第四場 キャスティング
「……一箇所に居続ける状況を強制的に作り出すしかないだろうな」
古賀先生がぼそりと呟く。
「強制的に?」
私たち三人の声が揃い、思わずみんなでくすりと笑う。
「まあ、どっかに閉じ込められるとかだな」
古賀先生の提案に全員が「なるほど」と大きく頷く。
「洋館とか、山荘とか?」美香が思いつくままを口にする。
「なにそれ? ミステリー? そして誰もいなくなった……?」葵が苦笑を浮かべる。
「リアリティーを出すなら学校だよね。教室とか?」私も参戦してみる。
「教室は鍵ついていないよね」葵によってあっさり却下。
「体育館倉庫は?」めげずに提案。
「いじめの話?」またもや葵に叩き落とされる。
「美術準備室」
「保健室」
「放送室」
「更衣室」
みんなで思いつくままに挙げていく。
「トイレの個室」と美香が言うと、全員で「三人も入れないって!」と突っ込む。そもそもトイレの個室に三人入るって、どういう状況よ?
「閉じ込めなくちゃ駄目ですか?」
悠基が首を傾げて聞いてくる。なによ、そのポーズ。わんこみたいでかわいいじゃん。
「一箇所に居続ける条件だからなぁ」
古賀先生が困ったように答える。
「そうだよぉ~。初めに六十分も同じところに居続ける状況の難しさを指摘したのは悠基なんだからね~」
美香が悠基に向かって人差し指を突き付ける。悠基はおどおどしながらも「そうじゃなくて」と首を横に振る。
「締め出しちゃ駄目ですか?」
締め出す?
「屋上はどうですか? 教室とかと違って、外からの刺激もあるから、ストーリーとしては広がりませんか?」
「……」
私たちの無言に不安になったのか、悠基は小さく「駄目ですか?」と訊いた。
「……おもしろいと思う」まず私が呟く。
「うん。それぞれがなにかの用があって屋上に出たものの、もどれなくなる――劇になりそう」そう言う美香の言葉に葵も頷いている。
「いいんじゃねーの?」
古賀先生がふんぞり返った姿勢で親指を立てると、悠基は嬉しそうに笑顔を見せた。
演劇をよく知らない人の発想はおもしろい。私たちが当たり前だと思っていることを簡単にひっくり返す。初心者がいるのはハンデじゃない。葵の演出にも期待ができる。
下郷高校演劇部は伸びていく。これは大所帯の部活では味わえない感覚だ。
ここにいると、体の奥からじわりと濃度の濃い熱いなにかが染み出てくるのを感じる。私の内側からぐるりと裏返って、新しい私になれるような気がする。
「よし!」
古賀先生がパンッとひとつ手を叩いた。みんなが注目する。
「まず役から作ろう。みんなにアイデアがなければ、俺が提案してもいいか?」
私たちに異論はない。エチュードから作ることを決めた時からそのつもりでいた。
「場面は学校の屋上。登場人物は三人」
古賀先生が話し始めると私たちはノートを開いて、それぞれの書き方で記していく。授業だって先生の言葉なんて写さない。板書を書き写すだけだ。まさかこんなに真剣にノートをとることがあるなんて想像もしなかった。
「梢ちゃんはこれね」
カチャンと軽い音を立てて古賀先生に摘ままれているのは、部室の鍵。
「……鍵?」意味わからん。
「こっち、こっち」
古賀先生は鍵の方を持って、ブラブラ揺れるものを指さす。そこには例の年季の入ったキーホルダー。猫がセーラー服着ている写真。
「……猫?」やっぱりわからん。
「違うって。スケバンだよ」
はぁ? なに? スケバンって?
「あ、知らない? まあ、俺もよくは知らないんだけど、あれだ、不良だよ、不良」
不良も今どきいないと思うけど? でも、ま、言いたいことはわかった。
「ギャルとは違うんですかぁ?」
美香、ナイス質問。
「ギャルって、別に悪さしないだろ? 不良は『
メイクとか持ち物とかの校則違反は「
「ミカリンは、優等生にしようか。不良VS優等生じゃ、ベタかもしれないけど、わかりやすいに越したことはないからな」
「はーい。真面目な学級委員みたいなイメージでいいですかぁ?」
美香は右手を真っ直ぐ挙げて質問している。
「そうだな。とりあえずそんな感じで」
「了解でーす」
小首を傾げての敬礼。
これが固っ苦しい優等生に化けるのか……。なかなか見ものかもしれないぞ。
「あとは悠基だな」
「はいっ!」
悠基が座ったままで背筋を伸ばす。
古賀先生はビシッと人差し指で悠基を指し、役割を命じる。
「いじめられっ子!」
「……え?」
悠基はそう声を漏らしたまま絶句している。
えっと……なんだかそれって、地雷じゃない? 悠基が寂しい中学校生活だったらしいことは、この前の発言でわかったのでは? そりゃ、いじめられていたわけではないのかもしれないけどさ……。
美香も葵も「こいつ、言っちゃったな」みたいな顔で古賀先生を見ている。
「――わかりました」
意外にもしっかりした声で悠基が答えた。
「頑張ります」
「おう、頑張ってみろ!」
古賀先生の励ましに、悠基は笑顔で強く頷いた。かわいいだけじゃない、後輩の頼もしさが垣間見えた気がした。
*
三日でノート一冊を使い切った。初めの数ページはきれいに書いてあるけれど、だんだんと文字は乱れ、罫線を無視し、下手っぴな絵がところどころに入っている。私が考える不良役のプロフィールだ。
古賀先生は「役作りをしてこい」と言った。私や美香は慣れているからいいけれど、悠基は役を作るという意味がわからなかった。
当たり前だよなぁ。古賀先生に「屋上に行くいじめられっこはどんな奴か細かく考えてみろ」とだけアドバイスされていた。そんな説明じゃ初心者に役作りなんてできるわけがない。古賀先生も無理だと思ったから悠基本人と共通点のある役を振ったのかもしれない。
でもそれって残酷だ。演技って、自分と違うキャラクターでもすごく地が出ちゃうから。日常生活では毎日一緒にいる友達でも気付かないような小さな癖まで指摘される。
私は中学の頃、それで苦労した。普段は無意識にやっている癖だからなかなか直らない。だからまずは自覚するところから始めなければならない。
私の場合は瞬きだった。どうやら俯いた状態から顔を上げる時や、首を横に動かす時に瞬きの回数が増えるらしい。他にも話し出す直前に小鼻がピクリと動くだの、目を見開く回数が多すぎるだの、普通に生活している分にはなんの問題もないようなことが指摘されて、何日も何週間もそればっかり怒られる。演出の重箱の隅を突っつくような細かさに、自分がすごくみっともない姿をさらしてきた気がして、暗澹たる気分になる。
理屈はわかる。それらの癖は私のものであって、役の癖ではないんだって。身近な人でも気付かなかった癖でも、やっぱりそれはその人を作っているパーツなんだよね。だから役には当てはまらない。
逆に、役に新たな癖を付け加えることさえある。だって癖も個性だから。
演じるということは、まず自分と真摯に向き合わなくてはならない。認めたくない部分まで認めなくちゃいけないし、しかもそれが仲間の目にさらされる。演技のためでなかったら、屈辱以外の何物でもない。
そして自分と役との共通点があれば、どんどん表に出していく。
悠基はいじめられっこの役だから、自分の中のいじめられっこの部分を強調していくことになる。その役作りに悠基は耐えられるのだろうか。
古賀先生がビデオカメラをセッティングしている。必要な部分を後から脚本におこすためだ。ビデオカメラは少し大きめで古臭い。側面に貼られた「下郷高校演劇部」のラベルが剥がれかかっているから、だいぶ前に買ったものなんだろう。
私たち三人は屋上で初めて出会う設定だ。だからお互いの作ってきた役はあえて隠している。初対面の雰囲気をリアルに近づけるためだ。
私はノートをパラパラとめくってエチュードの前の最終確認をする。そこには血液型や誕生日、両親の名前や家族構成のほか、小学校の思い出や食べ物の好き嫌いまで書いてある。
もちろん、そんなものは劇には必要ない。いや、もしかしたら、話の流れで出てくることはあるのかもしれないけれど、ノート一冊分のネタは必要ないはずだ。
でも、これらのことは、自分のことだったら答えられるはずのものばかりだ。私が「木内梢」として答えられることが、役の人物に答えられないのはおかしい。劇に直接関係がなくても、その人物を作り上げているのは、そういう小さなパーツの集まりなのだから。
エチュードは手の込んだおままごとだと思う。お母さんごっこ、お医者さんごっこ、のように。今から始まるのは学校ごっこ。ただし本気のおままごと。
「よーし。この角度ならちゃんと映るぞ」
古賀先生が首と肩をグリグリ回して固まった筋肉をほぐしている。
葵がパンパンと手を叩く。
「さてと。それじゃあ、始めますか」
私、美香、悠基は横一列に並んだ。葵が「ここが舞台鼻ね」とか「舞台袖はここ」とか位置を決めていく。
「ここに屋上へのドアがあるってことで」
上手舞台袖近くでドアの形を縁取るように葵の両腕が長方形を描く。
「それじゃ、先生、きっかけはお願いします」葵が先生をふり仰ぐ。
きっかけというのはタイミングを指示することだ。スタートだけでなく、登場のタイミングとか、いろいろ。
「そうだな、まずは梢ちゃんが屋上に出る。それからミカリン、悠基の順だな。一応登場のきっかけは出すつもりだけど、ミカリンも悠基もいいタイミングがあったら入っちゃっていいから」
「は~い!」
「……はい、わかりました」
すると、そぅーっと部室のドアが細く開いて、風が入ってきた。古賀先生が「おっ!」と嬉しそうに眉を上げる。
「来たな、脚本家」
入江がするりと入ってくる。
「すみません、もう始まっていました?」
「ん。ちょうど今から始めるとこ。――ほら、ここ座って」と、中央の椅子の座面を叩く。
古賀先生ったら、本当に入江に脚本頼んだんだ……。胸の奥がキューッと冷たく沁みる。緊張に似ているけれど、もっともどかしい痛み。なんだかわからないけれど、悪くない。
「梢ちゃん、始めるよー」
「はいっ!」
みんなが一斉に息を吸い込んで止めた。
「よーい……スタート!」
私は肩と首の力を抜き、気怠く首を傾げた。屋上に出るドアに、面白いものなどなにも映らないと思っているような視線をチラリと送り、慣れた様子でドアを開ける。
そこは空しか見えない、光が溢れる場所。
あたしは汚いものを見たように顔をしかめる。なんだよ、いい天気じゃんか。爽やかすぎるんだよ。
誰にも会いたくないから、人が来ない屋上に来ただけで、本当はこんなとこ眩しすぎる。日向とか似合わねーし。だって、どうせ、あたしなんて部屋の隅に溜まっているゴミみたいなもんだしさ。
――今ここに、私じゃない人物が生まれた。
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