(4)
◎◎
モッさんと呼ばれるホームレス――その彼が入院した病院を探したあてた事で判明した本名は
だから、この街でホームレスが拠点としている場所の一つ、大槻公園を訪ねたのは、もう15時近くになってのことだった。
公園の隅、さながら子供が図画工作の時間に作った秘密基地の様な、密集した無数のテントが織り成す出鱈目なビニルシート住宅の一つから這い出してきたのは、50台を超えていそうな痩せ型の男性だった。
今時のホームレスにしてもどうかと思う、襟首のだるんとした白シャツの上に直に羽織ったスカジャンの彼は、スチール缶の珈琲をちびちびと飲みつつ、こちらを値踏みするような目つきで観察していた。
初めこそ警察と名乗った私たちを、彼はいかにも胡散臭そうな、はい、私は権力が嫌いですと言った目付きで睨み、歓迎してはくれなかったが、森屋少年が取り出した紙包み(中身は私がコンビニ購入してきた度の強い煙草だ)を渡すと、途端に相好を崩し、こちらの話を聞いてくれるようになった。
蛇の道は蛇と云う事なのだろうが、目深に舞被っていたシルクハットを持ち上げた魔少年の顔を見るなりその頬を赤く染め、目を潤ましてちらちらと乙女のように彼を見遣るおっさんを観察するに、単純に帝司郎少年の美貌によるところが大きかったのかもしれない。
……女として、これ以上ないぐらい敗北感を味わう事象だった。
「そいで、おいになんば聞きたかとね?」
地元訛りの強い彼――茂山元道こそが、推定されるホームレス連続襲撃事件、その最初の被害者――だと思われる人物だった。
私は咳払いしつつ、まだ幾らかぽけーっとして、魔少年に熱視線を注いでいる彼に話しかける。
「こほん……あーと、ええ。茂山さんには幾つかお聞きしたいことが」
「モッさんでよか。ここいらの連中はみんなそがん呼ぶけん、いまさら他の呼び方ばされたって、くすぐったかもん」
「……では、モッさん。事件の事を、お伺いしてもよろしいですか?」
「あんたら警察はホント現場百回てやつが好きねぇー、おいに話ば聞くとはこいで何度目ね? ……まあ、今日は気分がよかけん、いろいろ話しちゃるたい」
有難う御座いますと、ようやくこちらに視線を向けてくれるようになった彼に頭を下げ、本題に入る。
「モッさん……あなたは一か月前まで、市内の大学付属病院に入院していましたね?」
「おう、入院しちょったよ?」
「それは事件で四肢を――」
「9か月ぐらい前かねー。ほれ、
「…………」
……なるほど。
入院生活には随分と不満がたまっていたらしいことはよく理解できた。
しかし、いつまでもそんな端を聞いている訳にはいかない。
話を遮って次々と愚痴を吐き出す彼から主導権を取り戻すべく、私は言葉を繰る。
「それで、その入院をすることになったのは、いったいどうして――」
私は、失礼と知りながらも彼の四肢を見る。
両手は長袖に軍手、足は長ズボンに靴下。
そのどれかが、欠損しているようには思えない。
この事件――連続ホームレス襲撃事件(仮)は、確かホームレスの四肢がどれか一つが、犯人によって引き千切られているという事件だったはずだ。
だが、彼に欠損は見られない。
もしかして、手足を引き千切られるというのは私の思い違いで、腕の一部、皮膚の一枚を持って行かれたとか、そう言う類のライトな傷害事件なのだろうか――と、そこまで益体の無い想像を膨らませたところで、モッさんが、右腕を示して見せていることに気が付いた。
首を傾げ、その意味ありげなジェスチャーは何かと問うと、彼はにやっと笑ってこう言った。
「こっちの腕を引きちぎられたわ」
「は?」
「もう、泣き叫ぶほど痛かったって。大の男のおいが泣いて叫ぶって言うんじゃ、もう洒落にならん痛みじゃったわ。あっと、そんぐらい痛かったっつーことで、おいはほんとは泣いてなんておらんけんね! 永崎の男はパワフルやけん、腕の一本や二本どうこうなろうと――」
「でも、ついてるじゃない」
蜜夜が、元も子もないことを言った。
「腕、ついてるじゃない? なに、嘘ついてるの、あんた? 非番だからって、厳重注意ぐらいできるわよ、私達?」
「ちょ、ミっちゃん、ちょっと!」
「むぐ!」
慌てて手を伸ばし親友の口を塞ぐ。
いまの私達は非番なので、大ぴらな捜査はできない。あまり突っ込んだことをすると上の方に連絡がいってしまう。クレームという奴は、現場の人間には結構効果があるのだ。
そう言った諸事情を鑑み、気分を害されたのではないかと戦々恐々としつつモッさんの方を振り向くと、しかし彼は、予想に反して笑顔のままだった。
「お、やっぱりこいは、ホンモンの腕に見えるか? へっへ、こいはぁ気分がよかね!」
彼は嬉しそうに笑う。してやったりという表情の意味を悟り、私は目を見開く。
本物の腕に見えるかって、それは、つまり。
「こいは、こーゆーものじゃけ」
そう言って、彼は袖をまくってみせた。
現れたのは、
「……〝義手〟……ですか?」
現れたのは、本物の人間の腕と大差ない質感を見せる義手だった。
一見すればそれは、ひとの手に見えた。
しかし目を凝らせば、無数の鳥の羽のような紋様と精緻な機工が腕の内部に透けて見えており、それが作りもであることを如実に物語っていた。
「おうよ!」
そのつくりものの腕を自慢げに掲げ、彼は義肢を手に入れた経緯を語ってみせた。
話しを聞くに、その義手は無料で提供されたものと云う事だった。
彼が大学病院に入院中、ある男性が、病室を訪ねてきたのだという。その男性は
御園九郎は、自分を大手企業の営業マンであると告げると、一つの
「手ぇーだけじゃなかったけんね。足もあれば、指だけってのもあったかね。あの御園ちゅーあんちゃんの話じゃ、実験に付き合って欲しいって話やったね」
「実験、ね……どうでもいいけど、ホームレスって健康保険証持っているのかしら。持ってなかったら、手術代や入院費、大変じゃないの?」
「み、ミっちゃん! だから失礼だってば!?」
「はっは、そっちのねーちゃんはキッツイのぅ。ばってん、そがん風にみられとんのもおいらはよー知っとるよ。おいは家がないだけの気ままなホームレスやけん、保険証や必要なもんは一通りもっとるが、やっぱり金はかからん方がよかっけんねー」
そう言う意味で、御園と言う男の提案は渡りに船だったのだと、モッさんは言った。
それはつまり、義肢のレンタルサービスだったらしい。
日常生活に支障が出ないほど機能の充実した義手を提供する。アフターケアも万全に行い、購入は無料、毎月少額の手数料がかかるだけ。多くの手続きについても全面的に支援する――かわりに使い心地について多くの感想が欲しいと、そう言う内容の契約を、その男、御園九郎なる人物は提案し、モッさんは応じたのだという。
「なにせこいは便利じゃったけんね、筋電繊維がどうのこうの……その辺はよーわからんが、ほれ、元の右手と同じように動くし」
言いながら、彼は足元の石ころを拾いあげ、器用に親指で弾きあげてみせる。医師は空中に舞いあがり、重力に引かれて自由落下。モッさんはいともたやすくそれを掴みとってみせる。
義手とは思えないほど、それは滑らかに、正確に、生物的に稼働していた。
驚く私たちを前にして、モッさんは子供のように笑みを深め、左手に持っていたスチール缶を右手に持ちかえる。
そうして右の――その義肢の肘の部分を押し込むようにした。
「でよ、こんな事も出来る」
「!?」
驚愕する。
メキャリと音を立てて、スチール缶の頭が潰れる。
やったことがある人間なら解るだろうが、頑強なスチール缶の頭を潰すというそれは、格闘技に従事しているような人間でも両手を有するほどの
それをこの男性は片手で――おまけに義手でやってみせたのだ。
私たちの反応がよほどお気に召したのか、彼はその後もいろいろと話をしてくれた。
事件に遭ったのは早朝――霧が出ている時間帯で、いきなり背後から口元を塞がれ、そして一息に右腕を引きちぎられたのだという。
犯人の顔は見ておらず、声も聞いていない。痛みの所為でその恰好すら確認できなかったらしい。
御園九郎という、そのいかにもな男性の連絡先も、彼は快く教えてくれた。
聞き出せる限りのことを利きだし、実際収穫は上々というところだったが、ひとつだけ、私には気になることがあった。
件の美少年。
森屋帝司郎が、沈黙を守り続けていたことだ。
彼はこの場――大槻公園を訪れてから一度も口を開きはしなかった。
なにより、
茂山元道の右手――その義手から、ただの一度でさえ視線を切ることがなかったのである。
◎◎
その日のうちに事情が聴けたのは、確認されている7人中3人だけだったが、しかし得られた情報はどれも新たな共通点を浮き彫りにした。
一つは、すべての犯行が早朝、霧の深い日にのみ発生したということ。
もう一つは、被害者たちはみな同じ病院――永崎大学付属病院に搬送され、同じ医者の緊急手術と受けたということ。
そして、その入院中、全員が全員とも御園九郎と云う人物と接点を持ち、例の高性能義肢を提供されたという事であった。
「この御園九郎という人物、調べてみた方がいいでしょうね」
完全に日が落ち、喫茶店からバーへと変貌した馴染のお店のテーブルで、クラシカルな紙の手帳を広げて情報を整理しながら(警察手帳は随分前に廃止されたし、スマートホンにいろいろ情報を残すのはあまり気が乗らない)ぽつり呟く私の言葉に、蜜夜が頷く。
「そうね、明らかに関係者でしょ、こいつ。でも、捜査課一課の連中は話題にも上らせてなかったわ。むしろその病院の医者――
蜜夜の話によれば、その根岸と言う男性医師は7人全員の治療を行ったらしい。大学病院が市でも最大規模の病院であることを勘定に入れても、毎回都合よく担当するというのは、ちょっと確率的に考え難い。外科医なんて、あそこには掃いて捨てるほどいるだろう。
「義肢は筋電位差で動いている最先端の代物のようだ。そうであるのなら、施術の段階である程度、成形や準備が必要になってくる……とも考えられる」
「森屋帝司郎。あなたは根岸智一の方が怪しいと、そう睨んでいるのですか?」
「或いは、共犯と言うことも考えられるかと、そう可能性を提示しただけだよ、レディー」
私の問いかけに、彼は珍しく笑みも浮かべず肩を竦めてみせる。
その場にいる全員が理解していることだったが、物証が明らかに不足していた。
しかも、礼状もなしに得られそうな情報がこれ以上ないという事実が眼前に立ちはだかっている。
「とりあえず、壬澄。私は鑑識の方でもう少し情報を洗ってみるわ。詳しい現場の状況なんか解れば、話は変ってくるでしょうよ」
「そう、ですね。……うん、お願いします、ミっちゃん」
任せといてっと、彼女は私にウインクして見せる。
何とも頼りになる友人である。
私は頷を返し、次に森屋帝司郎に向き直る。
「あなたはこれ以上干渉しないでください。さすがに未成年が関わることではありません」
「……つれないものだね、レディー。一緒に絶海の孤島で殺人事件を経験した仲ではないか」
ほんの数時間前まで人の名前を覚えていなかった人間の台詞ではなかった。
率直にそう告げると、彼は肩を揺らして見せた。
「君の言う事ももっともだ。では、僕はここらで退散するとしよう。当初の目的である斑目壬澄を事件に介入させるという、その目論見には成功したのだからね」
言って、彼は美しく微笑む。
そのあまりに美しい黄金の笑顔に、私と蜜夜が同時に揺らめき、店内の喧騒が、一瞬でゼロになる。
胸を押さえ、眩暈と脳裏にこびりついた悪魔的な笑みを同時に振り払い、何とか顔を上げた時、既にそこには、森屋帝司郎の姿はなかった。
「……ホント、すごい美少年だったわ……」
陶然と言い放ち、目を潤ませている親友の傍らで、私はため息を吐く。
と、同時にスマートホンがメールの着信を告げた。
送り主は、御手洗総一郎。
文面は簡素にして端的であった。
『9人目の犠牲者が出た。今度は殺しだ。すぐに来い』
私の休日が、終わりを告げる。
斑目壬澄の名が、ブラックバード事件――メディアがしきりに、現代のジャック・ザ・リッパー事件と呼んだその物語に、容赦なく連ねられる。
かくして私は、犯罪王のもくろみ通り、無数の思惑の交錯する超常犯罪の渦中へと、どっぷりと踏み込んでいくことになるのだった――
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