第71話

 水曜日。

 その日もぽかぽか陽気が続いていた。空は雲一つない晴天となっていた。

 その中、高いフェンスとコンクリの壁に囲まれた広い敷地の真ん中あたりに、郊外のサナトリウム或いは老人ホームそっくりな四階建ての白い建物がひっそりと建つ。その庭先にシルバー色をしたセダンと青色のヴァンが並んで止められていた。

 そしてその二階の一室では、地味な色柄のワンピースを身に着けたパトリシアが肘掛けが付いたイスに、ビジネススーツを着たゾーレが倒せばベッドにもなるソファに、それぞれテーブルを挟んで腰掛ける姿があり、軽い会話が弾んでいた。


「よくもまあ、わざわざ来る気になったものね。普段なら私を呼ぶくせに」


「ああ、そのことかい」いつもながらゾーレは何食わぬ顔で応えた。


「実はフロイスに勧められたんだ。お前の豪邸を一度見てきて損はないと言われてな」

 

「ああ、そう」とパトリシアは頷いた。


 二人でやって来たところを見ると、どうやら途中まで彼女に車ごと送って貰ったようね。

 事実、フロイスはゾーレと一緒にやって来て、「ゾーレから聞いたよ。例の件は引き請けることにした。日時は準備が整い次第に話すからね」と吉報をもたらすと、十分くらい前にどこかに去っていた。


「確かに素敵なところだな。良い買い物だと思う。だがこれだけ広いと管理が大変そうだけどな。お前一人では手に余るだろう。やはり使用人を何人か雇わないとな」


「ああそのことは私も分かってるわ。でもそうそうできるわけないでしょ」


「まあ、それはそうだな。あ、そうそうフロイスから聞いたのだが、周りが全て空き家だってな」


「ええ」


「よくもまあ、こんなへんぴなところに住む気になったものだ」


「それはあなただって言えた義理はないわ。あなたの自宅だって周辺には家が一件もないじゃない」


「俺のところはその気になれば人家があるところまで十五分もかからない。それに対してここはかなりな山奥にあるようだな。それから見て、どうみても不便だろう」


「そんなの五十歩百歩よ」


「そんなことはない」


「いやそんなことあるわよ。それに元々ここを勧めて来たのは彼女よ。私だけの一存で決めたわけじゃなくってよ。彼女が格安で良い物件があるから買え、段取りは任して置けと言って来たから買ったわけよ。文句があるなら彼女に言えば良いわ」


「あいつか、あいつがか……」


「そうよ。これで分かったでしょう。私は彼女に乗っただけよ」


「道理で。あいつが、どういうわけかこの辺の地理に詳しかったので変だなと思ったが、そういうことだったのか……」


「それよりも、重要な事ってなーに?」


「ああそのことだが……」


 そう言いかけて、ゾーレは出し抜けに大きなあくびを一つすると、何かを思い出したように、


「その前に、ちょっと待っていてくれ。直ぐに戻る」


 そう告げると、直ちにソファから腰を上げて部屋を出て行った。

 そのことについて、パトリシアは何か忘れ物をしたのかしらと思ってじっと待っていた。

 昨夜のこと。「明日の午前中に重要な要件でそちらへ寄せてもらおうかと思っている。だからその日は全ての用事をキャンセルしておいてくれ」との要請がゾーレからあり。準備して待っていたところに二人がやって来たのだった。

 するとしばらくして「すまなかったな」と言いながら戻って来た。


「実は、この頃忙しい日々が続いていてな。油断すると、つい生あくびが出るのだ。ちょっと車まで戻って気合を入れて来たからもう大丈夫だ」


 そう晴れやかな表情で話したゾーレの口の息からミントの刺激的な香りが匂った。パトリシアは、先ほどまではそのようなことはなかったのにと不思議に思ったが、それまでの不愛想からどことなくすっきりした雰囲気に代わっていたことに、なるほどと頷いた。その香りを何となく知っているような気がしたからだった。

 あの様子とこの強烈な香りからして、そう、これは深夜に働く人や車の運転を仕事にする人が眠気冷ましや酒の酔い冷ましに良く使っている例の栄養ドリンク剤じゃないかしら。

 規定量を守り習慣的に摂取しない限り副作用はほとんどないので私も良くお世話になっているから分かるんだけど、即効性がある代わりにハーブが主成分だけあって飲んだ後の臭いが半端じゃないのよ、口の息は言うに及ばず体中の毛穴という毛穴からハーブのエキスが噴出してきて周りにその香りが発散するのよ。おそらく眠気覚ましに持ってきていたのね。


 医師的見地から曲がりなりにもそう判断をしてパトリシアはかまをかけた。 


「ねえ、相当お疲れのようね」


 果たしてゾーレは素直に「まあな」と応じると言った。


「ちょっと車内に置いていたドリンク剤を飲みに行ってたのだ」


 部屋を出て行った理由を正直に打ち明けたゾーレに、パトリシアはにらんだ通りだわと薄く微笑んだ。


「ふ~ん、そうだったの」


「ああ、効き目が抜群でな。もう大丈夫。すっかり目が冷めたよ」


 ゾーレはにっこりと微笑んだ。そしてふと思い当たったのか、「それもそのはずだ」と公言すると、わざわざドリンク剤の製品名を出し、「今でこそ、このドリンク剤の製造元は有名な製薬会社になっているが元の製造パテント(特許)は開発した総裁が持っていたのだ。それを財団設立のとき地元の企業へ売却し、巡り巡ってこの会社の主力商品になったわけさ」


 などと裏話を自慢げに披露した。

 パトリシアは、総裁つまりゾーレの母の兄、シュルツとは一度も面識がなく、内心ちょっと当惑したが、ここは感心したように合わせた。


「ふ~ん、そうだったの」


 ゾーレは少し寂しそうに笑うと言った。


「あいつ等から既に聞いていると思うが一時休眠状態だった組織活動を再開することに決めたんだ。

 まあ、そのことについて初めはぐだぐだと面白くない話を脈絡無くするが後で全部がつながるから聞くだけ聞いてくれ」


 そう告げると、――組織を解散して五年ほど経つが、再び全員揃って世間で活動するのはまだまだ解決しなければならない問題があって今すぐにはできないと思っていたがお前(パトリシア)に会いにきた義理の妹により話が急転した。そのことで手伝って欲しい。ただし気を付けて欲しいのは彼女(義理の妹)の目的がただ単にお前に会いに来ただけなのかだ。そこがどうしても腑に落ちないのだといった内容の話をおよそ十分ぐらいかけて理屈っぽく喋った。

 しかしパトリシアには、何のことやら分からず。一体それがどうして重要なことなのよ、ときょとんとした。それを察したのか分からなかったがゾーレがようやく話し始めたのは、五年以上前に起こった、たった三日間で数百万に及ぶ人々が亡くなった悲劇とシュルツ達の関わりだった。

 しかも、前置きが長い上に話が回りくどいゾーレらしく、「それには俺の母の兄であるシュルツについてのことから語らなければならない」と言って、律儀にもシュルツが残した業績から順序良く語り始めていた。

 だが彼女にとって、そのような話はまたしても出だしから全然興味が湧かないものだった。苦痛以外の何ものでもなかった。だがしかし、当初の彼の言葉、「面白くない話だが聞いてくれ」を思い出すと、仕方がないわねと半ば諦めて、テーブルの上に手を組む姿勢を取って熱心に聞く振りをしていた。


「シュルツが職場の同僚三名と会社を設立したのは六十歳を過ぎてのことだった。それは二十年以上も前の当時でも、今現在でも起業家としては極めて遅い出発だった。だがしかし、その当時彼が最初に開発した薬品は小企業が売り出したものとしてはその年の最高の売上を記録し、会社の一年目からどんなに生産しても需要が減ることがなく、相当儲かったという話だ。

 何しろその一年の収益だけで、のちに第二本社となる建築されて二十年近く経っていたが十階建て建築の立派なホテルと、これも新古だったがペンシルのような形状をした十五階建ての商業ビルをキャッシュで買ったというのだからな。そのことだけでもどれだけ儲かっていたか分かるというものだろう。

 それで会社は一年も経たぬうちに社員数をパートも含めて三十人規模から、多くは縁故つながりだったが二百人近くに増やしたそうなんだ。普通なら次にすることと言えば建物を増改築するかよその企業を買収するか下請けを増やして生産性を上げることなのだが、そこには会社特有の諸事情があってな。

 実は、会社は新商品の開発だけを行うだけで自社生産工場を持たぬファブレス方式を取り入れていて、しかも自社ブランドを持たぬOEM依託企業だったわけなんだ。

 これらの利点はお前も知っていると思うが、初期投資が少なくて済み、また販売が国の垣根を越えてどこでも販売できるということだ。その代わり、知名度は全くと言って良い程ないということだ。つまり総裁は小企業が成り上がって行くための手法の一つ、企業のイメージより販売実積を優先したんだ。ま、それはどこでもやっていることだから悪くはないが。だがなぜか総裁は会社を整理することになるおよそ十年後まで、それを改めようとはしなかったのだ。それには、ある事情があってな」


 ゾーレはそこまで話すと一旦言葉を切り、テーブル上に前もって置かれていたバターケーキやらタルトやらロールケーキやらクッキーといったスイーツが山盛りにされた大皿と麦ととうもろこしから作った熱いお茶が入るポットと琥珀色をした透明な液体が入るマグカップの中から、ほんのりと湯気が立ち上るマグカップに手を伸ばし、口を湿らせる程度に一口だけ飲んで尚も続けた。


「それはな、今考えるに会社の理念にあったのだと思う。総裁の経営理念というか方針は、よその企業の理念のほとんどが、“顧客第一主義”“顧客とともに成長する”“夢に挑戦”“雇用を創造する”“人類の幸せに貢献する”“社会の進歩発展へ貢献する”“良き人材の育成”と云った歯の浮くような表現をしていて、その中に偽善が見え隠れしていたり、本音と建て前を使い分けていたりしているのに対して、“前を向いてばかり行くのではなく、たまには後ろ向きにでも事をなそうではないか”と云ったユニークなものだったのだ。

 つまり結論から言えば、はなから事業を一生を賭けてやるつもりは総裁にはなかったということだ。

 普通、事業を伸ばしたいのならずっと大企業の陰に隠れていることを望まないし、ブランド名も欲しいし、利益も永遠に独り占めしたい筈だ。だがそれをしなかったことから伺える。

 たぶん会社を興したその当時からそういう考えがあったのだろうと思う。

 それでも会社は一年目の成功後も斬新なアイデアや改良を行い、皮膚の治療薬・前述のドリンク剤・花卉の品種改良剤・各種触媒・抗菌消臭剤・キレート剤・不活性の人工脂肪・胃腸洗浄剤・骨の接着剤、電池のリサイクルシステムの確立と次々と堅実にヒットを飛ばして行き、業績も常に右肩上がりだった。そして満を持したように会社を整理して蓄積した資金で自分の名を付けた財団を設立し総裁に赴任すると、慈善事業へと入れ込んで行ってしまったんだ。これには社員の方は予めそういう話を伝えられていたので問題はなかったが、多くの取引先が困ったようで。

 というのもな、会社が依託する品物は製品、半製品にかかわらず世間の生活に必ず必要であると言えばそうでもなかったが、どれもが無いより有る方が便利だという特徴を持っていたんだ。それで堅実に売れると人気があったらしい。どこもが、『そのような利用価値のないものに全私財を投入したところでどうになる。もっと有効なものに投資すべきだ』とか『どのくらいの大金であっても広く広範囲にばら撒けばちっぽけなものだ。ろくなことができない。個人で持っていてこそ価値がある。あるのだ』とか、また別な穿った物の考えで、『確かに貧乏人から広く浅く取るのは莫大な金儲けにつながるかも知れないが、ただ初期投資が莫大過ぎる。止めておく方が無難だ』と説得して金のなる木を手放すまいとしたようなのだが、結局、ご覧の通りだ。総裁を含めて従業員全員が例の国境地帯に向かうことになったのだ。

 あの当時。と言っても今もそうだが、不安定な世界情勢は幾つもの矛盾を作り出していた。その大きな一つは失業者と難民の問題だ。そういうと今でも景気が良くなくて同じようなものじゃないかと言うかも知れないが、当時はちょうど景気の狭間で、国によっては存続するかしないかの危ないところもあったぐらいの時代で、どの国もどん底の財政を回復させるためと称して紙幣の増刷や増税をはかり、景気対策といって公共事業を増やす政策に出ていたし、銀行は銀行で合併と債権回収と貸し渋りに走り、企業は企業でM&Aとリストラと給料カット。そのあおりを受けるかたちで一般庶民は益々貧乏になった。はっきり旨みを得たのは国家を牛耳る権力者とその関係者達、彼等と手を組んだ企業と投資家グループ。あとは裏表で暗躍した密輸ブローカーや買占め業者や犯罪組織ぐらいなものだった。

 当然として、どの国も失業者が大量に出たところでその対策は一切取らず、よその国で自然災害や内乱で多量の難民が出ても民間に任せっきりで援助の一つもしなかった。おまけに国内に失業者や難民が多くいることを意図的に隠す国さえあった。

 総裁はそのことを日頃から気にかけていてな。それでその中でも、失業者の方は政府の内政問題だと言って切り捨て、難民が多く集まって物乞いのような生活をしていると聞いていた例のあの地区へ行くことに決めたようなのだ。あの時ばかりは、俺も、さすが総裁だ、思い切ったことをするものだと思ったよ」


「ふ~ん」


 パトリシアは少し冷めた笑みを浮かべた。しかしゾーレは、話に夢中になっていると見えて上の空といって良く。あごの下に手を当て不敵に微笑みながら続けた。


「援助物資その他諸々の準備を整えて現地へ入って見て、木どころか草一本も生えていない荒野のそこら中にバラック造りのほったて小屋が、まるで太陽パネルが割れて飛び散ったようにずらりと無秩序に建ち並んでいたのは予想した通りだったのだが、中身が違っていて驚いたな。

 そこでは住民が仲良く助け合って暮らしているとそれまでは思っていたのだが、甘い希望だったな、あれは。とにかく酷かった。見てびっくりだ。何と住民同士がグループを作りいがみ合っていたんだ。大声でののしり合い、けんか、強盗、縄張り争いは日常茶飯事で、時にはそれが原因で殺人さえ普通に起こっていた。まさに弱肉強食の世界が展開されていた。

 だが直にその理由が分かった。原因は肌の色の違いや民族の違いや宗教の違う住民が少ない援助物資と不足した住宅を奪い合っていたからだったのだ。

 それを見た上で直ぐに俺達は取りかかった。だが、その前にやって来ていたその手の支援団体みたいに誰にでもタダで物資をくれてやることはしなかった。俺達がタダでくれてやるのは洗剤やデオドラント(消臭剤)ぐらいなもので、それ以外は医者の診断で働けないと分かる場合に限定したんだ。その代わり俺達はそこで現場作業員の募集をした。つまり、働きに応じて現物か給料を出す制度にしてみんなに自立力をつけて貰おうとしたのだ。これだと住民もタダで貰う場合と違い後ろめたさがないだろうと考えてのことだ。また、働き口がないと犯罪に走り易い若い連中の動きを封じる意味合いもあった。

 思った通り、男だけでなく女も老人も子供まで、たくさんの人間が集まってくれた。そこで本来なら車が運転できるとか特殊な機械が運転できるとかの技能のある者と何もできない素人とを分け別々に作業に当たらせるのが普通なのだが、俺達は意欲のある者には技能見習いとして技能者と一緒に作業して貰おうと考えたんだ。そのやり方は給料が少ないのにもかかわらず技能が学べるとすこぶる好評で。

 そうして六ヶ月ほどで不足していた住宅の他に役所・警察署などの行政機関の建物、スーパーマーケットに酒場に小劇場、工場の建屋にゴミ焼却場を利用したミニ発電所まで建設した。もちろん学校や病院も新しく建て直した。一年も経った頃には墓地や火葬場まで作り、周りに植樹までして、大体のものはほとんど揃えた。それにより、遠くの避難区域からの住民も自然と集まり、これといって目ぼしい資源がないし、主だった産業も見当たらない。といって自給自足ができている訳でもないのに経済がどうにかこうにか回り始めたんだ。

 その結果、始め四、五万だったその区域の人口は瞬く間にその数十倍に膨れ上がった。だが、その蔭でこちらの資金が底を突きかけてきたんだ。財団の会計を任されていた人物から俺が得た情報だから言えるんだが、総裁が準備した資金はおよそ五百から六百億ドルぐらいあったそうなんだ。だが一年目のばら撒きで相当な額が建物の建設やインフラや住民の援助に使われたらしく、そのとき既に三分の一に目減りしていたようなんだ。

 本来なら、そこまでやったのだから後は資金が無くならない内に、住民の好きなように任せて撤収するのが得策なのだろうが、そうもいかない事情が起こってな。

 本当に馬鹿馬鹿しいことだが、俺達が援助を打ち切って帰ってしまうという噂が流れて、今度は先にいた住民と後からやってきた住民との間で利権争いを演じ始めたんだ。それは俺達がいる内は小競り合い程度に見えたが、いなくなれば間違いなく本物の争いになる兆候だった。

 そこで実施したのは、それまで行政団体に箱物や整地した土地をタダで引き渡していたことを止めて全て貸与にして、いずれ社会が安定したなら掛かった費用を全額返して貰うことを約束させたんだ。それからもう一つ、宗教色を排除した寄宿学校を新たに作り子供達に集団生活をさせることにしたことだ。こちらの本音は子供に集団生活をさせることで互いの認識を深めて貰い、親達みたいな争いを未然に防ぐのが狙いだったが、親達は、寄宿学校制度は子供に最高水準の教育を与える制度だと全員知っていたからすんなり事が運んだ。

 特に寄宿学校という案は総裁もかなり気に入っていたようで、暇を見つけては学校のできばえを見るために足を運んでいたらしい。ま、誰だって子供の無邪気な笑顔や姿を見ると心が休まるし元気が出るからな。特に年をとるとそうだ。余り熱心に毎日出掛けるので、俺の母親が『何か探し物でもあるのですか?』と冗談半分に聞いたときがあって、そのとき総裁は、余程子供が可愛かったと見えて、『夢枕に十歳ぐらいの黄金の目をした女の子が現れて何か言いたいそうなのだ。それでちょっと気になって、捜して会ってみたくなってな』と、苦しいジョークで返してきたぐらい子供が好きだったみたいなんだ。

 まあ、不思議なものだが、そうやってから住民同士の争いが沈静化すると、資金の減少が下げ止まりして二年目からそれ程減らなくなった。だがそうは言っても減るのは間違いなかったので次に考えたのは、援助物資の発注先に代金を肩代わりして貰うこと、つまりタダ同然で提供させることだったのだ。それにはれっきとしたいきさつがあって。それは一年目の資金の減少率が余りにも早かったので買取り価格の出納を調べていて分かったことなんだが。どうやら援助物資の提供元の業者が、俺達を何も知らない素人集団と甘く見たのか互いに談合をして普通より高い設定にしていたことにあったのだ。おまけにそいつ等は前以て総裁の懐具合を調べていて、それらの物資を買い占めして二重に儲けていやがったそうなんだ」


「う~ん」とパトリシアは唸った。


 いつまで経っても終着点の見えない話に、徐々に重くなってきていたまぶたを閉じるわけにも、正直に嫌な顔をするわけにもいかず、そうしたのだった。そしてそのついでとばかりに、要件を先に言わずに順序立って喋って行くのはあなたの悪い癖よと心の中で苦言を呈しつつ目の前のマグカップへと手を伸ばしていた。すると、


「ま、そうやって品物を無償で提供させることに成功した俺達は、あとはそれなりに旨く対処してだな……」と、ようやく話の核心の部分へ入っていった。


「援助活動を始めて一年半か二年目ぐらい経った頃だったと思う。それまで難民を邪魔者扱いにして見向きもしなかった隣国が何かとちょっかいを出すようになって来たのだ。おそらく生活水準が上がったその地区の住民をやっかんでのことだと思うが、周辺の国や民族が、険し過ぎて長い間ほとんど人が住むことがなかった辺境の土地に地権の問題を出してきたり、自然に湧き出している水に対して水利権を設定して税金を取りにきたり、あとは国境警備のようなもの、と言っても俺に言わせれれば追いはぎをしていたと見えなくもなかった地元民や民兵が通行料の値上げやワイロみたいな金を要求して貿易干渉のようなものをやってきたな。

 そのようなことで何やかんやともめていたときだ。その中の一国の軍隊がとうとう露骨に進行してくると武力で地区の半分ぐらいを支配下に置いてしまったことがあって。そのことに、このままじゃあ他の隣国との間で紛争の火種になると考えた総裁は、黙っていられなくなって直ちに護衛に付けていたザンガー達六名に命じてそれを排除させたんだ。そのお蔭で地区は中立を保つことができたのだが、ただ一つ、問題が残ったんだ。

 それは、その地区は将来的にどの国へ帰属するかということだった。だがその心配を総裁が、『我々は単に人々の窮状を救う目的で来ただけなのだ。人々が未来永劫、どういう方向へ進むべきか、どのように生きるべきなのかを押し付けるためにやって来た訳ではない。だからそのようなことは考えるべきでない。考えるべきなのは苦しい目に遭った住民達自身の側なのだ』と見事に吹き飛ばしてくれたんだ。

 その後二年ぐらいか、総裁の要請を請ける度に俺は六人に依頼し周辺の政府の企みをことごとく未然に潰してやった。それで思いのほか順調に支援が進み、地区の方も自前で治安部隊を持つようになったことで隣国や旧来の政府の力が及び難くなり、総裁ももうこれぐらいが潮時だろうとそこを離れて他の地域の支援へ回ろうと考えていたときだった。

 ……確か、あの日は雪が降り積もって寒い日だった。ふらりと町並みを歩いていて異様な光景を見かけたんだ。何と、通りに連なる十軒以上の住宅が同時に葬儀の最中だったんた。珍しいこともあるものだと思いながらさらに歩いて行くと、通りのどこかしこで葬式があったのさ。それで事故か事件でもあったのかと聞いて見たのだが、『いや、そうじゃない。突然倒れたり寝ている間に死んだ、ただの病死だ』ということだった。医師が言っているから間違いないということで、『そうか。最近は寒い日が続いているからな』と納得してそのままにして措いたのだが。後で聞いて分かったことは、その日だけで五千人規模の死者が突然出たということだった。

 それから毎日三千人を超える死者が出てな。場所によっては死者数がその区域の二十パーセントを超えるところもあったんだ。つまり五人に一人以上の割合で死者が出たということだ。それも年寄りや幼児に限ってるわけじゃなくって大きい子供や大人の男女まで亡くなっていたんだ。

 この異様な多さに誰もが原因不明の奇病だと疑って、さっそく原因究明の調査と予防の措置が取られた次第だ。

 だが、死者を診断した医者の説明では、死因は二通りあって、一つは脳卒中とか心臓発作のようなごく普通に見られる突然死で。もう一つは、一切の外傷もなく、自然と呼吸が停止したとしか考えられない、いわゆる自然死という症例だということだった。

 こういう話はお前の方が専門で、言ってもおこましいが、通常、自然死というのは六十歳以上の老人がなるものらしい。ところが、そこでは零才から九十代までの男女に均一に見られたんだ。それについての医者の見解は、おそらく緊迫した状況下に人が長く措かれたときに精神的ストレスが溜まり、暫く経った後に突発的に発生する一種のストレス症候群だということだったのだ。

 もちろん、念のために死亡者の食行動や行動パターンの調査、血液検査を始めとして死体解剖もやって見たが、別に特別な食べ物を口にした訳でもなく、おかしい場所に出掛けたということもなく。また血液や体内から麻薬や遅延性の慢性毒、死をもたらすその種のウイルスも寄生虫も発見できなかった。

 更にだ。念には念を入れて、飲み水や空気環境。この辺りに風土病がないかと調べもしたし、援助物資の中に原因があるのかと疑って抜き取り調査もした。それ以上広がらないようにと、考えられるあらゆる消毒処置を行って見たのだが全く効果がなく、依然として一日三千人は下回らなかった。それにだ、おかしいことに死者のほぼ全員が住民に限られていて、支援をしていた部外者には全く被害が出なかったのだ。このことには幾ら博識な総裁でも黙り込んでしまうし、呪いや毒物に詳しいあのサイレレとホーリーも不思議だと繰り返すばかりで……。つまり、もうお手上げ状態さ。

 もう誰からも知恵が出ず。初めての症例が現れて三ヶ月ほど経った頃だった。住民の多くが、“これは天が我々に与えた自然の摂理だ”と、あきらめ気味に、死に行く運命を素直に受け入れていた。そんなときだ。何事も完璧にやろうとすれば上手の手から水が漏れるの例えのように、全く打つ手のなかったところにある意外な方向から手掛かりがやって来たのだ。

 当然のことながら、他の人道支援団体も俺達と同様に奇病の正体を突き止めようとしていたのだが、中でも、とある外国の政府系団体に属していた五人の医師と十人の看護師からなるチームは相当熱心で。普通なら二、三十体も死体を調べれば済むことなのだが、そこは死亡した住民のほぼ二割から三割について、性別・年齢・死因・因果関係などの詳しい調査をしていた。俺も少し手伝ったから分かるのだが、多数の死者が出た場合、時間がかかって面倒だから、通常は十人に一人とか或いは百人に一人とかを適当に調べれば良い血液・生体組織・髄液・体腔液・毛根の採取を、小まめに三ヶ月の間、できる限りの数を採取してデータとしてまとめていたのだ。

 それは傍から見ると、原因を調べているというより結果を記録しているようだった。それで、それを見ている間に思い浮かんだのは、この辺りには外国のスパイか何か知らない人間が支援部隊の職員として多く入り込んでいることで。それで、この十五人もスパイかと疑って、ダメ元でその中の二人を誘拐してホーリー達に尋問をさせてみたんだ。そこから分かったことは、十五人は派遣された政府から高額な報酬で雇われていて、集めたデータを決められた送り先へ送る任務をこなしていただけの話で、スパイなどではなかったということだった。ただ送り先というのが非常に興味深くてな。送り先は、何とか検疫所、何とか生化学研究所、何とか国際免疫センターと三つ四つあったのだが、何れも送るよう指定された住所にそういう名前の建物があるわけでなく。決まってそこは貸しビルで、中に入っていたのはペーパーカンパニーだった。それで、ロウシュとコーを派遣して詳しく調べさせると、思いがけないことが分かったのだ。

 二人の話だと、辿り着いた先の一つには、どう言う訳なのか害虫の駆除や農作物の品種改良の実験を行っている政府系のハイテク企業の研究所があったそうなんだ。それを聞いたとき、誰だってこれは何かあるなと考えるのは当然だろう。後はお決まり通りに二人に指示して、事情を知っていそうな男女を失踪したように見せかけ誘拐して来ることで、ようやく真相が見えたという次第だ。

 それから分かったことは、奇病は人為的に仕組まれたもので、原因は支援物資の中にあった二種類の遺伝子組み換え食品だったこと。しかもその食品は日常に食べられている料理に広く使われていた品で、俺達が行った調査で異常が見つからなかったのは、ある条件が揃わない限り効果が現れないようにしてあったからだった。

 こういうのは俺も専門外だから旨く説明できるか分からないが、住民を死に至らせる原因となった物質は、遺伝子組み換え技術でその食べ物のDNAに組み込まれていてだな、普通に食べる分には全くの無害なのだが、油と酸を添加した中で熱を加えるとお互いが反応して有害な成分に変わるというのだ。俺のうろ覚えの記憶では、確か、食べて小腸で吸収されると、体の重要な器官である心臓や肺と云った不随意筋の神経回路に作用し、やがて量が一定量を超えたとき、回路を誤動作させ死に至らせるのだそうだ」


 そこまで聞いてパトリシアは、突然ブルーの瞳をぎょろりと見開くと、真剣な眼差しをゾーレに向けた。

 ゾーレが言っている大体の意味がおぼろげながら見えていた。その物質は耐熱性で、毒性は蓄積されることで発揮されるのね。メカニズムは各臓器に供給される運動エネルギーの基質を阻害するから? それともアドレナリン・インシュリンと云ったホルモンとかアセチルコリンと云った神経系伝達酵素をどうにかするとか? 

 だがその瞬間、パトリシアの視線に何を勘違いしたのかゾーレは戸惑い気味にまぶたを瞬かせると、照れ隠しするようにニヤニヤして、「何か間違っていることを言ったかな?」と頭をかきながら逆に訊いてきた。


 それに対してパトリシアは思い浮かんだ疑問を尋ねたところで到底返ってくることはないだろうと判断。「いや別に、何もないわ。続けて。それでどうしたの?」と素っ気なく促していた。

 そう言われたゾーレは催促されるまま 「ああ、分かった」と素直に応じると、続きを語っていった。


「無論直ぐに、原因となっていた支援物資を別のメーカーのものと切り替えたさ。すると死んで行く人数はその日から減り続け、一週間も経たぬ内に一日平均、十人未満と、ほどよい数に落ち着いてきたんだ。

 ああ、もちろんのことだが、いきさつ(一体、何をする目的でそのようなことをここでやったのか)もきっちり伺わせて貰ったよ。すると、共に研究所の技術者だと名乗ったそのアベックは何と言ったと思う? 『目的は知らされていない。上からの命令でプロジェクトの一員として参加していただけだ。実施場所も上からの指図に従ったまでだ。そのとき、そこを選んだ理由として説明して貰ったのは、実験対象となる住民はどこの国にも属さない空白地帯で暮らすため、例え

事実が知られることがあっても外交問題とならない。実験場所は人口がある程度密集しているため、より正確なサンプリング調査ができる。住民の生活環境がデータの障害になるファクター(要因)にそれ程影響を及ぼさないくらいの水準である。原因が究明できそうな高度な技術を持った検査機関が近くにない、などなどだ』そんなことを言ったのだ。

 またこうも言ったな。『初めの計画では一部の区域内で短期間に結果が出るようにしようと考え、通常値の百倍値の濃度にした物質をサンプル(試料)に添加して投入したが、実際、実験には事故がつきもので。何かの手違いが起って広範囲に広がってしまった。だが怪我の功名というやつで興味深いデータがたくさん取れた。今後、実際に使う場合を考えれば、全ての年齢層が影響を受けずに目的の年齢層の者達だけを狙い撃ちにする方向へ持って行くように改良が必要だ。それから、もっと自然現象のように似せるのがこれからの課題だ』とな。

 あ、そうそう。こういうことも口にしたな。『日時と場所を改めてのことだが、同じ食品を使って、同性愛シンドロームや性同一性障害を誘発する物質の実験計画も進めている』ともな」


 ゾーレの話に、そのときパトリシアは首を傾げた。まるで新手の生物化学兵器の実験みたいじゃない。それが話したいことだなんて、一体どういうことよ。

 だがその間も話は続いていた。


「ま、そんなことを悪びれた風もなく話すから、よくもそんなことを言えるものだな。やったことを悪いと思っていないのかと問い質してやったらな、どう返事を返したと思う? 二人揃って言ったことはな。『この世界の人口がこれ以上増え続けると、近い将来にはどんなに努力しても食料が足りなくなってしまうのは前もって分かっている既成事実だ。そうなった場合、必然的に食料の争奪が行われ、負けて弾き出された多くの人々が犠牲となって殺されたり飢え死にさせられる事実は、人口の割合に対して食料が戦争や天災などの理由で採れなかった過去の時代が物語っている。では将来起こるであろうそのような悲劇を生まないため、我々がどうすれば良いかと考えた場合、食料の供給には限界があるため、一番手っ取り早い方法は前もって人口の方の調節をすること、つまり、人口を一定数に保ち、限りある食料生産とのバランスを取ることだ。だがそれはそう易々とできるものではない。なぜなら全世界の住民が一致協力しないとできないからだ。結局のところ、ほとんど不可能なのだ。その不可能への挑戦を我々は行っている』そんな風な答えが返ってきた。

 その後も口々に、『今後、世界大戦が起こる要因として、以前は社会体制の違いから起こるものと信じられてきた。だが時代が進み、どちらの側の体制も独裁・世襲政治制度が暗黙の了解となり、社会が実質的な階級社会へと変わった今、両者に違いを求めることがほぼ難しい。今やその争点は民族対立や宗教対立や資源問題や若しくは支配者同士の覇権争いに移りつつある。おそらくこれらのどれかが引き金となって世界規模の争いに発展していくのは間違いない。そうして互いに勝ち負けのない戦いとなって、やがて最終的には食料危機が起きてくると信じている。そうなれば両者が共倒れになる可能性が十分あり得る。我々はそれを防ぐ使命を持ってこの実験を実施することに決めたのだ。

 我々は、それに先がけて食料不足を解決する術として、宇宙にそれを求める方法や陸地や海を多角的に利用する方法もシミュレーションしてみた。だが、宇宙に活路を求める方法には技術力や経験値がかなり不足していることが分かり、実現には前途は厳しくまだまだ時間がかかることが分かった。またこの星の生産性を高める方法は、このまま環境破壊の状態が続く限り、無理だろうという結論に達した。また近い将来、食料不足がやって来た場合には、争いが転じて人類が人としてやってはならない同類の肉体を食料とするだろうということもシミュレーションで確認している。我々はこういったデータを踏まえた上で人類を滅亡させないための対策を立てたのだ。だからやっていることに後ろめたく感じたことも後悔したこともない』

 後はそうだな……。『明日への希望が持てず、生活することへの不安を感じたとき、人の考えることはみんな一緒だ。即ち死ぬことを考える。だが大抵の場合はそこまで踏み出す勇気がないため、あてもなくだらだらと生きる。我々はその希望をかなえる手助けをしてやっているのに過ぎない』とか、『この症例で苦しむのはほんの一瞬だけだ。直ぐに意識を失って痛みなどは感じなくなる。そして意識が戻らない内に死を迎える。これ以上の楽な死に方はない。場合によっては感冒より苦しまずに済む楽な死に方だ』のような身勝手な持論を展開したり話の意味をすり替えたりしたので、『お前達の考えは虫が良すぎる。自身の理想・概念を優先し正当化する一方で、既存の事実関係や相手の意向をはき違えている無視している』と言ってやったが、それでもそいつ等は洗脳教育を受けた神学生のように理想の話を繰り返すばかりでな……」


 すると、いきなりゾーレの口調が苦々しげに変わった。


「お前の父親や俺の母親。更には総裁や他のみんなが死んだ。いや、殺されたのは、全てこのことが原因だ。そうとしか考えられなくてな」


「えっ!? ちょっと」


 思いがけないその発言に、それまで薄目を開けた状態でぼんやりと聞いていたパトリシアはいぶかるような奇声を上げると、すかさずゾーレの茶色の目をにらみつけた。父親、ナイヒルが亡くなったのは、人道支援をしていた区域が多国籍軍から奇襲攻撃を受けたとき、たまたまそこで居合わせていたため、その巻き添えで死んだと、目の前の男から聞かされていたからだった。呆気にとられた彼女の顔からは、眠気が完全に引いていた。


「それはどういうこと? 私が聞いていたのは……」


「ああ分かってる」


 ゾーレはパトリシアの言葉を途中で遮ると、彼女をじっと見ながら穏やかに言った。


「まあ聞け。話にはまだ続きがあってな。あのとき、現場で同席していた総裁が、『けしからん、とんでもない話だ。神にでもなったつもりで、言いなりになるでくの坊だけを生かすつもりか』と酷く怒ってな。ま、分からんことでもなかったが。放っておいたら、ゆくゆくは人類統制をする目的で使われる可能性が見えていたからな。

 それで総裁は分かった分の施設を全て焼き払い、裏で糸を引いている黒幕を突き止め制裁を下すように俺に命じたのだ。だが一足遅かった。先を越されたみたいなのだ。せっかく突き止めた企業も施設も、行ってみたら全て消えていた。しかも跡形もなくだ。建物があったところは全て更地になっていたのだ。

 計画を指導した黒幕が、二人の技術者が突然消えたことで秘密が世間に漏れることを恐れ、証拠を隠滅しにかかったのだ、そうとしか考えられなかった。更にだ、その力が実験場となった区域にも及び、あの不測の事態が起こったと思われるのだ」


「……」


 そういえばと、パトリシアの脳裏に忘れかけていた記憶がよみがえった。

 何らかの異変が起こったと分かったのは、確か、ネオアトラス空港のターミナルビルに所用のためにいたときだと言ってたわよね。到着したと携帯で財団へ連絡を入れたが、どういうわけなのかつながらず。不思議だと思ったが、そのまま落ち着き先のホテルへチェックインしてからもう一度連絡入れた。けれどやはりつながらず。そこで、支援地区にいるはずの六人のメンバーにも連絡を取ってみたが返事がなかったので、そこで初めて何かあったらしいと気付いたという話だったかしら。そのときあなたは、単独行動を取っていたのよね。それで気になって、次の日、急いで支援地区へ戻ろうとしたけれど、最寄りの空港が閉鎖されていて三日間足止めされた挙句、結局戻ることができなかった。

 それで、それならばと方針転換して財団の本部へ直接出向いた。ところが行って見ると、現地では連日連夜、財団の建物火災について報道がなされていたので驚いた。そこで情報収集したところに拠ると、五日前の深夜に財団の建物から火の手が上がると広範囲に渡って燃え広がり、財団の建物のみならず周辺の森に至るまで跡形もなく燃やし尽くした。その際に、中にいたと思われる百名を超える職員も一緒に亡くなった、だったっけね。

 私はちょうどその頃、ボディガードとして付けて貰ったズードと一緒に、何も知らずにママの実家で暮らしていて難を逃れたんだっけ。

 一方あなたは直ぐに身の危険を感じて、身を隠したのよねえ。そうして、二ケ月が過ぎたある日、ようやくフロイス達から連絡が来たわけね。

 そして指定された待ち合わせ場所に行くと、六人だけがいて、今現在の現地の状況だと支援地区を撮影したビデオと写真が入った携帯を手渡されたのよねぇ。あのビデオと写真を見せられたときは、私もどうして良いか分からなかったわ。現地があんな風なありさまになるとはねー。


 支援団体が拠点としていた建物や施設が全て破壊され尽くされ跡形もなく消え去っている状景。住民達が暮らしていたと思われる地帯が、三百六十度、焼け野原と化して、どこまで行っても色のないモノクロームの世界が広がる状景。そこには、ひとりの人間も映り込んでいなかった。至る所で煙が不気味に立ち上る状景。襲撃者が残していったものと思われる、多数の車両が通った形跡を示すわだち跡、派手なドクロマークやらアルファベットや数字が記されたドラム缶があちこちに散乱する状景。


 急に難しい顔をして黙り込んだパトリシアに向かって、少し間をおいて、ゾーレの落ち着き払った声が少し声高に響いた。


「まあ、そういういきさつでだな……」


 その声で我に返ったパトリシアはこっくりと頷くと、適当に返事を返した。「ええ」

 ゾーレは真面目な顔つきで何事もなかったように続けた。


「これから話すことは、知らないと格好が悪いとか損をするとかじゃない。返って知ることで心配事が増える方が多いと思う。でもな、お前の妹との兼ね合いで是非知って貰わないとこれから先、何かとやっかいな問題が出て来る気がするから話すのだ。覚悟を決めて聞いてくれ」 


 ゾーレはそう前置きすると、腕を軽く組んだ状態で切り出した。


「俺達が暮らす世界は、ごく普通の一般人が住まう世界。つまり表の世界と、マフィアやヤクザと云った犯罪組織、秘密警察、機密機関や情報局、非合法な力で表の世界の政治経済金融を支配する者達が住まう世界。つまり裏の世界からできている。俺やお前が足を踏み入れている世界もこの範ちゅうに入る。

 それとは別に、超人、能力者、魔法使いと云った禁断の果実(能力)を手にした者達の世界がある。フロイスやロウシュやホーリーがその範ちゅうにあたる。今から俺が話そうとしている連中もその中に入っている。

 連中は、遥か昔からある二つの老舗中の老舗の組織で。それぞれ表の名前と裏の名前を持っていて。それを旨いこと使い分け、世界の暗部としがらみでつながりながら今日まで続いている。

 その一つは、表の名前を秘科学協会、裏の名前はホワイト・レーベルと呼ばれる。そしてもう一方は、表は世界導師協会、裏はゴールド・レーベルと呼ばれている。どちらも独立した組織なんだが、“エル・イー・ヴイ・イー・エル”とつづるレーベル(LEVEL)という名称が最後に付いていることから、元々何らかのつながりがあったらしい。このレーベルという名前の由来なのだが、はっきり言って何語かも何を意味しているのかも不明で分かっていない。ただ分かっているのは、文字自体が前から読んでも後ろから読んでも同じという回文でできていることから明らかに何らかの意味があるのだろうということと、おそらくは、この世に初めて登場した意味を持つ文字だろうということぐらいだ。

 そんなことはさておき、これら二つの組織はとにかく想像以上にでかいことが分かっている。何しろ世界中に秘密支部を持ち、組織の理念まであるほどだからな。だがその存在は、秘密性が高いこともあって三つの世界でもほとんど知られていない。例え、知られていたってそれは表の顔としての姿だ。裏は皆目分かっちゃあいない。

 今からその裏の顔を俺が知ってるだけ話すから良く聞いて覚えておいて欲しい。

 どうやら三つの世界に深い影響を及ぼしているらしいことが分かっている。場合によっては三つの世界の存続にも関わることまで裏でやっているらしいのだ」


 話は初めて聞くことばかりであったので、パトリシアは自然と身を乗り出して耳を傾けていた。また長丁場になりそうな予感からテーブルに頬杖を突く姿勢を取っていた。ここまでていねいに詳しく話すからには余程の事情がありそうね。


「先ず、秘科学協会という組織のことなのだが、その理念は力による平和の創出ということにあるらしいのだ。つまり、平和の妨げになるものは何でも武力で解決することがその理念と言うか方針とするところらしい。また世界導師協会の理念は、策略による平和の創作といわれている。つまりだな、都合の悪いことを隠ぺいするのを主な仕事としているらしい。

 こう言った理念の元、二つの組織は互いに役割を分担し合い、表向きは世界の平和を保つために協力すると言って、世界の国家権力の暗部に伝統と実積という既得事実で持って手を貸すという形を取っている。が、実際は、これはあくまで建前であって、目的は別なところにあるのさ。

 その目的というのが、実は世界の監視だ。人類が何をするのか見る為にそうしていると思われる。

 ではなぜそんなことをしていると考えられるのかというと、二つの組織に共通する実質的な支配者が、お前も妹から聞いて知っていると思うが、何れも神の一族だからなんだ。

 とはいっても、神の一族だと聞いたってピンとこないと思う。何しろ、この世の中には神から啓示を受けたとか神から選ばれたのだから自分が人の神であるとか公言しているのが数え切れないくらいいるし、それどころか何の根拠も無しに勝手に自分が神の子孫、神の家柄だと名乗っているいかがわしいものまで、上げるときりがないくらいいるからな。

 そういう理由だろうからか、世間では、お前の妹のところもそうだがそいつ等の方も神の一族イコール、白魔法の宗家だとか黒魔法の宗家、法術の宗家として認知されて今日まで至っている。だが本当の神の一族と言えばこの者達だけで、それ以外は全て偽物に過ぎない。なぜなら彼等の始祖は、遠い昔、この星が誕生してまもない頃、外の世界からやって来て、惑星環境を改善して生態系を作り大地や海に動植物を誕生させたのだ。それだけでない。俺達人間も彼等によって造られたらしい。そう云った者達を何て呼ぶ? 創造主、神の一族と呼ばない訳にはいかないだろう」


 パトリシアはふと虚空を見つめ考えた。確か、そのような話を妹から聞いたような気がしたからだった。部屋の白い壁だけがぼんやりと目の中に入っていた。


「この話は直ぐには到底信じられないと思う。何しろ、これまでの常識や定説が全て引っくり返ることになるのだからな。この俺も始めて聞かされたときは嘘だ、作り話だ、有り得ないと思ったぐらいだ。だがな、話してくれたのが、今は亡き総裁ではな。信じない訳にはいかなくてな。

 中年過ぎまでごく普通の一般人だったシュルツ総裁は、ある事があって九死に一生を得たことがあってな。そのときに過去に戻った体験をしたというのだ。それは幼い頃の記憶じゃなくて、そのずっと昔、自分が生まれる前の記憶だったそうなんだ。その中で総裁は遠い昔、別の世界の人間だったことが分かったそうなんだ。彼の前世は、リション・ジエル・インベッタという名前で。これも神の一族であるベッタ家にあって、年齢が五十歳離れた一族のトップの片腕として補佐役を務めていたというのだ。そのベッタ家というのが、ゴールド・レーベルを実質的に支配する三つの神の一族の一系譜であったというのだから、運命とは不思議なものだ。

 その人物のことについてもう少し詳しく言うと、トップが亡くなったとき、彼は次期トップの筆頭候補とみられたそうなのだが、ある事故があって敵わなかったそうなのだ。

 ちなみに、今のビッタ家のトップ、グラン・アナター・ビッタは彼が仕えていたトップから数えて三代目に当たるそうだ。

 話を戻すと、彼等は代々世界を監視している訳なのだが、なぜそんなことをしているのかと言うと、人類の過ちを修正するためだと言うのだ。ただ修正すると言ったって教え諭すわけじゃない。滅ぼすためだ。それが神の一族の任務と言うか役目なのだそうだ。実際、そうやってこの世界はもう何度も修正され、そのたびにまた新しく人類を生み出すことを繰り返して来たらしいのだ。

 このとっておきの話を、俺やみんなを信頼しているからと総裁は包み隠さず話してくれた。それで俺もみんなも全面的に総裁を信じて付いていこうと決めたのだ」


 そこで一旦言葉を切ったゾーレは、「ここまで質問はないか?」と訊いてきた。

 これにパトリシアはしばし思案した。しかしながら、余りに衝撃的過ぎて思考が追い付かず。全然実感が湧かなかった。それでパトリシアは、とりあえず浮かんだそれほど重要とも思えないことを尋ねた。


「じゃあ聞くけど、あなたのおじさんの前世であったその人物は神の一族のトップとはどういう関係にあったわけ? 師弟関係とか親子関係とか兄弟とか……」


「ああ、そのことか。血のつながった実の弟だったと聞いたな」


「ああ、そう。兄と弟の関係だったわけね」


「ああ」


「それじゃあね、過去に人類をどんな風にして修正したかについては、それは聞いてないの?」


「当たり前だ。そのようなことは聞ける筈はないだろう。例え向こうが知っていても話すことじゃない。だがな、おそらくは……そうだな。俺の考えた案じゃないが、自然環境問題を定義していたテレビ討論番組で、“もしも人類が滅びるとしたらどのような原因が考えられるか”について意見を出し合っていたどこかの大学教授の話が脱線して、“もしも人類を滅ぼそうとすればどんな方法が考えられるか、有効か”について語って出た話なんだが、一番実現性が低いのは途方もなく広い宇宙から侵略者を連れてきて人類を滅ぼしてくれと頼むことと、地上に魔王や怪獣を出現させて都市を襲わせることなのだそうだ。その次は、あのでかい太陽や衛星である月をどうにかして操ったり、大地の空気の組成率を変えるみたいな途方もない努力をすることなのだそうだ。

 実現性のあるものとしては、強力な放射線や生物化学兵器を使うのも、昔実際にあったという小惑星を落とすことも一つの手だが、後で元に戻すのに長い年月がかかったり、大地の形が変わったりして、費用も馬鹿にならないことから、どれも余り勧められない。

 推薦する一番実現性があり有効な方法は、この星の周りを覆っているオゾン層や電離層を一時的に消失させて殺生力のある有害な光線を大地に降らせるとか、またはその逆に太陽の光を大地に届かなくして何年、何十年と生き物が住めない環境に世界を変えれば良いと言ったんだ。これらの現象はある種の低価格などこにでもある化学物質を凡庸ロケットを使い大気圏にばら撒くことで理論上は簡単に引き起こせるらしい。それに一旦、この方法で引き起こされると、理論上では星全体に消失が連鎖的に広がり、速やかに人類どころかあらゆる生き物が生存できなくなるのだそうだ。その教授は話の最後に、放射能や有害な化学物質と違って大気を汚染しないクリーンな方法だと言葉を謝って、『その化学物質は一体何か』とか『そのような計画は本当にあるのか』とか『では、人類が滅びた後、元に戻すことができるのか』と他の論者に突っ込まれて、それはと言葉を濁していたな。

 ま、俺の予想だが、さすがに未知との遭遇はないと思うが、それ以外ならどれでも有り得るように思ってる。まあ、そのようなことをおそらくやるんじゃないのか」


「でもね、やはりにわかには信じ難いわね……。それじゃあ、これまでも人類を何度も滅ぼして来たっていうことだけど、はっきりした証拠でもあるの?」


「ああ、それがな。ちょっとしたことなのだがあるようなのだ」


「へぇ~。それはな~に」


「この星以外の天体さ。例えば、月や火星みたいな、な。どうやらこれらの星の表面の景色の一部は人類が滅びた残骸の名残りらしいのだ」


「あの、でこぼこの?」


「ああ。そのことでの話なのだが、この星だけに生き物が存在するというのはおかしいと思ったことはないか? おそらく神の一族はその昔、他の星にも当然やってきていた筈だ。だが、どの星も現状は生き物の存在が確認できず、クレーターとか砂漠とかいった殺伐とした風景しか情報が伝わってこない。理由として、環境が厳しく生き物が生息できないのだという説が言われているが、遥か昔はどの星も生き物が生息するのに必要な水と空気が十分存在したというのが通説だ。あくまで俺の独断的な推測なのだが、他の星々は何らかの理由で人類が滅んだ、または滅ぼされて、あのような風になったと思っている」


「なーんだ、単なるあなたの想像というわけ?」


「ああ、そうだ。だがまだ根拠はある」


「ふ~ん。それはどんな根拠!? まさかそれもあなたの想像だったりして」


「馬鹿な。はっきりした証拠だ」


「へぇ~。それは何よ?」


「この話も総裁から出たものだが、ゴールド・レーベルの本部というか都は今も月にあるというのだ。あのクレーターだらけの、な」


「……」


「あれはそう、今から五年以上前。お前が席を立ったあの後だったか、俺達は総裁達を襲撃した奴等に復讐するにあたり、そのお膳立てをしたこの二つの組織へ報復をすることを決めた。

 もしも何もしてこなかったら、あのようなことになっていなかったのだからな。当然のことだった。だがそれはどう考えても、死に物狂いになったネズミが余裕をこいた巨象の鼻を噛もうとするようなものだった。そこで考え付いたのは奇襲だ。真正面から行ったら無理っぽいが奇襲ならまあ、とにかく何とかなるだろうと考えたわけだ。

 だがしかし、まあ実際やって見ると、たぶん全員が死んだと向こうが油断していたのだろうが、結果は思ったより大戦果だった。すんなりと敵のふところへ侵入することができ、ホワイト・レーベルの方は出会いがしらにターゲットにしていた主な幹部連中を殺ることができたし。ゴールド・レーベルの方は運悪く当てが外れたが、行った駄賃に、その下で働いていた配下や他の組織の連中を多数血祭りに上げ、ついでに重要と思われる建物装置を破壊して戻って来たわけだからな。

 後はその勢いで、目を付けていた総裁達を襲撃したと思われる複数の軍隊へ矛先を向けて、あいつ等のやりたい放題だ。

 お前もあいつ等から聞いて知っていると思うが、多くの艦船や潜水艦を沈めた。基地も空軍機も襲ったし、総裁殺しを影で指図していたと考えられた政治家や軍の関係者は家族諸共この世から消えて貰った。

 まあそんなところで、やられたらやり返すという目的は果たせたし、今後は様子見をするためにチームを一時休業状態にして身をひそめたわけだが、何分とやった相手が相手だけに、このままでは永久に六人が揃うことは敵わないと思っていたのだが、何がきっかけとなるか分からないものだ。

 つい先日の、お前も参加した例の高額賞金が出た基地での出来事とお前の妹の件で一気にチーム再開が現実味を帯びてきたのだ。

 あそこで俺はホワイト・レーベルの代理人という人間と話し合う機会を持った。例のトーナメントは連中が俺達と接触を図るために仕組んだという話だったから向こうから近付いて来たというのが正しいかな。その中で、連中は俺達に和解案を示して来た。それをつい昨日だったか、受け入れたところだ。

 あともう一つ、ゴールド・レーベルの方なのだが、こちらの方はまだまだ雪解けがほど遠いようなのだ。それでなのだが、お前の妹に目を付けたわけだ。これも総裁から聞いた知識なのだが、神の一族は内部抗争はやっても別の神の一族とは争ってはならないという不問律の取り決めが昔からできているらしい。つまり、俺達が名目だけでもお前の妹の系列にいるとなれば向こうは全然手が出せないという読みだ。

 しかもさらに都合の良いことに、ネピ家は聖獣と聖霊を後ろ盾としている関係で神の一族の中でもその影響力は強く、他の一族が束になっても少々のことでは手が出せないらしいのだ。

 その為にも、お前の協力が是非必要なのだ。

 どうだ、協力してくれるだろうな。このことは他のみんなとも了解し合っている。俺の頼みは全員の意思でもあるのだ。

 そうでないと、これから話す、お前の方にもうま味があるビジネスの話に影響が出るのだが……」


 最後にゾーレがぼそっと告げた台詞に、パトリシアは、もう話がついているなんて失礼しちゃうわねと一瞬きょとんとしながら、すかさず訊いていた。


「で、協力するって、どうすれば良いわけ」


「簡単なことだ。お前の妹をできるだけお前の傍に引き留めて置いて欲しい。できれば都に帰らせないようにしてくれたら良い。ただそれだけのことだ。あとは俺達が全て上手くやる」


「そう言われてもねぇー」


「無理か?」


 パトリシアは首を横に振り、「いや、無理というわけじゃないけれど……。あの娘、逆に私を都に連れて行こうとするから難しいのよねぇー」


 そう呟くと何気なくすぐ横のガラス窓に視線をやった。窓の外では、昼下がりの明るい陽を浴びて木々や草木が活き活きと輝き、自らの気持ちとは裏腹といって良いのどかな落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 パトリシアは、ふっとため息を漏らすと、再び考えるように視線を宙に泳がせた。

 ひんぱんに会ったり、この自宅へ招いて少し油断すると都へ連れて行かれてしまいかねないし。もうこうなると、誰かに妹の監視役を兼ねて面倒を見てもらった方が良さそうね。そうなると、例のあの娘が手っ取り早く戦力になるかもね。妹はちょうどうまい具合にあの娘の自宅で世話になっていることだし、これを利用しない手はないわ。そう割り切ると、無理に愛想笑いをして口を開いた。


「いいわ。何とかするわ」


「おお、そうか。引き受けて貰えるのだな」


 ゾーレはほっとした口振りで組んでいた腕を解いて身を乗り出すと、


「それならこちらとしても安心だ。虫のいい話ですまないが、きれいごとばかり言っていては、古より大業は成すことはできないというからな。ではビジネスの話に移ろうか」


 そう言って満足そうに微笑んだ。

 それから引き続いてゾーレが語っていったのは、先日、ホワイト・レーベルの幹部と会合を持ち、和解案と共に仕事の依頼を提示されたこと。その依頼内容は、レーベル本来の職務と関係のない山火事、洪水、干ばつ等の自然災害に関わる仕事と旧態のような仕事の依頼で。前者は、人命救助やアフターサービスはできないがそれでも良いのならばとの条件付きでこれを受け入れ、後者に関しては引き受けるか引き受けないかの選択権を持つならばと受け入れたこと。

 そしてもう一つの話題は、例の基地内でとある第三機関の職員とも話す機会を持ったこと。その彼等からの申し入れは、争いのない平和な世界を築くために手伝って欲しいというもので。その実現に向けた彼等の依頼の内容とは、平和の障害となる者達への脅迫や見せしめ的な暗殺、破壊工作と云った非合法な活動(裏の仕事)であったこと。依頼自体は全員の能力から見てごく簡単なように思えたが、口先だけの事務方エリート連中の手先になるのは余り乗り気はしないと当初、見合わせにしておいたのだが、仕事が暇でも待機料という名目で報酬が毎月支払われるという割の良い仕事だった為、考え直してこれも引き受けることにしたというものだった。

 そうして最後に、どの仕事の依頼においても隠し事はしない、適正な利益配分をするつもりだと約束した。

 パトリシアは少し考えて、妹を預かって貰う代わりにそうしてくれるのねと思い至ると、「分かったわ」と返事をしていた。


 ほどなくして気が付くと、前に住んでいたところから持って来たテーブルとソファとイスしかなかった殺風景な部屋に射し込んでくる陽の光が黄色味を帯びていた。

 その中、「まあ取り合えず、それくらいか」とゾーレは話を締めくくると、安堵の吐息を漏らして、マグカップを手に取り中身を一気に空にした。それから、


「ああ、すっきりした。話すだけ話したら腹がすいたな」


 そう言うが早いか、テーブルの中央に置かれた皿に手を伸ばして何食わぬ顔でケーキを手当たり次第にぱくついた。

 それに比べてパトリシアはその頃になってようやく事の重大さがじわじわと分かって来たというべきか、戸惑った表情で目の前のチーズケーキを一つだけつまんで、お茶で流し込んでいた。

 あの娘がまさかこの世界の命運を握っているなんてね。到底信じられないわ。


 その後二人は、フロイスと三人で食事に行く約束をしていたため、彼女が戻るまでの間、雑談を交わして時間をつないだ。

 雑談と言っても、何となく重くなった場の空気を読んだゾーレがパトリシアの意識を他の方向へ向けさせようとして、

 

「一軒家での一人暮らしは物騒だから防犯対策はどうなっている?」とか「留守にするときに戸締りはきちんとやっているか」とか「お前がスカウトしたという連中の教育はどこまで進んでいる?」とか「何か困ったことはないか。手伝えることなら手伝うが」とかいった妹とは無縁の話題を根掘り葉掘り尋ね、そのたびに浮かない表情のパトリシアが受け答えをしていただけであったが。

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