鉢
翌日は何事もなく過ぎ去りそうな気配だった。
けれども僕の頭の中にはリヴィング・ウィル法にまつわる色々なことが渦巻いており、朝からパソコンを立ち上げ、ネットで情報を収集しようとした。しかし、それはことごとく徒労に終わった。
まず、検索エンジンでリヴィング・ウィル法に関して検索をしても、政府や自治体からの広報しかヒットしない。2ちゃんねるのような掲示板を巡回しても、所々に
「あぼ~ん」
と言う文字があり、書込み自体が削除されている。そして、少ないながらも手掛りを掴みながらアングラサイトに接続しようとしたが、極めて暗号めいた言葉の羅列があるばかりで、僕にはそれを読解する手だてはなかった。
「まるで、20世紀の北朝鮮の乱数放送みたいだな……。」
そういえば僕が雇ってもらっていたWEB監視の仕事は、今思い出してみると医療や政治、その分野に関してのチェックが主なものだった。このことから判断すると、何らかの力が加わって徹底的な情報管制が敷かれているものと僕は感じた。この5年間、有名な週刊誌はことごとく休刊になっていたし、特にスクープに強い雑誌ほど早期に休刊に追い込まれていたような気がする。
夕方近くなり、僕は病院に行くことにした。
矢口医師は待ちかまえていたかのように口を開いた。
「大村さん、入院を決断してくれましたか?」
「その前にお伺いしたいことがあります。」
「えぇ、良いですよ。何か不安なことがあるのでしたら一刻も早く解決した方がよいです。」
医師には僕が前向きに治療に向かってくれるものを思ったらしく、少し安堵の表情で僕の言葉を待った。
「先生は、『最後の希望の家診療所』ってご存じですか?」
医師の表情はしばし固まり、すぐには言葉が出ないようだった。僕は医師の目を見据え辛抱強く返答を待った。
「・・・あちらに行かれたのですか。」
「はい。」
医師はいつものように僕のレントゲンを見ながら、慎重に言葉を選んで考えているようだった。医者の共通の癖なのかもしれない。そして、静かに語り出した。
「大村さんは、伊里中先生にお会いになりましたか?」
「はい。」
「お元気そうでしたか?」
「そのように見えました。入所の方々とサクラの木の手入れをするためにつなぎを来て野良作業をしてましたよ。」
「・・・そうですか。」
彼の顔には何か懐かしいものを思い出すような表情をかいま見ることができた。
「伊里中先生は、私の先輩だったのです。」
……どんどん話が繋がってくるのは何故なんだ?
「先生は国立のがんセンターで多くのガン患者の手術をこなす傍ら、寝る間を惜しんでガンを根本的に治療するための研究をされていました。当時、私は駆け出しの医師で、伊里中先生の手伝いなどをしながら同じ場所に勤めていました。当時から若いのにガンの権威と呼ばれていましたけれど、ちっとも偉そうなところもなく本で調べればわかるような質問を思わずしてしまっても、丁寧に基礎的な部分から流れるように説明してくれました。とてもわかりやすい教え方でした。」
今回も彼の話は長くなりそうだ。けれども、僕は深い興味を持って話の続きを待った。
「大村さんもご存じかと思いますが、ガンという病気は遺伝子情報の不良コピーによって発生した細胞が抑制が効かなくなり無限大に増殖していく病気です。」
知ってる、調べた。
「伊里中先生はそこを徹底的に追求し、遺伝子レベルでの治療方法を研究されていました。それは当時学会でも注目を集めていましたし、政府も多額の支援で先生の研究をバックアップしていました。そして、もうすぐその方法が解明されようかと言う矢先にリヴィング・ウィル法が成立しました。」
・・・何となく話の先が見えてきたような気がする。
「政府からの助成金はすべて打ち切られました。研究に対しても中止をするようにとの圧力が先生にかかっていたようです。大村さん、今のあなたならどうしてそのようなことが起きたのか理解できますね?」
「えぇ。ガンを治して超高齢化社会を助長するような研究を国は良しとしなかったし、いっそ切り捨てることでふくらみ続ける医療予算を削ろうとした。」
彼はその通り、と言う風にうなずいた。
「伊里中先生はあきらめませんでした。残された予算がつきるまで、可能な限り効率的に研究をし、自らスポンサー集めにも奔走されていました。そして、がんセンターは伊里中先生を突如解雇しました。先生は、研究と治療でガン患者の命を救うべく新しい病院探しを一生懸命されていたのですが、方々より圧力がかかって再就職はかないませんでした。そして、もう少しで完成のめどが立ったかもしれない研究もすべて握りつぶされました。」
酷い話だ。
「そこで先生自ら設立しようとしたのがあの施設です。開業の認可に対してもかなりの圧力があったようですぐには進みませんでした。開設に至る決め手となったのは政治家達とのパイプの強い工藤製作所の社長が、根回しをして設立に至ったようです。」
再び工藤製作所。
「ここから先は、私が話したとは口外しないで欲しいのですが・・・。」
僕は確かな力強さで頷いた。
「先ほどの遺伝子治療の治験対象が工藤製作所の奥さんだったようです。もちろん、当時は社長もそのことは知りませんでした。奥さんの意志で社長には伝えないよう伊里中先生に頼まれていたのです。そもそものガンも伝えていなかったし、希望を持って研究の成果を治験として受けていること、そして、突然の予算凍結、研究室の解体。全部、奥さん一人で抱えていらっしゃいました。中途半端な状態で投げ出されそうになりながらも、伊里中先生はなんとか知人の病院に入院させつつ、治験再開に奔走しました。
そのような中での奥さんの突然のリヴィング・ウィル申請。
もう、伊里中先生の手の及ぶものでは無くなりました。その申請が、自らの痛みを緩和したいがためなのか、先生を慮ってのことか……。
そして、社長の奥さんが亡くなられた後、伊里中先生は社長を尋ね、洗いざらい告白しました。すべて自分の非である、と。」
僕は話を聞き続ける。
「このときから、工藤製作所は衰退の一途をたどります。社長は生きる希望を失い、むなしさを感じていたのでしょう・・・。とても今の姿は想像もできないほど酷い状況だったみたいです。そして、従業員の一人がその事情を知り、社長には何も語らず社員達と結束して世界を黙らせるような技術を開発しようとプロジェクトを立ち上げました。そして、それは見事に実を結び現在の工藤製作所があるのです。その後、社長は伊里中先生の元を訪れ、リヴィング・ウィルに反旗を翻すために協力を申し出て、あの診療所がようやく設立されたのです。」
・・・おそらく、多くの記者達がこの情報をつかみ、買収されたり、あるいは闇に葬られたのかもしれない。
「先日、柏木恵さんが私を訪問されました。」
何故ここで恵さんが出てくる?
「あなたのことをとても気にかけていらっしゃるようでした。私も医師としての守秘義務というものがあるので、通常はあなたを含めあらゆる患者の情報を第三者に漏らすことはありません。」
「では、何故?」
「工藤製作所で、プロジェクトを立ち上げたのは他でもありません。彼女のお兄さんである柏木礼一さんでした。」
言葉を失う僕。さらに彼は話を続ける。
「彼はプロジェクトのために、寝食を惜しんで開発を続けました。・・・そう、あの頃の伊里中先生のように。そして、彼のプロジェクトが完成した1ヶ月後。過労性の統合失調症を起こして、精神を病んでいきました。彼女の兄は、現在ある精神病院の閉鎖病棟で手厚く看護を受けています。治療費は社長がすべて捻出されているそうです。」
ほぼすべての不明瞭なつながりが1本の線となって僕の目の前に現れた。僕は椅子の背もたれにもたれかかり、驚きを落ち着かせ、懸命に冷静になろうと努力した。・・・あまりうまくいったとは言えないけれど。
「先生。あなたはそこまで知っていながら、黙っておられるのですね?」
彼は、そこでとても悲しい表情を浮かべ、
「伊里中先生は私に指示しました。おまえは、黙って目の前の救える命を救え。そして自分が闇に葬られない程度にリヴィング・ウィルを阻止して欲しい、と。」
僕は病院を出る時に、入院同意書にサインをして受付に提出した。入院日は確認してくれたところによると3日後が良いと言うことでぼくもそれに同意した。
治せる命なら治して、何か間違っているものと争いたい。それがほんのりと湧いてきた僕の意志だった。
翌日、僕は母の元を訪れる。
「あさって入院するから。」
その報告に心から安堵の表情を浮かべる母。僕は自分の身勝手な行動で色々な人に苦労と迷惑、心配をかけてきたんだな。
深く反省した。
しばし僕は母の家でくつろぐ。僕はよくお金がない時に、お菓子やら缶コーヒーやらをもらいに訪れるので、いつも家にはそういうものが準備されていた。今までなら、何気なく買ったまま忘れているのかな? などと感じていたのだけれど、今ではそれは僕のために準備されていたものとはっきりわかる。ありがたいものだ。
やがて日も暮れて、僕は菓子の事を母に礼を言って帰った。
「今まで当たり前な顔をして食べていたのに、気持ち悪いわね。」
と笑いながら僕を見送ってくれた。
家に帰り、まず僕は帰るときに買ってきた新しい電話のモジュラージャックをつなぎ直し、留守番電話は携帯電話に転送されるように設定をした。そして、少ないながらも補助金の中から、もっともシンプルでメールと通話機能だけのついた携帯電話に機種変更をした。水没したデータに関してはパソコンにバックアップしておいたので復旧には5分とかからなかった。
これで世間とのパイプラインが戻った。一瞬、再び会社から電話がかかってくるのではないかと心配したが、普通の世間の人々は3日も側にいない人間のことなどすぐに忘れてくれるらしい。余分な心配であることはすぐにわかった。
そして、僕は先日母が適当に詰め込んでいった入院用の荷物準備の後を引き継いで、自分が着やすくて好きな服と入れ替えた。それだけをすると今日の仕事はもう十分であった。そして、知らなかったとはいえ政府の報道管制の片棒を担ぐような仕事をしていた自分を心から恥じた。
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