殺意が生まれる場所
先週末起こった、小金井女子大生アイドル刺傷事件。あまりの無残さと痛ましさに、ネットをはじめメディア全体に衝撃が走ったのは言うまでもありません。何の罪もない初々しい20歳の女性がなぜ――?しかも彼女はただ、自分自身の夢を純粋に追いかけていただけでした。
しかし地下アイドル(実際には元、と付す方が相応しく最近ではシンガーソングライターとして活動していた)である彼女は、ネットを通じて自身の活動の宣伝をしていたことなどがアダとなり、非常に思い込みの激しい一人の見も知らぬ妄執的なファンに目をつけられ、その凶行の犠牲となってしまった。
当初はアイドルとそのファン、という関係性の上で起こったストーカー問題として、マスコミ各社ではこれまでのその例も取り上げながら、ネットのSNS社会が普及する中での「身近なアイドル」問題としての論調ばかりで論じられてきましたが、はたして事実はそうではなく、被害者あるいは加害者として、おそらくは誰の身にも起こりうる怖い事件であることに気づかされます。
――勿論アイドルなどファン心理を一つのビジネスとして扱い、応援してくれるファン自体に限りなく近しいといったコンセプトで始まった、こうしたファン商売はAKB48などの成功もあり、その商法に、もはや歯止めが効かなくなってきている。
特に事務所に所属していない単独で活動している、いわゆる「地下アイドル」は、ライブの宣伝などの売り込みを自身で行わなければならない状況にあり、ツイッターやブログなどネットのSNSで直にファンとのやり取りをせざるをえず、そこにまず問題があって、今という時代のアイドル像やその売り方そのものにも、ある程度の注意が必要であるということを改めて知らしめた事件でもあると思います。
しかし、上述のように事の根は実はそればかりではない。ストーカー行為そのものは、生きものである人の
今回の小金井での事件も、元は容疑者のターゲットとなった女性アイドルに対して最初こそはファンとして純粋な気持ちで接していたのが、その想いが高じて渡したプレゼントに対して思うような反応がなかったことから一転して好意が一方的な憎悪に変わったという経緯ではあったのですが、根底にはAKB襲撃事件と同じものがあるのを感じます。
よほど思い込みが激しくとも一旦は踏みとどまり、通常はこういった犯行にはなかなか一歩を踏み出さないものですが、容疑者は彼女のツイッターへの返信という形や自身のブログなどに執拗に暴言や誹謗中傷を綴ることで自分自身の憎しみを日に日に高めていった。この辺りは秋葉原通り魔事件などとも似た傾向が。
が、中学時代には柔道を嗜んでいた容疑者は、元々は、自分より弱い相手を傷つけてしまわないかという心の優しさも普通に持ち合わせた温厚な人物で、今回起こしてしまった事件からは想像もつかないでしょうが、当時の彼を知る恩師などは心を痛めており、狂人まがいの危険分子の理不尽な暴走であると一概には断罪できない部分も。
それなりの成績を収めた柔道をやめ、武道の道から外れた時から、彼の中の何かが変わってしまったのか。将来に何かの夢や希望があれば、まずこうした事件は起こさないもの。しかし彼は、一転して現実の意味も見失ってしまった自暴自棄のはてに、自らの感情を爆発させ、凶行へと至ってしまった。
何の落ち度もない被害者女性の痛みと恐怖、苦しみ。実際に体に残るもの以上に心に負わされた傷は、いかばかりかと筆者自身も心が痛みますが、それ以上にこういった事件を起こし、自ら社会的に転落した犯罪者となってしまった容疑者である彼自身の贖罪の重さを思うと、非常にいたたまれない思いに……。
特にネット、SNS、そして身近なアイドル。そういったものが起こしてしまった今回の事件。しかし、実際に本来的な身近な女性と知り合える機会が普通にあれば、彼も本来は手の届かない存在である女性に思いの丈を叫ぶようなことはなかったでしょう。愛情が憎しみに変わるなどということは、普通にも当たり前のように起こりうること。ただ彼はその手の届かない存在を、あたかも自分のすぐ近くにいる存在であるかのように強く思い込んでしまった。
その重大な勘違いさえ除けば、通常のストーカー行為と何ら変わらない。が、こうした身近なアイドル像だとか、いまや社会全体に当たり前のように普及し浸透しているネットの構造が、いとも容易くその愛憎という思い込みを増幅させることに拍車をかけた。そして哀しいことに、殺意は、いまやどこにでも簡単に生まれ出る。
「怒りの感情をコントロールできない」とか「ストーカー病」といった考え方も生まれるほど、こういった背景にある被疑者の動機の精神疾患化や問題の深刻さが現実味を帯びてきている。なぜ彼らは、そうした破壊的行動に出なければならないほど、本来持っていたはずの純粋な「心」を自ら壊してしまったのだろうか。
今という時代は、非正規雇用が大半の若者中心に未来に夢が持てない時代。事実、容疑者も無職で、おそらくは仕事も夢も恋愛も、彼自身の現実には何ら関与しない存在し得ないものだったのでしょう。が、それでも人は夢を見る……それも自分の心の中だけにある、どこまでも美しい夢を。それが単なる現実逃避であるとか、容易には実現不可能であるとかいったことは全く無関係に、ただその思いのままに突っ走り、そしてそれが叶わないとなると、途端に歪んだ思考へと精神を貶めてしまう。
自分自身の気持ちを表現することが上手ではない、という人はゴマンといます。ただ、それでも下手は下手なりに周囲の人と何とか気持ちを通わせることができていれば……。反面そうした人はネットでは非常に饒舌になります。そして容疑者は様々な不満や憎悪を直接、被害者へと向け、それはあたかも実際に付き合っている女性へ向けての言葉や態度のようでもあった。
そして殺意は生まれた――。
結局、何が彼をそれに駆り立てたのか。
現実と非現実との境界もわからぬまま……。育ってきた環境か、それとも自身のその思い込みやすく激昂しやすい性格のなせる業か。が、筆者はそもそも時代的なものであるとか、今の社会の構造自体に大きな問題があるのではないかと考えます。時給いくらで幾ら汗水垂らして働いても収入は増えるどころか出て行くことばかり。終身雇用が崩れ、成果主義が大半となっても、非正規であれば就くことのできる仕事の質も限られてきます。
せめて被害者である彼女のように確固とした夢があれば、鬱屈とした現実で些かでも心を開放することができたでしょうが、たぶん彼にはそれもなかった。だから、そうした部分において、どうあっても心理的歪みが生じてしまい、彼女を自分の思い通りにできるという支配欲や征服欲が高じて事に至ったのだろうと。
そもそもその夢や希望があるかないかで、精神的な満足度も大きく異なってくるのは事実。が、その自己実現が皆無であった彼には、表立ちめだって輝いている彼女自身が非常に疎ましく思えていたのでは……? そして日々の鬱憤をWebで晴らしているうち。今という若者中心に未来の見えない世の中にあって、その歪みの構造が容易く具現化され、
その一方で、パマナ文書など著名人、富裕層あるいは大企業などの特権階級ばかりが甘い汁を啜って末端層の庶民にその恩恵が全く回ってこないという動かぬ事実に、そんなことしてるから、将来有望なうら若きか弱い乙女が刺されたりするんだ!……といった怒りがフツフツと湧いてきます。
その意味では、加害者である彼も立派な被害者。そこここで、そうした歪みが生じる事件が起こってくる度に、社会全体で包括的に考えなければならないことが非常に多いような気がするのですが。タックスヘイブンにて失われた20年と55兆円。今こそベーシックインカム(国民一人あたり月10万円ほどを恒久的に支給する最低限の生活保障)にて人々の救済を!
こうして社会全体に蔓延し、増幅されていく、怒りや悲しみ……。理不尽さが理不尽さを生み、そんな自然発生的な殺意が、あたかも正当行為であるかのように、当然のごとく生まれてくる歪んだ時代。起こってしまった事件に対して対処する(犯罪自体を取り締まる)法整備だけでは根本的な解決にはならない気がします。まず、それ(こうした犯罪)が起こる以前に、社会全体の公平性、秩序そのものから正していかなければ。
思えば格差、そして競争社会こそは弱肉強食の掟そのもの。そういった社会はひと握りの人間の満足を生み出しても、大多数の全体には何ら恩恵をもたらさない。
人々が心身ともに健全に生きられる、決して理不尽さや不公平さが生まれることのない社会へ――こういった痛ましい不幸な事件やトラブルを未然に防ぐ意味でも、今でこそ、それが必要なのでは。
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