第5話 カメと人の、あんな関係こんな関係

「それじゃあ最後に、カメと人との関わりについてやろう」


 一息ついてから、アキラはそう切り出した。


「具体的には何を?」

「ペットのこと、それから外来種や在来種の保全絡みのこと、あと文化的な部分についてもやれたらやろうかなと」

「ペットや保全はともかくとして、文化的な部分って……できるの?」

「多少はな。まあ、やれるところまでやるだけさ」


   * * *


「今更言うまでもないが、カメはペットとしての人気が高い。イヌやネコには敵わないがな。とりわけミシシッピアカミミガメの幼体がミドリガメとして一時期よく売られていた。1950年代の後半からアカミミガメが原産地のアメリカから輸入されるようになり、その後2000年代くらいまでがペットとしての人気のピークかな。最近はミドリガメペットブームは下火になりつつあるようだけど」

「意外と最近なのね……。下火になりつつあるのは何で?」

「理由はいくつかあるんだろうけな。例えば3,40年くらい前にアカミミガメのサルモネラ菌が問題になったことがあってな。まあ結局アカミミガメに限った話ではなかったんだが。そのほかにも、最近だとアカミミガメによる日本の生態系への影響が問題にあげられるようになったことで、流通や販売に規制がかかったことなんかが、下火になってる原因かなと思ってる」

「サルモネラ菌かー。聞いたことがあるわね。結局カメとかを触ったら石鹸でよく手を洗いなさいとか、そういう当たり前な解決策だったっけ」

「そうそう。結局、衛生面に気をつけていれば特に問題はなかったんだよ」


 サルモネラ菌とアカミミガメが社会問題となったのは1970年代から1980年代にかけてで、サルモネラ菌を保菌したアカミミガメを触ったあとに十分な手洗い等をしないまま食事等をしたことにより、急性胃腸炎といった食中毒になったというもの。サルモネラ症と呼ばれる。これにより一時はアカミミガメがサルモネラ症の原因とされたことがあったが、原因菌であるサルモネラ菌自体はカメ以外の動物も保菌しており、また手洗いの徹底やカメの飼育水を食品を扱う場所で捨てないといったことに注意することにより予防できることから、カメだけが原因というわけではなかった。


「そういえばアカミミガメは最近きた外来のカメよね。在来のカメはニホンイシガメとかいたはずだけど、それらはペットとしてはどうだったの?」

「ニホンイシガメやクサガメがペットとして、広く一般家庭で飼われるようになったのは意外と最近で、戦後以降らしい。それ以前も飼われてはいたんだけど、一部の人だけだったり、神社やお寺の池とかで半分野生で飼われてたことが多いらしいな」

「あれ、そうなの? なんか意外。ずっと前から飼われてきたんだと思ってた」

「まあ、古くから親しまれてはいたよ。古い書物とかにも描かれたりするみたいだし。ただ飼育の歴史はそんなに古くはないってことだな。だから、昔の人々は、野生のカメに対して、親しみや愛着を持っていたんじゃないかな。これは俺の想像だけど」


 ペットとしての歴史は意外と浅いものの、人々のカメへの思い入れは決して低くはないだろう。それは、亀を冠する地名や団体名が少なくないことや、元号、伝説、伝承などにカメが出てくることからも推測される。


「じゃあ、昔の人は、池や川、あとはお城のお堀とか? そういった所にいるカメを見て楽しんでいたっていうことなの?」

「たぶんな。もっとも、細かいところまではわからないから、かなり憶測が混じってはいるけど」

「昔のことだもんね……。昔の人が見ていたカメって、ニホンイシガメとクサガメ、それからスッポンもだっけ」

「ああ……。ニホンイシガメとスッポンはたぶん見ていたんだろうけど、クサガメに関してはちょっと怪しいんだよな」

「怪しいって?」

「最近の研究で、クサガメはどうも江戸時代くらいに外国から移入された、外来種の可能性が高くなってきたんだよ」

「……クサガメが外来種?」


 思わぬ内容に眉をひそめるトモ。

 アキラだって最初に聞いたときは同じような反応をしたと思う。しかし同時に「やっぱりか」という思いもあった。というのは、そんなとを噂程度に聞いたことがあったからだ。


「クサガメは日本以外にも中国や朝鮮半島のほうにも分布していてな。だから従来は日本を含め、そのあたりが自然分布だと考えられていたんだ。ところが、色々と調べてみると、クサガメが描かれている文献が一番古いので今のところ江戸時代後期に作られた書物だったり、ニホンイシガメの化石が見つかるような地層からクサガメの化石が見つかっていなかったり、そして最近、日本と中国、韓国のクサガメの遺伝構造を調べた研究で、日本のクサガメと中国、韓国のクサガメの間に遺伝的な違いはほとんど無いことが明らかになった。これらのことを総合すると、クサガメは外来種の可能性が高くなってきた」


 仮にクサガメが在来種であれば、江戸時代より古い古文書に描かれていても良いはずであるし、化石も見つかるはずである。また、遺伝構造も、在来種であれば中国や韓国のクサガメと比べ多少の違いはあると考えられる。ところが、そうした発見や違いは見られなかった。これにより、クサガメの外来種説はより濃厚なものとなっている。


「知らなかった……。でも、確かにそこまで証拠が揃ってると、外来種説を否定するのは難しいわね。クサガメが外来種だとして、それによる問題ってどんなのあるの?」

「今言われてるのは、希少な動植物の捕食だな。魚類とか昆虫とか植物とか。それからニホンイシガメやスッポンとの競合だな。餌や産卵場所、日光浴をする場所の取り合いだ。そしてニホンイシガメとの交雑の問題。挙げるなら、この3つかな」

「クサガメとニホンイシガメって交雑しちゃうの?」

「ああ、する。しかも割と昔から知られててな、ウンキュウって呼ばれてる。見た目は両種の特徴がそれぞれ出ている。甲羅がイシガメだけど顔の模様はクサガメだったり、その逆に甲羅がクサガメで顔はイシガメとか」

「……クサガメとイシガメって近縁だけど別種よね。それで雑種作れちゃうんだ……。植物だとたまにそういうの聞くけれど」


 オスとメスが子孫を作る有性生殖を行う動植物の場合、普通は別種同士で子孫を作ることはない。あったとしても非常に稀で、仮に子孫を作れたとしても生まれてきた子供は子孫を残す能力がない場合が多い。有名な例では、ヒョウのオスとライオンのメスから生まれたレオポンは、子孫を残す能力がなかった。もっとも、これは動物園における例であり、なおかつ、両種が交尾するように特別な配慮を行った上で産ませた結果である。野生下ではそもそも両種が交尾をする可能性は、非常に低いと考えられている。

 ところが、野生下で雑種を作ってしまう例もある。しかもその雑種が子孫を残せることがある。こういった事例は鳥類や爬虫類、両生類、魚類などで時々見られる。


「普通は作れないはずなんだけどな。カメだと時々見られて、例えばクサガメとハナガメっていう種類の雑種とか、アカウミガメとタイマイの雑種とかもいたらしい。飼育下で雑種を作った例も多いが、野生下で雑種を作った例もある。さっき言ったウンキュウもその1つだ」

「飼育下でできちゃうのは、それはまあ特殊な条件下だからまだしも、野生でできちゃうのはちょっと……」

「そうなんだよな。クサガメが在来種だった今まではそこまで問題視されなかった。人間が手を加えてない状態でもそうなるんなら仕方ない、っていう感じで。でも、クサガメが外来種となると話は変わってくる。人間が持ち込んだせいで、純粋なイシガメが減ってしまうじゃないか、ってね。遺伝子汚染、あるいは遺伝子移入と言われている」

「遺伝子汚染かぁ……。それも厄介な問題よねぇ」

「……ま、そういう問題もあるってことで。今回は紹介だけに留めるよ」


「さて、外来種といえば、クサガメのほかにもアカミミガメやカミツキガメがよく話題になるな。どちらもアメリカ大陸原産で、日本にペットとして輸入された個体が、脱走や放逐されたことにより日本の野外に棲みついてしまっている。カミツキガメはまだ局所的なほうだが、アカミミガメはほぼ全国に分布してしまっている。いずれも日本の在来の生態系や農林業に悪影響を与え、カミツキガメに至っては人への被害も問題になっている」

「よく聞く話ね。希少な動植物の捕食や近縁な在来種への影響。農林業への影響って何かあるの? 漁業とかならわかるけど」

「確か、どこかの地域でアカミミガメにレンコンが食害されたらしい。カミツキガメはちょっとわからないな。もしかしたら無いかも」

「レンコン食べちゃうんだ! なんか面白ーい!」


 声を上げて笑うトモ。レンコンを食べるカメを想像してツボに入ったのだろうか。


「農家からしたら、面白くはないんだろうがな。まあそんなわけで、カミツキガメのほうは色々と規制されているし、アカミミガメについても駆除や予防が進められているわけだ」

「外来生物法ね。カミツキガメは特定外来生物に指定されているのよね」

「ああ。アカミミガメはまだされてないが、緊急の対策が必要な種として色々と対策が行われているよ」


 外来生物法、正式名称「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」は、特定外来生物による日本の生態系や人の身体・生命、農林水産業への被害を防ぎ、生物多様性や人体の保護、農林水産業の発展に寄与することを目的とした法律である。この法律により特定外来生物に指定された生物は、輸入や販売、移動、野外への放出、飼育・栽培、保管等が原則禁止される。2017年3月現在、動物116種、植物16種が特定外来生物に指定されている。


「供給源を絞ってしまえば増えるスピードは遅くなるもんね。あとは既に野外にいる個体をどうするか」

「だから、各地で駆除やら拡大防止策やらが行われているわけだ」


 罠をかけるなどして特定外来生物を駆除する取り組みは日本各地で行われている。それが一定の効果をあげている地域や種もいれば、難航しているのもいる。


「難しいね」

「そうだな。難しいと言えば、在来種の保全もなかなか難航しているみたいだな。棲息環境が相変わらず減っているらしい。全国的に」

「それはカメに限らず、だね。法律で開発の規制はできても、そのすぐ外側で行われちゃったりするしね」

「開発せざるを得ない場合なんかもあるんだろうけどな。それでももうちょっと配慮して欲しいが。あとはロードキルの問題もあるな。これも、カメに限った話じゃないけど」

「ロードキルって、交通事故死だっけ。何回か道路上で轢かれた動物を見たことあるけど」

「そう、それ。特に夜に轢かれることが多いみたいだな。夜は意外と動き回る動物が多いからな。暗くてドライバーからはよく見えないし、動物は車のライトに驚いたりして道路上で立ち竦んでしまい、轢かれるってパターンが多いらしい」

「暗いところでいきなり車のライトを浴びると、眩しいもんね……」


 人間だって、暗い場所でいきなり強い光を向けられると目が眩んでしまう。それは動物でも同様だった。

 ロードキルを防ぐには、ドライバーが注意をするか、動物が道路上に出てこないような工夫をする必要がある。フェンスで囲んだり、動物が嫌う樹木等を道路周辺に植えたりすることが、高速道路などで行われている。


 二人の間にはどことなく暗い雰囲気が漂ってきていた。保全関係の話題ではなかなか明るくはなりづらい。そんな空気を飛ばすように、アキラは話題を変えた。


「さて、保全とかの話はこれくらいにして、最後は明るい話をしようか」

「明るい話?」

「文化の中でのカメの話だ。神話とかお伽噺とかに出てくるカメな」


   * * *


「で、昔話とかに出てくるカメっていうと、トモは何を思い浮かべる?」

「やっぱり、『浦島太郎』かな。 ウミガメを助けて竜宮城に行くっていう。あとは『ウサギとカメ』かな」


 どちらも日本では有名な昔話だ。『浦島太郎』は、浜辺で子ども達にいじめられていたウミガメを助けて、竜宮城に連れて行ってもらうという内容で、『ウサギとカメ』は、ウサギとカメが競争し、足の速いウサギが途中で休憩しているうちに、ゆっくりと歩いてきたカメが追い抜いてゴールしてしまうという内容。

 トモの答えにアキラは満足そうに頷いた。


「うんうん、そうだな。その2つは鉄板だな。ほかには何か思い浮かぶ?」

「そうね……昔話じゃないけど、『アキレスと亀』かなぁ。ほら、パラドックスの」

「ゼノンのパラドックスだな。人間のアキレスはカメに追いつけないっていう」


 『アキレスと亀』は、古代ギリシャのゼノンが考えたパラドックスだ。足の速いアキレスはカメにハンディをつけて、ある程度先に進ませた状態から競争をした。アキレスはカメより十分に足が速いのだが、カメを追い抜くにはカメがスタートした地点に到着しなければならない。そこへ到着したとき、カメは少しだけ進んだ地点にいる。さらにそこへ着いたとき、カメはさらに少しだけ先に進んでいる。同じことを何回でも考えることができるため、アキレスはカメに追いつけない、というのである。


「ここでは特にパラドックスについては触れないぞ。で、ほかになにか思いつく? カメが出るお話し。昔話じゃなくても神話とかでもいいけど」

「うーん、これ以上はちょっと思いつかないかな……。神話とかあまり知らないし」

「そうか……。まあ、カメがメインで出てくる話っていうのも、あんまり無いんだけどな」


 意外なことにというか、カメが登場する物語はそこそこあるものの、主人公などの主要なキャラクターであるものはあまり多くない。


「そうだな、まずは神話からいくか。例えば中国の神話だと、2柱の神が争った後、一方の神が天地を支える柱の1本を壊してしまうんだ。その結果、天変地異が起こり自然災害が起こりまくった。それを何とかしようと、創世の女神は巨大なカメを使って修復をしたんだ。また、仙人が住むとされる蓬莱島をカメの背中に固定してやって、荒れた世界を落ち着かせたと言われている。

 ほかにヒンドゥー神話では、3神、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが争っていたとき宇宙の存続がおびやかされる状態になった。そのとき、ヴィシュヌがカメの姿クールマとなって降臨し、宇宙を存続できるよう様々な知恵を与えたと言われている。

 さらにインド神話では、世界を支えているゾウは下からカメが支えていると言われているな」

「……インド神話のはなかなか強烈ね。カメがゾウを支えて、そのゾウが世界を支えているって。不思議な世界観だわ。中国の神話の、カメを使って修復ってどんな風に使ったの?」

「確か、塞いだ穴をカメの4本脚を使って支えさせたらしい。世界が傾かないように、踏ん張らせたって感じじゃないかな? 俺もあまりよくイメージができてないんだが」

「……世界を支えたりゾウを支えたりとカメも大変ね。確かにそういうのが似合いそうではあるんだけど」

「まさにそれだろうな。甲羅やあの見た目が天地創造や世界の支えとしておあつらえ向きだったんだろう。世界が崩れないのはカメが支えているからだ、ってね」


 カメが神話に登場する場合、このように何かを支える役目として出てくることが多い。

 重厚な甲羅は上に何かを乗せられそうだし、見た目重そうな甲羅を背負って歩いているのだから力もありそうだ。ならばカメは世界を背負っているのではないだろうか。世界創世の物語に加えられそうだ――かつて古代の人々は、このように考えたのかもしれない。


「もっと面白いのは、中国ではカメが世界の模型となっているんだ。背中の甲羅が天で、お腹の甲羅が地面、そしてその間にある空間がくうって感じでな。こちらも、まさにカメの甲羅がイメージにぴったりだったわけだ」

「ついに世界のモデルにまで。これ以上はなにがあるのかしら」

「いや、たぶんあれ以上のはなかったと思うぞ……」

「なあんだ……。まあ、いいわ。ほかには何かないの? 神話に出てくるカメって」

「そうだな……。ギリシャ神話にも出てくるみたいだけど、これは道具だな。ヘルメスがカメの甲羅などを使って竪琴、つまりリラを作ったんだ。これがまた素晴らしい音色を奏でたみたいでな、アポロンが魅了されたらしい。そしてウシと交換したんだとか」

「へえ、綺麗ね……。あれ、でもそれじゃあリラにされたカメって……」

「間違いなく死んでるな。カメと甲羅は生きたままでは絶対に切り離せないから」

「かわいそうに……」


 ちなみに後日談として、アポロンはこの竪琴をオルフェウスに与えたとされる。オルフェウスは演奏が非常に上手く、竪琴の音色で野獣を手なずけたり、岩や樹木さえ動かしたといわれている。


「あとはアフリカの民間説話とかにも出てくるみたいだな。中米のほうでも、知恵や不滅の象徴としてカメが扱われることがあったらしい」

「結構世界中にあるのね、カメが出てくる話って」

「そうだな。どちらかというと、東アジアのほうが多いかな。とはいえ、カメはほぼ世界中にいるわけだしな」


 極地を除きカメは世界中に分布している。そしてあの見た目は多くの人の目を惹きつける。頑丈な甲羅、長寿、頸を甲羅に引っ込める、緩慢な動作……こうしたカメの特徴から、人々はカメに様々な属性を与えた。世界の土台として、不滅や知恵の象徴として、さらには、臆病者、のろま、まぬけなど、ポジティブなものからネガティブなものまで多岐に渡る。


「そっか。じゃあ、昔の人たちは、近くにいるカメを見てあれこれ考えたんだ。そして色々なことに対して、カメを引き合いに出した。カメの持つ特徴を活かして。実はカメって意外と注目の的?」

「そうともいえるな。これだけ物語とかに出てきて、しかも世界を支えるといった重要な役割まで与えられた動物も、そうそういないだろう。しかも野生の動物で」

「ウシやウマみたいな家畜とかは人が繁栄する上で重要な動物だもんね。だけどカメは……まあ、そこまで重要じゃないかな」

「そう、カメなんて所詮そんなもんだ。だけど、そんな動物がこれだけ人々の注目を集めてきた。地域を問わず、しかも大昔から。それだけカメは普遍的で、神秘的だったんだろう」


 カメは昔から、人々を惹きつけてきた。それは今後も変わらないだろう。そうしてまた、新たなイメージが重ねられていくのである。

 しかし、いくら属性を与えられようと、カメはカメである。


   * * *


「……こうやって見ると、カメって意外と面白い動物だね。甲羅を持ってて、のんびりとしてて、マイペースな印象しかなかったけれど。それは今もあんまり変わらないんだけど、でも思ったよりはカメの世界も広いんだなあって感じたかな」

「そりゃよかった。甲羅とのんびりとしたイメージってのも間違いじゃないんだけども、それだけじゃないからな。そう言ってもらえると、やった甲斐があるよ」

「お疲れ様。カメの話を聞いてたらカメが見たくなってきちゃった。帰りにアキラのとこのカメ見てっていい?」

「ああ、構わないよ。けどその前に、購買に行かない? 流石に喉が渇いてさ」


 アキラが持っているお茶のペットボトルは、既に空っぽ。講義の途中で飲みきってしまっていた。


「いいよ。せっかくだから私が奢ってあげよう」

「そうか、じゃあ遠慮無く。珍しいこともあるな」

「ま、色々と教えてもらったからねー」


 そんなことを喋りつつ、研究室を出て行く2人。

 部屋にはアキラやほかの学生の荷物と、びっしりと書き込まれたホワイトボードが残された。


     *


 アキラとトモが購買から戻ってくると、研究室がなにやら賑やかになっていた。部屋を覗くと、奥の方に人だかりができていた――ちょうど、ホワイトボードがあるところだ。学生が多いが、教員の姿もある。


「カメの甲羅って、面白いことになってんだなあ」

「そもそもTSD《温度依存性決定》ってなんで生じたんだろうな」

「神話のカメって、中国とかその周辺が多いんだな。あのあたりが起源なんかね?」

「おー、アキラ! トモちゃんも。 戻ってきたか。なあ、このカメなんだけどさ――」


 ホワイトボードに集まった人たちの間でカメの活発な議論が行われていた。


「……そういえば、ホワイトボード消すの忘れてたな」

「でも、そのおかげで楽しそうなことになってるね」

「……だな」

「講義はもうちょっと続きそうだねぇ」

「かもな。飲み物買ってきといてよかったよ」


 結局、この部屋の電気が消えたのは、夜遅くになってからだった。

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