自由と平等
民主主義の理念を人に聞いたら、恐らく殆どの人が自由と平等と答えるのではないでしょうか。しかし、私はそうは答えません。
何故なら、自由と平等というのは、実は非常に矛盾している事に気付いてる人はいるでしょうか。自由を求めれば、そこには平等は存在しないし、平等を求めればある程度の束縛がある。それは当然の事なんですね。
じゃあ、貴方の考える民主主義とは?
そのような質問をされそうですね。
私の考える民主主義とは。国家は国民の利益を損なわないようにする。そして国民は国家の一員としての責務を考えて行動する。その様な関係が相互に築かれる主義思想が本来の民主主義だと思うのです。
確かに、国民が言論の自由、行動の自由を謳歌するのは許されるべきことだとは思います。しかし、自分の言動には自分で責任を持たねばなりません。そうしなければ、自由ではなく自分勝手、即ち利己になってしまうからです。そう、自由と利己は全くの別物であることを理解していなければなりません。
即ち、民主。この意味は主権者を国民とするということです。つまり、主権者としての責任を持って行動しなさいということです。言動も然り。日本国民として恥ずかしくない言動が求められる。それこそが民主主義なのではないでしょうか。
しかし、現代の社会を覗いてみると、そこには自分さえ良ければそれでいいといったような風潮が強くなっているような気がします。
例えば、家族旅行を会議費の名目で経費精算しようとした都知事さん。政治家というのは民主国家に於いては国民の代表ではなく、国民の代理という意味だという事が分かっていないのでしょうか。確か彼は国際政治学者でしたよね。代議員というのは呼んで字の如しで、住民の代理として意見をいう人のことです。そして知事とは都道府県の役人の総元締めであり、つまるところ地方自治体の公僕の元締めでしかないのです。その人が都民の為でなく自分の為しか考えていないというのは、公ではなく私。単なる利己主義者というのが都民の方々の見方ではないでしょうか。
そのような利己主義者が、ほとぼりが冷めたら再び政権政党から比例代表で代議士に返り咲くのかと思うとこの国の先行きが思いやられますよね。
え、まだ代議士になったわけではないでしょって?
でも、きっとそうなりますよ。なんたって今の政界は、法を犯しても謹慎期間を過ぎれば、何事も無かったかのように復帰できる芸能界と一緒なんですから。
企業も然りです。自動車メーカーが、消費者が購買基準とする要素の一つである燃費を改ざん捏造して売ろうとしたり、廃棄処分するはずの食品をスーパーに横流ししたり、許可された以上に地面を削って知らん顔したりと……。お金が儲かれば何をやっても良いのか、見つからなければ嘘をついても良いのかと聞いてみたくなるような、そんな事件が次から次へと表沙汰になってくる。
もしかすると十年後のこの国は、誇り高き国民から恥ずべき国民に堕ちているのかも知れないですね。気持ちとしてはそうならないで欲しいんですけど……。
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