第18話
午後の強い日差しが、大きな窓を覆うブラインドのわずかな隙間から漏れ、アイボリー色の部屋全体をより明るくしていた。
部屋は未来的な部屋、シンプルモダンの部屋、無機質の部屋と例えるべきか、書棚もキャビネットも照明も時計もなく、がらんとしていた。照明は、天井板そのものが照明となって白く輝いていた。
そこにあったのは、十人の大人が余裕で食事ができる食卓ぐらいの大きさと幅がある黒い執務机と同色の重役イス。あと、五人ぐらいがゆったりと腰掛けることができるロングソファとサイドテーブルがそれぞれ二脚あるだけだった。
仄明るい部屋の中には二人の男がいた。どちらも若くはなかったが、周りに放つ存在感は人並み外れていた。
ひとりは、ブラウン系のTシャツの上に階級章が付いたカーキー色のミリタリージャケットをきちんと着たスキンヘッドの色黒の男で、服がはちきれんばかりに身体が大きかった。
窓を背にして執務机に向っていた彼は、彼を囲むように並んで据え置かれた三台のノートパソコンの画面を一々覗き込んでは両方の指でタッチパネルを操作し、黙々と作業を続けていた。
そしてもうひとりの方は、高貴な香りが漂うダブルの濃グレイのスーツをさらりと着こなしたひげ面の男で、黒い長髪をオールバックに整え、彫の深い顔をしていた。彼は、ちょうど机の前に置かれていた五人がゆったりと座れるロングソファの中央付近に深目に腰掛け、優雅に足を組んでいた。彼の目の前には、円形状をした二脚のサイドテーブルが横並びに置かれ、その真向かいに同じ型のソファが配置してあった。ソファもテーブルも黒っぽく、周りと調和が取れていた。
室内は何となく穏やかだった。温調が効いて快適な温度に調整されていた。防音機能がしっかりと効いていると見えて、外部からの雑音も無く、聞こえてくるのは、スキンヘッドの男がタッチパネルを指先で叩く音ぐらいなものだった。
ともすればテレビ局のセットのようにも見て取れていた余りに簡素で殺風景なこの場所は、スキンヘッドの男専用の個室、そう、基地司令官の私室だった。
普通、司令官の私室といえば、少なくとも秘書か担当の部下が一人か二人、傍の席にいてとか、ごく普通に現物若しくはミニチュアの国旗が飾られているとか、基地に関連した写真やイラスト画が壁にさり気なく掛かるとか、ファイルが一杯詰まった書類棚や収納庫が周りにあったりだとか、机の周辺には書類が積まれていたりとか、何台もの電話が近くにあったりとか、インテリアとして観葉植物が置かれてあるとか、ある程度騒がしい雰囲気に包まれているとかを誰もが連想するかも知れないが、そのような景色はボタン一つでどこかに隠されてしまったかのように、一切存在していなかった。
ま、ともかく、誰が何を言おうとこの場所が司令官の私室であることは疑いようもない事実であった。
ひげ面の男、即ち芸術家風の男が、それまで伸びた髪を剃りいつものスキンヘッドの頭へ戻していた男、ジョンによってこの部屋に招かれてからもうかれこれ二十分近く経過していた。要件は、この部屋で訓練の経過を一緒に見ようというものだった。そのときの彼は機嫌が良さそうで、かなりの心の余裕が感じられた。これも事前に芸術家風の男により作成された訓練参加者への厳しいルールが、基地の兵士側にことのほか有利に働いていることからきているのは火を見るより明らかだった。
当初ふたりは、二言か三言、儀礼的な会話を簡単に交わした。が、それ以後ずっと互いに無言だった。
スキンヘッドの男は、芸術家風の男が部屋に入って来る前から三台のパソコンを相手に格闘の真っ最中だった。三台のパソコンの画面を見比べながらタッチパネルから何かを入力して、時折手を休めたかと思うと、綺麗にひげを剃り上げた頬をしきりに撫でる仕草をしながら熟考を繰り返していた。
そのように自分の仕事を熱心にこなしていた男に対して、片や芸術家風の男も勝手知ったるという訳なのか、そうそう負けてはいなかった。
ソファに手招きされるや、この前代未聞の企画を提案した張本人だというのに落ち着き払って深く腰を下ろすと、心ここにあらずと云った風に天井のほうに視線をぼんやりと向け、訓練の時間が来るのを、まるで他人事のように呑気に構えて待っていた。
今日は訓練当日で、あともう少しで始まろうとしていたのに、その部屋だけは不思議とのどかな雰囲気だった。
室内に漂った香木の崇高な香りが、仄かに鼻に付き始めたそんな頃。
「忙しいのだな?」
不意に良く通る声が響いた。首の後ろへ適当に手を置き、退屈そうにソファにゆったりと腰掛けていた芸術家風の男からだった。 そのとき半開きになった彼の視線の先には、パソコンに隠れて顔が十分に見えないスキンヘッドの男の姿があった。
一方、男の久し振りの一言に、問い掛けられた当人は、ちょうどそのとき熟考の最中で手が止まっていたこともあり、「ああ」と直ぐに気安く応えてくると、笑みを含んだ嫌味っぽい口調でこう返していた。
「君がこんな仕事を持ってくるからだ。僕もね、この年になるまで基地でこんな上手いビジネスができるとは考えても見なかったよ。ただ、そのお蔭で他の者に依頼ができなくなって、こうして僕がやるはめになってしまったんだがね。ほんとうに収支決算なんて何十年振りだろうな」
「ああ、それはすまなかったな」
芸術家風の男がニヤッと笑った。
突然話し掛けたのは別に待ちくたびれてしびれを切らしたというわけではなかった。これといった理由もなしにそうしたまでだった。
それを知ってか知らでか、彼の謝罪らしき返事をパソコンの画面を眺めながら聞いたスキンヘッドの男は鼻で笑うと言った。
「だが良い事もある。来場者の素性さ。ま、これはおまけだけれどね。だがこれはこれで良いデータ収集になったと思っている。皆が皆、偽名を使って身分を隠してやって来ているようだが車のナンバーや人種、言葉使い、立ち振る舞い、それ以外は悪いが教えられないが、よくよく調べて行くと大よその素性の見当が付く。色々と参考になるものだよ」
「それでどの位集まったのだ。それが聞きたいね」芸術家風の男は何食わぬ顔で訊いた。
「君はどちらの方を聞いているのかな?」
「それは決まっているだろう! この訓練に参加する人数だ」
「ふふん、君は商売上手だな」
「はあ、一体どういうことかな?」
「まあ、良い。応募人数は最終総計では六千八百七十一人だった。尚、今日の訓練に参加する人数は登録者数によると六十七名だな」
「ほほう、良く集まったものだな」
「おおよそ一パーセントの命知らずが参加するようだが。さて、どうなるものやら」
そうスキンヘッドの男が他人事のようにニヤニヤして呟くと、パソコンの画面から一旦目を逸らして苦々しげに言った。
「君にとって良い情報を教えてやろう! どこからこれほどやって来たか知らんが有料見物入場者数は九百と十一人だ。その上、君が予想した通り、客は最低ランクの一万ドルのサービスに見向きもしなくて、皆が皆、その上のディナー付き三万ドルの方か、さらにその上の五万ドルの門外不出のビデオ映像の特権付きのスペシャルサービスの方を選択したよ。何やこれやで軽く見積もって五千万の売上だな。経費を差し引いたって相当な利益がどう見ても出るような気がするのだが?」
芸術家風の風貌をした男は、これに含み笑顔で応えた。だがその目は冷ややかだった。
スキンヘッドの男は、ダンマリを決め込んだ男に構わず続けた。
「本当に金持ちや権力者は余程血生臭いのがお好きと見える。ビジネスが巧みというかその心理を旨く突いた君には、ま、詐欺ではないが、こちらもいいようにやられた気分だよ」
自嘲気味な笑みを浮べてそう話した恰幅の良い男に、芸術家風の男は反論するようにすぐさま口を開いた。
「しかしだな、君の方にも協力費やマージンが入る上に、良い訓練になることだし全く良いことずくめではないのかな?」
スキンヘッドの男は、ふんと鼻先で笑うと応えた。
「君は僕を同じ穴のムジナと言いたいのだろうがそれは違うよ。それははっきり断言できる。得た金は全部、今回協力してくれた基地の住人に配分するつもりだし。
君は良い訓練になるというが、普段通りにやればものの五分もあれば全て片がつく筈だからね。寧ろ今回の件は、いかにショーとして時間を掛けて見せるかに苦心したんだ。でないと、わざわざここまで足を運んで見に来てくれたお客様に申し訳ないからね」
「私はそうあって欲しくないが」
「それは君の希望かな?」
「ま、そうだな」
「まあ、良い。でもその希望は悪いが永遠に叶わないな」
「……」芸術家風の男の本音は、別のところにあった。だが、それを口に出さずに少し間を措くと、落ち着き払った声で尋ねた。「ところで、一つ訊いても良いかな?」
そう言って身体を起こした。
「ああ、何だい」スキンヘッドの男がすかさず訊いて来た。軽めの口調だった。
「ここへやって来たとき、妙に人が少ないようだったが。みんな、何か特殊な訓練でもしているのかな?」
「ああ、そのことね」男は軽く受け流すと、嬉しそうににやりとして言った。
「ま、訓練と言えば訓練になるのかな。これも、君がこの基地全部を借りたいと、途方もない要求をするものだからそうなったんだ。
話が余りにでか過ぎて僕個人だけの一存では決められなくてね。ここは立場上、許諾を取ることが一番だと基地の主な幹部を招集して会議を開くことにしたんだ。
すると、基地の主要な施設の内、特殊な演習施設や武器弾薬が納めてある施設、軍事上明かすことができない研究施設は絶対貸し出すわけにはいかない。飛行場もダメだ。基地のノウハウが詰まっている施設も貸すどころか見せるわけにはいかないだとか、次から次へと反対意見が出てね。終いにあれもこれもダメだとダメダメ尽くしで、これじゃあ何も貸せないということになって、結局僕が妥協案を出して、ようやく貸し出すことに決まったのは、兵舎の建物と基地会館の一部のみでね。
ところが一つ難題があった。中の人間をどうするかだ。そこで思い付いたのは生活物資を持って長距離を徒歩で移動する行軍訓練だったわけだ。だがしかしこれも一つ問題があってね。これだけ大規模な野外訓練は、この基地では今まで実施されたことがなかったことだったんだ。それで、どうして急に行軍訓練をする必要があるのかとの根拠を示し、納得させなければならなくなってね。
それで、もうこれは実績作りだと言って押し通すしかないと考えたんだ。だが、その途中でちょっと閃いて、前代未聞の大規模な行軍ということにすればどうなるのかと思ったんだ。つまりだな、兵舎と会館の人員を足した人数に基地内で暮らす他の住人とその家族も併せて参加させることにすればおもしろいかもと思ったんだ。もちろん基地警備に必要な最小限の人員と今回の訓練に必要な人員は差し引いてだがね。
そして事実、その通りにしたわけだ。するとどうなったと思う? 誰からも不満は出て来ないどころか、逆に基地内に住む住人がお互いに連帯感を深め合うことは良いことだと、みんな快く賛同してくれてね。つい二日前だったか、六泊七日の行程で、全員が基地の敷地内の目的地へ向かったというわけだ。
ま、そういうことで、人がいないのだ」
道理でと芸術家風の男は薄く笑うと、小さく頷いた。「なるほど、そういうことだったのか」
「ああ。今頃は日程から言って目的地へ着いた頃だろう。そこで二泊して戻って来る筈だ」
「ところでジルはどうなったんだ、姿が見えないようだが。別の研修地へ向かったとか」
「ああ、彼ね」スキンヘッドの男はしたり顔で言った。「彼ならまだいるよ。別の部屋だけどね」
「というと」
「あ、それなんだが」
そこでもったいぶったように言葉を切ったスキンヘッドの男は、イスに座ったまま急に背筋を伸ばして手を上空で組み、そこから突然手を離すと身体を脱力した。それから首の回転運動、前後左右へのストレッチ運動、肩回しから手指の曲げ伸ばし運動を繰り返して、手首の関節をパキパキ、ボキボキと小気味良く鳴らした。それらを心地良さそうに三十秒ほど掛けて続けると、最後に背伸びする姿勢から深い深呼吸を一回して満足そうに微笑んだ。
どうやらそのとき、細かい仕事に長時間いそしんできてカチカチに凝り固まった身体の筋肉を解きほぐしたらしく。それらの運動が終わると、何もなかったかのような顔で口を開いた。
「実は訳あって、彼は総指揮官として僕の代わりに今日の主役を務めることになっている。 今、作戦本部の中央席に陣取っている筈だよ。
いや、なーに、総指揮官と言ったって、その脇を固めるのは基地に長年勤務の熟練の下士官ばかりだからね。全く心配いらない。彼はただ開始と終了の合図を発令するだけで良いんだ」
ふ~んと、芸術家風の男が無表情に呟いた。「なるほど、そういうことか! だからここにいない訳なのか」
「ああ、そういうことだ」
恰幅の良い男は口に軽く手をあてると、ごく親しい者以外には見せないだろう、大きなあくびをした。そして、にこやかに微笑んだ。
「何なら彼を勇気づけてやるかい? 昨日まで入念にリハーサルを繰り返していたが、やはり本番は格別だからな」
そう言うと、タッチパネルから何らかの記号を入力して、最後にエンターキーを押した。友人がいる場所に連絡を入れたらしかった。
そうしてパソコンの画面を見ながら少しの間、黙って待っていた。その様子を、芸術家風の男は腕を組んだ格好で眉を寄せながら眺めていた。
しかしあいにくと連絡がつかなかったのか、やがてスキンヘッドの男は、「ダメだ。つながらないな。これは回線が死んでいるな」と諦めたように独り言を呟くと、ソファにゆったりと腰掛けた芸術家風の男に向き直り、
「現場の生中継やらで電波がどうも混線しているらしい。それでどうやらつながらないみたいなんだ。顔を見て激励してやりたかったのだが、そうもいかなくなった」
そう言って、心当たりがあるのか難しい顔をした。芸術家風の男は少し怪訝な顔で首を傾げると問い掛けた。
「仮にもここは君の部屋なんだろう。そこから連絡を入れてつがならないなんて、そんなことがあり得るのか?」
次の瞬間、スキンヘッドの男は、「こんなことは滅多にないのだがね」と苦笑いをした。だがその目は笑っていなかった。
「ともかく映像が見られないだけで、それ以外は問題ないはずだから、声だけでも聞こうか」
そう男は提案すると腕時計で時間をチラッと確認した。それからパソコンのタッチパネルへ目を向け、キーの一つを押した。
そして低く呟いた。
「ジルの奴――――」
どうやらパソコンを使って直通電話を男は掛けたらしく、彼の呟きと重なるようにプゥープゥープゥーと云った機械的な呼び出し音が執務机の辺りから何度か鳴ったかと思うと、少し間の抜けた柔らかい調子の男の声で誰かが出た。
『はい、こちら、マスターウェポン』
すぐさまスキンヘッドの男が、「こちらはマギスターヒールだ。どうだい、元気にやっているかな」と応じた。その声を彼の右側の胸ポケットにチラッと見えたボールペン型のピンマイクが拾っていた。途端に、
『ああ、すこぶる元気さ』
はっきりした明るい声が返ってきた。紛れも無くジルの声だった。どうやらお互いを暗号名で呼び合っているらしかった。
『もうそろそろ来る頃だと思っていたよ』
「それなら早い。簡単で良いから聞かせてくれないか」
『ああ、分かったよ。でも初めて本番で指揮を執るというのはやはり緊張するものだね。あれこれ考えてしまっていけないね』
そのとき二人が交わした会話のやり取りを理解できていなかった芸術家風の男は、憮然として聞いていた。
その間も二人の話し合いは親し気に続いていた。
『ああ、その前に一つ聞いて措きたいのだが、早く終わるとすると後はどうすれば良い?』
「そのことは終わってからで良いだろう。それより早く聞かせて欲しい。でないと時間が来てしまう」
『ああ、そうだったね。でも君も分かっていると思うが、僕にとって現場の説明は苦手と言うかちんぷんかんぷんなんだ。それでだが君の部下であるその道の専門家に話をして貰う方が正しく伝わると思うんだけどね。どうだろうな?』
「ああ、そうして貰おうか」
『ありがとう、すまない。じゃ代わるよ』
間をおかずに、『 はい、ただ今代わりました』と、張りのある声が突然響いた。その声の主も男で、しかもしわがれた声質からかなりの高齢者と考えられた。
『私は今回の作戦の副指令を務めさせて頂いております……』
「ああ、スミス中佐」スキンヘッドの男が困ったように話を遮った。「分かっているから作戦内容の方を早く頼むよ」
男がそう告げたのには訳があった。スミス中佐。彼は弁がたつから話が長くなると感じたからだった。
彼は基地に十二人いる参謀資格がある人員の内、一番の古株であり、もうあと半年ほどで定年延長の期限も切れて退役することになっていた人物だった。
学歴は、出た学校も成績も人並みに優秀。特技は、口がうまいこと。性格は、上司に極めて従順、要領が良い、協調性も併せ持つと、どこにも欠点らしい欠点がなかった。ところが出世はそれに伴っておらず。中佐という肩書きも、円満引退する彼へのはなむけとして特別に昇給をさせたもので、実質上は少佐止まりだった。
どこにも欠点がないように見えた彼が定年までどうして出世と縁がなかったのかといえば、彼が長所として持ち併せていた、口の旨さに加えて変に鼻が利き世渡りが上手だったことが逆に腰が軽いと見られたこと。考えが人一倍保守的であったこと。完璧過ぎるほど完璧主義者であったことが災いして、人を利用するずるがしこい奴、いつも主流派にいる奴、マニュアル重視の面白みがない奴と周りから見なされ、結局のところ、それほど重用されなかったことから出世が遅れたのだろう、というのが数年間彼を見て来た男の見解だった。
そのような人物像であったため、当然のことながら、これまで実践どころか演習においても一度も参謀経験がなかった。
それ故にスキンヘッドの男の胸中では、どんな事情があったか知らないが、そんなやってみないと分からない彼をジルが選任したのは正直冒険以外の何ものでもない。だがジルに一旦指揮を任した以上は意見を言うわけにはいかない。そうでないとジルが一人でやったことにならないからとの一抹の疑問と不安とが起こったのも確かだった。
だが実際に動く現場は経験豊かな選抜部隊であるから、指示を出す側の未熟さを補って余りがあるだろうと踏んで、直ぐに頭を切り替えると気を取り直していたのも確かだった。
『はい、かしこまりました』その催促に声の主は、咳払いを一つすると改めて口を開いた。
『え、それでは始めさせて頂きます。この訓練は外患罪、騒乱罪、内乱罪の条文に照らして、それを平定することを旨とします。先ず手始めに……使用する項目はC兵器(化学兵器)を主体としてBL兵器(レーザー兵器)を加えた手法を取ります。今回の作戦はファイル名、テロリスト対戦マニュアル、コード名、一の二の五、並びに十の三、四、五。補足としてコード名、二の五の四、その一、その二、その三……に準じて作戦を実施する予定であります。尚また追加措置としてコード名、二の五の五、その一、その二、その三、その四……』
「悪いね、中佐」
スキンヘッドの男が再び途中で遮った。今度はやれやれと苦笑いを浮べて。芸術家風の男がしらけきった顔をしているのに気が付いたからだった。言わずもがな、そのとき芸術家風の男の耳に入っていたのは、意味不明の専門略語と法律の条文のような言い回しと番号の羅列だけで、話の内容はちんぷんかんぷんだった。
それに配慮したのか彼の男は、はっきりした声でこう切り出した。
「途中ですまないのだが、この部屋に別の基地から広報の若い課員が訓練を取材をしに来ていてね。僕は分かるから良いんだが、彼女はまだ軍に入りたてで素人みたいなものらしく口をぽかんと開けているんだ。悪いがもう少し具体的に説明して貰いたいんだが。良いかな?」
そう男が出まかせを言うと、『はい、了解しました。ではそう説明させて頂きます』との丁寧な物言いの声が響き渡った。それから続いて、『少々お待ちを』と遠慮がちに伝えてくると、慌てて資料でも見ているのだろう、急に沈黙した。
スキンヘッドの男はにやにやしながら、その待ち時間を利用してイスから立ち上がると、芸術家風の男の向かい側に置かれたソファの付近まで歩いて行き、いつの間にかそこへ腰を下ろしていた。
そのとき軽く目くばせをしてニヤリと笑った男に、芸術家風の男は、なるほど気を利かしたんだなと、ニヤッと笑みを返していた。
それから三十秒ほどして、
『ええ』
顔を見合わせながら待っていたふたりの元に、再び老かいな声が響いた。
スキンヘッドの男が席を立つとき、どうやら音量を上げておいたらしく、今度はさらに声が大きく聞こえた。
『それでは始めさせて頂きます』少し間をおいて声の主が話し出した。ふたりの男は黙ってそれを聞いていた。
『作戦の第一段階に措きましては、先ず残留性の少ない四種類の神経ガスを用いまして、それを仮想敵に対して投下後、二系統の対テロ支援部隊が上空と地上から突入する計画になっております。尚、これには先に実戦への配備検討依頼がありました最新式のショックガス、ショックレーザー、ショック地雷、ショック銃をテストを兼ねて用いる予定にして居ります。
ええ、恐らくこの時点で仮想敵は壊滅すると思われますが、これを突破された場合を考えまして、第二段階として、周囲に配置するバリケードやざんごう内に高度技能を持つ狙撃兵と歩兵を潜ませてこれに備えております。
ええ、さらに第三段階に措きましては、武装ヘリを使いまして上空より下を監視する役目と共に銃撃する役目も命じております。
その上に第四段階に措きましては、三十個団の装甲部隊の配備。五十個団の自動車部隊と一千余りの兵員を周囲に動員して、蟻の這い出る隙もないようにする予定も考えています』
前述の申し立てが、どこでどうやればそのようになるのか分からなかったが、ともかくそのような形に翻訳されて出てきたことに、スキンヘッドの男が軽く頷くと言った。
「中佐、良く分かったよ。ありがとう。それじゃあ、横に入る司令官殿に代わってくれないかな」
『あ、はい、かしこまりました。では』
「すまないね」
即座に柔らかい口調の声が返ってきた。ジルだった。『どうだね? 聞いてくれたかな?』
「ああ、十分過ぎる程理解できたよ。隣にいる女性記者さんも納得してくれたようだよ」
『ああ、そうかい。それは良かった』
「では頑張ってくれ給え。幸運を祈るよ!」
『ありがとう。任して措いてくれ。あ、それから、終わったら連絡をするから。待っていてくれるかい』
「ああ」
突然そこで通話が切れた。プープープーという機械音が五秒ほど続いたかと思うと突然無音となった。
向こう側から先に電話を切ったらしかった。
「さて、こちらも準備をするか」
不意にスキンヘッドの男は、ソファに腰掛けたままスッと背筋を伸ばしてそう呟くと、ウエイトリフティングの選手のような立派な上体を捻じり、先ほどまで腰掛けていた執務机の方を向いた。
「見ていてくれたまえ」
芸術家風の男にそう言うと、執務机の方へ向って手を三度叩いた。
彼は一体何をするつもりなのかと芸術家風の男が見ていると、続いて「 ファクタ ノン ヴェルバ(言葉より行動を)」と叫んだ。
執務机の奥の方の壁には遮光ブラインドが下りた横幅二十フィート、高さ六フィートはあろうかと思われる長方形の大きな窓があったのだが、その声でブラインドがゆっくりと天井部へ巻き上がり、それまで隠れていたガラス窓が出現した。ブラインドにはセンサーが付いていて、音と言葉にどうやら反応するらしかった。
その光景を芸術家風の男は、無言で眺めていた。すると、突然明るい陽射しが窓から射し込んできたかと思うと、雲がほとんどない澄み渡った青空が現れた。太陽は建物の背後にあるのか見当たらなかったが、その下にそれほど高くない山々が横に広がっているのが見て取れた。山々は緑青色をしていて、白いもやのようなものが上に掛かっていた。そのずっと手前に、もう一段低い灰色の台地が見えていた。遥か遠くに見える山々と違い、草木がほとんど生えていないようで灰色は地肌のようだった。最後に、下の大地は赤茶げた荒野になっていた。
一見すれば、どこにもあり得る、ありふれた景色だった。
「ここから良く見えるだろう。あの灰色をしたところが今日訓練が行われる場所だ。ここからは、そうだな……。十五か十六マイルあるかな。あそこの辺りに訓練建屋が建っていてね。訓練の開始と終了時に合図として赤と青の二色の信号弾が上るようになっている」
なるほどと芸術家風の男は頷いた。スキンヘッドの男は満足そうに微笑むと、今度は首だけ振り返って反対側の壁の方を向き、同じように追随した芸術家風の男に向って続けた。
「この部屋は色々と環境が整っていてね、窓の反対側の壁がモニター画面になっている。そこから訓練の様子がライブ映像で詳しく見れる仕組みだ」
そう話すと、ミリタリージャケットのポケットに忍ばせていた白いリモコンを取り出しタッチボタンを操作した。すると壁一面がテレビ画面へと換わり、直ぐに大きな画面が縦四列、横八列に分割された画面に変わった。その中の幾つかはブランクになっていたが、それ以外のそれぞれには現場の鮮明な映像が映し出されていた。
「どうだい、これなら完璧だろう?」
これで全ての準備が整ったのか、男は近くにあったサイドテーブルの上にリモコンを置くと、大柄な体をソファに深く預けた。それから、にこやかな顔で足を組んで座る芸術家風の男に真顔で訊いてきた。
「さて、準備ができたところで聞かせて貰おうか。一体君は何を企んでいる」
そう言った男の顔からすっと笑みが消え、普段の凄味のある顔がそこに現れた。
芸術家風の男は、疑いの目を向けてきた男に一瞬だけ虚を突かれたような嫌な顔をしかけた。が、軽く首を振ると眉一つ動かさずに応えた。
「奇妙なことを言うんだな。君と私との間では隠し事なんかできっこないだろう。疑っているなら何でも質問してくれたまえ。直ぐに答えよう」
「果たしてそうなのか 」芸術家風の男の目を数秒間黙り込んで覗き込んでいたスキンヘッドの男が、やがて諦めたように小さく頷くと言った。「君が余りにも落ち着いているようだったので、何か隠しているのじゃないのかと思って、君がどう返事するのか訊いてみたくなったんだ」
明らかにカマをかけてきたに違いなかった。芸術家風の男は一笑に付した。
「ふ~ん。落ち着いているように見えたのは、ここでじたばたしたってどうにもならないと思っていたからさ。ある意味開き直りみたいなものかな。別に何もないさ」
「ま、それなら良いんだけどね」男は口元に薄笑いを浮かべた。しかしまだ疑っているという様子で表情はやや硬かった。男は、「だがね」と続けると、
「僕も僕なりに君が何を企んでいるのかを詮索してみたんだ。数万の兵を預かる身として、いかがわしいことに彼等を協力させたとあっては、僕どころか僕を信じて従ってくれる者達の責任問題となるのは必定だからね。でも深く考えれば考えるほど謎だらけでさっぱり分からなくなってね。それで改めて訊こうと思うのだが、本当にこれはビジネスでやっているのではないのだろうな」
「ああ、もちろん。もちろんさ」
「個人的な恨みからでも仲間内からの確執から復しゅうをしようとしているわけでもないのだな」
「ああ、もちろんさ。先に言っておくが、諜報部員のようにこの基地の秘密情報を探ろうとして来たわけでももちろんない。
また、君のように訓練をだしにして招いた客の情報をこそこそと集めるためでもない。
テロリストみたいにその客を暗殺しようなんてとんでもないことを企んでいる訳でもない。
私の目的はただ一つ。君には悪いが、一見すると絶望的のように見えるこの状況を旨い機転で持ってクリアする者を捜し出し、接触するだけのことさ」
「じゃあ、もしクリアする者が現れたとして、そいつが想定した本人でなかった場合は?」
「さあな。その後のことは私のあずかるところでないのでね。クリアした者が本人であるかどうかの確認は別の人間がやることになっているのだ。もしそこで違っていたら、 そのときはそのときで、もう一度チャンスを与えてくれってお伺いを立ててみるさ」
「で、もしそれが通らなければどうなる?」
「さあな」
素っ気ない返事を返した芸術家風の男へ、呆れたという風にスキンヘッドの男が、冷ややかに苦笑いした。
「さて、僕の考える通りになるのか君の考える通りになるのか、それは判らないが、ともかくも、その答がもう直ぐ出ることだろう」
スキンヘッドの男の頬が緩んだ。「その前にもう一つ訊いても良いかな」
「何かな?」
「まさに人間狩りとしか思えないこの訓練を娯楽とみて高い金を払って見に来る者がこれだけいる状況からいって、この世はやはり相当病んでいると見るべきなのかな」
本心ともジョークとも受け取れる男の軍の実務者らしくない発言に内心苦笑した芸術家風の男は、ふ~むとわざと困ったような顔を作ると呟いた。
「さあて、それは難しい質問だな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます