は整わない息の下から、それでも痙攣する手を突きだし、親指と人差し指、そして中指を立てて見せた。
「あな、たが、あなたが犯した、ミス、は……三つ、です」
ひとつ。中指を閉じる。
「みそ、御園、く、九郎のあなたに対する擁護、が、あまりに強すぎた事。献身的過ぎた事。きょ、共犯者としては、彼はあまりに、ずさんで、何よりあなたを――」
「それは違うわー斑目さん。言ったでしょ、九郎さんとわたしはただのビジネスパートナー。あのひと、勝手にわたしの義手が合うようにって、人の手足を千切ってしまうんだもの。私の義肢にほれ込んだからって、世界に普及させたいからって……そんな事のために、義手を作ってあげたんじゃないのに。まあ、沢山の人に義手を配れたのは、とても、とぉぉおっても気分がよかったけれど」
「……ふたつ」
人差し指を閉じる。
「わ、私への呼び出し、が……あまりにも露骨、すぎた事です」
手紙まで使って呼び出すのは、幾らなんでも度が過ぎていた。
文脈で意図的に自分を指定したことも、露骨を極めていた。
そう告げると、黒詩継美はいやいやと楽しそうにかぶりを振ってみせる。
「だって、だって! わたし、この国を離れる前に、どーしても斑目さんにお会いしたかったんですもん! 斑目さんには、大切な大切な用事があるんですからー」
「…………」
みっつ。
下らない下らない下らない。
私は、いまにもキレてしまいそうな堪忍袋の尾を必死に保持しながら、親指を閉じた。
「森屋帝司郎は、私の苗字に敬称をつけない」
「ふぇ?」
黒詩継美が、間の抜けた声を出した。
その眼は、きょとんと見開かれている。
意外か、そうだろう。そうじゃなったら、私は見ぬいてなんかいなかった。
私は、告げる。
決然と、告げる。
「あの少年は、愛すべかざる黄金は、私を今は壬澄と呼ぶ。以前はミス・ミスミ。或いはレディー。だけれど一度も〝ミス・斑目〟などと呼んだことはないっ」
斑目壬澄の事を少しでも知る人間なら、私が名前に敬称を付けられることを病的なまでに嫌っていることを知らない訳がない。いや、名前ならばいい。現に御手洗部長には、彼にだけはそれを許している。だが、苗字に敬称を付けられることなど、今の私には到底許容できることではない。
マーダー・サーカス事件。
あの惨劇の夜を経験した私が、それを良しとするはずがない。
私の過去を知る人間が、そんなバカげた呼び方をするものか!
「もし、それでもそれをやってしまうものがいるとすれば、それは勘違いしている人だけです。勘違い、誤解……そう、あなたの前でメリー=メアリー・スーがそう呼んだから!」
「――ああ!」
黒詩継美が笑顔で手を打ち鳴らす。
そうだ。彼女の前で、あの純白の少女は、私を斑目サマと呼んだ。まるで、帝司郎少年がそうしているかそう呼んだと言わんばかりに。
だからこの女性は勘違いしたのだ。
「さあ、私の理由は話しましたよ。この場に来た理由は、ちゃんと話しました。だから……今度は、あなたの番です」
どうして、偽の手紙まで使って私を呼びだしたのか。
どうして、いま逃げ出そうとしているのか。
どうして――
「どうして、たくさんの罪もない人間を――自分の師匠すら殺めたんですか、黒詩継美!!」
「――――」
私のその糾弾に、
「―――ヒッ」
その弾劾に、
「――ヒッヒ」
告発に、
「ヒッ――ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッッ!!!!」
殺人者は、狂笑を以て答えた。
「簡単! とっても簡単な理由なの! ヒヒヒヒヒ! そんな怒るようなものじゃないわ―!」
殺人鬼が、語る。
「欲しかったの! 手足が欲しかったの! 私の愛しい〝それ〟を産みだすために――」
――義肢の材料が、人の手足が欲しかったのよ!!
「だってこんなにも高性能な義肢を普通の材料で造れるわけないでしょー? 普通じゃないことしなくっちゃ、普通じゃないものはつくれないのー! 義肢、義肢、義肢! わたし謹製、ジャック師匠直伝、黒詩継美の傑作義肢の材料は――人の骨! 神経! 血肉なのよ!」
「――――」
そうだろう。
そうに決まっていた。
だって、そうでもなければ――特許なんか、とっくにとっている筈なのだから。
人体を素材にしているからこそ、それが禁忌だからこそ、特許を出願することはできなかったのだ。
ああ、こんなの本当にイタチごっこじゃないか。義肢を与える為に四肢を
「でも、何故ですか」
手足をもぎ取るだけなら、それこそ傷害事件の被害者から奪ったものだけでよかったはずなのに。御園九郎が集めたものだけでよかったはずなのに。
なのになぜ、あなたは――
「彼方は何故、人の命まで奪ったのですか!」
「殺したかったからよ?」
黒詩継美は、透き通るほど純粋な表情で、ただ、そう言った。
殺したかったからと、そう言った。
「試したかったの、わたしの手足の性能を! この手足、究極の義肢が、何処まで何が出来るかを! だから、人が一番難しいことをしたの――人殺しをやってみたの! 材料集めも兼ねての一石二鳥……とぉぉぉっても、楽しかったわ!」
「――――」
「あは! 驚いてくれた! 今度は驚いてくれわ! じゃあこれもとびっきりねー、教えてあげる。わたしがどうしてあなたを呼び出したか――」
すっと彼女は私に顔を近づけて。
その小さな顔のすべてを無数の醜悪な皺の塊へと変え、ニタァと嘲笑しこう言った。
「美しい女性、見事な鍛錬の果ての肉体。わたし――あなたの手足が、欲しくなっちゃったのよ?」
「――――」
ああ、と。
これはどうしようもないと、胸中でため息が漏れる。
この女性は、この殺人者は、もはや引き返せない所まで来てしまっていると、そう知悉するしかなかった。
私には、この犯罪者を捕まえることはできず。
なにより。
彼から救ってやることも出来そうにないのだ。
「では――犯罪帝王学の講義を、始めよう」
美しき黄金が、遍くすべてを照らし出す。
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