野暮用の序に眠気覚ましを
……――此処を訪れるのは一体何度目になるだろうか。
初めは半ば強引に連れてこられたモノだが、今ではこうして自分から赴いている。
そうなったのは偏に、この部屋の主が思いのほかとっつき易かったからなのだろう。
何時も籠って研究に没頭する。一つの事に集中し過ぎるために、周りで起きていることに割と無頓着。
そんな様子のせいで、周りのヒトからは嫌厭されがちではあるが、実は結構面倒見が良いヒトなのだ。
そのことをもっと知る人が居れば、少なくとも彼を取り巻く環境は――彼を見る目はもう少し良くなるのではないかと思う。
まぁ、当の本人は結局の処魔導の研究第一なので、そうなっても煩わしく思うだけなのかもしれないけれど……
俺はそんなことを考えながら、目前の木製を控えめに三回叩いた。
部屋の主が健在かどうかは分からないが、今までの経験上、今の時間帯ならば大抵この部屋か、若しくは図書室の二択だろう。
とはいえもし図書室の方であったならば、移動の手間が発生してしまうので、選択が間違っていないことを密かに願った。
――学園の端に位置するこの場所から、図書室までは結構距離がある。そのことを考慮しての願い。
「……――開いている」
ドアを隔てているが故に帰ってくる声音は小さいが、返答があったということは、俺の選択は間違っていなかったらしい。
俺は移動の手間がなくなったことに安堵しながら、眼前のドアを開けて部屋に入ることにした。
「――失礼します」
部屋に入ってみると目的の人物は直ぐに発見できた。
一見すると白衣にも似た上着を羽織ったその人物は、机に向かって何やら書き物をしている。
机の配置上、机に向かうと部屋の入口に対して背を向ける形になってしまうので、件の人物は必然俺に背を向けていた。
自分の
「っと、すみません。もしかして忙しかったですか? それなら出直しますけど」
俺が
今日はこの後割と重要な用事が入っているのだけれど、それまではまだ割と時間がある。
しかしながらその空き時間は、何かを行おうとするには実に微妙な時間だった。
図書室に赴いて本を読むのも、勉学に勤しむにも短すぎる。そして何より俺自身がそんな気分にはなれなかった。
故に、友人の元に野暮用がてら世間話でもと思って訪れて見たのだが、とうの本人の手が空いていないのならば致し方ない。
そもそもかの友人はとても多忙な人物だ。それを考慮していなかった時点で、俺の配慮が足らなかったことは明らかだった。
だが、そんな言葉をかけた俺に対して、部屋の主はすぐさま手を止めて、俺へと向き直ってくれた。
「――ぬ、誰かと思えば
そういって向き直ってくれた妖精種の友人――ラディウスさんは、どういう訳か目元に大きな隅を作っていた。
何時もならば文字通り眉目秀麗を体現しているラディウスさんも、今回ばかりはその魅力に影を落としている。
そんな様子の友人に、密かに驚いたのは此処だけの話だ。
「ええ、少しラディウスさんの知恵を借りたいなぁと思いまして来てみたんですけど、なんか大変そうですね」
「――うむ、実はここ数日試していた実験が佳境となっていてな、手の離せない状態だったのだ」
「……もしかしてそのせいで寝ていないと」
「そうだ、とは言え徹夜もまだ三日程度だ。言う程の物でもないだろう?」
「…………」
ラディウスさんの物言いに、俺は言葉を失った。
俺ではまず間違いなく、三日も徹夜を続けていればまともな思考など出来ないだろう。
だというのにこの人は、色濃い隅を作っている割にいつもと変わらず明瞭な態度を示している。
それに対して素直に称賛すれば良いのか、それともどうして此処までするのかと呆れるのが正解なのか、正直分からなかった。
とりあえず、溜息を一つ吐き出しておく事にする。
「はぁ……あんまり根を詰めすぎると、体調的にも能率的にも良くないと思いますよ? 眠くは無いんですか?」
「正直な処を言えばかなり眠い。今にも寝そうだ。――そこでだアルクス、すまないが眠気覚ましを作ってはくれまいか?」
「……眠気覚まし、ですか?」
「なに、別にそう難しい物ではない、その棚の上の箱に入っているだろう?」
そういってラディウスさんが指さした先には、薬品置場に使用している棚があった。
俺はラディウスさんに言われた通り、その薬品棚に近づいてみる。
ラディウスさんが指さす先には、他の其れとは毛色の違う箱があった。
俺は迷いながらも、その箱を手にする。
「そうだ、その箱だ。その中には”グレゴッツ”と言う木の実の種が入っている。地方では長寿の種とも呼ばれていてな、それを煎って粉にしてお湯に溶いて飲むのだが、これが良い眠気覚ましになるのだ」
「へえ、そうなんですか。――でもそれって僕が作っても問題ないんですか?」
「ああ、問題ない。そんなもの誰が作ったところで味に変化はないのでな」
「分かりました、それじゃあちょっと待っていてください」
「――うむ、頼んだぞ」
ラディウスさんは再び机へと向き直った。
今更だが、何時もは綺麗に整理されている筈の机の上は、これでもかという程に沢山の紙で埋もれていた。
そんな様子に思わず苦笑い。
「ふう、それじゃあ、とりあえず作ってみるか」
俺は何ともなしに独り言を呟きながら、箱を持ったまま部屋に置いてある丸テーブルへと移動する。
様々な用途に使われるその丸テーブルだけど、今回は眠気覚ましを作る作業台に使わせてもらうことにした。
机の上に箱を置いて、箱を開けてみる。
箱の中にはカップが二つ、木製の匙が二本と乳鉢の様な器が一つ、後は乳棒のようなものと、二回りほど小さい箱が一つ入っていた。
先ほどのラディウスさんとの会話から判断するに、恐らくこの乳鉢と乳棒らしきものでグレゴッツの種をすり潰せと言うことなのだろう。
後は状況から判断するに、グレゴッツの種はこの小さな箱の中に入っているようだった。
そんなわけで、とりあえず俺は箱の中から木匙とカップを一つずつだけを残して、他の物を全て取り出した。
続いて、俺は取り出した小箱を手に取り、中を確認してみる。
――不意に、嗅いだことのある匂いを感じた。
「あれ? これって……」
小箱の中からグレゴッツの種を一つだけつまんでみる。
どこか見覚えのある小粒の茶色――鼻に近づけてみれば、それは確かに俺の知っている代物だった。
「――『珈琲豆』だ、これ」
なるほどと思った。確かに『珈琲』と言えば前の世界でも眠気覚ましに飲まれていた。
あまり詳しくはないけれど、適量の摂取ならば健康にいいとも聞いたことがある。
長寿の種と呼ばれているのはそういった点からなのだろう。
「ラディウスさん、道具は自由に使っても構わないですよね?」
「――ああ、この部屋のなかにあるものならば自由に使ってくれ」
ラディウスさんに改めて許可を貰いながら、さて、と一息――正直グレゴッツの種などと言われて戸惑っていたが、知っているモノならば話は別だった。
既に焙煎された後のようなので、本当に俺がやることは豆を砕いて『珈琲』を抽出する事だけらしい。
これならばそれほど気兼ねすることなく、取り掛かることが出来そうだった。
まずは『珈琲豆』を適量、乳鉢の中へと入れる。
正直な処どの位の量が良いのかは分からないので、入れるのはまさしく言葉通り適量だ。
木匙を使って二杯と言う量を入れたが、何故二杯なのかと聞かれれば明確な答えはきっと返せないだろう。
何となく、本当に何となくこのくらいの量なら良いかな? と、そんな感じだった。
そしてお次は乳棒を使ってゴリゴリゴリ、とりあえず粉末状になるまですり潰してみる事にする。
「……そういえばラディウスさん、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけどいいですか?」
「――そういえば先ほどそんな事を言っていたな。書き物をしながらでも良いか?」
「ええ、それで構いません。僕も作業中ですからその辺はお気になさらず」
俺は『珈琲豆』をすり潰しながら、ラディウスさんへ疑問を投げかける事にした。
急遽『珈琲』を入れる事になってしまったけれど、本来の目的は別にある。
俺が彼に問いかける事、それは先日、俺とテッドが遭遇した
「ラディウスさんは土の属性を持ってますよね? ちょっと
「……
「それでも、土の属性を持っていない僕よりは詳しいでしょう? それに貴方の意見を僕は聞いてみたいんです」
ゴリゴリゴリゴリ――手を休めることなく、俺は続けて言葉を発する。
「
「ふむ、
乳鉢の中の『珈琲豆』はだいぶ粉末状へとなってきている。
俺はもう少しと思いながら、すり潰し続けた。
「……そのままでは少し難しいかもしれんな、他に何か想定するのに有効な条件などはあるのか?」
「そうですねぇ、形成する素材がただの土以外だった場合――例えば赤土か何かを使った場合はどうでしょう」
俺はあの爆炎をまき散らす
手元の『珈琲豆』はいい具合に粉末状になったようだった。
「赤土か……推定ではあるが、それならば可能なのかもしれんな、土とは言え他の属性の持つ色がついているのならば、親和性は其れなりにいいはずだ」
「可能なんですか? でもその場合
いったん手元の『珈琲豆』から離れる。
向かう先は薬品棚で、目的の棚は上から二番目で、左から三番目。
そこには実験によく使用する、清潔な布がまとめて置いてあった。
俺はそこから二枚、薄手の布を取ってきた。
使用方法から考えて、この布は使い捨てになってしまうだろうが、部屋にあるものは何でも使用してよいと言質を取ってあるので、遠慮なく使用させてもらうことにする。
「ふむ、我が友は
「と言いますと?」
「
俺は再びなるほどと思った。この場合ラディウスさんの語る発動媒体が指し示すのは、俺たち魔導を使うものの肉体そのものなのだろう。
これは俺の感覚の話なのだけれど、魔導を発動させるという行為は、生成した
例えば、今しがた俺が使おうとしている魔導などまさにそう。
俺は体内で
『――沸け、”
魔導名を唱える事により、魔力が形を変えて行く――湯気の立つ熱湯へと姿を変えて行く。
魔力と言う
俺はそんな事を考えながら、手元で作業を続けた。
用意したカップの上に、先ほど持って来た清潔な薄布をかぶせ、更にその上に粉末にした『珈琲豆』を乗せる。
そうして、今しがた生成した熱湯を粉末の『珈琲豆』の上から注いだ。
「無機物である赤土内ならば
「なるほど――ありがとうございます。参考になりました」
「そうか、それは重畳」
俺は頃合いを見計らって、カップの上から薄布を取り外した。
カップの中には丁度一杯分の『珈琲』が抽出されている。
俺は念のためにと、箱の中から先ほど取り出さなかったもう一つのカップを取り出して、そこに少しだけ『珈琲』を移した。
そうしてそれを味見してみる。
「うん、よし――ちょっと濃い目だけど、僕の知ってる『珈琲』だ」
『珈琲』の苦さに顔をしかめながら、俺はそんな事を小さくつぶやいた。
以前から、俺は余り『珈琲』という奴を好んで飲んだりはしていなかった。
飲んだことはそれなりにあったけれど、飲む場合は『ミルク』を足すか『砂糖』を足すかして、苦みを調整したものだ。
生憎この場所には『ミルク』や『砂糖』なんて物は無い。
『醤油』が魔導で再現できたのだから、『砂糖水』位は魔導で再現できるのかもしれないけれど、そもそもこの『珈琲』を飲むのは俺ではないので、此処までにしておくことにする。
「ラディウスさん。眠気覚ましの用意が出来ましたよ」
「ああ、ありがとう。ところで
「興味はありますけど、今日はやめておきます。この後ちょっと大切な用事がありますから」
「そうか、それならばグレゴッツの種と道具はそのままにしておいてくれ、片付けぐらいは自分でやるとしよう」
ラディウスさんに『珈琲』を渡して、俺は部屋を後にするために出入口へと近づいた。
そんな俺へと、背後から声がかかる。
「――アルクス、これは思い付きにも似た疑問だ。故に返答は強く求めないが――大切な用事とは一体何だ?」
尋ねられたその問いかけ――答えることは吝かではない。
故に俺は出入口から出て、扉を閉める序に、ラディウスさんへ問いの答えを返す。
「友人と一緒に、貴族様と喧嘩してきます」
閉まる扉の向こう側――ラディウスさんの浮かべていたキョトンとした表情。
妖精種の友人が浮かべるその表情は、まさしく初見の物だった。
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――マルクス学園のとある一室にて――
「何故私は我が友にあのような事を問いかけたのだろうか?」
私は今しがた出て行った人間種の友人を見送りながら、思わず首を捻っていた。
無意識だった、気が付いた時には既にその言葉を投げかけていた。
それは偏に、我が友の様子がどことなく何時もと違っていたからなのかもしれない。
分からないということは、私に理解するだけの知識がないということだろう。
それは無知であるということだろう。
無知とは恥ずべきことである。
無知とは淘汰すべきことである。
今までも、これからも、その想いは決して変わる事は無いだろう。
だが、何故だろう、恥ずべき筈の無知を意識したというのに、これは一体なんだというのだろう。
何故、私の口角はこうも吊り上がっているというのだろうか。
「”貴族様と喧嘩してくる”か、全くお前はいつだって私を楽しませてくれる」
私は、そんな事を半ば無意識の家に呟きながら、我が友が用意してくれた眠気覚ましを口にした。
瞬間、私の口の中に広がったのは、全く未知の物だった。
色は私の知っているそれのはずなのに、それでもこれは全く別物だった。
私の知っているグレゴッツの種の煎じた眠気覚ましは、決してこのように芳醇な香りなど味などしていなかった。
ただただ苦いだけで、深みもコクもありはしない。泥水と変わらない様な酷い味。
だからこそ、眠気覚ましには最適であり、偶に飲んでいた訳なのだが、これは違う意味で目が覚める飲物だった。
これは私の知っているモノとはまさしく別物だった。
……
…………
………………
「っっっっなんだ!! これはぁ!!!?」
断言しよう、過去においても、この先、気が遠くなるような未来においても、私がこれほどまでに動揺することは、二度とありはしないだろう。
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