第34話「君ノ孤独ヲ!!」

 ~~~新堂助しんどうたすく~~~




 ひとり取り残された俺は、改めてシロを見た。

 130あるかないかの小さな体。

 真っ白すべすべな肌。

 上質な絹糸みたいになめらかな髪の毛。

 見る者の魂までも奪ってしまいそうな、天使の造形美。


「シロ……」


 床に臥せり、シロは不規則な呼吸を繰り返している。

 薄い胸元を上下させ、時おり背を丸めては咳き込んでいる。


「シロ……っ」


 カヤさんの迅速な処置のおかげで、容態は初期の頃よりずっと安定している。

 とはいえ、心配なことには変わりない。

 苦しげなその表情を見ていると、胸が張り裂けそうになる。

 何も出来ない自分がもどかしくて、死にそうになる。

 

「頑張れ……っ」

 

 手を握って応援した。

 

「負けんな……っ」


 何度も何度も繰り返した。

 ハリョの病に──自我の危機に瀕しているシロの耳に届けって。








 どれぐらいの間、そうしていたことだろう。


「タ……スク……?」


 いつの間にか、シロの目がうっすらと開いていた。

 細い隙間から、琥珀色の瞳がほの見えた。


「おまえ起きたのか……ってか、大丈夫か!? 具合! 平気なのかよ!?」

「ちょ……うるさい……」

 勢い込んで問いかけると、シロは思い切り顔をしかめた。


「ご、ごめん……っ」

 慌てて距離をとった。

 握っていた手が離れた。


「あ……」

 シロは名残り惜しそうな目でそれを見おくった。


「うー……」

 何度か逡巡した後、ちょいちょいと寝たまま手招きをした。


 おそるおそる近づいてみると、シロは毛布を引き上げ口元を覆いながら、「手をおくれ……」とだけつぶやいた。


「あ、うん……」

 差し出すと、ぎゅっと握られた。

 握力の強さにほっとした。

 体温はまだまだ熱かったけど、もう苦しむほどではない。


 ──危機は過ぎ去ったんだ。


「……ま、まあーべつに、深い意味はないんじゃがな。むしろ不快な気持ちにしかならないんじゃがな」

 シロは照れ隠しのように、下手なジョークで笑った。

「タスクごときでも、ホッカイロの代わりぐらいにはなるだろうよ、そういうことじゃ」


 まったくいつも通りの、シロの笑顔。

 何事も起こらなかったかのような、俺たちの関係。


 だけどカヤさんの言葉の通りであるならば──


 こいつは急速に、俺を好きになり始めているはずだ。

 自身のものではない感情を、それがさも唯一無二のものであるかのように、信じさせられているはずだ。

 運命の恋人とすら、思っているかもしれない。


 オレゴトキヲ。

 コンナオレヲ。


「……どうした? タスク」

「や、別に……」

「泣きべそをかいておるように見えるぞ? なんじゃ、夢見でも悪かったか? 例の母上様のことでも思い出しておったか? 寂しいよう、会いたいようと」

「んなこと、ねえよ……っ」


 気取られないよう、そっぽを向いた。


「ひっひー。ならばそういうことにしておこうかのう?」


 いたずらっぽく笑うシロの、わずかにやつれたような表情が。

 痛々しくて、見ていられなかった。


「まったくタスクは、わらわがおらんとダメなんじゃから」

「んなことねえよ……」

「たった二日なのに……きっとあれじゃな。ひと目ぼれというやつじゃな。どうせ寝てる間も、わらわのダイナマイトボディに釘づけだったのじゃろう。この変態さんめ」

「んなことねえよ……」

「いや、そこは否定するところじゃなかろうよ!?」


 シロのつっこみに、乾いた笑いを返すことしかできなかった。


 軽快なやり取り。

 俺に向けられる、ほのかな好意。


 どこからが本来の・ ・ ・シロのもので。

 どこからが矯正された・ ・ ・ ・ ・シロのものなのか。


 それは誰にもわからない。

 おそらくは、シロ自身にすらも。



 しばらくそうしていると、シロが先に口を開いた。

「こっちでも……やはり雨は降るんじゃなあ……」

 締め切られたカーテンの向こうに、ぼんやりとした目を向けた。


「そりゃまあ……な。シロのとこでも降るんだろ?」


 およそ生命と呼ばれるものにとって、水は不可欠のものだ。

 恒星からの熱放射と、適度な公転軌道。

 液体としての水。水の循環。

 それなくしては存在し得ない。


 神像世界ミストにだって。

 花園世界フローレアにだって。

 略奪世界ペトラ・ガリンスゥにだって。

 等しく雨は降るはずだ。


 量や質は違うにしても。

 色や匂いは違うにしても。


 シロはこくりとうなずいた。

「……クロスアリアはな。貧しいところなんじゃ。武力が無い。他を圧倒する知識も、財力も無い。資源も自然も、生きていけるギリギリの量しか無い。祈り願うぐらいしか、他にできることが無い。じゃから祈祷世界と呼ばれてた」

「……」

「そのくせ、貧富の差は激しいんじゃ。一部の特権階級が富を独占しておってな。貧しい者は貧しいまま、その日その日を生き抜くのが精いっぱい。生き抜けぬ者も、当然おったよ。救えぬ命も、たくさんあったよ。……じゃからこそ、いと貴き身として、わらわは民人たみびとを救わねばならぬ。『嫁Tueee.net』を勝ち抜いて、クロスアリアの順位を上げて。通貨の価値を高めて。あまねく世界中に、富を再分配せねばならぬ」


世界中・ ・ ・……?」

 俺は思わず息を飲んだ。


「どうじゃ、そなたの嫁はスケールが大きかろうが」

 シロはニッと目を細めた。


 自分の家族だけじゃなかった。

 自分の村だけじゃなかった。

 カヤさんの理解の遥か先に、シロはいた。

 

「カヤに何を吹き込まれたかは知らん。じゃがタスク、難しく考える必要はない。しごく単純な話じゃ」 

 シロは優しい目で微笑んだ。

「わらわとそなたは、仮初めの夫婦にすぎん。互いの目的を叶えるための相棒にすぎん。還俗すれば、わらわにも自由結婚自由恋愛が許される。その時まで、せいぜい仲良くやっていこう。それだけの話なんじゃ」


 ──じゃからそんなに、気に病むな。

 ──あははと笑って、流しておけ。

 ──人生の何分かの一、犬にでも噛まれたと思って……って誰が犬じゃ!


「だってシロ……っ」

「……おいおい、おかしなことを考えるなよ?」

 諭すような瞳で、シロは俺を見た。


「もしそなたが何かを気に病んで、夫としての役割から降りたとしても、それでわらわの運命が変わるわけじゃない。次の相手を探すだけじゃ。そなたと違う、別の相手と契約を交わすだけじゃ」


 ──でもそうじゃな……。

 シロは一瞬、考えこむようなしぐさをした。


「またぞろ、どこの馬の骨かもわからぬ男と唇を重ね、抱き合い、睦言むつごとを囁く。それぐらいなら、わらわは……」


 ──そなたが、いいのう……。

 はにかむように、微笑んだ。









「……っ」


 その祈り・ ・ ・ ・は、ズドンときた。

 まっすぐに俺の胸を貫いた。

 

 愛おしい。

 大好きだ。

 幸せにしてやりたい。

 この小さく可愛い生き物を、めちゃくちゃにしてやりたい。


 身を張り裂かんばかりの衝動がこみ上げた。


「そんなの……っ」


 歯を食い縛った。

 腕を掴んで必死に激震を抑え込んだ。


「ずっりいよ……っ」


 ダメだ。

 まだダメだ。

 勢いに流されちゃいけない。


 こいつのことをホントに大事に思うならばこそ、一時の衝動に身を任せてはいけない。


 俺はヒーローじゃない。

 俺は英雄じゃない。

 火裂東吾ひざきとうごにゃ、なれやしない。


 だからこそ──


「……シロ」


 だけどでも──


「……シロ、俺はおまえのことが、もっと知りたい……っ」 


 そうすれば、もっと円滑に合一化出来るから。

 シロの心や体にかける負担が減るから。


「おまえを知って、俺のことも教えて……っ。それで……そうして……っ」


 拳をぎゅっと握った。

 震える自分の膝を、思い切りどついた。

 全力で発破をかけた。


 俺はまだ・ ・ヒーローじゃない。

 俺はまだ・ ・英雄じゃない。

 だから・ ・ ・ どうした・ ・ ・ ・

 火裂東吾なんかに・ ・ ・ ・、なる必要はない。


 にいぃぃぃ……っと。

 精一杯、笑顔を浮かべた。


「──俺に・ ・、惚れさせてやる」


 矯正された愛情でなく、強制された思慕でない。

 ただ純粋な、俺への好意。

 それを、引きずり出してやる。


 なあシロ、それならいいだろ?

 他ならぬこの俺が、おまえの目をこちらに向けてやるんだ。


「俺は冒険者になる。多元世界を股にかけるヒーローになる。誰もが恋い焦がれ憧れる、唯一無二の、最高の英雄になる。だからシロ、俺を見ろ。黙って俺に、ついて来い──」


「……っ」


 シロは最初、ぽかんと口を開いていた。

 ぱちぱち目を瞬いて、戸惑っていた。


 だけどやがて、花が綻ぶように──

 まるで本物のお姫様がそうするみたいに、微笑んでくれたんだ── 

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