第20話『怯える理由』

 食事でもすれば少しでも和やかな雰囲気になるかと思ったけれど、桜さんに対するお嬢様の怯えは相変わらずだったので、何とも微妙な空気であった。

 昼食が終わると、お嬢様は疲れが溜まったからと自分の部屋に戻ってしまった。

 俺と桜さんはリビングで午後のティータイムを過ごすことに。今、くるみさんがハーブティーを淹れてくれている。


「すみません、桜さん。お嬢様がずっとあんな感じで」

「気にするな。彼女にも色々あるんだろう」


 桜さんは落ち着いた笑みを浮かべながらそう言った。


「ハーブティーです、日向様」

「ありがとう、夏八木さん」

「真守さんもどうぞ」

「ありがとうございます」


 くるみさんは桜さんと俺の前にハーブティーを置く。ハーブティーの優しい香りが広がり、気持ちを落ち着かせてくれる。


「夏八木さん。ここまでしてもらっていて申し訳ないけど、真守君と2人きりで話したいことがあるんだ」

「分かりました。私のことは別に気にしなくていいのですよ?」

「どうしても2人きりで話したいもので。ハーブティーをおかわりしたくなったときは、真守君に淹れてもらうから大丈夫」


 ティーパックじゃないハーブティーなんて一度も淹れたことないんだけど。急須で緑茶を入れるのと同じ要領でいいのかな?


「真守さんが不安そうにしていますが、分かりました」

「すまないね、わがままを言ってしまって」

「いえいえ。それでは私はこれで失礼しますね」


 くるみさんは優しい笑顔のままリビングから出て行った。

 それにしても、桜さん……俺と2人きりで話したいことって何なんだろう? 昨日のことがあってか不安しかないんだけど。今、ソファーで桜さんと隣同士で座っているし。


「恐がる必要はないよ、真守君。君に変なことをするために2人きりになったわけじゃない。女性恐怖症の君を苦しめるようなことはしないよ」

「そ、そうですかぁ?」

「半信半疑って感じの返事だねぇ」


 桜さんは苦笑いをしながらハーブティーを一口飲む。俺も飲むか。


「……美味しい」


 香りで心が休まるけど、実際に飲むことで体もリラックスできるな。この温かさがいいんだろう。


「こんなに優雅な土曜の午後を過ごすのは久しぶりだよ」

「桜さんなら土日はしっかりと休んでいると思いました」

「どうも事件の捜査をしていると疲れが溜まっちゃってね。土日は家でダラダラしちゃうことが多いんだ。だから男運もついてこないのかね……」


 はあっ、と桜さんはため息をつく。何だか仕事第一で生きているアラサーの女性ならではの哀愁を感じるな。刑事という職業だとそうなってしまうのかな。捜査の状況次第で休めないだろうし、休めたとしても何か事件が起きたら出勤しなきゃいけないんだろうし。


「いつもお仕事お疲れ様です、桜さん」

「ありがとよ、真守君」


 ゴクゴクと桜さんはハーブティーを飲み干した。


「おかわり!」

「はいはい」


 ティーパック以外では淹れるのは初めてだけど、くるみさんがさっき淹れていたときのことを思い出しながら桜さんにハーブティーを淹れる。


「どうぞ」


 ハーブティーを出すと、桜さんはさっそく飲み始める。


「……うん、さっきとは何かが違う感じはするけど美味しい」

「そうですか。良かったです」


 一応、合格点を貰えたみたいだ。ちょっと安心した。

 再び桜さんの隣に座って、俺はハーブティーを一口飲む。


「そろそろ本題に入りましょうよ。俺と2人きりで話したいことがあるんでしょう?」

「……まあね」

「くるみさんをこの部屋から出したということは、お嬢様のことについて話したいのでは?」

「その通りだよ」


 やっぱりそうか。桜さんはさっきまでのお嬢様の様子を見て、何か思うところがあるのだろう。


「これは全て私の勘なんだけどね。彼女……怪しいな」

「怪しいってどういうことですか?」

「……怯えすぎなんだよ。警察官である私に対してね」


 桜さんの目つきが警察官らしい鋭いものになる。


「怯えすぎ、ですか」

「……ああ。九条さんだって、私が彼女を守る立場であることは分かっているだろう。それなのに、私に怯えている。おかしいとは思わないか?」

「確かにそうですね。普通ならより安心できるはずなのに」

「ああ。学校で九条さんが私の存在に気付いた瞬間……彼女の表情が変わった。それまでは君と一緒にいたから明るかったのに、私が現れてから急に暗くなってしまった」


 さすがは何年も警察官をやっているだけのことはある。人の変化をよく観察している。そこからの推理も説得力があるな。


「俺も、お嬢様は桜さんに怯えているとずっと思っていました。なるべく桜さんを視界に入れないようだったので」

「さすがに真守君は気付いていたのか」

「ええ。それに、あんなお嬢様を見たのは初めてだったので」

「そうか」

「……お嬢様はなぜ、桜さんに怯えているのでしょうか」


 どちらかと言えば、お嬢様は強気な女の子だ。そんな彼女があそこまで怯える理由。それは一体何なのか。


「彼女は私という人間よりも、警察官自体を恐れているように感じる」

「警察官をですか?」

「ああ。でも、数年前に九条建設が引き起こした耐震強度偽装事件は、リムジンの中で言った通り示談が成立している。警察だってそのことに追及するつもりはない」

「じゃあ、他に何かあるってことですか?」

「……そう考えるべきだろうね。何か後ろめたいことが彼女にはあるのかな」

「……それを言いたくて2人きりにしたんですね」

「ああ。夏八木さんはきっとその理由を知っているだろうからね」


 桜さんはきっと、くるみさんの前でこの話をすれば、彼女に上手く誤魔化されてしまうと考えたんだ。


「……こう考えたくはないですけど、お嬢様が桜さんに怯える理由と今回のCherryの件について、何か繋がっているかもしれませんね」

「その可能性は大いにありそうだ」

「ただ、お嬢様は今夜のお花見パーティーをとても楽しみにされていました。もし、怯える理由がCherryと繋がっていたら、あんなに楽しみにできるでしょうか」

「……私が実際に現れたことで恐怖心を抱いただけかもしれない。それよりも、九条さんはそのお花見パーティーに参加するつもりなのか?」

「ええ、そうですけど」


 何だか、言ってはまずかった感じがする。


「で、でも……俺もついて行きますから大丈夫です! それに、俺もこうして招待されていますから」


 俺はジャケットのポケットから、潤井さんに渡されたパーティーの招待状を取り出し桜さんに見せる。


「君も招待されているのか、真守君」

「はい、そうです」

「……私もそのパーティーに参加しよう。恐がれていても、私は九条さんを守る立場の人間の1人だからね。君の友人だと言えばきっと向こうも通してくれるだろう。万が一、私を通さないようだったら警察手帳を見せれば一発だ」

「ご、強引ですね」


 桜さんが一緒なら心強いけど、お嬢様がそれを許してくれるかどうか。桜さんがいることで何か変なことにならなければいいんだけど。


「パーティー会場は学校に比べるとずっと危険だからね」

「それは言えていますね」

「もしかして、都築さんもそのパーティーに参加するのか?」

「……参加すると思いますけど」


 俺がそう言うと、桜さんがニヤリと笑った。


「そうかそうか。もし、彼女が変なことをしたらその瞬間に拘束だ。こっちには今朝のことでちょっと借りがあるからね」

「……そ、そうですか」


 恐ろしいなぁ。

 どうやら、都築さんにからかわれたことを相当根に持っているみたいだ。都築さん、こうなることを知っていて桜さんをからかったのかな。


「まったく、どうして真守君のことが気になるのかを訊くんだか」


 そう呟いて、桜さんは不機嫌そうな表情をして、ハーブティーをゴクゴクと飲む。


「真守君、もう一杯」

「……はい」


 ここで、都築さんにからかわれたことに触れれば、桜さんの逆鱗に触れてしまうかもしれない。俺のことでからかわれたそうだし。ここは聞こえなかったふりをしよう。

 俺は桜さんに3杯目のハーブティーを淹れるのであった。

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