第二十五章 かすみとロイド
天翔学園高等部の保健教諭である中里満智子は、生徒会副会長の安倍秀歩を先に歩かせて様子を見ながら路地を進んでいた。
「さっき、道明寺さんの力が爆発的に膨らんだみたいでした」
生徒会長の手塚治子を背負った片橋留美子が中里に言った。
「膨らんだ?」
中里は右の眉を吊り上げて留美子を見下ろす。身長差が二十センチくらいあるので、留美子も中里を見上げる形だ。
「はい。何があったのかは私の得意分野ではないので、はっきりとはわかりませんが」
留美子は中里にジッと見つめられたので、狼狽えながら応じた。中里は立ち止まって話を聞いている安倍を見て、
「そこを右だ」
「は、はい!」
治子に操られて中里を
「も、もしかして、中里先生って、あの中里総合病院の人だったりします?」
前方に見えて来た「中里総合病院」という大きな青色のネオン看板を見上げ、安倍が尋ねた。
「悪いか?」
中里がぶっきらぼうに尋ね返す。安倍はビクッとして、
「いえ、そんな事はないです!」
余計な事を言って更に怒らせてはまずいと思ったのか、安倍は言葉を飲み込むように口を手で覆った。
「本当は今日紹介した歯科医に行った方がいいんだが、こんな事情だから仕方がない。私の兄が歯科医だから、診させよう」
中里は留美子を見た。留美子は目を見開き、
「先生のお兄さん、歯医者さんなんですか?」
中里はまた安倍を先に歩かせながら、
「親父と私は外科医。弟は内科医。母は産婦人科医だ」
留美子は思わず安倍と顔を見合わせてしまった。
「だから私は、子供の頃から医者が嫌いなんだよ」
中里のその言葉に安倍と留美子は呆気に取られた。
「そんな話はどうでも良かったな。さあ、急げ」
彼女は安倍の尻を軽く蹴飛ばした。
「あいてて!」
安倍は泣きそうになりながら、病院の建物を目指した。その時、携帯の着信音が鳴った。アイドルグループの歌が辺りに響く。留美子は安倍を見たが、安倍は首を横に振った。
「悪いか?」
心なしか、顔を赤くしている中里が上着のポケットから携帯を取り出し、通話を開始する。
「はい、中里」
相手が話し始めた途端、彼女の顔が強張った。
「そうか、わかった。そのまま動かすな。すぐに迎えに行く」
中里は携帯をポケットに戻すと、
「道明寺からだ。ジャージ先生が重傷だそうだ。急いで迎えに行くから、お前達はロビーで待ってろ。話は通しておくから」
言うが早いか、風を巻いて駆け去ってしまった。
「どういう事?」
安倍が留美子に尋ねる。留美子は首を傾げて、
「私にはわかりません。とにかく、急ぎましょう」
彼女は治子を背負い直して歩き出した。
「大変そうだね。代わろうか?」
安倍は下心丸出しの顔で提案した。すると留美子は半目で彼を見て、
「結構です」
歩を速め、安倍を置き去りにした。
「ああ、待ってくれよ」
安倍は慌てて留美子を追いかけた。
無人の校舎の中は、一人でいると怖くなって来る。道明寺かすみは妖怪変化を信じない方だが、あまりに静かな校内はその手のたぐいの話を考えるなと言うのが無理なくらい不気味だった。彼女は保健室から救急箱を持って来て、出血が収まらない坂出充に包帯を巻いていた。
「先生、もうすぐ中里先生が来てくれますから、頑張ってくださいね」
かすみは薄目を開けている坂出に声をかけた。
「ああ……」
坂出は精一杯の笑みを浮かべ、かすみを見た。かすみは自分の顔が血で真っ赤なのを気にせず、坂出の意識がなくならない事を祈っていた。
「道明寺」
そこへ中里が医療鞄を携えて駆けて込んで来た。そして、かすみの姿と坂出の状態を見て絶句してしまった。外科医でもある彼女をしても、二人の姿は壮絶だったのだ。
「私は怪我はしていないです。これは全部坂出先生の血ですから」
かすみは苦笑いして応じた。中里は顔を引きつらせたままで、
「そ、そうか」
と言うと、二人に近づく。
「何がどうしたんだ?」
中里は坂出の診察を始めた。
「先生って、お医者様だったんですね」
かすみは中里から渡されたタオルで顔を拭いながら言った。
「家が医者だと、どうしてもそうなる」
中里は脈拍と呼吸を調べ、出血の状態を診ながら応じる。そこへ担架を押して二人の医療スタッフが現れた。どちらも若い男だったが、応接室の惨状を見て一瞬動きが止まった。
「何してる? 一刻を争うんだ。早くしろ」
中里に叱責されて我に返り、坂出を担架に乗せる準備を始めた。
「ジャージ先生、見かけによらず体力と精神力が凄いな。通常なら死んでいても不思議じゃない」
中里は遠慮会釈のない言葉で坂出に言った。坂出は薄笑いを浮かべ、
「ありがとうございます」
かすみは二人の会話を聞いていなかった。
(ロイドは大丈夫だったのかしら?)
かすみは国際テロリストのアルカナ・メディアナの船にいたロイドが無事に脱出したかまでは把握していない。
(天馬理事長の気配はどこにもない。遠くに逃げたか、特殊な場所に入ったか……)
坂出を死の淵まで追い込んだ天馬翔子理事長は完全に姿をくらませている。かすみは翔子の動きが気になった。
(理事長とあの船にいた老人の意識が繋がっていたからロイドを感じる事ができた。一体あの二人は?)
かすみには翔子とメディアナがとういう関係なのかまではわからなかった。
「道明寺、お前も一緒に来い。その格好のままではまずいだろう?」
坂出を担架に乗せ終えた中里がかすみに言った。
「あ、はい」
かすみはハッとして中里を見た。
「道明寺、これはどういう事なんだ?」
中里は坂出の担架の後を歩きながら、かすみに尋ねた。しかしかすみは、
「今は言えません。中里先生を危険に
翔子の力がどういう類いのものなのかわからないので、かすみは中里に経緯を話すのを思い留まった。
「そうか。まあ、後で教えてくれ」
中里もそれ以上追及せずに歩調を速めた。
「はい」
かすみもそれに合わせた。
警視庁公安部の森石章太郎が天翔学園高等部に着いたのは、かすみ達を乗せた中里総合病院の車が出た後だった。
(人の気配がないな)
森石は真っ暗な校舎を見渡し、思案した。
(道明寺は携帯を持っていないからな。連絡の取りようがない)
彼は舌打ちをし、学園の敷地を離れようとした。その時、近くを歩いていた会社帰りの中年のサラリーマンが不意に森石に襲いかかって来た。
「く!」
森石はそれを素早くかわし、サラリーマンの背後を取ると右腕を捩じ上げた。
「あいたた、何をするんですか!?」
サラリーマンは苦悶の表情で森石を見た。
(くそ、もう移っちまったのか?)
森石は慌ててその腕を放した。その途端、サラリーマンがまた彼に襲いかかった。
「この!」
森石はサラリーマンの首の後ろに手刀を叩き込み、気絶させた。
「天馬翔子か?」
彼は鋭い目つきで辺りを見渡した。しかし何の反応も返って来ない。
(力を直接ぶつけてくるのは怖くないが、あの女の遠隔操作の能力は厄介だな)
森石は周囲を警戒しながら歩き出した。
坂出は中里総合病院の集中治療室に入れられた。かすみは病院の裏にある中里の自宅に留美子や安倍達と共に移った。
「取り敢えずシャワーを浴びろ。着替えは私のを貸す」
中里は赤いジャージをかすみに渡した。そして、
「悔しいが、お前のその暴力的なサイズの胸に合うブラを私は持っていない。しばらくサポーターで我慢してくれ」
「はい」
かすみは苦笑いしただけだったが、留美子は思わずジッと彼女の胸を見てしまった。安倍は危うく鼻血を垂らしそうになり、かすみから目を背けた。
「片橋、お前は兄貴の所に行け」
中里は不機嫌そうに言った。治子を彼女に託し、留美子は口腔外科へと向かった。
「歯医者、怖い」
留美子がそう呟いたのをかすみは聞き逃さなかった。
「お前はここに入っていろ」
「あれ、何したんですか、中里先生?」
悲鳴のような声で安倍が尋ねるが、中里は無視した。
「もう大丈夫だ。安心してシャワーを浴びろ」
中里がニヤリとして言ったので、かすみは安倍を哀れに思いながらもクスッと笑い、
「はい、ありがとうございます」
浴室に入った。
「すご……」
かすみは目を見張った。高等部の教室と変わらない広さなのだ。血塗れの制服を脱ぐと、その下に着ているブラウスも赤く染まっていて、当然の事ながら、ブラもパンティも血塗れになっていた。彼女は床や壁に血が付かないように細心の注意を払いながら備え付けのゴミ袋に脱いだものを入れていく。半透明のガラス戸の中に入るとまたその広さとシャワーが五個設置されている浴室に驚き、お湯の温度調節をしながら、身体に着いた血を洗った。彼女の白い肌から洗い流された血が排水口に吸い込まれていく。
(坂出先生、死なないで)
一度は戦った間柄であるにも関わらず、かすみは心の底から坂出を心配していた。
(ロイドは無事みたいね)
かすみはロイドの気配が別の場所でしたのを感じ、ホッとした。
(彼ともいろいろあったけど、今は仲間だわ)
翔子に操られた平松教頭と戦った時、紛れもなくロイドは味方だった。
(今は違うなんて事ないよね)
かすみは髪を洗いながら思った。
(殺すとか、犯すとか言いながら、彼はいつも何もしなかった。勇太君を巻き込んだ時も殺意はなかったような気がするし)
クラスメートの風間勇太とは放課後から顔を合わせていないが、もっと長く会っていない気がしてしまった。思い出してももらえないと知ったら、勇太の親友の横山照光は号泣するだろう。
(勇太君や桜小路さん達のためにも、天馬理事長との決着はつけないと)
かすみは身体を洗い終え、シャワー室を出た。
「ロイド!」
脱衣所にロイドが立っていたので、かすみは仰天してしまい、慌ててタオルで身体を隠した。その動作でかすみの胸が揺れたが、ロイドは眉一つ動かさなかった。
「覗きはいけないんだぞ」
かすみは微笑んで応じた。ロイドは無表情のまま、
「お前の身体にはもう興味はない。今はショウコ・テンマに興味がある」
「まあ、憎らしい」
かすみはタオルを巻き終え、ロイドを見る。ロイドはかすみに背を向けて、
「助けてもらった礼は言っておく。だが、今度は少しは俺の考えも見抜け」
そう言うと、瞬間移動してしまった。かすみはロイドの心のうちを初めて覗けたので驚いていた。
(ロイドのお母さんはもう他界している……。彼はあの老人の油断を誘って仕留めるつもりだったの?)
かすみは結果的にロイドの計画の邪魔をしてしまったのだ。
「ごめんなさい、ロイド。いえ、ハロルド・チャンドラー」
かすみは本名まで曝してくれたロイドに心から謝罪した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます