第8話 平日を締めくくる一杯

金曜日、予定がない時は地元の駅から家に帰る途中にあるバーによる。飲み屋といってもいいのかもしれないけれど、それよりは多少は上等なグラスを使っていて。

榊さんという25歳のバーテンと一番話があう。2人ともフランスの映画が好きで。でも話題はもっぱら「最近、何か映画みた?」から始まる。彼に会うために映画を見てしまう時もある。

この店は通い始めて5年になるけれど、過去の恋人は一人も連れてきたことがない。ここは私の聖域で。仕事で辛いことがあった時、彼氏ともめた時、友達づきあいに疲れた時は、ここに来て、2時間で3杯を飲んで帰る。そして、このお店でしかタバコを吸わない。


Precious Memoriesという高校生の頃に聞いていた曲を思い出す。社会人になった女性が学生の頃の友人やその頃を思い出す歌で。社会に揉まれた私は町中で彼女たちとすれ違っても、それに気づかない。


>アドレスのデータもほとんど使わないものばかりになる


という歌詞を当時はピンとこなかったけれど、今は改めて身に沁みる言葉で。友人たちは結婚し、あるいは、帰京し、いつしか連絡はとぎれとぎれになって。必死で、その糸を紡いでいかない限り、紐は糸になり、そして途切れていった。いまは毎年会う友人なんて5人もいないだろう。私のアドレス帳は5人分あれば十分だ。


友達や会社の人たちには「将来が不安だ」なんて絶対言えないけれど、榊さんには言ってしまう。榊さんはそこで余計なフォローはしない。少し微笑んで、「そんな気分に会う一杯を作りましょうか」といってカルーアベリーという一杯を作ってくれる。カルーアミルクにベリーが入り、甘さとあま酸っぱさが混じり合った不思議な一杯。榊さんが伝えるメッセージを味覚で理解しながら、私は今日も平日の帳を下ろす。

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