第28話『椎名美緒』

 午後3時半。

 俺と彩花、渚は午後4時発の特急列車に乗るため、早めに洲崎駅に来ていた。

 俺の家族だけでなく、俺達のことを見送ろうと美緒、佐藤、北川、ちー姉ちゃんが駅まで来てくれていた。笠間については事件の真相を伝えるため、浅水先生と一緒に警察に行っているところだ。

 唯が亡くなる直前、笠間は彼女のことを必死に助けようとした。そのことで罪にはないだろう。何かあったときには全力で笠間のサポートをするつもりだ。


「藍沢君。はい、文芸部で作った冊子。私の小説が読みたいって言っていたでしょう?」

「ああ、ありがとう」

「冊子の半分くらいが私の作品だから。読んだらその……感想をくれると嬉しいわ」


 俺に冊子を渡す北川は何だか恥ずかしそうにしていた。本当に中学のときに比べ、表情が豊かになったな、彼女は。家に帰ってからゆっくりと読ませてもらうか。どんな内容なのかは期待半分、不安半分だけど。

 俺に冊子を渡すという用事が済んだからか、北川はさっさと彩花と渚のところへ。さっそく会話が弾んでいる。そうか、この2人は彩花や渚と会うのはこれが初めてなのか。

 あと、都会の女の子は想像通り可愛いと佐藤が1人で盛り上がっている。お前の隣にいる相棒も結構可愛いと思うぞ。


「ねえ、なおくん。ちょっと2人きりで話したいことがあるの。いいかな」

「ああ、分かった」


 俺は彩花達に一声かけて、美緒と一緒に駅から少し歩いて、ほとんど人気のないところにまで行く。


「どうしたんだよ、2人きりで話したいなんて」

「……同窓会の帰り以降、なおくんとゆっくりと話せなかったなって。だから、これは私のわがまま」

「そうか」


 2人きりがいいと言われたから、何か大事な話でもされるかと思ったけど、そういうことだったのか。美緒とならみんながいる前でも普通に話せると思うけど、ゆっくりと話すにはやっぱり2人きりの方がいいかも。


「もう、帰っちゃうんだね。月原に」

「今日で連休が終わるからな。夏休みになったら、月原に遊びに来てくれよ。今は彩花と一緒に住んでいるけどさ」

「そっか。だけど、彩花ちゃんや渚ちゃんに悪いかもね。でも……お言葉に甘えようかな」


 そう言うと、美緒らしい優しい笑顔に寂しさが混じってきているように感じた。あまり話せなかったから、寂しい想いをさせてしまったかな


「なおくん。私、ずっとなおくんのことが好きだったんだよ」


 その一言が、美緒を幼なじみから同い年の女の子へと切り替えたように思えた。美緒の頬がほんのりと赤くなっている。


「一緒にいることが当たり前だったから、なおくんが中学を卒業するまで恋愛感情を抱かなかった。けれど、高校に進学してなおくんのいない寂しさから、ようやく私はなおくんに恋しているんだって分かったの。……もしかしたら、幼い頃から恋愛感情があったのかも」

「美緒……」

「でもね、その感情も段々と薄れてきたの。笠間君の異変に気付いたら、彼のことを支えたいって思うようになって。それは、なおくんのことが好きになったときに似ている温かい気持ちなの」


 そう言われた瞬間、胸がチクッと痛くなった。

 しかし、それはすぐに消え去っていく。きっと、俺も美緒のことが好きだったんだ。1人の女性という意味で。


「笠間のことを支えたいか。美緒らしい考えだな」


 俺が素直にそう言うと、美緒の目が潤み始めた。


「……なおくんのことが諦めたって言ったら嘘になる。でも、私はこの想いを笠間君に伝えたいと思う。そうすることで、私がどうしたいのか答えが見つけられるかもしれないから。それはいつになるかは分からないけれど」

「……そうか。答えが見つけられるといいな」


 美緒はきっと、俺が月原に上京してから色々と悩んだのだろう。そして、自分でどうすべきなのかを頑張って見つけようとしている。そんな美緒がとても眩しく見える。


「なおくん」

「うん?」

「……なおくんは今も何かで悩んでいるよね。私には今のなおくんの方が、2年前よりも深刻そうに見えるよ」


 まったく、美緒にも見抜かれてしまうのか。さすがは幼なじみというか。

 でも、2年前よりも深刻か。唯の事件の真実は分かったはずなのにな。


「困ったらいつでも相談に乗るから。悩むことはいいけれど、無理はしちゃだめだよ」

「……ああ、ありがとう」


 けれど、『悩む』っていうのは、既に無理している段階に入っている気もする。俺はもうそこに立っている気がする。はっきり言わなかったけど、俺が何に悩んでいるのかおそらく見抜いている。


「美緒ってさ、今の考えに辿り着いたきっかけってあったのか?」

「……ふと、そう思っただけだよ。考えが降りてきたっていうのかな。あとは勘かな。何だか上手く言えないや」


 美緒は照れくさそうに笑った。

 やっぱり、勘なのか。論理的なことではないのか。今の美緒の言葉を聞いて、俺の悩みはまた出口から遠ざかった気がする。


「そろそろ戻った方がいいかも。電車に間に合わなくなりそう」

「そうだな」


 彩花や渚達のいる場所へと戻り始める。


「なおくん。私、絶対に月原にあるなおくんの家に遊びに行くね。誰とどんな関係になっても、なおくんの住んでいるところには一度行ってみたいから」

「……ああ、待ってるよ。そのときを楽しみにしてる」


 もし、本当に美緒が月原市へやってきたら、月原市を案内してあげよう。どんな反応をするのか楽しみだから。


「うん、絶対だよ」


 美緒はいつもの笑顔に戻り、嬉しそうにしていた。

 彩花や渚達のところに戻ると、月原に帰る特急列車が洲崎駅に到着するまであと数分に迫っていた。

 両親、美緒、佐藤、北川、ちー姉ちゃんには別れの言葉を言って、寂しそうな表情を見せていた美月にはたくさん頭を撫でた。


「4日間、お世話になりました。ありがとうございました」

「また、直人と彩花ちゃんと3人でこの町に来たいです。みなさんも是非、月原にも遊びに来てみてください。そのときは私達が案内するので」


 彩花と渚はそう言って、洲崎でお世話になった人達に感謝の言葉を言った。そんな2人にまた洲崎へと遊びに来て、と言わんばかりの笑みを全員が見せてくれた。きっと、2人にとっても、洲崎のみんなにとっても、楽しい思い出ができただろう。


「じゃあ、そろそろ電車が来るから行こうか。彩花、渚」


 俺、彩花、渚は午後4時の月原に向かう特急列車に乗る。

 この4日間、色々なことがあった。楽しいことも、悲しいことも。

 洲崎に来てから2年前のことばかり考えていたせいか、特急列車が発車すると、まるで、2年後の現在に向かって帰り始めているような気がしたのであった。

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