第三場 向き合う覚悟

 ……どうしたもんだろう。


 私は部室のロッキングチェアの上で体育座りをしてゆらゆらと揺れている。


 パラリ。


 紙をめくる音がする。


 三学期になるとさすがに先輩たちは顔を出さなくなり、温かい飲み物にありつけなくなっている。常緑樹の少ない山は茶色い葉すら残っていない。空一面に薄い灰色の雲がかかっていて、寒さを際立たせる。


 パラリ。


 ゆらゆらし過ぎて気持ち悪くなってきた。ロッキングチェアで乗り物酔いって聞いたことないよ。……うっぷ。

 うーん。自分で温かい飲み物、買ってこようかな。でも、吹きさらしのピロティを通るのが寒いんだよねぇ。葵はまだ生徒会終わらないのかな。こっちに来るときに飲み物買ってきてくれないかな。


 パラリ。


 美香が紙をめくる音だけがやけに大きく響く。


 今朝、ホームルームが始まる直前に、入江が無言で紙の束を置いていった。黒いダブルクリップで留められたそれは中を開くまでもなく脚本だとわかった。ホームルームが終わると同時に入江の席まで行ったが、私が口を開く前に「まず読め」と視認できそうなほど固い四文字を投げつけれて、おとなしく自分の席に戻るしかなかった。

 読めといわれたから、一時間目の授業はホン読みの時間とする。どうせ古賀先生の現国だ。雑談ばかりでたいして内容はない。


 読み終えてまず思ったこと。……どうしたもんだろう。


 もう入江に声をかける気はなくなっていた。これは葵と美香に読んでもらってからでないとなにも言えない。

 葵は昼休みに読んだ。そしてやはり私にも入江にも声をかけずに教室を出て行った。

 そして今、その脚本は美香の手にある。


 バサッ。


 少しだけ大きな音がした。机には閉じられた紙の束とうつぶせに倒れる美香の姿。


 なんか言え。感想を言え。なんでもいいから口を開け。


 私の怨念が届いたのか、美香がガバッと勢いよく頭を上げた。


「なんなのよぉ! これ~!」


 だよね、だよね。そう言いたくなるよね、これを読んだら。


「入江くんったら、春季発表会の会場が城東学院と一緒って知らないのぉ?」

「知らないはずないよ。私、だいぶ前に言ったし。萌先輩からも聞いていると思うけど」

「それでなんでこんな脚本書くのよぉ?」

「私に言われても……」


「――遅れてごめん」


 葵が入口に立っていた。随分と静かに入ってきたもんだ。


「あ、お疲れぇ~。生徒会、終わったのぉ?」


 美香が椅子に腰かけたまま大きく手を振る。


「終わってはいないんだけど、今日は早退させてもらった」


 そう答えながら、私に向かってヨッと片手を挙げる。私も同じ動作を返すが、葵はもうこっちを見ていない。


「で? どうする?」


 ドカッと帰宅したてのお父さんのような態度で椅子に座る葵。


「どうしたもんだろう」


 私は今日だけで何度も心の中で呟いた言葉を口にした。


「どうしよっかぁ……」


 美香は今しがた読んでいた紙の束をそっと遠のける。おいおい、そんな危険物扱いしなくても。

 でも、確かに入江の書いた脚本は危険物だった。


 創作脚本はある程度ジャンルというか傾向みたいなのがある。

 顧問創作の場合は、なんだかやけに難しい不条理劇とかいうやつ。なにが言いたいのかさっぱりわからない。でも、そういうところのキャストはめちゃくちゃ上手い。ストーリーがわからないのに、演技が上手いというのはわかる。変だけど。

 生徒創作だと、原作があるもの。文化祭で私たちがやったようなやつ。それとか、昔話や有名な話のパロディとか。「シンデレラ」がギャルだったり、「かちかち山」のその後、みたいなやつ。あとはファンタジー。ファンタジーって言っても、異世界とかじゃなくて、あ、異世界ではあるんだけど、剣とか魔法とか戦いじゃなくて。そうそう、イメージとしては「不思議の国のアリス」みたいな感じ。

 それと、意外と多いのがリアル系っていうのかな、高校生の話。イジメとか自殺とか進路の悩みとか。正直、あまり面白くない。だってそんなの毎日身近にあるし。

 でもって、入江の書いてきた脚本は最後のやつ。


「こういうのって、ありなの?」


 葵が視線だけで脚本を指す。


「まあ、リアルな高校生の話っていう意味ではありだよね」


 同意を求めるために美香を見やると、難しそうな顔をして頷いた。


 そう、ありなんだよね。こういうのも。セットも衣装もメイクも楽でいいんだけど。いや、観ている方が面白くないんじゃないかとか、そういうことでもないんだな。


「これをやるとなると、ちょっと怖いんだけど……」


 美香が、孫の手で紙の束をこっちへ押しやる。その孫の手、どこから取り出したのよ。思いもしないものが突然出現するのが演劇部部室の恐ろしいところ。そもそもどんな劇なら孫の手なんて小道具が必要になるわけ?

 私は近づいてきた紙の束を人差し指と親指の指先でつまみ上げる。しかもダブルクリップのところ。

 表紙がこちらを向いている。入江ったら、作は自分の名前いれなさいよ。それから題名もストレートすぎやしない? それよりなにより、問題は内容なんだけどさ。――まったくもう。勘弁してよね……。

 私は表紙を美香と葵の方に向ける。ふたりそろって顔をそむける。



   高等学校演劇 春季発表会

   『演劇部脅迫状事件』

   作・下郷高校演劇部



 ……さて、どうしたもんだろう。


「おーっす。やってるかぁ?」


 部室のドアが開くと同時に古賀先生が入ってくる。


「おわっ!」


 私たちはあたふたと両手をばたつかせ、席を立ちあがり、足踏みをしながら左右をきょろきょろする。これ以上ないくらいの無駄な動きだ。


「なんだそれ? 新しい基礎練か?」


 ひぃ~。普段は全然来ないくせに、なぜこのタイミングで来る? あたふた、あたふた。


「はーい、ストップ」古賀先生が手をひとつ叩いた。

 私たちはピタリと動きを止める。三人とも曲げた手首を肩の辺りまで挙げ、鳥の真似でもしているような情けない恰好で静止している。悔しい。条件反射だ。思わず止まってしまった。

 稽古中に演出が止めたい時には「はい、ストップ」と言いながら手を叩く。さすが腐っても顧問。演劇部員の習性をよく理解している。


「ああ、これか」


 古賀先生が私の片翼から脚本を取り上げる。


「あ」


 とっさに取り返そうと手を伸ばすと、その手を取って握手してくる。なんのこっちゃ。


「まあまあまあ……」


 古賀先生の座れというしぐさで、私たちは長机を囲んで席に着く。お誕生日席に古賀先生が腰を下ろすと、私たちは姿勢を正して先生を見つめた。当の先生は「俺の授業もそれくらい真剣な姿勢をみせてくれたらなぁ」とかぼやいている。


「――ほれ」


 古賀先生がポケットからくしゃくしゃの皺だらけの紙を机に置いた。古い映画やドラマに出てくるような脅迫状。何かの印刷物から一文字ずつ切り取って貼り付けてある。文字によって大きさや色や形がばらばらだ。


 なに? この「ザ・脅迫状」って感じのものは。


 葵が恐ろしくゆっくりとした動作で、皺を伸ばす。ばらばらの文字が文章になっている。



   下 郷 高校 ワ 本 大会 を 辞退 す べ し

   さも なく バ 必 ズ 後悔する



 うっ。これって……。


「入江が俺のとこに取材にきたぞ」


 古賀先生はこの脅迫状には触れず、そんなことを言いだした。


「この脚本を書くために知りたいことがあるってな」


 知ってたんだ。古賀先生は入江がこの脚本を書いていることを知っていて黙っていたんだ。なぜ止めなかったのだろう。この脚本が完成しているということは、古賀先生はその取材に応じたということになる。


「三年の二人にも聞いていたみたいだぞ。この寒いのに中庭で真剣な顔して話していたからな」


 冬の間はどこにいるのか知らないが、凛先輩・ありす先輩と入江は中庭ランチ組だ。文化祭でもお世話になっているから、入江が先輩たちと顔見知りでもちっともおかしくはない。

 それにしても。と、改めて古賀先生を見る。椅子にふんぞり返って、大口を開けてあくびをしている。

 古賀先生はよく見ている。いい加減なようでいて、結構周りに気を配っている。文化祭の時といい、今回といい、生徒たちが何をしているかをちゃんと見ている。生徒本人が知らないところで。

 このだらしなさ、いい加減さはポーズなのかもしれない。かつての演劇部を指導していた姿こそ本来の古賀先生なのかもしれない。なにか思うところがあってこんなキャラになっているのではと思うのは、さすがに買い被りだろうか。


「やってみれば?」


 古賀先生は両腕を頭の後ろに回し、天井を見上げながら間延びした声を出す。


「……いいんですか?」


 葵がお伺いをたてるというよりも挑むような強い口調で尋ねる。


「ダメな理由なんてある?」

「城東学院と同じ会場なんですけどぉ?」


 美香が座り心地悪そうにモゾモゾ動きながら問う。


「だから?」


 質問を跳ね返された葵と美香が「後は頼む」とばかりにこちらを見つめる。はいはい、わかりましたよ。ここはもうはっきり言うしかないのよね。


「古賀先生はウチに犯人がいると思っているんですよね? だから活動休止にしたんですよね?」

「……」

「……先生?」


「――俺はさ」


 いつもより低い声。大人の男の人の声。「俺はさ」と言っただけなのに、ゾクリと背筋に寒気が走る。

 古賀先生が頭の位置を戻し、私たちの顔を順番に眺める。古賀先生って、こんな怖い顔をしていたっけ? 深い洞窟を覗き込んだような不安にも似た空恐ろしさがある。


「あの時のことを反省――いや、後悔しているんだよ」


 古賀先生が低く太い声でそう言った時、部室の蛍光灯の照度がわずかに落ちた気がした。





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