第52話

  同じ頃、ダイスは自宅の普段は事務所代わりに使っている部屋でいた。白いワイシャツの第一、第二ボタンを外した比較的ラフな格好で、背をやや丸め気味にしてロングソファのほぼ中央付近へ深く腰を下ろすと、普通にテレビを見ていた。

 何となく落ち込んで見える双眸は、傍から見れば、へとへとに疲れ切っているかのように生気がなかった。またじっと前を覗き込んでいる様子は、ある意味、魂を抜かれた存在のように見えていた。

 約十日ぶりに出張から戻ってきたところだった。

 45インチのテレビ画面の中では、選挙が近いことをうかがわせるように、政治家同士の白熱した討論会が開かれていた。

 しかしダイスの視線は、遥か遠くを彷徨っていた。

 それもそのはず、番組は見たいと思って見ていたわけではなく、電源を入れたとき、たまたまそのチャンネルだっただけのことで、換えるのがただ面倒くさかったのでそうしていたまでだった。それくらい何もする気が起きなかった。


 目を覚ましてから三十分ほどしか経っていなかった。常日頃から寝起きが悪い方でなかったダイスであったが、その日は特別であるといって良かった。

 ジス、イク、レソーの三人を送った空港から深夜に車を走らせ、明け方近くに戻って来ていた。

 本来であれば、その後シャワーを浴びてから普通に着替えて、寝室がある二階へ向かうのであったが、その日に限って思いのほか疲れていて、そのようにする気にはなれず。ジャケットとネクタイを取っただけの姿のままで、普段は事務所に使っている部屋にふらふらと入ると、そこにあったロングソファの上にバタンと横になり、クッションの上に頭をのせたのを機に、メガネを外すのも忘れて、即効で寝入ってしまっていた。

 出張先の依頼主が新規の顧客であったことで、根を詰めて仕事をしたのが影響したのか、蓄積した疲れが一気にどっと出たらしかった。


 そのようなわけで、やがて尿意を催して目が覚めたときは、何となく身体がだるく重い感じがした。

 生あくびをしながら何はともあれ腕時計を覗くと、ハイブリッド式の時計の短針と長針が一直線に連なっていた。

 そのことから朝の六時だと判断して、まだ少し寝足りないかと思いながらも、部屋から通路に出た。すると、早朝の冷たい空気が漂う通路の壁の小窓から入った日差しが、目の中に飛び込んで来た。日差しは通路内を明るく照らしていた。また玄関前の道路では、混雑している車の騒音がしていた。

 またいつもの通勤途中の朝の光景なのだろうと、ぼんやりした頭で考えると、別に気にも留めずに用を足しに行き、そのついでにダイニングへ立ち寄り、大型冷蔵庫内を物色した。

 喉が渇いていたことに加えて空腹を感じたからだった。

 冷蔵庫には予め、ミネラルウォーターのペットボトルが五本入っていた。

 その一本を取り出して喉を潤すと、次に朝食の支度に取りかかった。

 いつもなら娘のイクの役割だったが、本人がいない時は自身が行っていたこともあり、手際良く冷蔵庫横に置かれた冷凍庫の上蓋を開けて、中から凍った食パンの固まりを取り出すと、電動スライサーで食べる分だけカットして、そのままトースターに放り込み、その間に電気ケトルで湯を沸かす準備をした。次に冷蔵庫を覗いて、色々と並んでいたジャムのビンには目もくれずに、安易にパンに塗れるチョコレートクリームとバターのチューブを選んで取り出し、パンが焼き上がると同時に塗り付けた。その後、ケトルで沸かした熱湯を使い、自分用のコップでコーヒーを入れると、ほんの五分ほどで簡単に食事を済ませた。

 それから適当に後片付けをして、再び部屋へ引き返した。そのとき蒸し暑く感じたので空調を効かせるのを忘れなかった。


 そのうちウトウトとすると、無意識にリモコンを操作していた。

 たちまちテレビに電源が入り、切り替わった画面では、ニュース専門の放送をやっていた。アナウンサーが総合ニュースとローカルニュースを交互に伝えていた。

 けれども、テレビの音声も映像も、ダイスの脳裏には届いていなかった。代わって、夢ではないのかと思われるくらい奇妙な出来事が、何の理由も無くフラッシュバックとなって思い出されていた。


 あれは十日ほど前のことだった。

 早朝に、ジス、イク、レソーの三人を空港まで送った後、待ち合わせ場所として指定されていた、空港近くの公園の沿道に連なるように建っていたトーテムポール様のモニュメント群を目印にして、その付近の道路に車を止めて待っていると、しばらくしてぶっきらぼうに声を掛けて来る者があった。

 黒いキャップを深めに被っていたため、十分に顔をうかがうことができなかったが、かなりの長身と口ひげを生やしているところと、かすれ気味の声が特徴の若い男で、グレイのパーカーの上着に下は同色のスウェットと、それほど目立たないカジュアルファッションに身を包み、その風体からは何の仕事をしているのかさっぱり分からなかった。

 男はスウェットのポケットに両手を突っ込んだまま、低い声でフローとだけ名乗ると、女性を介して依頼したのは自分だ、女性とは古くから知り合いだと述べると共に、要件を簡単に説明して来た。

 それによると、辺境に建つ別荘をリフォームして欲しいという依頼だった。尚、報酬はキャッシュで支払う。一応、一日辺り千ドルだ。また必要な資材は買い揃えてあるから心配はいらないとも付け加えた。

 そして男は、その場所まで道案内するからと、勝手に車の後部座席へ乗り込んで来た。

 その後しばらくの間、男の指図通りに通ったことのない周辺を走っていると、気が付けば周りに人家が全く見えなり、長期に渡って人や車が通ったことが無いような辺境の道にいつの間にか出ていた。

 見渡せば周辺一帯は赤土の大地で、砂漠とまではいかないが、それでも鳥も飛んでいないし、獣の姿もなく、草一本も生えておらず。一言で表せば、陸の孤島、或いは荒涼とした大地と言え、そこで見かけるものと言えば、ピラミッド型、キノコ型、箱型、舟型、ヘルメット型、人型、かめ型、意味不明な型と、不思議な形状をした岩山ぐらいなもので、遥か向こうには地平線が見えていた。

 そのような中をどのくらい走ったか分からなかったが、突然付近の岩山を指さし、あそこだと男は言うと、そこに見えた何の変哲もない岩山の周囲を回るように指示を出して来た。

 大人しく従うと、まもなくして車でも十分入って行けそうなトンネルが岩の断面に開いているのが見えた。

 中は真っ暗で、ヘッドライトを点灯して侵入すると、一番奥の方に何らかの人工物が見えた。男はそこまで行くように指図して来た。言われた通りにすると、男はそこで勝手に車から下りた。何をするのかと見ていると、直ぐに、辺りが仄かに明るくなった。どうやら男が照明を点けたらしく、黄色かかった明かりに照らされた内部は、天井も高い上に比較的広かった。そして奥の方には、鉱山などで使われる垂直式のモノレールが、エレベーターの代わりに、上部と下部へ向かって掘られた深い穴の岩盤に設置してあった。

 やがて、指示されるまま車をそこに放置して、男の後に続いて歩いて行き、目の前に見えたモノレールに乗り上部へ昇って行くと、天然というよりは人工的に岩盤をくり抜いてできた感じの広い空間に出た。中はひんやりしていて、陽が当たる外と違い暑さを感じなかった。

 明かり取り用に開けられた穴から漏れた陽の光に照らされて、束にまとめられた各種パイプ・鉄骨・建材、大小の段ボール箱・木箱が山のように積んであるのが見て取れた。男は見ての通りだと一言言うと、また別の部屋へと案内した。

 部屋数は、地下部の部屋と併せて全部で十五あった。中には、やはりというべきか、明かり取りの窓がない真っ暗な部屋もあった。そんなときの為に、男は部屋の入り小口にバッテリー式ランタンを用意周到に置いていた。

 男は部屋を案内しながら、「暇を見つけては一人でこつこつと造って行ったのだが、仕上げているうちに中の内装と電気回り及び水回りが手に負えないと感じて依頼したんだ」と直ぐに冗談と分かる理由を述べると、ここは照明だけを付けてくれたら良い、ここは照明とドアを頼む、ここは内装全部だ、ここは水回りと照明を頼む、と注文を付けて行った。そうして、ごく短時間で簡単に全ての部屋を案内し終わると、


「期間は一週間だ。期限さえ守ってくれるなら、やり方はそちらに任せるから自由にやってくれたら良い」


 と話して、続いてその間の食と寝床について簡単な説明を行った。そして最後に、「あとは頼むよ」と言い残し、いつの間にか建設途上の別荘からいなくなっていた。前もってどこかに隠してあった車に乗って去ったと思われた。

 男がいなくなって一人になったので、腕時計で時刻を確認すると、何はともあれ腹が減っては何も出来ぬからと、地下の最下層にあった、食糧が保管してある部屋を見に行った。

 寝る場所はどこでも構わないが、こんな不便なところで食べ物と水がなければ一日も持たないと考えてのことだった。

 ダイニングにする予定らしい空間と続きとなった部屋内には、壁に面してスチール棚がずらりと並んでいて、乾燥パスタ、サーモンやツナの缶詰に始まり、ホールトマトの大缶、ベイクドビーンズやスパゲティやフルーツの缶詰、チーズの固まり、ビスケットやコーンフレークの箱、オリーブやマヨネーズやカレーソースのビン、常温保存用ミルクやオレンジジュースの大型パックなどが載っていた。

 他にも、食器が入った棚と、大型冷蔵庫と冷凍庫が三セットずつ。たぶん水が入っているのだろう巨大なポリタンクが一個、何が入っているのか分からないブリキ缶・ドラム缶などが並べて置いてあった。

 食べ物は何でも勝手に取って食べてくれたら良いと男に伝えられていたこともあり、その中から手ごろな食べ物を物色。

 先ず冷蔵庫内で見つけたミルクのパックと棚で見つけたコーンフレークをチョイス。それ以外にも、喉が渇いていたので、缶ビールを一本失敬すると、そのついでにオリーブの実のオイル漬けが入った小ビンを追加で失敬した。

 それらを、作業場として決めた一番上階にある部屋に持って行くと、ひとまず腹ごしらえをした。

 と言っても、いつもの通り食事は十分もかからないうちに終わっていた。それが済むと直ぐに時間を確認した。そろそろ午後の三時になろうとしていた。


 その後、頭の中を整理ながら車の方へ引き返すと、仕事着に着替えてヘルメットを頭に被るや、特大サイズのスーツケースぐらいはありそうな、工具一式が入ったジュラルミンケースを持ち上階へと再び上がり、作業の準備を整えた。

 そうして先ず手始めとして、用意された資材のチェックを行った。

 最初に案内された部屋内に、各種パイプ類、三脚、ポンプ、空調機、各種扉・窓、骨組みとなる木材、パネル・化粧合板、断熱材、軽鉄骨、発電機、セメントの袋、コンクリートミキサー、砂利運搬車、シャベル、各種鉄筋、プロが使う工具類一式、ペンキ、配線ケーブルといった工事用資材が乱雑に山積みにされて、所狭しと置いてあった。

 また、洗濯機、ストーブ、テーブル、イス、ベッド、各種家具類、照明器具、カーペット類、壁紙類、食器類といった製品が梱包されたままになって並べてあった。

 約二時間かけて、約六百点に及んだそれら資材と備品を几帳面に全てチェックして表にまとめると、次に各部屋の中を詳しく調べながら、その規模を測量して回った。

 それから分かったことは、地上部が三階、地下部が二階の五階建て構造物であること。そして地上部と地下部の境目には、約百フィートに及ぶ地面の層があること。

 また、どの部屋も岩盤を垂直に切り取ったように整形してあり、そのため岩肌がむき出しになった状態になっていた。

 他にも、下の部屋と上の部屋は、モノレールで行ける以外に、階段や通路でも結ばれていた。

 そして、緊急避難先なのか、岩山の側面や頂上付近に出る竪穴や横穴や坑道が幾つも設けてあった。

 それら全てを知ってしまうと、頭の中に、別荘にしては少し大層過ぎないかと疑問が当然湧いた。だがしかし、あれこれ詮索しないのが、依頼主に対する礼儀だと立場をわきまえていたので、特に何も思わないようにして全てをやり終えると一番上階へと戻り、メモした資料を片手に、パソコンを操作して図面を引くことにその日は没頭した。そして、翌日から実際の作業へ取りかかった。

 すると男は、その日の午後一番に様子を見に来ると、「手が足りていなければ言ってくれ。力仕事ぐらいしかできそうもないが、それで良ければ手伝おう」と心配なのか尋ねて来た。

 その申し出に、全ての作業を一人で残りの期日までに終わらせるのには、どうしても手が足りないと思っていたので、ネコの手も借りたい気分でさっそく頼んでいた。

 そのとき男は、大の男が五、六人がかりでも丸一日はかかるのと見ていた建築資材や電化製品の運搬移動作業を、たった一時間余りで顔色一つ変えること無しに全てこなしてしまっていた。そしてまだまだ余裕がありそうだった。

 それで、ものは試しと、助手がいなければとてもできそうにないと本音を零して簡単な見取り図を示し、主だった配管パイプ及び電気配線の施工、壁材・床材の加工取り付けを依頼して見た。すると男は気前よく引き受けると、何でも器用にこなした。そして一段落ついたところを見計らうと、安心したのかまたどこかへ去っていった。

 そのような男の働きぶりを目にして、正直大助かりだった。ありがたいと思った。これで期日までの目途が立った気がした。


 たった一日で、男の手助けによってほぼ土台ができ上がったので、残りの日々を死に物狂いで、寝るのを惜しんで働いた。

 やがて期限であった一週間があっという間に過ぎ、約束の昼の三時を回った頃、別荘のリフォーム作業は何とか完了していた。そして男は、一週間ぶりにぶらりと現れた。

 その日は、ダークブラウン系のミリタリージャケットにミリタリーパンツの格好で、頭には同じ系統のキャップを深くかぶっていた。そして相変わらず、パンツのポケットに手を突っ込んでいた。

 その様子は、七フィート近くはありそうだった長身と相まって、失業中の退役軍人のように思われた。

 ダイスがそんな男を笑顔で出迎えると、男はあいさつもそこそこにさっそく仕上がり具合を見て回った。そして全てを見終わると、満足そうに微笑んだ。男が笑ったのはこれが初めてだったので、ほっと胸を撫で下ろすと、男は少し間をおいて愛想笑いを浮かべると切り出した。


「実は私の友人もお前に仕事を頼みたいと言っている。三日間ぐらいで良いんだが。その代り報酬をはずむように私から頼んでやるが、どうだ、受けてくれないか」


 そう言って、「ああそうそう、これが約束の金だ。取っておいてくれ」と、気前よく現金を目の前に差し出してきた。それはひと目見て結構な報酬であった。 従って、


「どうも、すみません」


 と感謝の礼を言い、もちろんありがたく頂戴していた。そしてここにきて、男の要請を断わる理由は何もなかったので、「はい、やります」と受け答えしていた。


 だが、そのあとがどうも変だった。どうしても思い出せなかった。状況から考えて男が何か言ったのに間違いなかったのだが全然覚えていなかった。

 だがそのようなことを忘れさせるように、それまで見慣れた赤い大地がいきなり一変していたのを鮮明に覚えていた。あれは何だったのだろうな。


 あのとき、急に身体に電流が走ったような衝撃を受けて、びっくりして目を開けると、横から「おい、着いたぞ。起きろ」と、男が乱暴に呼び掛ける声がして、不思議なことに自分は車の運転席に座っていた。おまけにハンドルまで握っていたのだった。そのことは車を運転したことを意味し、それを実証するかのように、見たことのない場所に来ていた。

 従ってそのとき、何かの冗談だろうと一瞬疑い、改めて周囲の状況をうかがった。そして、夢でも何でもないことを実感した。

 見れば、四角く整形された大きな広場のほぼ真ん中に車は止まっており。その周りにはグリーンの芝生が敷き詰められた庭みたいなのが見て取れ。ちょうど正面には青々と茂った生垣に囲まれた中世の学校のような威厳のある建物が見えた。

 加えて、左側にも右側にも後方にも巨大な建物が建っており。左側は尖った屋根を持った教会のような建物、右側は古代の神殿風の建物、後ろ側はドーム状をした建物で、その建物だけアーチ状をした門が大きく口を開けていた。いずれも生垣に囲まれており、車が止まっていた広場を中心にして、それらの建物まで石畳の路が続いていた。

 それらのことから察するに、車はドーム状をした建物の下をくぐってやって来たらしく。ということは、ここへ着いた途端にしばらく居眠りをしたということかと思い、急いで腕時計をのぞいてみた。午後の四時過ぎを示していた。あいにくと天候は曇りで太陽は照っていなかったが周りは比較的明るく、それ相応の時刻と見て間違いないように思えた。だが何となく変だった。

 しかし、そんな疑惑を拭い去るぐらい、周囲の情景は圧巻だった。その荘厳さと雄大さは、まさしく金持ちが金目に糸目をつけずに造らせた建築物とみてほぼ間違いなかった。

 これほどまでの途方もないのを直接見たことが無かった。あるところにはあるもんだ、と羨ましいのを通り越して、あきれてものが言えないほどで。もし個人の邸宅というのなら、地元のかなりな有力者か、裕福な資産家の持ち物と言ってよさそうだった。

 それで、「ここはどこですか」とつい訊こうとした。だがその矢先、それを遮るように「私が取り合って来てやるから、それまでここで待ってろ。動くんじゃないぞ、分かったな」と脅かすような男の乱暴な声がいきなり響いた。不意を突かれて、はいと思わず返事をしていた。

 それから男は、目の前の年代物の建物の方向を目指して、さっそうと石畳の路を歩いて行くと、やがてしばらくして、お揃いの薄ピンクのつなぎ服を着た、建物の住人らしき三人を引き連れて戻って来た。

 三人はいずれも女性で、白い日焼け止めクリームを目一杯顔に塗り付けて、マスクを付けたような顔付きをしていた。そのため素顔は分らなかったが、ひとりは若い成人女性で、残りの二人は明らかに十歳前後の子供だった。

 そのとき女性を一目見て、夫婦が離婚したとしても、仲良く友人関係を続けることが世間一般に良くあることだからと、男と女性が元夫婦で、子どもは二人の間にできた実子なのか。そういった思いが頭の中を駆け抜けた。だが、思っただけで何も尋ねなかった。

 すると女性は、サンドラ・ヴィセイと自己紹介し、男を古くからの友人だと言い、二人の子供を自身の養女でそれぞれユーニ、ユーリと紹介した。

 そしてさっそく女性はそのままの格好で周辺を巡りながら、依頼の要件を伝えて来た。

 そこでの作業は、何ということはない、車が止まる広場の周辺と建物の周辺と石畳の路の沿道に、それぞれソーラー式の外灯を立てること。既に古い配線タイプの外灯は撤去してあった。

 あとは、動かなくなった機械の修理とメンテナンス、水回り全般の交換などで、それほど難しいことではなかった。

 その間、三人はと言うと、作業着姿で楽し気にペンキ塗りをしたり、庭の手入れをしたり、ベンチを新たに設置したりしていた。

 そのときも、いつ飲み食いしていつ寝たのかはっきりしないくらい懸命に働いた。そうして最後の日になったとき。外での作業中に、霧雨のような細かい雨が通り過ぎるのに出くわしたことがあった。たった五分間程度であったが、久し振りに見た雨であった為、いつになく記憶の中に鮮明に残っていた。

 そしていよいよ契約が満期を迎えたとき、例の男が最初に声を掛けて来た空港近くの公園横の道路に車のハンドルを握ったままいたのだった。

 その間に何が起こったかさっぱり分からなかった。思い出そうとしてもできなかった。

 但し夢でないことは、目の前のテーブルに載った、現金の束が証明してくれていた。

 全部で一万二千ドルあった。先に受け取った約束の報酬七千ドルに五千ドルが追加されて、ジャケット裏のポケットにいつの間にか入っていたものだった。

 当初それを見たときは目を疑った。不思議なこともあるものだな、たった三日間で五千ドルくれるとは、奮発してくれたのかな? というのが正直な気持ちだった。

 だがその一方、でもありがたいことだ、これで少しの間やっていける、と何となく安堵していた。 

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