第43話 朝鮮侵攻開始

 文禄元年四月十二日、第一軍一番隊の宗義智と小西行長は七百艘の軍船で対馬・大浦を出発、釜山に上陸した。釜山鎮攻略担当の宗義智は、念のために服従の意思を再度確認したが、朝鮮側に完全に無視された。

 翌十三日早朝、宗義智軍五千は数百の兵の籠る城郭への攻撃を開始し、昼までに城を落として、城将”鄭撥”を死なしめた。

 同じ頃、小西行長軍七千は多大鎮を攻撃、約二百の城兵の抵抗激しく、なかなか城は落ちなかったが、夜襲により陥落させた。

 李氏朝鮮は日本軍の奇襲によって、釜山周辺沿岸部を失い、本土防衛のための重要な制海権を失った。


 日本軍の急襲に、戦い慣れていない朝鮮水軍は狼狽した。まず、慶尚道左水使(水軍大将)”朴泓”は、自川の水軍本営を棄てて山中へ逃亡した。

 もう一人の水軍大将である巨済島の慶尚道右水使”元均”は、地域一帯に混乱が広がってしまい、為すすべがないまま、敵に奪われるのを恐れ、ほとんど全ての水軍船舶を戦わずして沈めると昆陽へ撤退した。

 慶尚道左兵使(陸軍大将)”李珏”は、日本軍急襲の報を受け、三千の兵を率いて、本拠地兵營城から釜山に近い東萊城に入った。しかし、釜山鎮陥落の一報を受けてすっかり怯え、城を逃げ出そうとした。

 東萊府使(城将)”宋象賢”は、李将軍を押し留め、国難のため一緒に戦おうと説得したが無駄だった。

 四月十四日の夕刻、小西、宗の手勢から成る一万を超える日本軍が、約三百の兵が籠る東萊城前に集結した。

 小西行長は、「戦わば即ち戦え、戦わざれば即ち道を除け。」と書いた木札を城内に投じ、降伏勧告したが、城将”宋象賢”は木札を投げ返して、「死ぬは易く、道を除くは難し!」と叫び要求を拒絶した。

 日本軍は、翌早朝から猛攻撃を開始、一刻余りの激戦の末、東萊城は落城した。捕らえられた”宋象賢”は、小西行長によって首を刎ねられた。


 国兼は、日向側の霧島山中にある寶來寺にいた。朝鮮からの渡来僧”義天”が開いたこの寺は、戦で焼け出された人々の救済所であり、戦災孤児を救護し育てる孤児院でもある。義天がこの寺を開いた当初は、その活動は様々な偏見にさらされた。世間では、異人が子供を攫って奴隷として売りつけているとか、子供を働かせてあこぎに暴利をむさぼっている生臭坊主だとかいう、根も葉も無い噂が実しやかに囁かれた。こういった噂を聞くたび、寺で助けられた人や、義天の弟子たちは悔しがり、同国人の偏見を恥ずかしく思ったが、当の義天は淡々と気にする風もなかった。

 「人の為すことは、人知らずとも天知る。地知る。ありもしない噂など気にすることはない。」

 いつも弟子たちにそう諭していた。

 義天が我が国にやってきたのは、まだ若い頃である。父の禅僧”義正”に連れられ、仏教弾圧の余波が残る故国朝鮮を離れて、仏教国であると聞く日本にやって来たのだ。しかし、やって来た日本は戦国の世で布教どころではなかった。この現状に父の義正は失望し、故国へ帰っていったが、若い義天は帰らなかった。父母を失い、戦場で泣き叫ぶ子供たちを見捨ててはおけなかったのだ。義天は、全国各地を歩いて喜捨を募り、様々な偏見や嫌がらせを受け乍ら救済活動を続けていった。真摯な活動に、徐々に理解者も増えて行き、弟子になりたいと言う若者も協力するようになった。やっとここ寶來寺に落ち着いて、孤児院等が開けたとき、義天は既に六十を越えていた。ちなみに寶來寺と言う名は、山中の名も無き廃寺に義天がつけたものである。

 義天の孤児に対する救済活動は現実的なものだった。財産も身寄りもない孤児たちが、将来生きていくためには働くしかない。まっとうな方法としては、手に職をつけ職人となるか、商売を覚えて商人となるか、侍に仕えて小者や足軽となるかがあった。義天は、これからの世は商売であると考え、まず子供たちに算盤を教育した。さらに十歳を越えた子供には、近隣で草鞋や仏像を商う行商に出させ、十五歳前後になると、堺や博多の知り合いの商家に頼んで奉公に出させた。これが、人買いだの子供を働かせて暴利を得ているだのという噂の基になったのだが、子供の将来のために必要であるという義天の信念は小動もしなかった。


 そんなある日、伊東氏に領地梅北荘を攻め滅ぼされた国兼が、家臣の仮屋重助に背負われて逃げ込んで来た。伊東家の武将で、九州一の槍の使い手である柚木崎正家と死闘を繰り広げ、重傷を負った国兼は三日間生死の境を彷徨った。義天の手厚い看護を受け、やっと蘇生した国兼は生きる気力を失っていたが、孤児たちとの生活を通して徐々に自分を見つめていく。


侍とは何か?

梅北国兼として生まれてきた意味は何か。

国を失った自分に、何かやれることはあるのか。


 必死に生きる孤児たちの姿と義天との話は、優秀とは言え、一介の地頭に過ぎなかった国兼の意識を徐々に、だが確実に変えていく。

 ある日、義天は出家したいという国兼と重助の申し出を受け、重助の出家を認め国兼は拒絶した。なぜなのかと問う国兼を、義天は寺の背後にある祠に案内する。祠には巨大で重い”降魔の槍”が祀ってあった。義正が、ある朝鮮の王族から託されたもので、数千年前に作られ、化物をも滅ぼせる不思議で強大な力を持つ反面、使い手に選ばれれば過酷な運命を生きねばならないという言い伝えのある槍だった。槍の使い手たちは、歴史の中で重要な役割を果たしてきたが、歴史に名を残さず全て消え去って来た。義天は、お主こそこの槍の使い手ではないかと感じた、だから出家は認めぬと言った。

 国兼は槍を触ってみたが、何の反応も示さない。こんな槍に不思議な力があるとは思えなかった。


 寺で暮らす国兼は、楓と猪三という孤児と仲良くなった。

 十歳の楓は、日向美々津の網元の娘で、唄の上手として近隣に知られていたが、突如来襲した鬼面党によって村を焼き討ちされ、両親と弟たちを目の前で惨殺された衝撃で言葉を失っていた。八歳の猪三は、日向の戦場で泣き叫んでいたところを義天の弟子に拾われ、自分の年と名前以外、どこの生まれか全く覚えていなかった。他の孤児同様に楓を母とも姉とも慕い、どこにいくのもついて回った。

 ある年末、国兼、楓、猪三が山へ出かけて留守の時、寺は地獄極楽丸と覇王太夫率いる鬼面党に襲われた。日向守護伊東氏との手切れで本拠を失った鬼面党は、再起を図って寺にあると噂の財宝を狙ったのだ。もちろん財宝などあるはずが無く、腹いせに覇王太夫は、幼い孤児たちを虐殺しようとする。そこへ帰ってきた楓が飛び込む。不思議なことに、鬼面党の放った矢は全て楓を除けるように弾かれた。山中で会った若き陰陽師”宮内次右衛門”が授けた護符が楓を守ったのだ。泣き叫ぶ子供たちを抱き寄せ、いつものように唄う振りをする楓だが、奇跡的に声が戻り、天女のような歌声は、正体が鬼である地獄極楽丸にさえ仏心を起こさす。

 覇王太夫は激高し、呪文と共に続けざまに楓に矢を放った。呪文は護符を破り、楓は全身に矢を受ける。それでも、両親や弟の仇に楓はひるまず、両手を上げて覇王太夫の前に立ちはだかり子供たちを守った。遅れて駆け付けた国兼の腕の中で楓は息を引き取り、国兼は復讐を誓って地獄極楽丸や覇王太夫に戦いを挑む。さすがに二対一の戦いは不利だったが、駆け付けた次右衛門の術で覇王太夫は動きを止められた。

 鬼の猛攻に、何度倒れても立ち上がる国兼を見て義天が叫ぶ。

「それじゃ、それが梅北国兼の新しい生き方!お前は槍じゃ。弱き者のための槍としてあれ!」

 幼い頃より、大力で有名な豪傑国兼の素手の攻撃は、真は鬼である地獄極楽丸を次第に追い込む。負けるという感じたことのない恐怖により、”真成り”で完全に鬼と化した地獄極楽丸は、文字通り国兼を一蹴すると、稲妻で寺を破壊し、手下の鬼面党まで含め、周辺の人々を食らい尽くそうとする。そこへ、臆病風に吹かれて隠れていた猪三が、降魔の槍を持って現れた。国兼に渡された降魔の槍は、眩く青い輝きを放つ。青き輝きの下、不思議とあれほど凄かった槍の重さは感じられない。国兼は槍を振るい、地獄極楽丸の心臓に突きたてた。地獄極楽丸が、まさに溶け失せ滅びたとき、覇王太夫と鬼面党の姿は消えてなくなっていた。


「参られましたか。お二人ともお喜びでしょう。」

僧形の中年男が声をかけてきた。国兼が頭を下げる。

「おやめくだされ殿、出家したとはいえ、重助は今でも梅北家の家臣のつもりですぞ。」

 国兼の家臣であった仮屋重助は寺に残って禅僧となった。数年前に義天が死んだ今は、住職として寺と孤児院を取り仕切っている。寶來寺の活動は、義天の名と共に今や全国に知られ、毎年たくさんの供物や報謝が送られてきていた。

「それでも、この寺の今があるは大黒屋どの、ひいては殿のおかげでございます。」

 大黒屋は、今でも多額の寄付をして寺の活動を支えている。元はと言えば、国兼の家来になったばかりの喜内に、商人の修行をさすべく、義天の友人であった千利休に紹介したことで大黒屋は始まったと言って良い。利休と喜内、国兼は、義天を起点として繋がっていたのだった。


「いよいよ、唐入りが始まってしまいましたな。」

本堂で国兼と向き合って座った、重助ならぬ義忠が言った。国兼は黙って頷き、出された白湯をぐいと飲み干した。

「お師匠様が生きておられたら、故国の危機に何とおっしゃることか。ご自身は我が国のために随分とお尽くしいただいたのに。」

国兼は仏像を見上げたまま黙っている。ここに座っていると、穏やかな義天の声が聞こえてくるような気がした。

薩摩への出立の朝にかけてくれた言葉


自分の信じるままに生きよ。

お主は降魔の槍に選ばれたもの

弱き者のために、存分に槍を振るい戦え

歴史に名は残さずとも

ただ弱き者のために槍を振るい続けた。

そんな男がたった一人でも存在した。

お主の心は、人々の間で希望の光として残り

この先何年も、いや何千年も、世の闇を照らし続けるじゃろう。

それでよい

それだけで十分



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