第3話

 本日の授業が終わり、放課後は何もする事の無い僕は真っ直ぐ帰宅する。

 そして部屋着に着替えて、制服はハンガーに掛けて衣装入れにしまう。ワイシャツは脱衣所の洗濯籠に入れる。

 その後、再び二階へと上がりベランダに干した洗濯物を取り込み、一階のリビングで畳む作業に入る。

「・・・・・・・・・」

 ふと、作業する手が止まる。別に気にする事でもないのだろうけど、日々の作業の中であまり気にしなかったことが、急に目に付く。

 この辺がO型の性格なのだろうか。これが昨日だったら、全然気にしない事なのに今日は変な事があったから。だから、別にいやらしい気持ちや邪まな感情がある訳ではない。そう、偶々だ。偶然にも目が留まったのである。

 姉の下着に。いや、別段気にすることではないんだ。だって、毎日見てるのだから、むしろ飽きている方だ。

 ただ。今、目の前にある下着は何処か雰囲気が違っていた。今までに見た事がないというか、こんなのを持っていたのかと驚いている。

 それはやけに気合の入った下着だった。レース素材で作られたブラとショーツ。黒色だが素材が素材なので、向こう側が透けて見えている。隠すものが隠れていない。

 どこか色気のある官能的な下着。まさか、下着だけでこれだけエロいと思わなかった。それにもまして姉がこんな色の下着を持っていたとは意外だった。

 これが俗に言う勝負下着と言うやつなのだろうか。うん、きっとそうに違いない。普段のフリル付きや水玉模様の下着とは訳が違う。これだけレベルが格段に違う。気合の度合いが違う。別次元と言ってもいい。

 と言う事は、昨日これを履いていた姉さんは、勝負をするつもりだったのか。

・・・・・・・・・・・・・・・。

 いけないいけない。変な想像をしてしまった。何を考えているんだ、僕は。正気に戻れ。

「そうだ、姉さんで思い出した」

 今朝の部屋の惨状を思い出す。本当は休日にでもしようも掃除しようと思ってたけど、予定が入っちゃったからな。今のうちにしておくか。

 畳んだ姉の洗濯物を持ち、二階の部屋に向かう。

 何度見ても変っていない惨状の部屋に落胆しつつも中へ入っていく。とりあえず洗濯物をタンスの中へしまおう。

 次に換気するために窓を開ける。風が吹くと部屋の中の埃が舞い上がるが、香水と芳香剤が混ざった匂いが我慢できない。

 次にテーブルや床に散らかったゴミを処分する。空き缶はスチールとアルミに分別。ペットボトルはキャップとラベルを取り、お菓子の袋と一緒にまとめ、本体は後で水洗いして潰して捨てる。  

 雑誌や本は本棚に戻し、化粧用品は化粧台に置いておく。テーブルは布きんで水拭きしておく。これで床に物がなくなったので、次に掃除機を持ち出す。

 最近、誕生日になって買ってもらったサイクロン式の新型である。今では僕の一番の宝物である。今日もその威力が遺憾なく発揮される事になる。

 一見、綺麗に見えている絨毯でも掃除機をかけると見る見るゴミが吸い込まれていく。お菓子の食べかすや埃や髪の毛がどんどん吸われていく。流石は脅威の吸収力だ。面白いくらいにゴミが溜まる。

 床全体を掛け終えた後は、ぐちゃぐちゃになったベットを直し、これで掃除を完了する。

 朝の悲劇から比べ物にならない程綺麗になった部屋に満足する。最後に窓を閉めて部屋を出て行く。

 時刻は十八時。思ったより時間を使った。夕食の買出しに行かないと。

自室に入り、買い物用のエコバックと生活費を入れた財布を持って、愛用する自転車の鍵を持って家を出る。

 自転車を十分程走らせた所にあるスーパー『氏家』にやって来る。ここは夕方になると生鮮食品が安くなるので重宝している。

 姉さんが働いているとはいえ、学生と言う僕が負担になっている。家は親が一括で建てたので家賃は気にしなくてもいいけど、学費や水光熱費などを支払えば、残りは決して多いとは言えない。

 親が残した遺産が無い訳ではない。少なくとも姉さんが働かなくても、五年は暮らせる位の貯蓄はあった。けど、最初に姉さんと約束したのだ。そのお金は本当に必要な時にしか使わないと。

 母さんと父さんが最後に残してくれた物だから、大切に使うと二人で決めたのである。

 それ以来、僕がお金のやりくりをして一ヶ月を生活している。

 この場合、節約出来るのが食費である。学生の為、広告などに入っているセール品は朝早くに無くなってしまうがので買え無いけど、こうして遅い時間に安くなる食品を求めて、この場所にやってくるのである。

 毎日食べる分を買えば無駄も無いし、生鮮食品だって加工したり、冷凍すれば長く持つ。この十年で会得した事である。

 とりあえずは今日の献立を考える為、食品売り場に真っ直ぐ向かう。

「うーん」

 首を傾げながら食材を見回す。どうも最近は値上がりばかりで困る、

「魚は最近高いんだよな。かと言って肉ばっかりもよく無いし」

 この際だから姉に今晩何を食べたいか聞けばいいんだけど、大抵は「こーちゃんが作ってくれたご飯ならなんでもいい(はぁと)」と返ってくるので問題解決にならない。

「おや、少年じゃないかい」

 生魚コーナーを周っていると女性に声を掛けられる。

「ウチの魚はどれも新鮮だよ。何を悩んでるんだい、少年」

 ベリーショートに捻り鉢巻。小麦色に焼けた肌に白いワイシャツを着て、『大漁』と大きく書かれたエプロンを付けた、猫目が印象的な女性。

 氏家藍うじいえ あいさん。スーパー氏家のオーナーの娘さんで、普段は鮮魚コーナーで魚を捌いている。ちなみにスーパーの方は手伝いで本業はプロサーファーらしい。

「どれも捌いたばかりだから鮮度は保障するよ。今日はヒラメがお買い得だよ」

「ヒラメって。給料日前だと言うのに、そんな高い魚は買えないですよ」

「何だ。また金が無いのかい」

「違います。節約です」

「全く、男の癖に細かいな。ちまちまするなって」

「人事だと思って」

「しょうがないな。では、少し手伝っていきたまえ。そしたらおまけしてあげる」

「本当ですか?」

「もち、おネエさんウソつかないね」

 笑顔で答えてくれる藍さん。

「さっ、そろそろ奥様方が買いに来るよ。バンバン捌いていこう」

「は、はい」

 僕と藍さんが出会ったときもこんな感じだった。

 出会いは数年前。

 鮮魚コーナーでどんな魚を買ったら良いか、如何言う風に調理すれば良いかと悩んで居た時に話しかけられたのが縁た。

 藍さん僕に魚の目利きや捌き方、料理の仕方を教えてくれた。

 それからは親しくなって、偶にお金が足りなくなったりしたら、お店の手伝いをさせて貰って、駄賃の代わりに魚や惣菜を貰った。

 お陰で、魚の調理は手馴れたものである。

「じゃあ、これを刺身にしてね」

 エプロンを付け、手を消毒してると大きな真鯛がまな板に置かれる。

「これはまた大物ですね。しかも天然ですか?」

 綺麗な桃色をした鱗が光る。

「おうさ。今日、私が釣ってきたものだよ。さっき締めたばかりの鮮度抜群」

「僕より藍さんがやった方が良いんじゃないですか?」

「偶には弟子の腕を試してやらないとね」

「これは中々のプレッシャーで」

「変なのしたら許さないからね」

 簡単に言うが、ただ切るだけが刺身ではない。むしろ刺身とは難しい料理なのだ。

 材料の鮮度と調理人の技量が試される料理。

 身の厚さ、切り方、切り口の断面。魚によってその術が違ってくる。

 包丁の切れ味も重要。切れ味の悪い包丁を使いと断面を潰してしまい、身を痛み易くする。

 かと言って研いだ包丁だと鉄の臭いが移ってしまうので、包丁の手入れも大変。

 結構作るのに苦労するんだよな。

「出来ました、藍さん」

 三枚に卸した後、切り身を全て刺身にする。

「うむ」

 それを真剣な目付きで見る。

 一切れを箸でつまむと、何も付けないまま口の中に入れる。

「ふむ、ふむ」

 ゆっくりと味わいを確かめるように噛んでいる。

「うん。流石、少年だ。もう免許皆伝物だな」

「ありがとうございます」

「これは私の腕を抜いたかな?」

「まさか」

 藍さん、魚料理だけは料亭顔負けの腕だからな。僕なんかまだまだである。

「さっ、次々行ってみようか。今日はバンバン売っていくからね」

「はい!」

 

「ふう」

 切り終わった刺身をパックに盛り付けラップを掛ける。

「少年、それで終わりだから。店頭に並べたら終わりで良いよー」

 マグロを解体している藍さんが声を掛けてくる。

「わかりました」

 作った刺身パックを持って鮮魚コーナーに並べる。

「ん? そこの君」

「はい?」

 商品を並べていると、またしても女性に声を掛けられる。

「君、中学生だろう。こんな所に何をしてるんだ」

 僕を呼び止めたのは、スーツを着た妙齢の女性だ。

 僕よりも10㎝程高い身長で、黒くて綺麗な長い髪は後ろで一つに纏めた、右目元に泣き黒子がある、眼鏡をかけた、賢そうな女性だった。

 何の因果か、今朝、暴露してしまった女性と思わせる人が僕を呼び止めたのだ。

 そして、それはウチの学校の生活指導担当の先生だった事に気付くのは、そう時間は掛からなかった。

「佳織先生?」

「私の名前を知っているという事は、ウチの学校の生徒か?」

「ええ、まあ」

「じゃあ、学年とクラスと名前を教えなさい」

「えーっと、一年六組山田康一です」

 先生はそれを手帳に記している。

「知ってると思うが、我が学園ではアルバイトは禁止されているのは解かっている?」

「はい、もちろん...」

 ウチの学園は進学校なのでバイトは全面的に禁止されている。

 この事実は学校に入ったから知った事で、本当なら僕もアルバイトして生活費を稼ごうと思っていた。

「では、君がしている行為はアルバイトではないのかね?」

「それは...」

 言葉が詰まる。この状況をどう説明すればいいのだろうか。

 確かにお金は貰っては無いけど、働いて商品を貰ってる事には違わないしな。

「おや、どうした少年?」

 マグロの頭を持った藍さんが出てきた。何時の間にそんな物を。

「貴女がここの責任者ですか?」

「まあ、そうだけども」

「この子の学園ではアルバイトは禁止されている事はご存知ですか?」

「ああ、知ってるよ」

「では、知っていて雇っていると?」

「雇う? 少年はウチの従業員じゃないよ。ウチの弟子だよ」

「弟子?」

「そうさね。本人は料亭に頼み込みに行ったんだけど門前払い。飲食店で働こうにもバイトは禁止。見かねたウチが魚の捌き方を教えたりしてるって訳」

「そうなのか?」

「ええ、はい」

 いや、本当は初めて聞いたんだけど。

 きっと、藍さんは僕を助ける為に嘘を言ってくれてるんだろう。ここは話に乗っておく。

「だったら何で我が校に入ったの? 他の高校に入学するとか、高校に入らず板前修業するとしなかったの?」

「いや、それは」

「今時、高校卒業じゃないと何処も相手になんてしてくれないよ。後、少年は通える高校が限られてるの。家の都合でね」

「随分とお詳しいのですね」

「まあ、少年とは長い付き合いだからね。何でも知ってるさね」

 かっかっか、と大きな声で笑う藍さん。

「別に金はやってないさ。ただ、手伝って貰ったお礼に余った商品をあげてるんだ。少年の家は姉と二人暮らしでね。色々と大変なんだよ」

「そうでしたか」

 そう言って、手帳を肩に掛けていた鞄の中に入れる。

「しかし、規律は規律ですから。どんな事情であれ、働いていると言うのは見過ごせませんね」

 ですよね。私情で流されるなら生徒指導なんて勤まらないですもんね。

「けど、まあ。これがボランティアと言うのなら話は別ですけども」

「はい?」

「働くこと事態は決して悪くないですからね。社会貢献にもなりますし、学生の時から働く意識を持つのは良い事だと思っています」

 咳払い一つしてこちら見る佳織先生。

「そうさね。これはある意味でのボランティアだね。少年が助けてくれないとこっち困るんだよね。土日の安売りとか人手不足でさ。雇うにも少年程腕を持った人間はそうそう居ないからね、居なくなると困るねー」

 腕を組んで怪訝そうな表情を浮かべる藍さん。

「そう言う事なら大目に見ますが」

「本当ですか!」

「正し土日のみ。ちゃんと学校にボランティア活動の書類を提出するように。あくまで学生は勉強が本分なのを忘れない事。解かった?」

「はい!」

「なら、よろしい。迷惑や騒ぎにならない様に注意しなさいね」

 そう言うと先生は踵を返してお店を出て行った。

 僕は胸を撫で下ろし、安堵の息を吐く。

「すみません、藍さん。助けてもらって」

「なーに、気にするなって。実際、少年が居ないと困るって言うのは本当だしね。これからも頑張ってくれよ」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「うむ、礼儀正しく良し。では、遅くなる前に帰りなさい。今度は警察に補導されるからね。ただでさえ幼い顔してんだから」

 ははっ、藍さんまで僕の顔を弄るか。

「はい。これ今日のお駄賃」

 渡された袋には丸々に太ったイカが二杯入っていた。

「後、これもサービスしちゃう」

 先程切った鯛のアラも袋に入れてくれる。頭まで入れてくれた。

「えっ、良いんですか? 仮にも鯛ですよ?」

「気にしない、気にしない。そん代わりに少しは何かを買って帰ってよ。魚以外にも良い食材はあるんだからさ」

「分かりました」

 その後は野菜売り場に行って、パプリカとブロッコリーを購入する。

 今晩はイカと緑黄色野菜の炒め物と鯛のアラで汁物を作ろうっと。

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