第一講義 ハンプティ・ダンプティ=エクスチェンジ

事件篇

(1)

 ハンプティ・ダンプティ孤島に籠った

 ハンプティ・ダンプティが砕け散った

 犯罪王と、その従者が全部かかっても

 ハンプティたちを元には戻せなかった


§§


 斑目まだらめ壬澄みすみ――つまるところの私が、あの頭がおかしい純白の美少女、そして不遜にして傲慢なる金髪の美少年に出会ったのは、はっきり言って全くの偶然だった。

 そう言って何の間違いもない。

 あの惨劇の孤島で巻き起こった不可能犯罪――いや、今の定義ならば超常犯罪と呼ばれるそれを、彼らが鮮やかに〝食い散らかした〟のは、言い訳がましいかもしれないが、だって私とはなんの関係もない理由だったのだから。

 無関係。

 私達は圧倒的に無関係だったのに。

 彼らが介入するそのきっかけを与えてしまったのは――他ならぬ私だった。

 そのことに、大きな困惑を抱えつつ、私は今、あの日の事を回想する。

 あれはそう。

 もう、5年も前の話だ――


◎◎


 真子島まこじまは、永崎ながさきに数多く存在する離島の一つであり、元は無人島だった。

 本土からは遠く、日本海にぽつんと浮かぶ離れ小島。面積だけは少しあるが、物珍しい動植物があるわけでもない。そんなあっても無くても同じような島を、紅奈岐こうなぎファウンデーションの創始者、紅奈岐堂玄どうげんが国から買い取り、自らの一族の避暑地――或いは別荘を建てる為だけの敷地にしてしまったのが戦後間もない頃の事。それからの数十年間、真子島は紅奈岐一派御用達の避暑地として、港が作られたり館が作られたり庭園が出来たりと、まあ、それなりにな利用をされていた。


 だから、真っ当じゃなくなったのは――紅奈岐美鳥みとりがその生を受けたその日からだった。


 紅奈岐というこの国でも有数の財力を持つ一家の、その本来ならば祝福を受けて産まれ堕ちてくるはずだった彼女が、如何にしては、一族以外の人間にはまったくと言っていいほど伺い知れない。

 言ってしまえばブラックボックス。

 彼らにとっての暗部。

 しかし、その闇を覗き見るだけの資格と、偶然と、運と(どう考えてもそれは不運だが)、何よりを握ってしまった者は、皆例外なくその事実を突きつけられることになるのだ。

 即ち、


 紅奈岐美鳥は人殺しであり――


 ――故に、20歳のバースデイを迎える2042年の今日この日まで、真子島に幽閉され続けているのだと。


 少なくともは、そんな風に上司からきつく言い含められて、この島を訪ねてきたのである。

 どれだけ心を奪われようとも、同情は決してするなと。惑わされるなと、そうきつく。

 ……しかしその助言も、はっきり言えば役に立たなかったと、いま彼女を前にして私は思うのだった。


「歓迎します、斑目壬澄さん。あなたのご勇名、こんな辺鄙へんぴな島暮らしのわたくしのもとまでも、それはそれは轟いていますよ?」


 造りこみのすごい四脚椅子に優雅に腰掛け、嫋やかな微笑みと共に、そんな(どんな?)明らかに脚色されているだろうとやらを挨拶の始めに持ってきた彼女に、私は深々と頭を下げてみせる。

 紅奈岐美鳥。

 その容姿に、私は一瞬にして圧倒されてしまっていた。

 腰までもあるんじゃなかろうかという長い髪は、あまりに特徴的な燃えるような茜色。この一族は皆、生来からしてそんな髪色だとは言うが、私が出会った中でも美鳥嬢のそれは際立って鮮やかだった。

 瞳の色も同じように赤みがかかっている。これも一族共通。

顔のつくりも柳葉の眉にすらっとした鼻立ちだし、その煌びやかなドレスと相まって、正直同じ人間とは思えないぐらい美しかった。人形的とは違う、自然の美しさがそこに在った。

 美しいというのは、それだけ人間関係に強いバイアスをかける。

 この場合は、私と言う存在に卑小感を植え付けることに成功したと言えるだろう。

 ……うん、まあ、私が自分自身の容姿にコンプレックスを抱いているとか、そんな話はどうでもいいので省略するが、とにかく紅奈岐美鳥は唯一無二ともいえる恵まれた美貌の持ち主だったのである。

 だから、私が頭を下げたのはその美貌に圧倒され、敬意を表してというのが一つ。

 そしてもう一つ、身につまされたとか同情したからとかではなくって――彼女が協力者であるからと言うのが、寧ろ大部分のウェイトを占めていた。


「というか、それが本題なのよね」

「……? なんでしょうか?」


 いえ、こちらの話ですと微笑みを浮かべたまま小首を傾ぐこの島の主に答え、私は改めて何故この島を訪ねることになったのか、その理由を端的に確認した。


「それで、紅奈岐さん」

「美鳥で結構です」

「美鳥お嬢様」

「……美鳥で結構です」


 案外強情だな、このお嬢様。

 微笑をうんざりとした表情にシフトさせた彼女に「美鳥嬢」と心の中だけで使っていた呼び方をして、私は問い掛ける。


?」


 美鳥嬢の端正な顔に浮かんだのは再びの微笑み。

 なるほど、これは一筋縄ではいかないぞと、私は苦笑するしかなかった。

 形川かたがわリナ。

 それは、いまこの国を騒がせている犯罪者――そのひとりの名前だ。

 もっと正確に言えば――

 ……果たしていつから、そんな戯けた呼称がまかり通るようになったのかは解らない。しかし、零年代の終わりには、確かにそう呼ばれるものたちがいた。


 例えば、遠隔殺人。

 遠く離れた場所から、触れることなく相手を殺す。


 例えば、白昼窃盗。

 衆人環視のその只中で、誰にも気づかれる事無く宝物を盗む。


 例えば――密室殺人。

 物理的にも概念的にも、完璧に密封された空間で殺人を犯し、忽然と姿を消す殺人者。


 そんな、ありえないような犯罪を犯す者達――不可能犯罪者が、いつしか世界には溢れていた。

 分など弁えず、大手を振って跳梁跋扈する彼らを、まるで御伽噺かミステリー小説の中からでも飛び出してきたような異常すぎる彼らを、人民は恐れ、同時にアイドルのように持て囃し、いつしかこんな風に呼んでいた。


 曰く――超常犯罪者ナーサリー・クライムと。


 その超常犯罪者の一人、数週間前、本土で70人ものメディア関係者をTV中継中一瞬にして殺戮した大量殺人犯、指名手配中の女優〝形川リナ〟がこの島に滞在していると、そんな情報が永崎県警に齎されたのが今朝方の事。

 タレこみを行ったのが、ほかならぬこの島の主にして紅奈岐家から殆ど断絶されるようにして幽閉されている彼女――紅奈岐美鳥その人と判明したのが、いまからほんの4時間前の事だった。


「それで」

 私は、至って真剣そうな表情を浮かべて尋ねた。

「どうして、彼女を匿う気になったのですか?」

 美しい女主が微笑を絶やさずに返答する。

 その答えは、どうにもずれたものだった。


「あなたに、お会いしたくって」


 ……この答えを、予想していなかったと言えば嘘になった。

 ほとんど時間がなかったとはいえ紅奈岐家の方と接触する時間はあった。だから彼女がどんな人となりなのか、先に述べたように私は知っていた。

 私の急な連絡に応じ、永崎県警に顔を出してくださったのは紅奈岐錵矢にえやという男性だった。彼は暴漢に襲われたとかで、黒い時代が掛った眼帯をしていたが、そんな状況にもかかわらず酷く美鳥嬢の事を気にかけていた。どうやら、幼馴染の関係にあるらしい。

 その彼が、「美鳥は日常に飽き飽きしている。だからわざわざあなたに逢いたくって、こんなことをしでかしたんだと思うんだ。かごの中にいるのが、うんざりしてね」と、苦笑交じりに語ってみせたのだから、予想できなかったはずがないのである。

 だから、私は肩を竦めてこう言うしかなかった。


「勘違いを、されていませんか」


 私は、あなたたちの様な異常なほど選ばれた人間ではない。決して特殊な人間ではない。日常を愛するただの――そうただの女刑事に過ぎないのだと。

 そう言った。

 それをどう受け取ったのか。

 或いは道化と受け取ったのか。

 美鳥嬢は口元を押さえ、可笑しそうに笑った。


「うふ、うふふふ」

「…………」

「あはははは――斑目刑事は」

「私も壬澄で結構です」

「やっぱり、壬澄さんは面白いわ。さすが〝殺人曲芸集団事件ケース・マーダー・サーカス〟の唯一の生存者にして、その一団を全員逮捕して見せた敏腕女刑事――ええ、とてもお目にかかりたかったの!」


 彼女は興奮も露わに、歌うようにそう言った。

 対する私は、渋面で黙り込むしかなかった。

 確かに、私は〝殺人曲芸集団事件〟の生存者だ。だが、唯一ではないし、そもそもあの忌まわしい犯罪者どもを無力化したのもまた、私ではない。

 なにより私はなどできなかったのだ。

 そうであったにもかかわらず、私はその事件以来、超常犯罪者専門の刑事として永崎県警で扱われている。時には、別の県にまで出向することもある。そして、ときどき成果を上げている。彼女の言う〝ご勇名〟というのは、それに尾びれ胸びれだけでなく背びれや足までついたような話に違いないのだ。警察が、超常犯罪抑止のために故意にばらまいている情報操作の一環に、私は利用されているに過ぎない。でなければ、20代そこそこの私が警部などという立場にいることも、そして今日この島を訪ねることもなかっただろう。

 そう言った意味で、私はたぶん不運だった。

 続く美鳥嬢の言葉を聞くまでは。


「明日になれば、リナさんの身柄は壬澄さんに引き渡します」

「――え?」

「そもそもが退屈しのぎ。あなたに逢いたいが為、お話をしたいが為に迎え入れた客人ですもの。あなたを招くことに成功した時点で要済みです。今日一杯は、ええ、客人という立場ですから厚く礼を尽くさせていただきますが、明日にはただの犯罪者として扱いましょう」

「…………」

「どうしました?」


 何か、不都合でも?

 そう言って、また小首を傾ぐ彼女。

 嗚呼――と、私は実感する。

 やはり、この女性は私のような凡人とは違うのだ。

 、きっと間違いではないのだろうと、私は彼女の赤い瞳を見て、そう納得せざるを得なかった。

 そうしてそういった人間にばかり目をつけられる自分は、不運なのではなく、もはやそう言った宿命なのだろうと、私は悟った。



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