(2)
◎◎
御園九郎に任意の聴取を行ったその日のうちに、彼のアリバイは証明されてしまった。彼を確かに目撃したとする証言が複数寄せられ、該当時間、監視カメラにさえ写りこんでいたのである。
だから、少なくとも8番目、そして9番目の事件に彼が関わっているかどうかで言えば、限りなくシロに近いということになってしまったわけだ。
追い打ちをかけるように、鑑識の調査結果も出た。
蜜夜曰く、
「靴の痕跡……いわゆる
と、事件の根はさらに深いのではないかとする推測を、彼女は口にした。
彼女の言うことにも一理あった。
私達はかってに、最初の被害者が茂山元道だと決めつけていたけれど、でも、そんな証拠はどこにもない。或いはもっと以前から、この連続傷害殺人致死事件は始まっていたのかもしれない。この街に、異常な犯罪者が潜んでいたのかもしれない。
それは、背筋が震えるほど恐ろしい想像で。
そして目下のところ、その最たる容疑者こそ御園九郎だったのである。
8番目と9番目について、彼の関与はあり得ないと証拠たちは言っている。だが、それ以前のものならどうか? そこからなら、突き崩して行けるのではないか?
衆人観衆のもとで起きた見えない犯罪者という不可能犯罪も。
人間の四肢を人通りのある場所で誰にも気づかれる事無くすばやく切断・ねじ切ってみせるというありえない凶行も。
そしてその瞬間、容疑者には鉄壁のアリバイがあるのだとしても。
そのすべては、何らかのトリックによるものだと考えなくてはならない。
ナーサリークライム。
犯罪詩。
不可能を超常に変えるもの。
その存在を知ってしまったが故に、私は事件を穿った眼で見過ぎていた感覚がある。不可能犯罪なのだから、超常現象が関わっているに違いないと、何処かで諦めてしまっていた節がある。
だけれど、そうじゃない。
たとえ異形が事件に絡んでいるのだとしても――根幹として、それを為しているのは人間だ。
人間に、不可能犯罪や超常犯罪は達成できない。
つまり、私達はどこかで詐術にかけられているのだ。
それを解明しなくてはいけないと、私は思った。
凱史くんたちは、捜査令状を取って今日明日中にも御園九郎の自宅へ踏み込むだろう。ガサいれで、何らかの証拠は出てくるかもしれない。
でも、多分それは決定打になり得ない。私の直感がそう言っている。
そして、その勘とやらは、こうも言っている。
御園九郎の人となりを知るべきだと。
彼が、あの一瞬おぞましい色を湛えた眼差しを向けた彼が、その心の奥底で何を考えているのか、理解しなければならないと。
その思いが、私をとある人物の元へと向かわせたのだった。
市郊外の、閑静な街並みの中に、その〝工房〟は埋もれるようにして存在していた。
〝
そんな古びた看板がひっそりと掲げられている工房だ。
OPENと書かれた札が揺れる扉を、私はゆっくりと開く。
扉を開けた瞬間、何処かでちりんちりんと鈴が鳴った。
「はーい、少しだけ待ってくださいねー」
先程の鈴の音にも負けない澄みきった、鳥の歌声のように耳触りのいい声が、店の奥から響いてくる。
ほんの少しの待ち時間の末、姿を現したのは小柄な女性だった。
私は、言った。
「あなたが――黒詩
その問いかけに、彼女は。
その女性は、はつらつとした声で、こう答えた。
「はい。わたしがこの工房のオーナー――黒詩継美ですっ」
微笑み、胸の前で組んで見せた両手は。
夜の色よりもなお深い、漆黒の義手だった。
◎◎
「九郎さんとの
とても、とてもお世話になったんですよ? と、椅子に腰掛け、私と自らの前に煎れたての紅茶を注ぎながら、懐かしそうに黒詩継美は、御園九郎とのなれそめを語った。
「今から、そうですね、一年はまだ、経っていないぐらいですかねー。その頃のわたしはというとですね、師事していた義肢職人の――看板を見ればお解りですよね?」
そう言って、彼女は寂しそうに微笑む。
「ジャック。そう言った名前のお師様です。わたしは、お師様からこの工房を引き継いだばかりでした。たくさんのものを託されて、私には夢があって、でもまだまだ未熟で……そんな時、九郎さんに出会ったのです」
その頃の御園九郎がどんな状態であったのか、ある程度、調べはついていた。
家族を失い、自らも右手を失い、失意のどん底でアルコールに浸る生活を送っていたのだという。
そんな彼が、どのようにしてこの女性と出会ったのか、正直、私には想像するのさえ難しかった。
それが、顔に出ていたのだろうか、黒詩継美はくすくすと、やはり鳥が囀るような音色で笑って、続きを語る。
「〝材料〟を探していたんです」
「……材料、ですか?」
はい、材料です。彼女は笑う。
「わたしの手は、見ての通り義手です。お師様から託された完成品……わたしが仕上げた最初の義肢……でも、これを作るには結構面倒な材料がいるんです。それを探している時、あー、調達している時ですね、九郎さんと出会ったんです」
彼ったら、驚いた顔をして。
その当時を思い出してか、彼女は幸せそうに笑顔を浮かべる。
「彼が『何をするんだ?』って訊ねるものですから、わたしも正直に『義肢を作るんですよー』って。何ならあなたの分も作ってあげましょうかーって。そう言ったんです。そうしたら彼ってば、とっても喜んでくれて、それからお付き合いが始まりました」
お付き合い……
「失礼ですが、お二人は恋人関係かなにかで?」
「あはは! 刑事さんたら冗談がお上手ね!」
おかしそうに彼女は声をあげて笑い、それ一刀のもとに否定する。
「ただのビジネスパートナーです。そしてわたしのクライアントの一人に過ぎません。でも、九郎さんはよくしてくれました。わたしは、たくさんの人にわたしの作った義肢を使って欲しかったんです。それが夢だったんです! 彼は、その夢に賛同してくれた。会社に掛け合って、大学病院との専業契約まで結んでくださって。おかげで、8人の欠損者に、8つの義肢をお渡しすることが出来ました。クロウさんを入れて、ちょうど8人。いまは、9人目の方の義足を作っているんですよ!」
朗らかに、明るく、爛漫に、歌うような声で、黒詩継美はそう言った。
だから御園九郎には感謝しているのだと、そう言った。
「九郎さんはとても良い方です。とても優秀なパートナーです! これからも、末永くお手伝いをしてほしいですね!」
弾けるような笑顔、とでも言えばいいのか、ともかくにここに来てから終始浮かべている楽しげな表情のまま、彼女はそのような事を口にした。
「あ、お紅茶いかがですか? 知り合いの
「は、はぁ……いただきます」
黒詩継美に完全にペースを握られてしまっていた私は、言われるがまま、紅茶に口をつけた。
「おいしい……」
品のいい、なんというか、庶民でしかない私には表現し難いとても繊細な香りが鼻腔を抜ける。
美味しい。本当においしい。
こんな紅茶なら、或いは。
「或いは、森屋帝司郎も――」
「Yes.それはマスターからの贈り物です、斑目サマ」
聴こえた声は、純白。
恐ろしいほどの、感情すらも漂白された真っ白な言葉。
「なんで……」
知らず、私の口から言葉が零れ落ちる。
「あら、お二人はお知り合いだったのです? それならもっとはやく言ってくれればよかったのに!」
店の奥、その最奥の、それこそ工房と呼ばれるはずの場所から出てきた人物――否、存在を見て、黒詩継美が嬉しそうに両手を打った。
それは。
その存在は。
純白の羊は。
私に向かって、こう言った。
「マスターより伝言です――『人間は、必ず嘘を吐くものだ。それをゆめゆめ忘れるなよ、大馬鹿者』――ゆめゆめ、お忘れなく、斑目サマ」
若き犯罪王。
森屋帝司郎の唯一にして最大のご都合主義。
ナーサリークライム!
メリー=メアリー・スーが、無表情に、そう言った。
◎◎
翌日、御園九郎が警察の監視網をかいくぐり失踪。
さらに翌日、新たに左足をねじ切られたホームレスが、大学病院へと搬送される事件が発生した。
警察は、御園九郎の指名手配を、決定した。
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