夢ならいいのに
商店街を抜ければすぐに南辺駅だ、夕刻前の雑踏に混じってしまえば僕の姿もそう目立つ事はなった。通常通り電車は運行しているように見える。僕の住む南辺市から、奥田の住む樫尾町がある北岸市まで行くには二度の乗換えが必要らしい。
路線図と時刻表を見る限り今夜中には着けそうだ。しかし、この距離の電車代ともなると結構バカにならない。往復で一ヶ月の小遣いがとんでゆくのだから中学三年生の僕にとっては死活問題だ。正直痛いと思いながら窓口で少し迷った挙句購入を決めた。いきなり財布のお札がなくなってしまった。
窓口で駅員から切符を受け取るときに、もう一度確認のために訊いてみた。発券された矢先こんなことを聞くのもおかしなものだが、今の僕にはごく自然な質問に思えた。
「これで北岸市の樫尾町まで行けるんですよね?」
駅員は僕の顔を覗き込み「ああ、行けるけど今からだと夜になりますよ、登山でも? 明日の朝から登るの?」と。
聞き方が悪かったか、いや、いずれにせよ欲しい回答は得る事が出来た。彼女がいるであろう北岸の樫尾町は何も起こっていないか、あるいはこの駅員は何も知らないのかのどちらか、ということだが、少なくとも電車が通じていると考えてもいいのだろう。
それでも改札をくぐる瞬間には軽い後悔がよぎった。それは一ヶ月の小遣いのほとんどを費やしてキャンプに行くのでもないくせに、大仰な荷物を抱えて、見知らぬ行きたくもない街に向かう徒労というものにだ。
おそらく警戒されるべきであろう北岸に行くというのにこの緊張感のなさはなんだ? 僕は本当に彼女の声を聞いたのか? まさかいたずらじゃないだろうな?
誰一人として戦争が始まった国にいるような感覚がないように見える。この駅員だって、戦時下に登山を楽しみに行く人間がどこにいるものか。そりゃあ、死ぬまでに登っておきたい山があると言うのなら話は別だが、僕がそんな切羽詰った歳に見えるわけがない。
迷いを振り切ろうと懸命に思考をめぐらせて電車のホームへの階段を降りる。ホームで隣に立つ中年男性の読む号外を横目で見ても戦争が始まったことは間違いがない。『宣戦布告』と大きな見出しを読む事が出来る。
朝華教国とは確かに友好関係にはなかったし、単発的な緊張状態は僕が知る限りでも、歴史的にも何度かあった。
今回の戦争勃発の原因は詳しくは知らないが、隣国との不仲は北岸市沖に浮かぶ無人島の領有権を争ってのものだと聞いた。
政府はなぜか十数年もの間その問題をうやむやに放置していた。結果、実質無人の島は教国の軍隊に占拠され続け、その間に彼らの手によって要塞化がなされ、いまや僕たちの国を脅かす敵国の前線基地となってしまった。
実質支配下の無人島周辺にはマスコミはおろか漁船は威嚇射撃を受けたり、時には拿捕されたりと近づくこともままならない。まして国防軍が出張れば一触即発の国家問題となりうる、ちょっとした紛争危機地帯になっていた。
そもそも領有権問題が沸き起こったときに政府や国民はもっと熱心に関心を持って解決しておくべきだったのだ。
今更になってそれを自国の領土であると声を荒げても、もはや全世界的に失笑を買うのみという結果に陥り、政府は腰抜けという烙印を押され一部の右派組織によりクーデターまがいの事件も起きた。そんな後ろ盾もあり教国の主張はさらに強気に推移していったっていうのが大まかなあらすじ。
いうまでもなく問題の要塞島に面する本土側の町こそが彼女の樫尾町だった。状況からすれば一番に上陸される可能性が高い町なのだ。
電車に乗り込むとちらりほらりと「戦争」という言葉が耳に届くようになった。どうやら戦争がおきたことは僕の家のテレビだけの認識ではないのだ、今更当然のような納得をした。
「戦争が始まったんだって? どこで?」
「徴兵なんかあったら困るよなぁ、家のローンだって車のローンだってあるし」
「この国のために死ぬなんてまっぴらだ」
「戦争するくらいならいっそくれちまえばいいんだよ、島の一つや二つ」
「軍備増強するための口実じゃないか、外交政策だよ」
「えー早くイイ男見つけて結婚しなきゃ!」
「うちの子、息子じゃなくてよかったわぁ」
「戦争に行け、なんていわれたら言いに来た奴をまず先に殺すね、俺だったら」
「戦争の中で人殺しても罪にはならないんだろ?」
「俺はやるよ、家族と彼女を守るんだ」
「わたしたち離れ離れになるのかなぁ」
「もう戦争はしないと思ったのにね」
「なんで平和じゃダメなんだよ」
「所詮文明の限界が来たときには人間は本能的に破壊活動に走るのさ」
「あー、今のうち死ぬほど贅沢しとこ」
「すでに秘密工作員が教国の中枢を破壊する工作に乗り出してるって噂だぜ」
「同盟国が空母出すらしいよ、あの国にゃ一隻で充分だろ」
「まずうちの学校を爆撃してくれ」
「戦争は反対だ、とにかくいけない! 話し合いをするべきなんだ!」
「ホラ、ねずみの集団自殺って聞いたことないか? ねずみは一定の数……」
「きさまらぁ、それでも陛下の臣民かぁ!」
「つまり、こうだ、各護衛艦の位置関係が微妙だが、おそらく東回りで……」
「この国はシーライン防衛を怠りすぎている、前大戦で何も学んでいない」
「衛星軌道上から垂直着弾で主要都市を狙われた場合、迎撃率は三十パーセントだ」
「俺、今のうちに海外に逃げようかな、戦争終わるまで南の島にでも移住するか」
「あんな島イラねぇよ」
「皆死んだらいいのよ」
「俺らにはどうすることも出来ないよ、なるようになるしか」
「六菱重工の零三式自走砲はコストダウンのためCPUが第三国で……」
「白兵戦になったら到底勝てないって言われてるよ」
「今は予備役なんだけど、呼ばれたらいつでも行きますよ、いざ鎌倉ってなもんで」
「政治家はバカばかりだ、腰抜けだ」
「あの国は恐怖政治の独裁国家だ」
「この際だからついでに、あいつも殺しておこうか」
皆が好き勝手に戦争においての推察や想像や、妄想や、現実逃避や、戦意高揚や、自己満足や、情報や、諦めや、希望や、絶望や、無責任や、無知や、自己保身や、冒険心や、慢心や、論理や理論や、思想や、道徳や、功名心や、批判や、批評や、イロイロともかく誰もこの国のために戦おうなんて気概のある人間は見受けられない。
なんて平和な国なんだろう。その大半がわからなくはない意見だけど、そういう僕だって戦争が起こった実感すらなくて、本当なのかどうなのかを確かめようとして今この列車に乗っているんだ。なんて呑気なことしてるんだろう。
昔よく友達と映画を見に行くためこの路線に乗って都市部まで出た思い出がある。窓の外は見慣れた町の風景だ。あの時と幾分も変わらない。それに車窓からの風が妙に心地いい。
汗ばんだ背中からザックを降ろしドアにもたれて息をついた。僕が住む南辺市から比較的大きな地方都市の主平市までは約一時間、僕らの中では少し遠出をして買い物に出かけるといった特別な感覚がある。もっとも毎日通勤でそこへ通う人々は父も含めて日常でしかないのだけど。
その主平市の終着駅より一つ手前の駅から北岸市に向かう山間線などが分岐している。そこで降りることは今までほとんどなかったというくらい、僕は南岸地域より外に出た事がない。
必要性がないといえばそれまでだけど、世界を股にかける人がいる傍ら、こんな小さな世界でも生きていけるほど、自分は小さい人間なのだろうとは思う。
ここにいる人々だって僕よりはまだ多くの世間や知識を知って持っているだろうとは思うけど、どこまで自分の世界があるのかって訊かれりゃ、それほどでもないのかもしれない。
多くはテレビやネットや伝聞での知識であって、知ったフリをするのは簡単なことだ、僕だってその一人だった。
やがて足元のザックが邪魔になるほど乗客が増え始めた頃、乗り換えの駅についた。終着駅の一つ手前の連絡用の駅だ。
僕が乗る列車は一番端の十二番ホーム、ディーゼル駆動の鈍行しか出ていない。新しく開通した二番線の北岸市行きの幹線の特急は山を越えをしないため、大回りだが北岸市を目指すならばかなり早くに着ける。しかし値段がバカほど高いので切符を買うことを諦めたのだ。何度も言うが中学三年生の僕には特急券を買うほどの余裕はなかったのだ。
そんなわけでこの鈍行の乗客は少ない。だけど古く薄汚れてはいるが座席は対面シートでのんびりできる。
僕は両席を使って荷物を降ろして靴を脱ぎ足を伸ばしてくつろいだ。窓辺はオレンジ色に染まりかけていた。こうしていると、周囲からはただ本当に夏休みの一人旅に出る中学生に見えるのだろう、実際僕の中でもそう感じる。これで駅弁でもあれば旅気分も倍増なのだが、などと思うほどのんきだった。
座席に落ち着いたら何かが記憶をよぎった。そうだ、花……忘れていない。ずっと手持ちでいたのでうっかり持ち忘れてさっきの車両に置いてきたかと慌てた。僕は床から鉢を持ち上げ窓辺にガー……ベラ、を置いた。なんとなく日が当たったほうがいいと思って。
ディーゼルの機関がけたたましい音で始動を始める。車掌の笛の音でゆっくりと動き出す。かるく振動をシートに伝えながら車両は滑らかに加速してゆく。ここからは約三時間山間の駅を点々とのんびり列車の旅を往く事になる。
遠くの空は雲行きが怪しい。さっきよりも空気の温度が下がったように感じる。窓の外の田園風景を眺めていると軽い睡魔が襲ってきた。
僕はまどろむ頭の中で考えた。そう、次に眠れる保証なんかないんだ、今は戦争だぞ、のんびりしていられるのも今のうちかもしれないんだ。眠ろう。眠るのに理由をつけるほど、僕は切迫していなかったんだけど、でも、だから、呑気に足を伸ばして無防備に眠りにつけた。
おかしな言い方だな、どういう意味だ?
わからない、夢ならいいのに、こんな面倒なこと……。
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