【品名:『青春』※割れ物注意】

 人生に楽しいことなんて見つからない。それが僕の常套句、いや、ある種の言い訳だったかもしれない。大学を何とか卒業して去年から地元の企業で働くことになったが、それも苦労の連続だった。ついこの間なんてろくに休憩も貰えないまま、立ちっぱなしで作業していたらガキンと音がして作業用の機械を壊してしまった。すぐに工場長が飛んできてこっぴどく叱られてしまった。クビにはならないらしいが6ヵ月の減給だそうだ。これで今年のボーナスも無くなってしまっただろう。

 もう何もかもが嫌になって大学の頃の友人に相談しようと電話を掛けると、そんな僕を見かねてか居酒屋に誘ってくれた。9時頃にずっと通っていたあの店でと言われたので久しぶりに外向きの服に着替えてマンガ喫茶で暇を潰してから時間通りにあの店に行った。

「大学時代から何かあるといつもあいつとはここで飲んでいたっけ。」

なんだか今までの懐かしい思い出がつい最近の物のように思えて、思わず小声で呟いてしまった。あれから変わらない薄汚れた暖簾を上げて店に入るがあいつの姿は見当たらない。あれ?間違えたか?周りをキョロキョロ見渡していると奥から

「よぉ!久しぶりだな!こっちだ!」

とあいつの声が聞こえた。店の奥に足早に入っていくとそこには大学時代とは全く変わったあいつがいた。昔は僕と同じでひっそりしていたのに、いわゆる「イマドキ」の派手な服としっかりとキメた髪型で僕に手招きをしてくれていた。

「えっ…あっ…だいぶ…変ったね。」

恐る恐る聞いてみる。するとそれもそうだろうなと思い切り笑っていた。

詳しく話を聞くと、大学を出た後直ぐに資産家だった親戚が亡くなり、遺産の一部が転がり込んできたらしい。一部といってもその額は億を超えるものだったとか。

それを元手に自分はIT系企業を立ち上げた所、大成功し、今に至るらしい。


 「あぁ…。」

思わずため息を吐いた。やっぱりあいつもうまくいっているじゃないか。やっぱり…

「人生に楽しいことなんて見つからない。そう言いたいんだろ?」

ニヤニヤ笑いながらあいつは僕にそう言った。思わずビクリと体が震えた。図星だった。

「知ってるよ。お前がいつも言ってた事。だけどな?人生には面白い事ばっかりなんだよ。明日良い物送ってやるよ!『青春』だ!楽しみにしとけ親友!」

そう口早に言うとレジに万札を置いて後ろ手を振りながら店から出て行ってしまった。突拍子もないこの出来事に僕はただポカーンと口を開けているしかなかった。

『青春』って何だよ…新作ゲームか?確かに最近VRだか何だかが流行ってるみたいだが…。ウチにはそんなゲームやれる広さもゲーム機も無いぞ…。

考えても全くピンと来ないので、あいつが注文するだけして置いていった不味いサワーを飲みながら、ふと時計を見るともう午前1時を回っていた。

「うっわ…。やっべぇ!明日も早番で5時からなのに…。さっさと帰って早く寝なくちゃ仕事にならない!もう何だよ!訳分かんねぇよ…。」

 鞄を首に掛けて帰りの支度をしていると店のおばちゃんから

「お代は貰ってるから早く帰ってしっかり休むんだよ!頑張ってな!」

と応援されたので、僕は昔のように急いで靴を履くと、おばちゃんへ

 「おう!ご馳走様!また来るよ!」

と笑って店を出た。夜風が刺さるように吹く。満月の下をはぁはぁと息を切らしながら家まで走って、そのまま布団へ飛び込んで寝てしまった。

何だかいろいろあったが、気づけばあの暗い気持ちは何処かに吹き飛んでいた。


 ピピピ…ピピピ…

いつものスマートフォンのアラームが聞こえる。

「んぅぁ…。んあっ!?」

思わず変な声が出る。寝返りを打とうとすると明らかにおかしい感覚が左手に走った。びっくりするほど硬くて…しかも今まで気づかなかったがかなり眩しい

「あっつぅ!?なんだこれ!?コンクリート…?しかも体中いてぇ…。」

自分の真下にはアツアツに熱されたコンクリートの地面、上からは太陽が容赦なく照らしてくる。

「うっそだろこれ…夢か?昨日確かにベッドで寝たはずじゃ…まさか酔った勢いで路上で寝ちまったか?しかも昼時じゃねぇかよ…間違いなく遅刻だ…。」

誰に言う訳でも無いが嫌でも口には言葉が溢れてくる。

訳も分からず寝転がっていると何処かで女の子の声がする。

「おーい!いつまで寝てんだー?早く起きろよー授業始まるぞー?」

かわいい声だ、しかもとても若い元気な声。学生だろうか?そうか、昼なら学生は無条件で休み時間が貰えるんだったなぁ…。既に会社も上司も諦めがついたので、今日はどうしようか考えていると目の前が急に薄暗くなった。

もしかして急に曇りになったか?まだぼやける目を擦りながら何事かと凝視する。


 パンツだ。他の可能性も考えたが間違いなくこれは女の子のパンツだ。香水のような良い香りが鼻に当たる。あぁ…これはこれで心地がいい…が

 ん?待てよ?頭に浮かんだ数々の疑問が解決するのには1秒もかからなかった。


「あ…あのさ…?別にいーんだけどさ…いつまで見てるの?」

金髪で健康的な褐色肌、困惑したような顔には真っ白な制服がよく似合っている。

はだけたシャツの襟口からは大きな胸の谷間がしっかりと見え、下着もうっすら透けて見える。そんな女の子が倒れたままの僕の顔の真上に立って、そこから覗き込むように両腕を腰に当て、上半身を折り曲げてる。


それとは裏腹に頭の中には次々と最悪の事態がよぎる。まさか僕が痴漢しちゃった?相手は学生だ、こんな所誰かに見られて通報されでもしたらこの年で人生パーになっちまう…!頭で答えが出るよりも先に体はもうすでに動いていた。

這いずるように彼女の真下から出ると、そのまま両足をたたんでその場に座り、頭を下げる。そうこれこそ日本人の出来る最高の謝罪【土下座】だ。

「す…すみませんでした!じっ…事故なんです!!!?全然セクハラとかそんな事する気は無かったんです!」

無限にも思われる時間が過ぎる。いやほんの数秒だろうが、僕にはカップラーメンが出来るのを目の前で待っている時よりも長い長い1秒に感じた。

「え…急にどーしたのさ…。なんか今日ヘンだよ?まるで初めて会った時みたいじゃん!そ…それに君からならそんなに…ヤじゃないし…。別にへーき…ってか…。」

頭を上げるとあの女の子が頬を赤らめてそっぽを向いていた。冷静になった頭で回りを見渡すと、ぶわっとまたも強い夏の風が吹いた。銀色の手すりに、明らかにおかしい視界の高さ。周りに見えるビルはいつもより短く感じる。僕がついさっきまで地面だと思っていたここはどこかの屋上だった。


 「とにかく!ほら、行くよ?授業まで時間無いってさっき言ったじゃん!」

照れ隠しのように彼女はにこっと笑うと唯一の下につながるであろうドアへ向かって歩き出した。

混乱していた頭にやっと正気が戻り、僕は1つの結論にたどり着いた。

これはあいつが昨日言っていた『青春なんたら』ってVRゲームの世界だ。

最近のグラフィックはまるで現実と見分けがつかないほどにまで進化していたのか。

起き上がりながら自分で納得している。ともすれば、だ。ゲームならここであの子に後ろから抱きついてもゲームオーバーになるくらいで済むのだろう。

しかもちょうど良く僕と彼女は恋人同士って設定らしい。

今まですっかり忘れていた下心が蘇る。僕はそのままの勢いで後ろから目の前のヒロインに抱き着いた。


 「へっ!?ちょっ!?急にそんな…大胆すぎるってば!まだ昼だよ!?」

予想通りの反応。だが1つだけ予想外の事があった。指先でしっかりと感じるこのふっくらとした弾力。背中越しに伝わる早い心拍と暖かな体温。

VRならば視界のみで感覚までは再現されないはず…しかもこの感覚…「本物」だ。

「ちょっと!いつまで胸触ってるのよっ!いーかげん離せ!暑苦しいってば!」

そのまま僕は真後ろに跳ね飛ばされる、背中から地面に転び、今の状況をどうにか理解しようと躍起になっていると、彼女は右手を僕に差し出してから

「べっ…べつにこーいうの嫌じゃないからさ…ただ、や…やるときはもっとこう…場所と時間をわきまえてくれないと次は本当におこっちゃうから…ね?」

と少し怒ったような顔で無理やり僕の手を掴んで、ぐいっと引っ張って立たせる。

それと同時に僕の体も熱くなるのを感じた。初めて僕の中の何かが突き動かされる感じがした。これが青春…?初めて自分が恋をしたんだと改めて感じた。

「あ、ゴメンゴメン…。次からは気を付けるよ。」

流れで軽く謝り、彼女に連れられてその扉を開ける。次は授業だと言っていたな。

どの科目かは知らないけれど、そのくらいサクッと解けるだろう。さっきやっちまったし、その分のお返しとでもしようかな。


 スタスタと階段を下りる。バチリと強い光に照らされて思わず目を塞ぐ。

奥からは何十人もの男の歓声が聞こえる。

「やったな!」「大変だったが大成功だ!」そう口々に話す。

目の前を歩いていたはずの彼女は僕に向かって

「まさかあそこであんなことまでされるとは思わなかったけど、すっげー楽しかったぜ!ありがとな!」と笑っている。

間髪入れずに奥からあいつがやってくる

「お疲れさま!楽しんでもらえたか?俺からの『青春』の贈り物だ!大丈夫お前の勤め先にはもう連絡入れてあるから気にせずこの後は家で休んでもいいぞー!」

彼の笑顔に悪意なんかは微塵も感じられない。きっと僕のためを思ってのサプライズだったんだろう。僕は彼に向かって

「あ、あぁ…楽しかったよ!さすが親友だ!気分も晴れたよ」

とできる限りの愛想笑いとお世辞を返した。


すべての辻褄が合った所で、僕の心の中で何かがパリンと割れる音がした気がした。

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