30年以上小説大賞に落ち続けているモノカキの心象
にーりあ
2015年の目標
今のライトノベルはエロ本だという話を聞きます。
ファンタジー=海外という認識だった私が、初めて日本産ライトノベルに触れたのは、当時流行っていたファミリーコンピュータのゲーム記事を扱っていた雑誌に乗っていた作品(タイトル失念)でした。
その後、水野良氏の『ロードス島戦記』、田中芳樹氏の『銀河英雄伝』を拝読し、日本のライトノベルとはこういうものだ、と理解します。
私の中の「ライトノベル」イメージは、この時に出来上がったのです。
時代の進化に伴い変化を続ける事は、どのような分野においても人間として避けてはいけない事だと私は考えております。ですので、今のライトノベルが私の知るライトノベルと同じでないとしても何ら不思議ではないのです。
小説は、文節を愛で楽しむもの。文節こそメインであってStoryは副次的に生成される物に過ぎない。歌舞伎などの文化芸術と同じく読み手に最低限の教養を強いる。それは将棋を楽しむのにルール習熟が必要であるのと同じ事。
ライトノベルはStoryの精製が主眼です。文章構成は良いに越したことはないが、文節の巧みさを愛でるものではないのです。
それは大衆にわかりやすく子孫に伝えやすい明確で端的な物語。
桃太郎のいい加減過ぎる設定も、かぐや姫のようなあり得ない描写も、文節やリアル感に意味はなく。ただただStoryをガツンとしたイメージとして定着させ、個々に細部を何となく有耶無耶に[不自然でない風]だと錯覚させ、最終的にすべての矛盾を嘘を免罪とする架空の話として統合させ帳尻を合わせる。
故にライトノベルをでっち上げる事においては小説を学ぶ事に意味はなく。文節に対する学を積んだ者達はその矛盾に是正の糸口を求めうんざりし時に戸惑う。
ライトノベルは文学ではない。これらを一色と見るのは、[アイドルライブ]と[能]を同じ約束事で解釈せよという暴論に等しい。
それもまた、芸術。文学と根は同じ。なので私は、そこに貴賤や上下があるとは思いません。違いはあるとは思いますが。
でも私は、若い世代に私の憧れを伝えたい。
それは綺麗なものだったり、心が震えた事だったり、人を思いやる心であったり、理不尽な生活の切り取りにより知恵を得る手段であったり。つまりは芸術です。
芸術はすべてが許され、すべてが肯定されるもの。
ただ、でも、だけど「何かにつまづき美少女を偶然巻き込んで倒れたらよくわからないが胸を揉みしだいていておまけにキスまでし動揺の為舌を絡めまくってしまった」という運命神を傀儡にするかの如きラッキースケベの必然性だけは芸術としてどうしても理解できないのでやっぱ私ラノベ嫌いだわ。(怒)
でも2016年以降もラノベ新作は書いてきたいと思う。修業的な意味で。
以上。
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