第9話

 志儀(しぎ)が丘の上の探偵社へ出向いたのは4日後だった。


 と言うのも、冷たい雨のせいだろうか?

 あの夜、家に帰り着いたとたん、志儀は熱を出してそのまま寝付いてしまったのだ。

 漸く熱も下がって、学校へ登校して、その後で久々にやって来た元医院の洋館。


「フシギ君かい?」


 合鍵で玄関の扉を開けようとしていた志儀は飛び上がった。

 待っていたように内側から開かれたドアの背後に興梠(こおろぎ)が立っていた。

 志儀は、実はこの時間なら探偵はいないはずだと決めてかかっていたのに。

 子爵邸へ行っているはずだと。


「風邪は治ったんだね?」

「う、うん」

「それは良かった。君にちょっと話があるんだよ」

「――」


 探偵は気づいているのだろうか? 探偵の真後ろに黒猫がいる。

 ほら、こんなに近くに。

 そのせいで探偵の話す言葉は黒猫が言っているように志儀には聞こえた。

「来たまえ」


(……まあ、悪くないや)


 2階の事務所まで興梠に続いて階段を上りながら志儀は思った。

 今の時間、興梠さんが家にいるってことは――

 子爵家の依頼が決着したってことだろうから。

 令嬢に僕が〝したこと〟の効果があったってことだ。

 そりゃ、少々乱暴なやりかただったから、興梠さんは怒っているかも知れない。

 でも僕だって叱責は覚悟の上だ。




「座りなさい」


 興梠が勧める。そこは依頼者が座る場所だ。

 助手は素直に従った。

 真向かいに彫像のような探偵の顔。斜めに射すステンドグラスの光。

 依頼人はいつもこんな光景を見ているんだな?

 落ち着かない心を抱えて。


「君に伝えなければならないことがある。お嬢さんのために〈最高の絵〉を探すと言う鷲司(わしつかさ)子爵の依頼の件だ。アレは終了したよ」

「へえ! そりゃまたどうしてさ?」

 君のせいだろ? そういわれるだろうか? かまうものか! 

 僕には僕の言い分がある。僕は間違ったことはしていない。

 挑むように志儀は問い質した。

「どうして、突然終了しちゃったのさ? その理由をこの僕にも、ぜひ、教えてほしいな!」

 それから、ちょっと身構えて探偵の言葉を待った。

 探偵の返答は全く予想外のものだった。


「お嬢さんが亡くなられたから」





 どのくらいそうしていたことか。

 漸く志儀の口を突いて出た言葉は――


「……ウソだ!」

「フシギ君、こんなことで嘘は言わないよ」

 宥めるように言う、その探偵の声も辛そうだった。

「君の驚きはわかる。僕だって、驚いたからね」

「で、でも、元気そうだった! あの子……僕らの前であんなにピンピンしてたじゃないか!」

 そりゃもう、手に負えないくらい……

「うん。実際、最近は体の調子は良好だったらしい。ところが4日前の深夜、様態が急変して――侍医も間に合わなかったそうだ」


 子爵令嬢・鷲司薫子(わしつかさかおるこ)の持病は喘息。

 突発的な激しい発作の場合、命取りになることは、この当時珍しくはなかった。


「葬儀は昨日だった。ごく内輪だけで執り行われるとのことで僕も遠慮したよ。改めて後日、君と一緒にお墓に参らせて頂きたいと子爵にはお伝えした――」

 志儀はギョッとして息をのんだ。

 今、助手は探偵の言葉に、もうひとつ、別の意味で戦慄した。


「4日前? 亡くなったのは、〝4日前〟って言ったの?」


 夕方から雨になった夜。

 自分が〈最高の絵〉を抱えて会いに行った、あの夜だ。


「た、大変だ!」


 真っ青な顔で志儀はソファから立ち上がった。


「フシギ君?」

「ど、どうしよう? 興梠さん、ぼ、ぼ、僕、大変なこと――取り返しがつかないことをしてしまった!」





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