第2話

 人なんてそんな簡単に変われやしないというのに。明日には後悔しているかもしれないというのに。それでも、それでも、あたしの彼を信じたいという気持ち、彼とのたくさんの思い出、彼は変わってしまったけど、心の奥底まで変わったわけではないはずだって気持ちが、あたしの足を反対に向かせるに至らしめたの。

 本当に馬鹿な女。

 帰り道は虫の集る街灯を眺めつつ、彼との出会いから今日までを思い出しながら歩いた。彼が病気になって、あたしが今の仕事を始めて彼を養うようになって……。病気になる前から頼りになるタイプの人ではなかったけれど、それでも昔は……いや、よそう、帰るって決めたんだから昔のことばかり考えるのは。

 アパートに帰りつき、くすんだ茶色の扉を開くと、あなたは泣きながらあたしに抱き着いた。あなたのにおいが、あたしを包む。そのにおいとは、髪の毛からの脂のにおいであり、数日風呂に入っていない故の体臭なんだけど、でも、今だけは嬉しくて、そんなあなたを見つめながら、あたしも思わず涙を零した。


 やっぱりあたし、あなたが好き。

 大好きだから信じたいんだ。

 今度こそ裏切らないで。

 もう死ぬなんて言わないで。


……でも、やっぱりあなたは変わらない。今日もあなたはあたしの目の前で手首を切るし、処方されたお薬だって、ちゃんとした使い方はしない。揚句の果てに、やっぱりまた狂言自殺をする。これって仕方がないのかな? あたしのせい? あたしが悪いの? あたしはどうしたら良いのかな……。 そんな事を考えていたら、携帯が震えた。あたしの数少ない友達からの電話。通話ボタンを押すと、懐かしい声が聞こえた。

「もしもし。久しぶりぃ。元気してた?」

「うん」

 明るい問い掛けに、あたしは小さく答える。

「あのさぁ今日電話したのはなんだけど……」

 あたしは携帯から響く彼女の声に耳をすます。

「合コンがあるんだけどさぁ、人数足りなくってさぁ……」

「ごめん。あたし彼氏いるから……」

 あたしは彼女の言葉を最後まで聞かずにそう答えた。

「彼氏ってさぁ……もしかしてアイツ?」

 その問いに、あたしは黙り込んでしまう。自分でもどうしてだかはわからないけれど……。

「まだアイツと付き合ってんの? ねぇあんたアイツと付き合ってて幸せなの?」

 あたしは何も言えない。何をもって『幸せ』と言うのかあたしにはわからないから。

「ねぇ。あんなのとは別れなよ。その方があんたのためになるって」

「…………彼のこと、あんなのなんて言わないで」

 小さく搾り出した言葉がこれだった。

「……じゃあ、別れろとは言わない。けど、合コン来なよ。他の男を見たら自分の男がどんなのか少しはわかるだろうからさ」

「でも……」

 あたしの言葉は聞かずに、彼女はまた喋る。「六時にあんたのアパートのすぐ前のコンビニに迎えに行くから。じゃ」と、それだけ言うと電話は切れた。

 どうしよう? 迎えに来るんだったら、行かなきゃいけないのかな? 買い物ですらなかなか行かせてもらえないから、どうしたら良いのかな? そんな事を思っているうちに時間はどんどん過ぎていった。

 どうしよう? 本当に時間が来ちゃうよ……。時間が……。

 気付くとあたしは何も言わずにアパートを出て、約束のコンビニの前に立っていた。すぐに見覚えのある彼女の車が目の前に止まる。窓を開けて手を少しだけ上げる彼女を確認して、あたしは助手席に乗り込んだ。

「おひさぁ。てかあんたその格好で合コン行くの?」

 やっぱり言われた。仕事の時以外で化粧をしたりオシャレをすると、男に色目を使ってるって怒られてしまうから。 うぅん。仕事の時に化粧するのだって、彼は良く思っていない。仕事そのものを良く思ってないんだもんね。彼の前で化粧なんてできるはずがない。

 綺麗に巻かれた髪、まぶたにはラメが星みたいに輝いていて、その下から程よくカールした長い睫毛がのびている。唇はグロスでうるんでいて、パステルピンクのシフォンのワンピースから、形の良い鎖骨が覗いている。そんな運転席の彼女を眺めていると自分の姿が情けなく思えた。

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