第75話 象のはな子の死去が意味するもの


今年5月に他界した象「はな子」のお別れ会が行われた。


それまで、私は「はな子」を「長寿の象」としか認識していなかったのだが、思ったよりも、この「はな子」は、多くのものを提供し続けてくれていた象だと理解した。今日は、その話を少しさせて頂きたい。


はな子が、日本にきたのは1949年。タイの実業家が戦後の日本を勇気づけるために私財を投げ打って連れてきてくれた。11日間の船の長旅を経て神戸港についた。


最初は上野公園が彼女の住処だった。最初は「カーチャ」と呼ばれていた。タイでの呼び名だったのだ。しかし、その後、「はな子」に改名された。その「ハナコ」とは、童話「かなしいぞう」で有名な象「花子」である。小学校の国語の教科書で読んだ人もいるだろう。戦時中は、空襲で檻が壊れて町中に猛獣が逃亡することを防ぐために動物を殺さざるをえなかった。そして、花子は餓死させられた。その名前を受け継いだのがいまのはな子だ。


それから、彼女は戦後を生き延びて、2013年に66歳となった。日本における最長寿の象となった。東京の井の頭自然文化園で飼育されていたのだが、過去に事件を起こしたこともあり、隔離された飼育場で1匹だけの住処で暮らしていた。年老いたその姿は白くなり、「白い象」の面影をもつものであった。アジアでは白い象は神聖なる生き物とされており、はな子を見る人は、その敬意を年老いた象に重ねた。


NHKのドキュメンタリーの72時間でも「真冬の東京 その名は“はな子”」という特集で、はな子を取り上げ、老象を見に来る人たちを3日間、追い続けた。孤高に、どんな寒い日も、しかと地に足をつけ立ち続ける姿に人々は自分の思いを重ね続けた。「自分も頑張らなくては」と鼓舞される人や「はな子も応援してくれている」と勇気をもらう人もいる。毎日、毎週、そこを訪れる人たちがいた。はな子は何もいわない。ゆっくりと身体を揺らすだけだ。しかし、その寡黙な白い身体に、人々は色々な思いを投影し続けていた。


そう考えると、このはな子は、日本の戦時の思いを引き継ぎながら、戦後の日本に勇気を与え続け、そして、経済大国化した後も、多くの人々を励まし続けた存在だったのだ。


はな子の死、というのは、そのような点で、ある種の戦後の終わりでもあったのだ。


なお、動物園に侵入する話は、何かしら物語性を生むらしく、伊坂幸太郎氏は、フィッシュストーリーの中の「動物園のエンジン」という短編で、村上春樹は「象の消滅」という短編で象に触れている。ご興味のある方は是非手にとっていただきたい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る