眠り姫-Sleeping Beauty-
紅音イチカ
第1話 「Encounter」
華やかなピンクに色づき始めた春の並木道。高校の入学式を終えた僕たちは、この不慣れな帰り道をたどたどしくも辿っていた。
僕の名前は
新生活に不安ばかりが先行していた僕の高校生活一日目だったのだが、今の僕の胸中には漠然とした安心感が訪れている。
その最たる理由には、隣で平行する青年が大いに関わっていた。
彼の名前は
快活で分け隔てない性格を備えている駿は、僕とは対照的にクラスの中心的存在になるような人物だ。
そんな僕たちが関係を深められた理由は、一重に名簿順へと帰結するだろう。苗字の始まりが「さ」と「し」である為、必然の如く前後の席となった僕たちは、駿の持ち前の性格も相まって話す機会が多くなり、互いに打ち解けるまでそう時間はかからなかった。
そんな中でなんと、再び高校でも同じクラスになれたことが発表されたのである。
掲示板に貼り出された情報からそれを知った僕は、思わず安堵のため息をもらすこととなった。
「ホント、駿と一緒のクラスになれて安心したよ」
「またそれか?相変わらず奏汰は弱気だなー」
僕の何度目かも知れない呟きに、駿は持ち前の明るさで応える。
あっけらかんとした感じで茶化されたが、新しい環境に入るにあたって、知り合いがいるのといないのとでは大分違ってくると思う。
僕のように内気な人間にとってはなおさらだ。
駿は目を覆い隠せる程に伸びた長髪を丁度真ん中で分け、風になびかれては鬱陶しそうにそれを整えた。
そこから伺える彼のルックスはとても美形で、僕は引き立て役として絶賛活躍中だった。
「まぁそれはさておき、高校でもまたよろしくな!」
にひひと破顔した駿は、僕の目の前に拳を突き出してきた。
それを見た僕の表情にも自然と笑みが湧いてきて、「おう」と頷いてからお互いの拳を打ち鳴らす。
僕のなかで運動部に所属した経験は一切ないのだが、駿と一緒に過ごしているうちに、このようなやりとりにもなれていったのだ。
それから他愛ない雑談を繰り広げていく間に、目的の篠ノ井駅が目に入ってきた。
そこから更に二十分ほど電車に揺られて、終点の長野駅へと到着する。
電車から降りるとすでに日は陰っていて、ホームにオレンジ色の光が差し込んでいた。
「奏汰この後ヒマ?良かったら飯でも食い行かない?」
改札口へ向かう道すがら、人ごみに流されながら駿が話しかける。
「おーいいね。じゃあどこいく?」
「サイゼ行くべサイゼ。誘っといてなんだけど、俺、金欠なんだ。」
わざとらしくカッコつけて放たれた駿の言葉は、とても情けなくて思わず脱力してしまう。
駿よ、そんなセリフをキメ顔で言ってもイケメンの無駄遣いだ。
口約束を交わしながら改札を抜けて西口を通り、エスカレーターを駆け下りる。
外へ出ると、春風が冷気と共に僕たちを出迎えた。
「うー、さぶ!長野の春はまだまだ手厳しいですなぁ」
しみじみといった表情で呟く駿に、ジジくさいなとツッコミたかったが、寒暖差の激しい気温の変化に僕も身震いしてしまう。
(もっと厚着してくれば良かったな…)
そんな後悔を抱きつつ歩き出そうとすると、渋い表情を浮かべた駿がそれを遮った。
「ごめん奏汰、ちょっとトイレ行ってくるわ」
「あっ、またお腹でも冷えたの?」
「まあそんな感じ。悪いな」
言葉とは裏腹に軽い調子で告げた駿は、颯爽と駅内にあるトイレへと引き返していくのだった。
駿は以外にも胃腸が弱く、いまみたく温度が急に低くなるような状況では、必ずといっていい程の頻度でお腹を壊していた。
一人取り残された僕は、ただ単に突っ立って待つのも虚しく感じられたので、近くに置いてあるバス停のベンチに腰をかけることにした。
早速座り暇つぶしに辺りを見渡してみると、似通った制服を着た学生が多く行きかっており、喧騒が場を満たしていた。
皆僕たちと同じような、入学式を終えたばかりの新入生なのかもしれない。
そんな思いを巡らせながら眺めていると、ふいに視界の端に入り込む人込みが気になった。
高校生からスーツ姿の社会人まで、それは様々な人々が立ち止って、同じ一点に視線を向けている光景だった。
人数は目算で二十人くらいであろうか。
(なんだろう…あれ)
退屈を紛らわすかのように、好奇心が湧いてくる。
何故だか僕は、その場所へ向かうことを本能的に決めていた。
ベンチから立ち上がり歩き出してみると、次第に様子が明瞭になっていき、微かに聞こえてくる音から、それがどうやらストリートライブであるということに思い至る。
すると半分ほど距離を詰めたところで、
【コバルトブルーになぞられて 変わらない思い確かめる】
【僕らのなかでうまれて消えた 未来もゼロに変わるよ 君の前で】
彼女の歌声がはっきりとした迫力を帯びて、僕の下へと舞い込んでくるのだった。
それは、僕の知らない歌だった。
だが、耳を逸らすことなど、到底出来るわけがなかった。
瞬間、僕を覆い尽くした感情は、ただ単純に衝撃だった。
心臓が激しい鼓動を打ち鳴らす。
残念なことに、僕は彼女の歌を上手く形容できる言葉を持ち合わせてなどいなかった。
だがそれはどこまでも果てしなく、美しい音色であった。
感情が昂ぶっていくのをひしひしと感じる。
しばらく立ち尽くしていて僕は、半ば放心していた意識を取り戻して、再びその場所へと向かう。
それはさながら、光に引き寄せられる昆虫の様であった。
歌声は近付くごとにより力強さを増して、畳み掛けるような歌詞たちに心が震えた。
そこでようやく目的の集団に到着する。
件の歌声も、その中央から聞こえてきた。
胸を躍らせながら、人と人との隙間を掻い潜って進んでいくと、ついに声の主を垣間見ることに成功する。
年齢は大学生くらいであろうか。
ジーンズを穿きカジュアルな服装にまとまった彼女は、アコースティックギターを携え、理路整然とした雰囲気を纏っていた。肩にカールのかかった茶色い髪をのせ、ピンク色のチークが整った顔立ちと絶妙にマッチしている。
そして彼女の歌声と容姿は相乗効果を加速させ、まるで天使が奏でているようであった。
優しくて暖かい、春の音色だ。
「綺麗だ…」
僕の思考はいつのまにか声となってあふれていた。
彼女の演奏に、僕は完全に意識を奪われていくのだった。
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