第5話 中学初日

「みなさん、はじめまして。御簾又潤美です。入学式も始業式も、そして昨日も休んでいたので、今日初めてこの学校に登校しました」

「潤美ちゃん可愛いっ! ツインテ似合ってる。脚、ながーい。顔、ちっちゃーい」

「マッスッミー!」

 女子の声援は許す。

 野郎は黙れ。あと、僕の胸ガン見するな。

「ええと、小学生の時に大きな事故に遭い、それからずっと植物状態になっていました。こうして奇跡的に回復しましたが、常識を——」

 こういう時、『とか』って言った方が女子中学生っぽいだろうか。

「——常識とか知らないので、皆さんにご迷惑をかけると思います。どうか、大目に見てくださいね。あと、このツインテも自分じゃできなくて、母にやってもらったんです」

 僕の髪はセミロング。校則によると、毛先が制服の襟につく場合は縛らないといけない。僕は縛り方なんて知らないし、面倒だという思いもあって「切りたい」と申し出たらなぜか母さんが悲しそうな顔をしたのだ。多分、とうぶん散髪できないと思う。

 そこで、自らネットで検索してツインテールにしてきた。母さんにやってもらったというのは嘘なのだが、面倒だった。そういや、中学生になると女の子って美容院なのかな。これまた面倒だなぁ。

「これから、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げた。

 大きな拍手がまきおこる。て、照れるなあ。頬が紅潮するのが自分でもよくわかるよ。


 ところで、殴られて入院した倍巳ぼくは植物状態となっているらしい。実は倍巳には妹がいた、ということになっているのだ。いつのまにか。

 母さんは父の後妻であり、その連れ子である潤美ぼくは何年も前の事故で植物状態だったという。それが、倍巳あにの入院と入れ替わりに回復した、という設定・・なのだ。再婚というのは本当だが、母さんに連れ子なんていなかったはず。このあたり、アルガーの奴が仕組んだらしい。


 ごめんなみんな。本当のこと話せなくて。

「ぜんぜんおっけー! いっぱい迷惑かけていいよー!」

 だから野郎は黙れっての。

 愛想笑いをしようとして、やめた。よくて苦笑、下手すりゃ同級生(気を付けていないとみんな後輩にしか見えないんだけど)を威圧する黒い笑みにしかならないと思うから。

 そんなことを考えながら、僕は割り当てられた席に着く。野郎どもからの声援に対しては無表情を装ったけれども、拍手のときに頬を染めたのは隠せなかったからなあ。あちこちから「可愛い」って、僕に向けた囁きが聞こえてくるよ。

 ほんとごめん、中身男で。


 ここは一年四組の教室。ただし、中学校だ。

 何が悲しくて、一度卒業した母校の教室にいるんだ、僕は。しかも、スカートなんか穿いて。

 僕が男子中学生だった頃、女子の制服はセーラー服だった。しかし今、男女ともブレザーになっている。

 朝北学園中等部。僕が殴られて、女の子として目覚めることになったわずか一晩の間に、なぜか公立から私立に変わってしまっていた。しかも学園として広大な敷地を持ち、同じ敷地の中に高等部も存在しているではないか。

 これが夢でないっていうんなら——ああうん、夢じゃないって自覚はあるんだけど——異世界なんじゃね? 異世界でもないっていうんなら、元の世界とよく似た平行宇宙のどれかなんじゃね? きっかけが不良に殴り倒されたからってのが果てしなく嫌だけど、そのせいで僕、次元ごとぶっ飛んじゃった、とか。


【そうではありません。ワームの攻撃による世界の改変です。私が便乗したのはマスミ様の家族構成についての部分のみです。どうやら、この学園にワームの大半が潜伏している模様ですので、我々の駆除活動の拠点も大半は学園内になるかと】

 なあ、おい、アルガー。そのワームって奴、人間に憑依することなく、うまく煽動してこっちを攻撃する方法も持ってるわけじゃん。

【そのようですね、さすがに予想外でした】

 で、一般人にはアルガーのトンデモ能力が効かないわけじゃん。

【仰る通りです】

 なら、僕の手に負えないって。やっぱ他あたってよ。

【検討いたしますが、第二候補も第三候補もマスミ様のお知り合いですよ。お二方とも、適合率はマスミ様に遠く及びません。つまり、私の力をうまく使いこなせないのです】

 ちなみに、誰よ? その候補。


【第三候補はシツアイ・アツシ様。高等部で、マスミ様のクラスメイトとなられた方です。あの方の場合、女体化はむしろ歓迎しそうですね。しかし、使える力はマスミ様の四分の三ほどです】

 敦か。彼に押しつけるのは心苦しいなあ……。


【第二候補はクルス・ミサ様。女性ですのでミューテーションの必要がありませんが、やはり力は四分の三止まりですね】

 来栖美沙——幼馴染みかーい! なんでまた僕の周辺ばっかりに。

【大変申し訳ないことに、その質問に回答できる情報を持ち合わせてはおりません】

 はあ、ちくしょう。美沙になんてもっと頼みにくいじゃん。彼氏できたばっかで幸せそうだから邪魔したくないし。


 ……で、もし僕がワーム駆除をサボるとどうなるの?

【身近なところから説明しますと、まず学園が汚染されます。放置を続ければ、いずれマスミ様を除く全ての生徒および教職員がワームに取り憑かれるでしょうね】

 制服を着崩し、腰パン姿になっていた矢井田鉄男を思い浮かべた。学園全員がそうなるとか、嫌すぎる。

 そういや矢井田先輩、まだ取り憑かれたままのはずだよな。敦によると前は普通だったというし、早いところワームを駆除してやんなきゃ。


【ワームについて、もう少し説明しますね】

 う、うん。

【マスミ様にとって理解しやすい言葉で説明しますと、彼らはかつてこの地球で繁栄し、絶滅した古代種族の亡霊のようなものです。常に甦るための肉体を欲しており、これまでにも周期的に侵略活動をくり返してきました】

 紫色の人魂だもんな。まさしく亡霊ってイメージだね。

【古代種族と一口に言っても過激派と穏健派が存在しました。後者はいかなる理由があろうと子孫にあたる種族に迷惑をかけるべきではないとの考えにより、絶滅の運命を受け容れました。我々防衛プログラムは穏健派の遺産なのです。過激派のワームを除去するために存在しているのです】

 じゃあ、さ。アルガーだけでやっつけられない?

【ワームどもと同じように、我々防衛プログラムにも依代が必要でして、それにはマスミ様が理想的なのです】

 依代かよ。あれか、神社の巫女さんみたいな感じか。だから女性じゃないとダメ——って、そういうわけじゃないよね。


 ずっと女の子の姿でいるのはさすがにきついよ。なんとかなんない?

【ミッション完了すれば、この地域の断片化フラグメンテーションを最適化するための管理者コマンドを発動できます。そうすれば、マスミ様のその新しいお身体が消え、元のお身体で再び活動できるようになります。あるいはその逆に、新しいお身体にパーソナリティを統合する形での最適化も可能ですが】

 いやいや、逆の提案は要らないから。はあ。やるよやりますよ、ワーム除去。

【ご理解いただけてなによりです】

 だってそうしないとね。僕自身が元に戻りたいってのもあるけど、学園全員が取り憑かれ……。え、あれ?

【どうしました?】

 残り十一体って言ってたよね? 学園全員って、教職員含めると千人近いよ。ここ中高一貫校……に、いつの間にかなってたし。

【敵が増殖能力を持つことはヤイダの事例で確認済みです。もっとも増殖ワームについては、一定期間内であれば元を絶てば一網打尽にできますが——】

 十一体全部が増殖したら、元を探すのも大変になっちゃうじゃん!

【その場合は管理者権限レベル2の事案となりますね】

 レベル2だって?

【はい。地域内の被憑依者が一定数を超えた場合、地域ごと“浄化”するコマンドを発動する可能性が出てきます。私自身未経験なので、浄化コマンドの詳細はわかりません】

 浄化って響きがただごとじゃないよね。

【こことは別のエリアを担当なさっている上位管理者様を呼び出して実行するわけですが、おそらくはワームごと住人の皆さんの大半を消してしまうことになるのではないかと】

 消すって!? なにそれ、怖っ!

【はい。私としても浄化など本意ではありません。ですが、上位管理者様によると前例はあるとの事です】

 なんてこった。急いで駆除作業に励めってことか。


 * * * * *


 昼かあ。誰かと食べようにも、いきなり男子に声かけるのは不自然だよねえ、やっぱり。うーん。たとえ姿が女の子になったからって、自分から女の子に声をかけるってのはハードルが高いなあ。

 なあ、アルガー。このクラスにワーム感染者いなかった?

【少なくとも検索には引っかかりませんでした。潜伏期間中のキャリアの場合は私でも発見しづらいので、引き続き調査を続けます】

 よろしく。


「待ってよ、佳織。どこ行くの」


 女子の声にふと振り返る。

 紫色の人魂!? ——いや、錯覚か。

 気にしすぎたせいで見間違えたかな。

 目をこすっていると、声をかけられた。

「初めまして、御簾又さん。お昼、ご一緒しませんか?」

「え、あ、うん。いいよ。一緒に食べよう」

 しまった。丁寧な言葉遣いを聞いて、思わず後輩に答えるような口調で返しちゃったよ。今さら修正する方が不自然かな。

「うふ、よかった。あたし、光永みつなが菜摘なつみと言います。菜摘と呼んでくださいね」

 三つ編みの眼鏡女子だ。でも野暮ったくなくて、上品で柔らかい物腰はどこぞのお嬢様ってイメージだな。小柄……だなんて、今の僕に言えたことじゃないな。元の身長より十センチは背が低いわけで、そんな僕とほとんど同じなんだから。

「じゃあ、僕のことは潤美で」

 気を付けないとな。特にテストとか。頭の中ではマスミの漢字は“倍巳”のままだから。

「潤美さん、お弁当ですか? あたしもなんですよ」

「歳、同じなんだから、敬称も敬語もなしでいいよ」

「あー。これ、癖なんですよ。人によっては距離を感じるそうなので、変えていきたいんですけれどね。だから、あたし演劇部に入るつもりなんです」

 はは。他人とタメ口で話すために、演技力を鍛えようってか。

 ……いやいや、ちょっと待て。この娘、先月まで小学生だったんだよな? 高校の同級生でも通るくらい大人っぽいぞ。

「菜摘、しっかりしてるんだね。僕、見習わなきゃ」

「全然そんなことないです! 潤美さんこそ、ずっと病院で寝てたとは思えないくらい大人っぽいですよ!」

 ああ、このかしましさは年齢相応というか。でも気のせいか、近所のおばちゃんっぽいノリも混じってるような。

「菜摘、御簾又さん。あたしも混ぜて」

 別の女子が声をかけてきた。

「潤美さん、紹介しますね。こちら、中野なかの加奈かなさん。同じ小学校だったんです」

 菜摘が指し示す先に立っているのは前下がりボブの女子。すらりとした長身だ。元の僕とほとんど同じかも。

「加奈でいいよ」

 ハスキーボイスのクールビューティーって感じだけど、活発な印象も同居してる。なんか、男友達っぽいノリで付き合えそうな娘だな。

菜摘このこ、お嬢様だからね。全然擦れてないの。だから、潤美——あ、呼び捨て平気?」

「もちろん」

「潤美と気が合うんじゃないかな。でも、潤美ってばすっごく落ち着いてるよね。なんか年上みたいに思えるよ」

 まずいな。女の子って変に鋭いから。まさか中身が男だってことまでばれることはないと思うけど、気を付けなきゃ。

「それはあたしも同感ですけれど、加奈さんの言い方だとあたしが浮世離れしているみたいに聞こえますっ」

「してるじゃん。でも菜摘はお嬢様だからそれでいいの」

「菜摘は良家の子女なの?」

「ぜ、全然そんなことないですから! 平均的なサラリーマン世帯の娘です」

 多分だけど、世間一般の平均よりかなり上層に君臨するサラリーマン世帯なんだろうな、うん。

「よろしく、加奈。さっき、菜摘からは演劇部に入るって聞いたけど、加奈はどこか決めてるの?」

「あたし、どうしよっかなー。運動部ってガラじゃないもん。しゃべるの好きだから、放送部かな。あ、でも菜摘も潤美も演劇部に入るんなら、あたしもついてくー」

 おやおや。クールビューティーの第一印象が早くも崩れ始めたぞ。主体性があるのかないのか、いまいちわからない娘だな。

 まあ、二人とも話しやすくて助かるけど。

「あたしとしては、お二人とも演劇部に入ってくださるのならとっても心強いです」

 うお。軽く握り拳を作って目を輝かせている。こりゃたしかに菜摘、世間擦れしてないね。

 演劇部、か。そういや、矢井田先輩もそんなこと言ってたな。

 演技力……。しばらく女の子を続けるには必要かもしれない、よね。

「僕は菜摘についてくよ。一緒に演劇部に入ろうか」

「やった、嬉しいですっ!」

「じゃ、あたしも!」

「えっと、部活決める期間、来週いっぱいまでだよね。悪いけど、今日は終わったらすぐ帰るつもりなんだ。部活見学、明日でもいいかな」

「そっか、潤美、病み上がりだもんね。元気そうに見えるから全然そんな感じしないけど」

「潤美さんは昨日までお休みしてたのですから。無理はよくないです。あ、よかったら途中まで送りましょうか?」

「ありがとう。でも、さすがにそこまで気にかけてもらわなくても大丈夫だよ。今朝だって歩いて来られたんだし、そういった他の人にとっては当然なことを誰にも頼らずできるようにするってことも、僕にとってはリハビリの一環だからね」

「そっか。がんばってね」

「がんばってください!」

「あはは。ありがとう、菜摘、加奈」

 そうか。僕は病み上がりの設定なんだから、ワームが見つかったときは遠慮なく部活をサボらせてもらう手が使えるな。……ごめんな、菜摘。

 さて、今日の放課後の予定だ。まずは矢井田先輩のワーム除去。元の身体に戻るための第一歩、だ。

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