第3話


 一同、裸足のまま縁から跳び降りた。

 蛮絵装束の男とそれを抱えるようにして少年が夏草を乱して倒れ伏している。

「何事か!?」

 成澄(なりずみ)が質(ただ)すと少年が土に汚れた顔を上げた。

「こ、このお方はその先の道で……私の目の前でいきなり落馬されたのです。助け起こしたところ。どうしてもこの屋敷へ運んで欲しいというので……」

「あ! 長衡(ながひら)殿?」

 平長衡(たいらながひら)の背は矢に貫かれていた。

「誰に射掛けられた? 一体、何故──」

「やった者の見当はついている。だが、そんなことより……な、成澄殿、ぜひ、お伝えしたいことが……」

 若い検非遺使(けびいし)は血の滴る手で成澄の袖を掴んだ。

「皇子の居場所……私ならわかる。兄が〈印〉を残してくれたから。あ、兄はこの件に絡んでいるのだ。それで、私にも合流して加勢するよう……そのために皇子の行方について、こっそりあの邸に〈印〉を……」

 兄とは崇徳帝に蔵人(くらんど)として近侍する平長盛(たいらながもり)のことである。

 苦しい息の下で長衡は懸命に訴えた。

「わ、私は迷った、たとえどのような雄図のためとは言え皇子に手をかけるのは大罪……」

 兄の誘いに逡巡する長衡の脳裏に真っ先に浮かんだのが成澄だった。

 検非遺使の鏡として予(かね)てから信頼し憧れていた。それで、ここ数日、相談しようと幾度か接触を試みたのだが果たせずにいたところ、今日、偶然、件の屋敷で出会えた──

「どんなに嬉しかったことか! 貴方の顔を見て……あの場で……私の心は決まりました。皇子の居場所へ急行して、一緒に皇子を救い出しましょう! グッ」

「長衡殿?」

 若者の端正な顔が無念そうに歪む。

「いや、私はもう……無理か。成澄殿、全ては貴方にお任せする他……なくなった。ど、どうか、皇子を無事に……帝の御元へ……」

「承知した!」

 成澄は力強く頷くと長衡を抱きかかえた。

「それで、皇子の居場所とは?」

「屋敷に〈印〉が……それ……かみの……き」

 長衡の唇から鮮血が迸る。血を吐きながらも必死に長衡は最後の言葉を伝えようとした。

「かみ……の……き……」

「長衡殿?」

 だが、どんなに揺すっても、平長衡は成澄の胸に深く首を垂れたまま二度と答えようとはしなかった。

「馬はどうした?」

 やおら立ち上がって成澄は傍らに腰を落としたままの少年に質した。

「え? あ、はい。このお方を振り落とした後、何処いずこかへ駆け去りました」

「ならばよい。おまえ──」

 負傷した検非遺使を屋敷まで運んでくれた少年に成澄は視線を走らせた。

 月明かりの下で見ると、歳の頃十四、五。袖無しの粗末な衣を来た禿(かむろ)頭の童である。どこぞの小舎人(ことねり)だろう。 

※禿=おかっぱ ※小舎人=子供の従者・使用人

「こうなった上は、もう一つ頼まれてくれ。礼はする。この者を捨てて来て欲しい。ここから離れた場所なら何処でもよい」

「成澄っ!」

 揃って非難の声を上げる田楽師兄弟に、

「菩提は後で懇(ねんご)ろに弔う。だが、今は、長衡殿を射た者の存在が気になる。俺との関わりをどこまで察しているのかわからぬが──疑いの目は少しでも逸らすに限る」

 きっぱりと言って、検非遺使慰(けびいしのじょう)は合掌した。 ※慰=位名

「耐えてくれ、長衡殿。貴公の遺志、必ずやこの成澄が成就するからな」


 座敷に戻ってから、成澄は言った。

「長衡殿から、皇子の居場所を示す〈印〉があると聞いたからには、夜が明けたらすぐ俺は例の屋敷に出向くつもりだ。その際──有雪(ありゆき)、俺と一緒に来てくれ」

「俺たちは?」

「俺たちも力を貸すぞ!」

 膝を乗り出して名乗りを上げた双子に、今回は有雪だけでよい、と成澄は首を振った。

「おまえたちは人目を惹くからな。今は目立つのは考えものだ。有雪なら一人でも謎を解くのに長けているから」

「ほう、有雪なら?」

 狂乱(きょうらん)丸の瞳が妖しく煌めいた。兄の田楽師はその芸〈静謐〉、その質〈冷徹〉と称えられながら、実際はすこぶる悋気心(りんきしん)が強い。

「死んだ検非違使が臨終(いまわ)の際に残した言葉──何だっけ? そう、〈かみのき〉とやらの意味がわかると言うんだな?」

 射千玉(ぬばたま)の髪を揺らして狂乱丸は有雪に詰め寄った。

「ならば、今、ここで、即刻解いて見せろ! さあ、有雪! 〈かみのき〉とは何だ?」

 陰陽師は頬を掻きながら笑った。

「まあ、待て、慌てるな。まずは明日、屋敷に行ってからじゃ。現場を見ないことには、いくら博識の俺とて無理というもの」

 ここでやめておけばいいものを。一言何か言わないと気が済まないのがこの男の悪い癖。

「おまえも現場が見たいなら俺の装束を貸してやってもいいぞ、狂乱丸? 特別に俺の弟子ということにしてやろう。その派手な衣装を脱いでおとなしくしているなら連れて行ってやってもいいとさ、なあ、成澄?」

「だ、誰が、おまえの薄汚れた装束に腕を通すものか! いや、それ以上に、誰がおまえの弟子になどなるものか!」

「フン。じゃ、今回ばかりは愛しい判官(ほうがん)殿との道行は諦めるんだな」 

※判官=検非遺使慰の別称

「そ、そ、その言い草は何だ! 居候の分際で主(あるじ)の俺を愚弄するとは──」

「兄者、落ち着け──」

 ここで、また庭先で足音がした。

 先ほどの少年が戻って来たのだ。

「取りあえず〈あははの辻〉に置いてきました。夜が明けて人が見たらそこで馬から振り落とされたと思うでしょう」

「ご苦労だったな」

 縁へ出て成澄は鳥目を少年に握らせた。 ※鳥目=貨幣・銭

「もう帰っていいぞ」


「待てよ!」

 追って来て、門前で少年を呼び止めたのは狂乱丸だった。

 少年の血で汚れた衣を指差して、

「そのナリでは困るだろう? 俺たちのを貸してやろう」

 屋敷の奥の自室に引き入れてピタリと襖を閉じた。

 少年は恐縮しつつ訴えた。

「お心遣いはありがたいのですが……でも、こんなの自分は着れません。田楽師でもなければとてもとても……」

 なるほど。今しも弟の方、婆沙(ばさら)丸が香唐櫃から次々に引っ張り出している水干(すいかん)はどれも目を剥くほどの派手派手しさである。

 色目は今の季節なら菖蒲に撫子、若苗色に若楓……文様は雀に蜻蛉、鯉の跳ねる荒磯紋、七宝に花兎……

「おや、そうかな?」

 塞ぐようにして襖の前に立って、狂乱丸はせせら笑った。

「おまえ、あんなに──それこそ、我等、田楽師並みの〈声〉だもの。さだめし装束の方も似合うだろうよ?」

「あ」

「おまえだろう? 一昨日、昨日とやって来て俺たちの歌に唱和したのは?」

 兄の言葉に続けて弟も言い放った。

「隠しても無駄じゃ! 庭で最初に声を聞いた時から気付いておったわ! 我等、田楽師の耳を騙すことはできぬぞ?」





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