第4話どこにでもついていきます

いい匂いが漂ってくる。なにかを焼いている香ばしい匂い。

フライパンで油の弾ける音がする。それにかちゃかちゃと鳴る

調理器具の音。大学に進学する前、まだ高校生だった頃、実家で

よく聞いた音だ。



俺はまだまどろみの中にいた。なにかの夢を見ていた気がする。

どんな夢だったかは思い出せない。現実と夢の境界。

この境界を漂っている時間が好きだ。嫌なことも嬉しいことも

なにもない。なにも感じない。この境界から抜け出して起きてしまった時、

いつも悲しくなる。目が覚めて、ここは現実だと知らされる。

そして現実での俺は孤独だ。起きて今日も俺は一人ぼっちなんだと

思い知らせれる。



だんだんと意識がはっきりしてきた。まどろみが終わり現実が迫ってくる。

まだ半分程度しか開かない目を手で擦る。視界もはっきりしてくる。

それと同時に聴覚も。そして五感全てがはっきりしてきた。


俺はさっきから漂ってくる匂いと音が、キッチンから来るものだとやっと理解した。

その方向に目をやると少女の後ろ姿が見えた。一瞬まだ夢の中なのかと思ったが、

すぐに思い出した。そうだ、魔法少女を雇ったのだった。そしてその魔法少女は

俺の家に居座っている。


渚はなにか料理を作っているようだった。余計な気遣いをしなくていいのに、と

思う。昨日も渚にいったが、なんでもしてくれる家政婦を雇いたかったわけではない。

自分で出来ることは自分でしたい主義なのだ。もちろん、料理を作ってくれる

のはありがたいし、素直に嬉しいが、なんだか悪い気がするのだ。

友達を作る為に雇ったのに、他のことまでしてもらうなんて贅沢な気がした。


ベッドから体を起こすと、渚がこちらに気づいたらしく、声をかけてきた。


「おはようございます。今朝食を作っているのでもう少し待っててくださいね」


「余計な気遣いしなくていいのに」


「私が作りたかったんです。迷惑でしたか?」


「いいや、そんなことはないさ。ありがたいと思ってる」


「それはよかったです」

渚はそういうと、また料理作りに戻った。


俺はベッドから起きだしてテーブルの前に座り、タバコに火をつけた。

煙を深く肺まで吸い込み、吐き出す。ニコチンが吸収され、脳全体に

行き渡ったようだった。


丁度タバコを吸い終え、灰皿で火を消したところで、渚が朝食を運んできた。

ベーコンエッグに味噌汁、白米、それにちょっとしたサラダ。


「本当はもっとちゃんとしたものを作りたかったんですけど、冷蔵庫に

あまり食材がなかったものですから、これぐらいしか作れませんでした」


「これで十分だよ」

こんなまともな朝食を食べるのはいつ以来だろうか。俺は基本的に朝食は

めんどくさいから食べない。食べても、大学に行くときにコンビニに寄って

おにぎりを一つ買うかどうかだ。


まずは味噌汁から飲んだ。出汁がしっかりとってあってうまい。


「どうですか? 食べられますか?」

とな渚が心配そうに訊いてくる。


「うん、うまいよ」

すると、隠し味に魔法を使ってますからと真顔でいってきた。


「あんたでも冗談をいうんだな」


「本当のことです。女の子はみんな、だれかに料理を作るときは魔法を使うもの

なんです」


「そういうもんか」

渚のいう通り、料理はまるで本当に魔法がかけてあるのかというぐらい、おいしかった。

一人の女の子が俺のために作ってくれたという魔法なのかもしれない。

母親以外の人が料理を振る舞ってくれたのは初めてだった。

だれかの手料理を食べるというのはいいものなんだと知った。


二人とも朝食を終えると、俺は後片付けをしようとしている渚から皿を奪い、

自分で流し台に持っていった。


「いったろ? 俺は別に家政婦を雇いたかったわけじゃないって。後片付けは帰って

きてから俺がやるよ」


「帰ってきてからって、今日はどこかに出かけるんですか?」


「ああ、大学にな。その後は夜からアルバイトだ」


「大学生だったんですね。それにしても、大学生でよく私を雇えましたね」


「ずっと将来のために金を貯めてたからな」


「将来起業でもするんですか?」


「そういうわけじゃない。不安だったから貯めていただけだ」


「そうですか、随分悲観的なんですね」


「なんとでもいってくれ。不安定な世の中だ。俺と同じような不安を抱えている

やつは多いだろう」


「魔法少女の私にはよく分かりませんね」


「俺にも魔法少女のことはよく分からないね」

そう渚に返事をしてから、大学へ行く準備を始めた。といっても歯を磨いたり、

着替えたりするだけだが。


準備を終えて玄関を開ける。すると渚も当たり前のようについてくる。


「やっぱりあんたもついてくるのか?」


「仕事ですから」

俺は溜め息をつき、大学へと向かった。

今日は雲一つない快晴だった。気温も丁度いい。だが、この季節は夜冷える。

大学へは歩いて三十分といったところだ。気持ちのいい天気の中歩くことは

俺の気分を晴れやかなものにしてくれた。



大学に着くと渚が少しはしゃいだ気持ちを抑えるようにしてこういった。


「ここが雨宮さんの通っている大学なんですね。大学って私初めて来ました」


「魔法少女で大学に通っているやつはいないのか?」


「いないです。魔法少女はみんな専業なんですよ。それが規則ですから。

だから高校に通いながらとか、大学に通いながらとか、そういう人はいません。

私も中学を卒業してすぐに魔法少女になったので高校も通ったことないです」


「魔法少女って色んな規則があるんだな」


「はい。ですからちょっぴりわくわくです」

いつもの冷めた感じとは違って嬉しそうにしている。意外な一面だ。

そう考えると、渚はごく普通の女の子なんだなと思った。


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