Take-52 映画『NOPE/ノープ』(2022)は面白かったのか?
(´Д`)ネタバレがあるよ!
イヤな方は映画を観てから読んでね~
さて皆様、夜空、星空、見上げてますか?
N市の野良猫、ペイザンヌでごにゃ~ます。
わしゃはいまだに見上げます。
東京とはやはり違い、長崎は星の見え方がやはり違いますやね。
「星が綺麗だな~」とか「月が綺麗やね~」
まあそんな理由もあるにはありますが、常に頭にあるのは、
「UFOいねえかな……」ですw
衝撃映像なんかでもよくありますやね、遠目に謎の飛行物体がチラチラ映ってるやつ。あんな虫が飛んでるような映像ではイヤなのであります。ふと見上げるとマザーシップ並みのでっかいやつが「バーン!」と、そりゃもうハッキリ、見紛うことなく「ズババーン!」と。そこにいてほしいのであります。
てか、そもそも「なんでわしゃ子供の頃からこんなにもUFOを欲しているのだらう……」と考えると、まあ結局は女の子が大人になっても白馬の王子様を待っているのと同じ感覚なのであろうな、と。『自分の中の既成概念のようなものを一度完膚なきまでぶっ壊してほしい。ああ、もうメチャメチャにして! 私をさらって逃げて!』という願望がめちゃめちゃ強い……のか、どうかは知らんけど、ヘタすると「それが生きてるうちに叶うのであれば、そのまま地球が侵略されようが人類が滅亡させられようがもう構わないやい!」──くらいの勢いすらあります。
まあ、幽霊なんかも極度に苦手なわしゃでありますが、そっちの方も「いるんなら一度ハッキリと! この目で直に見てみてスッキリしたい!」と半ばヤケクソな怖いもの見たさがある。これも同じ理由でしょう。こっちの方はさすがに「私に取り憑いて! 呪い殺して!」などとは思いませぬが……。
んで『NOPE』。(NOPE=「ありえない」という訳で映画の中にも何度か台詞で出てましたが「NO」のスラングというかカジュアルな言い方ですね。ちなみに「YES」の場合は「YOP」と言うそうな)
今年劇場で観た映画も本作で50本目ということでキリもよく、ここらで一本ここに記しておくかな~と。
鑑賞直後、いわゆるファースト・アタックってやつですが、正直、
「こりゃ、やっかいな映画だな」
と思いましたやね。
まあ、映画ってのはどんな作品でもおおよそ上映時間は二時間くらいですがされど二時間にあらずってなもんで。むしろ観終わった直後から新たな旅が始まると言っても過言じゃないのがまた映画。何をしてても「あれはどういうことなんやろ」てな反芻作業を頭の片隅のどこかでやっているような感覚がその後四十八時間ほど続きます。この間、なるべく他の人の考察やら感想は見たくない。まずは自分の中でケリをつけたい。なので鑑賞直後と消化し終えた後の評価が反転することもザラです。むしろ自分などは頻繁に起こります。
おっと、閑話休題。
まず前半、この映画の「え……どこ連れてかれるんだ?」という先の見えなさ、得体の知れなさ、そういったパズルのピースの散りばめ方は半端なくワクワクしましたね、マジで。
こういうのをわしゃは【『注文の多い料理店』方式】と命名しております。「さあさ、よくぞ来られました。ま、奥へ奥へ」と。訳もわからず誘い込まれ服を脱がされていく感覚。「???」となりつつも、塩や調味料を体にすりこまれていき「ああ、きっとこの奥にはそれはそれは素晴らしい料理が待っているのだらう」というあの感覚とまさにそっくりなのであります。そこで想像を越えるドンデン返しがあればもう言うことはありませぬ。完璧です。岩壁の母です。
時折耳に入ってくる「黒板をひっかくような音響」がまた不安さに拍車をかけるんすよね。いい仕事してます。
ジョーダン・ピール監督の前作『us/アス』(2019)など思い起こすと、心理的にめちゃめちゃ不安させる手腕は近年マレに見ぬものだったなと感服しており、ラストも突飛というか「飛躍しすぎだろ」くらいに哲学的で個猫的にはかなり好きな作品でありました。なんならその前のデビュー作、このエッセイでも以前紹介した『ゲット・アウト』(2017)より好きかもしれませんね。
ジョーダン・ピール監督の作品って、なんか「考えるM・ナイト・シャマラン」みたいだなというイメージがいつの間にかついてしまったなとw(シャマラン監督ごめんちゃい)。とにかくまあドでかい大嘘がひとつ真ん中にまずありきですからね~
シャマラン監督の劇第三作目も宇宙人とシンクロニシティを扱った『サイン』だったことを考えるとただの偶然ではないように思えてきますな。
今回も前知識は最低限で挑みましたが、まあ「UFOが中心のストーリー」くらいはさすがに知っておりましたけどね。が、これは観た方の大多数がそうではないかと確信にも似た気持ちがありますが、この映画でいっちゃん怖いのはどう考えても「UFO」ではなく「チンパンジー」だったな、とw
ちなみにテレビ収録中にチンパンジーが突然暴れ出し、出演者を骨格が変わるくらいボッコボコに叩きのめしたあのエピソードは昔実際にあった事件をもとにされてるらしいですな。
まあ野良猫なんか撫でてる時もよくあるんですが、いままでおとなし~く撫でられてた猫が急に大きな音がどこかで鳴ったりすると突然「シャッ!」と爪を立てて豹変することもあるんですよね。あの自然界の生物の「突然何をしでかすかわからない恐怖感」。大筋であるUFOが出現してからも、その恐怖感が今度はそのUFOに上書きされたままで、めちゃめちゃ怖いんよ。そこがウマいやね~
まあ前述した通り、ペイザンヌはときどき夜空を見上げます。
んでですよ。そこにヒョッと何かが飛び去るのが視界に入ったり、またはそれこそ「バーン!」ですよ。実際に、トートツに、何の前触れもなく「ズババーン!」とそこにUFOが「あった」場合、『あ、まさにこんな感じちゃうかな……』と、ちと圧巻でした。大きい劇場スクリーンで観たのも良かった。I-MAXカメラ万歳です。実際にリアルの生活の中で遭遇してしまったら「うむ、やはりこんな感じに違いない」と、かな~り妄想通りの疑似体験ができたのは、もうそんだけで十分、元の1900円はペロッと取り返した感じ。そういう意味で前半のツカミなど「いい意味で」SF映画っぽくない生々しさがあってヒジョーに良かった!
実際、二年前くらいに米空軍でしたっけ? ガチで飛行中にUFOを捕らえたという映像を公開したじゃないすか? なんとなく、いよいよSFやオカルトではなく、実際に人類が「次のステップへ移行しようとする何か」が行われてるんではないかと真顔で考えてしまいそうになる空気感はある気がします。
こんな記事もありました。
『──2017年に米国防総省が行っていた極秘のUFO調査プログラムが明らかになったことなどを受けて、近年このテーマに再び関心が集まっているが、米軍はこれらの物体を「未確認空中現象(unidentified aerial phenomena)」、頭文字をとって「UAP」と呼ぶようになっている』
そうなんですよ奥さん。現在、もはや「UFO」という言葉は過去のもの「UAP」という言葉に変わりつつあるのです。映画の劇中でも言ってましたが「UFOと言うと外野がわらわら寄ってきてウザったくてしようがない。UAPだったら『何だそりゃ?』って人が多いので政府間ではそっちを使うことが多いらしい」なんて台詞はニヤリとするものがありましたな。あくまで「物体」ではなく「現象」ですからね。
映画内に登場するのUFOの造形もなかなか面白く、時に気球やパラシュートとようにヒラヒラになったりするのもいいやね。今までそんなのはなかったかというと別にそんなこたないのだが、今回に限ってはアレを思い出したね。ロズウェル事件のアレ。
「墜落したUFOを回収した」という次の日の新聞に「あれは間違いで観測用の気球だった」って写真w 実は回収された未確認飛行物体も本作のようなUFOだったかも……なんて。いわゆる「死んじゃったUFO」で気球のようにヘニョ~ンとなってただけかも? なんてことを考えたかどうか知りませぬが、UFOの造形の発想の元、もしくはお遊び感覚かもしれないやねw
UFOの内部(口の中?)から見た映像──もよく出てきましたが、地球上の生物にはないような無機物感というか、触手触覚なども食品売り場の共同冷蔵庫の入口にかけてある、冷気を逃がさないためのあの刺身コンニャクみたいなビラビラ──思わずあれを想像してしまいそうなw
これは余談ですが、最近特に思うんですけどね、まあ仮にUFOが本当に存在するとしてですよ? もはやアレって「乗り物」とは思えなくなってきてるんですよね、自分の中じゃ。昭和ならともかく、よくよく考えると宇宙を、果ては銀河をですよ? 横断するのにですよ? 「乗り物」って概念はもう古いというか「なんだかなぁ~」って思いが凄く出てきて。わざわざ乗ってくるって無駄ありすぎじゃね? 電車じゃないんだからって。少なくともドローンタイプ──そう、UFOってワームホールみたいなのを形成できる、そういう類のドローンタイプのマシンなんじゃね?──そういう思考の方が断然強くなってきたんですよね。
これも仮に宇宙人が地球にやってくるとして、とにかく先にそのドローンUFOを飛ばしちゃってですな、先に入口と出口を作っちゃって「どこでもドア」みたいに降り立つくらいの方がまだ理にかなってるような……コストもリスクも少ない気がすんですよね、うん。皆様はどうお考えでしょうか?
さて、最初に「やっかいな映画だな」と書いた理由ですが、コレなんでかというと……ん~、例えばこの映画がコロッケとしましょうか。んでそのコロッケを売るためにはどうすればいいか? と考えるとしましょう……そうなると、よくわからんのですよw
たとえば純粋なコロッケファンなら何のセールストークなしでも喜ぶでしょうや。わしゃみたいな、元よりUFOやオカルト狂い、昔ながらのお粗末なSF映画なんかでも楽しめるってんであればもうそれだけで飯三杯いける。
ただそれ以外の方、ストーリーやどんでん返し、またはドラマや人間関係やテーマなどを求める人がいるとすると……「コレ、他にどこを売り文句にすりゃいいんだ?」って話になんのよねw
なんとなくだがオス諸君はまあヨシとして、丸の内のOLさんとか竹下通りのジャニオタギャルなどは楽しめるのだろうか? と少し不安になる。ん~東中野の弁当屋のお姉ちゃんとかは楽しめそうな気がするな……(どんな偏見?)
ぶっちゃけ内容的には「田舎にUFOが現れて、それを撃退しました。以上!」──なんよw イヤ、ホントに。マジで。外見上はねw
そう「外見上は」なのね。ここ大事!
「まあそれならそれで何も考えず楽しめるじゃん!」とも言えますやね。いや、むしろ、それだけなら逆にどれほどいいか。やっかいなのは監督がジョーダン・ピールということ。これまで黒人の視線から「黒人にしかわからぬ独特の見解」をエンタメ的メタファーを通じて作品を出してきた彼が「それだけなはずない……ぜーったいそれだけじゃないはず!」という確信にも似た「おせっかいな勘繰り」w
通常「エンタメ」のすぐ横には「わかりやすいテーマらしきもの」をそっと置いておくはずなんよ。また、そうでなくともちょっと手を伸ばして、裂け目に腕を突っ込んでゴソゴソ~ッと探ればなんとな~く、作者の言わんとするポイントが見えてくる……はずなのだが。
オホン。結局、行きついたところと申しますか、この映画に対する個猫的結論を言いますね。
「外見上の超エンタメ」部分と「作者の言わんとする地点」この二つの距離がめっ…………ちゃくちゃ!離れている!──ってか、すっ…………げ~遠い!
そんな映画やな、と。
はい映画が終わりました。観てる間は面白い。気にはならない。でも、ともすれば「で……なに?」となり兼ねない映画でもある。実際「なった」人もいるはず。ただ奥の方にな~んかあるのは感覚でわかるんよ。でも手でゴソゴソくらいじゃ届かんのですわ。頭突っ込むしょ? 腰まで入るっしょ? ま~だ見えてこないw
「いやおかしくね?」と。え、なんでそんな「遠く」に置いた?──て感じw
饅頭が目の前にあんのにお茶までの距離が100キロくらい離れてるんよ。「そこまでしてお茶を飲みに行く人がいる?」と観てるこっちが不安になるくらい。かといって「んじゃ饅頭だけ食べとくか」てのも、なんか喉につっかえるのさ、モヤモヤすんのさ!
流し込むためのお茶がいるんよ!
たとえば
・「野生の生物やチンパンジー=黒人たちの歴史」みたいにも取ろうと思えば取れる。勝手に連れてこられて従わされて、突如何かのきっかけで「おかしくね?」と目覚めて暴発する──みたいにも。
・「目を見るな」「上を見上げるな」そんなところにもいろいろ何かの隠されているはず。物理的なもの以外で。
・「初めての映画。馬に乗った黒人の2秒だけのフィルム──黒人は映画の黎明期から黒人はそこに立ち合っていた」これにも意味が必ずある。
・「映画」から「テレビ」を経て「ネット動画」へ。
・「見る側」と「見られる側」の存在。ルール。倫理。
・「まるで動物やおもちゃのように人や事件を使い捨てにするメディア内部やマスコミ事情、エンタメ業界」この辺りも少なからず触れている。
とにかく「ピース」が多い。
さらにはそのピースが一見したところではぴったりと、うまいことハマらんのよ。あえてそうしてるんだろうけど。
とはいえ、今回のこの「UFO撃退映画」に黒人差別がどーのこーの、黒人の歴史があーだこーだと結びつけようとするとかなり強引な感じになるのよ(=ピースがうまくハマらない)。
本作に限って言えば「映画を観ました」=「バラバラのパズルを買いました」てのに近い気がする。別に箱のまま飾っておくもよし、作るんなら「自分で組み立ててね」って感じ。
正直「解説」が必要なエンタメなど本当にエンタメだろうか?──という疑問もあったんよね。というかファースト・アタックで「この映画……イマイチじゃね?」と頭をよぎったのはそこが大きかったすね。
ただ! 悔しいことに「外見上」、この作品は紛うことなくエンタメなのであるw 深く考えろなんて指示はどこからも出されてないのであるw
「ペイザンヌどん! 考え過ぎばい! 別にそんな難しく考えんでよかばい。単純に映画を楽しめばよかとよ~」とさえ言われてるようで、なんかますます悔しいw
「本当にやっかいな映画だな──」
確かにそう思ったのであるが一方「まるでこれはSF界のヌーベルバーグやぁ~!」という食レポ……おっと、もとい震撼を少なからず感じている自分もいたりする。ツギハギのようなシークエンス。意味を持たせない。「なんか面白いからやってみた」感覚。それでいて作り手側は暗喩など用いて計算しつくして作ってる──はず。といったような……
前述の通り、映画を観終わった後「む~今作はちょっと微妙なのでは」という気持ちが強かった。もちろん材料が材料なので個猫的にはめちゃめちゃ楽しめたのだが少なくとも「すすんで人には薦めないかもな──」ってのは今も少しある。
が、結局気が付けばこんなことを書いてるわけでいざ読み返してみると、
「あれ、なんだかんだでけっこう絶賛してね? わしゃ?(;゜∇゜)」
──という自分がまた不思議でもあるw
これだから映画は少し寝かせてみないとわからにゃいね~
( ̄▽ ̄;)
【本作からの枝分かれ映画、勝手に三選】
★『ナビゲイター(Flight of the Navigator)』(1986)
UFOは乗り物でなくそれ自体が生物である──てので真っ先に思い出したのがこの作品。
「UFOは生きていた」まんま、そんなキャッチコピーだった気がする。
ただし、生き物というよりは高性能A.I.みたいな感じであり、主人公を乗せて飛んだりするので結局のところ乗り物やねw
何かの同時上映だったのでついでに観たというかんじだったが、B級SFにしてはなかなか面白かった記憶がある。
さっきwikiってて気付いたのだが『セックス・アンド・ザ・シティ』のサラ・ジェシカ・パーカーも出てたんだな…と改めて気付いた。
★『カウボーイ&エイリアン(Cowboys & Aliens)』(2011)
……カウボーイとエイリアンを戦わせるのは面白そうじゃん──と思ったのだが、蓋を開けてみるとなんとも中途半端な感じだったな~、と。
コレこそまさに完全な「エンタメ・オンリー」と言っていい作品であり、いざ、この映画と『NOPE』を比べてみると、いかに『NOPE』が「外見上エンタメ」であり、より深みのある作品と言った意味がお分かりいただけるかと思う。
原作はコミックということですな。監督はマーベルシリーズのハッピーことジョン・ファブロー。『アイアンマン』などの監督やね。監督・役者、共に多才な方であります。
主演がインディ・ジョーンズ&007だってのにさほど話題にもならなかったような……。なんとなくもったいない作品。
ぶっちゃけ今回の『NOPE』のような迫力で「馬に乗った人vsUFO」を期待してたんだけどね~
★『ニューヨーク東8番街の奇跡(batteries not included)』(1987)
……前述の『ナビゲイター』もそうだけど 「UFO自体が生命体」ってのがこの時代はやってたのかな?w
こちらはクリスマスの飾りのようなちっこい、可愛らしい生命体UFOがたくさん出てきます。
スピルバーグ製作。『ドライビング・ミス・デイジー』でオスカーを獲ったジェシカ・タンデイなどが出演。立ち退きをさせられそうになってる老人たちをUFOたちが救うという現代の童話のようなストーリーで、ぶっちゃけあまり覚えてないのだが、そこそこ面白かった後感はありますね~。
「老人ホームの老人たちと宇宙人」という奇抜な発想はロン・ハワード監督の『コクーン』がこの2年前、1985年に先立って公開されており、そちらにもジェシカ・タンデイは出演しておりますね。UFOに何度も会ったおばあちゃん。羨ますぃ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます