第2話
「まあ! 貴方が探偵さんなの?」
そも子爵とは、明治17年発布の《華族授爵ノ詔勅》に拠れば第4位の爵位に当たる。
当鷲司(わしつかさ)家は某摂関家の流れを汲み、現在陸軍や貴族議員に強い足場を築いている、等々は、この際割愛して――
到着した豪壮な大邸宅は1万坪は下らない森(1部は公園)の中にあった。
イギリスは後期ゴシックを代表するチューダー様式。玄関の扁平なアーチがそれを物語っている。
ざっと見て地上三階、地下一階の総スクラッチタイル張り。
その建物の中で1番陽当たりの良い二階の角部屋。そここそ、子爵家の令嬢・鷲司薫子(わしつかさかおるこ)の寝室であり病室でもあった。
広さは20畳ほど。
寄木細工の床に敷かれた繊細なシニョール織りの絨毯。負けじと咲き競う壁紙の花模様。高い天井にはボヘミアンガラスのシャンデリアが煌めいている。
広さを程よく緩和する象嵌を施したウォールナットのピアノ。テーブルや椅子は優雅なヴィクトリアン調で統一され、飾り戸棚にぎっしりと並ぶのはシュタイフのテディベアにビスクドールたち。ガラス細工や陶器の人形も彼方此方に置かれて、まさしく少女の夢から紡ぎだした砂糖菓子のごとき世界である。
天蓋付きのベッドに起き直って部屋の主(あるじ)は挨拶をした。
ただでさえ零れるような円らな瞳をさらに大きく瞠(みは)って、
「驚きだわ! 私、探偵さんって……もっと貫禄のあるおじ様だと思っていたのに……!」
「ハハハ、軽輩で申し訳ない」
一礼の後、興梠(こおろぎ)は直立不動のまま切り出した。
既に令嬢に命じられて執事も女中も部屋から下げられ、周囲には誰もいなかったが。
「単刀直入にお聞きします。薫子様はどのような絵をお望みなんでしょう?」
「怠慢ね、探偵さん!」
柳眉を曇らせて美少女は言った。
「はあ?」
無遠慮な声の主は助手の方。
片や探偵は澄ました顔で、
「とおっしゃいますと?」
「よろしいこと?」
ボビンレースのクッションを抱えなおして令嬢は言う。
「既に私は〈最高の絵〉と要望をお伝えしてありますわ。ですから、早急にそれに沿って絵を探すのが貴方のお仕事ではなくって?」
「は・あ!」
更に大きくなった助手の呆れ声を掻き消すように探偵の深いバリトンが響いた。
「おっしゃるとおりです。でも、どうか言い訳をお許し願えませんか?」
「何言ってんだよ、興梠さん。ここは一つピシッと」
「シッ、いいから、黙っていたまえ、フシギ君」
「いいわ、探偵さん。その言い訳とやらを言ってみて?」
「僕としては貴女(あなた)を心底満足させる絵を探したいのです」
探偵は片目を瞑って見せた。
「何しろ〈最高の絵〉は世界中にヤマほどありますからね!」
「あら?」
流石に吃驚したらしく少女は小首を傾げる。
「〈最高の絵〉はこの世に一つだけじゃないの?」
「10万人いたらその10万人の胸の内に〈最高の絵〉はあります。ですから――10万の〈最高の絵〉が存在する計算ですよ!」
令嬢は唇を歪めた。こんな仕草の一つ一つに愛くるしさが迸(ほとばし)る。
「うまいことをおっしゃるのね?」
「ご安心ください。ご依頼をお受けした以上、僕は貴女の〈最高の絵〉を全力で探し出して見せますよ」
少女の頬が赤く染まったのは気のせいだろうか?
「だから、そのためにも、情報が必要なのです。漠然としていてもかまいません。もう少しだけ、あなたにとって〈最高〉と思えるものについてお聞かせください」
「お教えしてもいいけれど――」
ずっと探偵の上に止まっていた令嬢の視線が揺れた。
「そちらの方はどなたかしら? ほら、そこの仏頂面(ぶっちょうづら)の人よ」
「ぶっ――」
「でも、本当のことでしょう? ああ、なんて不機嫌そうな顔!」
「これは失敬! 紹介が遅れました」
腕を引っ張りながら興梠は言う。
「こちらは海府志儀(かいふしぎ)クンといって、僕の助手です」
「助手? いやだ! 子供じゃないの!」
「何だと!」
もう我慢の限界だ! 堪忍袋の緒が切れた! 志儀(しぎ)は声を荒らげた。
「失礼だな! 君こそ子供のくせに! これでも僕はれっきとした中学生だぞ!」
「中学生?」
鈴を転がす声とはまさにこれ。令嬢はコロコロと笑った。
「まだ中学生? ほうら! 〝子供〟だわ!」
「こ、こ、この」
「フシギ君!」
腕どころか、今まさに飛び掛らんばかりの少年の、今度は腰ごと捕まえる探偵だった。
「落ち着きたまえ!」
「放してよ、興梠さん!」
「同情しますわ」
揉み合っている探偵とその助手の情景を気にもせず美少女は、蕾のような唇をすぼめて言うのだ。
「こんな子供を助手としてお使いになるなんて。探偵さんって、資金繰りが大変ですのね? お見受けしたところたいそうお召し物は素敵でいらっしゃるのに?」
帰りの車中。
「いやあ、吃驚したよ!」
ハンドルを繰りながら興梠は感嘆の声を漏らした。
「全くさ! あんな女の子見たことがない!」
「いや、そこじゃなくて。君をやり込める人物がこの世にいるとはなあ!」
「どういう意味だよ、ソレ?」
大いに憤慨して志儀は頬を膨らませた。
「僕がいつ、あんな風に生意気な口を利いたことがある?」
「――」
「ったく! 何が子爵令嬢だ! これだから、甘やかされて育った世間知らずの子供は手に負えないのさ! 興梠さんもそう思うだろ?」
「うむ。その点においては僕も同感だよ」
とはいえ、令嬢・鷲司薫子に、『午後ならいつでも再訪して良い』との了解を得た興梠探偵社の探偵と助手だった。
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