第51話 海の城の攻防

 本丸からの民の唄声は、二の丸・海の城にも届いていた。守将安田高正は、その声を聞いて、馬揃えは大成功の様じゃ、まずは良かったなと思った。日の光がじりじりと肌を刺す。わしも鎧など脱いで本丸に行きたいものじゃなどと、呑気なことを考えていた高正を、激しい半鐘の音が現実に戻した。

 「なにごとじゃ!」

 問う高正に、物見櫓の兵たちが叫んだ。

 「敵襲!敵襲にございます。正体不明の大船小船、合せて百艘あまり、船団を組んで、我が城に迫ってきます。」

 高正は物見櫓に駆け上がった。一艘の巨大な安宅船を中心に、大小様々な船がこちらへ向かってくるのが見える。安宅船の甲板には国崩しらしい二門の砲が見える。各船には甲冑に身を固めた数百の男たちの姿がある。間違いない、敵襲だ。

 「安宅船の帆に、何やら字が書いてあるな。何だあれは。」

 高正は遠眼鏡を取り出し目に当てた。弥 勒の二文字が見える。この地を騒がした弥勒団の首領が、肥後水軍の娘凪沙だということは、高正も父から聞いて知っている。そして、凪沙は捕縛を逃れ逃亡中だということも。

 「父の復讐に、今度は肥後水軍を率いて来たというわけか、しゃらくさい。国崩しを用意せよ。」

 この城自慢の二門の国崩しが海に向けられた。高正は、万全を来せという父の言葉を反芻していた。この城は、海に面した断崖絶壁の上に立てられ、入口は本丸との間をつなぐ地下通路と、岩礁の間に巧みに隠された海に面した洞穴だ。

 「誰か本丸への連絡へ走れ。それと十名ほど人数を割いて、海からの入り口に詰めさせよ。見つかりはしないだろうが、万が一のことがある。」

 鍛えこまれた加藤家の兵たちは、即座に役割を分担して動いた。

 「国崩し、点火完了しました!」

 大砲方が叫ぶ。

 「よーし、水軍どもに目にもの見せてやれ。敵船団に向けて国崩し発射!」

 高正の合図で二門の砲は火を噴いた。


 「砲弾が降って来るよー!回頭用意!」

 船団先頭の小船の舳先で凪沙が叫んだ。城から二筋の黒煙が上る。

 「来たよ!それ、打ち合わせ通り、右へ回頭だ!

 てめえら、遅れるんじゃないよ!」

 船たちは、一糸乱れぬ動きで右へ回頭していく。

砲弾はぎりぎりのところで躱され、巨大な二つの波しぶきが上がった。

 「よーし!またまた進撃だ。城を目指してやれ漕げ!それ漕げ!」

 船団は再び、何事もなかったように列をなして城へ近づいていく。

 見事な操船、それより見事な凪沙の指揮だった。


  安宅船の上で、半左エ門がしきりと感心している。

 「すごいじゃないか!ただものじゃないな、あのお嬢ちゃん。」

 半左エ門が権六の方を向いて言った。権六は頷き、少し涙声で言った。

 「まったくで、仁左衛門の奴が生きていたら、さぞや自慢したでしょうに。」

 半左エ門は、にやりと笑って続けた。徳利から酒をぐっと煽る。

 「勝負は今からさ。城に近づけば近づくほど、敵の狙いは正確になる。

 それに、砲弾の速度の方が、船の速さよりはるかに速い。

  とにかく、いつまでもは、よけられない。

  ここからは、三郎と五郎丸にかかっているな。」


 城内では、大砲方が砲身に水をぶっかけていた。しゅーっと水蒸気が上がる。

 乱暴なやり方だが、砲を連続的に放つには、熱くなった砲身を冷ます必要があるのだ。

「急げよ、船の接近を許すな!」

 そういう傍らで、高正は城の見取り図を開いて、兵の配置を考えていた。おそらく敵は、船を横づけしたら水軍流のやり方で城を攻略して来るだろう。鉤縄を使って断崖を上るなど、こちらの予想外のこともしてくるだろう。あらゆることを想定し迎え撃つのだ。細心の上に細心を、父上の教えの通りに。

 しかし、そう思いながら高正の意識は、目の前の船団のみに集中しきっていた。敵に別動隊がいるなどとは思いもしなかったのだ。


 海の城の陸側の断崖を奇妙な物体が動いている。じりじりと上へ登っていくそれは、遠目に見ると巨大なダンゴ虫のように思えた。

 「右、左、いいぞ!今度は足を動かせ。

 鉤爪に頼るな、できるだけ岩のくぼみを探すんだ。」

 崖の灌木に掴まりながら三郎が指示を出す。三郎率いる鉄砲衆十名は、元々全員が猟師だ。このような崖のぼりは朝飯前だった。また、攻城兵器として設計された大弥五郎鎧も崖を登る機能を備えている。ただ、それは人が鉤爪を使って登るのと同じ仕組みであるに過ぎない。精巧な歯車を使って力が何倍にも強化されるとはいえ、垂直に近いがけを登るのは、やんちゃな五郎丸少年にとっても大変なことであった。


 「がんばれー。」

 大弥五郎鎧の背中に、蟹に変化した鈴がへばりついている。崖を登る為、最強の武器である二門の国崩しは外して、今は安宅船に積み込んである。

 「ちぇっ!苦労がない奴は、いいきなもんだ。」

 悪態をつきながら、五郎丸は不思議な感覚に襲われた。そう言えば、殿様と出会った日も崖を登っていたっけ。それは、ほんの半年ほど前のことだ。今もそうだが、この半年で、子供だった自分が目まぐるしく色々な経験をして、今や謀反の重要な一翼を担っている。十歳の五郎丸は、人の一生なんて、わからないもんだなと大人びたことを思った。


「!」

 右の鉤爪が宙をつかんだ。爪を差し込もうとした岩が脆かったのだ。体勢を崩し、大弥五郎鎧は海へと落下していくかに思えた。安全装置のないこのからくり武者が、この高さから落ちたら、中の五郎丸の命は無い。五郎丸も三郎も、思わず目をつぶった。しかし、いつまでたっても落下の衝撃が来ない。そうっと目を開けると、大鷲に変化した鈴が、必死に大弥五郎鎧を掴んで羽ばたいていた。

 「ばか!しっかりしなさいよ!」

 五郎丸は、ほっとすると、いつもの軽口を叩いた。

 「鈴、このまま上まで引っ張ってくれ。」

 「この怠け者!どんだけ重いと思ってんのよ。甘えるんじゃないわよ!」

 そう言うと鈴は、大弥五郎鎧を崖に放り投げるように放した。五郎丸はあわてて鉤爪を突き刺す。

 「ちぇっ。」

 五郎丸は舌打ちすると、再び崖を登り始めた。

 その様子を見ていた三郎たち鉄砲衆は、まるで攻城の最中とは思えないほど和やかに笑った。


 「船が迫ってきておるぞ!落ち着いて、よく狙いを定めよ。無駄弾を撃つな。」

 肥後水軍の巧みな操船で大砲をかいくぐられ、城への接近を許した高正は焦っていた。その焦りは、本丸へ差し向けた伝令が、なかなか帰らぬことを不思議に思う暇さえ与えなかった。そればかりでなく、細心の注意を払えば気が付いたはずの、背後に迫る異変すら気づかせなかった。経験の少ない高正は、肝心なところで父の教えを貫徹できなかったのだ。


 「うわーっ。」

 背後で兵たちの恐怖の声が上がった。振り返った高正は我が目を疑った。城壁からにゅっと、こちらを向いて巨大な甲冑が現れたのだ。両手の鉤爪を使って、器用に壁を乗り越えたそれは、すくっと城内に降り立った。これは現実か、それとも夢か?高正の混乱を兵たちの叫びが吹き飛ばした。

「ばけものー!」

「逃げろー。」

 恐慌に陥った兵たちを立て直さねばならない。何者であれ、城内に踏み入った以上は敵だ。それに戦ってみなければ、敵が強いのか否かもわからない。

「逃げてはならん。逃亡は死罪ぞ!槍を前面に陣を組め。櫓の兵は、弓であの化け物を狙え。」

 兵たちは我に返り、巨大な甲冑を取り囲むように陣形を組んだ。櫓からは雨のように矢が降り注ぐ。しかし、その矢は、大弥五郎鎧の装甲の前に空しく弾き返されるばかりであった。

「へへ、こけおどしだけど、これでも喰らえ!」

面をつけた大弥五郎鎧の口が、ぱかっと開くと炎が噴き出した。

炎に兵たちは怖気づいて、陣形を組んだままじりじり下がる。

「ええーい、たかが火ではないか。槍隊構え、化け物を葬り去るのじゃ。」

陣の後方で高正が白刃を抜き放って喚き散らすが、陣の後退は止まらない。

「くそっ、これ以上下がると斬るぞ。前に出よ、前に。」

 そう言って兵の背中に切りつけようとした高正は、後ろから羽交い絞めにされた。

「ほれほれ、大将が簡単に味方を殺すのは感心せんなあ。」

 万力のような力で締め付けられた高正は、絞り出すように声を上げた。

「な、何者じゃ。」 

 周囲に硝煙の臭いが立ち込めた。いつの間にか壁を背にして十名ほどの男たちが、安田勢に鉄砲を向けて牽制している。

「何者でもいいじゃないか。お前らの敵には違いないよ。さあ、おとなしく城を明け渡してもらおうか。」

 羽交い絞めにされ、鉄砲を突き付けられながら、高正はにやりと微笑んだ。

「正気か、たった十名で城を落とせると思っておるのか。」


 そのとき、城の地下側から怒涛のような喚声が湧き上がってきた。山蜘蛛が見張りを気絶させ、鍵を開けた地下通路を通り、半左ェ門を先頭に、その部隊、東郷甚右衛門や肥後水軍たちが駆け上がってきた。高正の喉がごくりと鳴った。

「正気さ、たった十名ではないからな。」

 そう言うと三郎は、安田の兵たちに呼びかけた。

「武器を捨てよ。そうせねば、お主等の大将のどてっ腹に風穴が空くぞ。」

 武器を捨てる部下たちを見て、高正が悔しそうに言った。

「この城が落ちたとて、すぐ本丸から人数が押し寄せるぞ。お主等の企ては成り立たぬ。今のうちに諦めるがよい。」

 その言葉を聞いて、三郎がふふんと笑った。

「それはこちらのいう事じゃ。そう思い通りにいくかな。」


 昼過ぎ、わずか一刻あまりの攻防で、佐敷城二の丸・海の城は落城した。




 


 




 

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