第17部 『巨樹の森の饗宴』②

プロローグ

第533話 プロローグ

 さざ波の音が聞こえる夜の海。

 帆船の甲板。そこには今、一人の女性が佇んでいた。


 年の頃は十六、七ほど。

 黒曜石のような瞳に、長い黒髪。美しすぎると言っても過言ではない美麗な顔立ちに抜群のプロポーション。背中と半袖の縁に炎の華の紋が刺繍された白いタイトワンピースを纏う彼女の名はサクヤ=コノハナ。

 アッシュ=クラインの幼馴染にして婚約者。そして正妻を名乗る少女である。

 まあ、実年齢は少女ではないが。


 ともあれ、夜が良く映える彼女は髪を片手で押さえて夜風に当たっていた。

 愛しい人を残してグラム島を旅立ってほぼ二週間。

 恐らく明日の朝にでもセラ大陸が見える。

 この長かった船旅も、そろそろ終わりだった。

 だが、ここで旅そのものが終わる訳ではない。

 上陸後は北部地方へと向かう予定である。

 まだまだ長い旅が続くということだ。


「……はァ」


 それを考えると思わず溜息が零れてしまった。

 力なく、カクンと俯いてしまう。

 彼の元に帰れるのは一体いつになることやら……。

 まだ大陸にも到着する前からそんなことを考えていると、


「お。ここにいたのか」


 不意に後ろから声を掛けられる。

 聞き覚えのある女性の声だ。

 振り向くと、そこには一人の少女がいた。

 見た目は十四、五歳ぐらいか。

 瞳の色は明るい炎のような緋色。髪は全体的に短く、外に飛び出すようなアイボリー色の乱れザンバラ髪。耳にかかる左右だけは少し長かった。

 背はかなり低いが、その低さに反比例するようにプロポーションは抜群だった。低身長でもアンバランスさもない。いわゆるトランジスタグラマーというスタイルなのだが、胸の大きさだけならサクヤにもそう劣らなかった。


「探したぜ。サク」


 そう言って近づいてくる少女。

 まあ、サクヤ同様に彼女も『少女』と呼べる年齢ではないのだが。

 サクヤには見た目が若い――というよりも止まっている――理由があるのだが、目の前の彼女の見た目には本当に驚いたものだ。

 なにせ、初めて会った十代の時から全く変わっていないのだから。


「……ふふ」


 その頃を思い出し、サクヤは笑みを零した。

 ともあれ、近づいてくる彼女は腹部を露出したノースリーブ型の黒い革服レザースーツを纏い、その上に丈の短いベージュ色のジャケットを羽織っていた。下は茶系統のホットパンツと黒いニーソックスを履き、腰には鎧機兵の召喚器でもある短剣も差している。彼女が傭兵である証である。


「ん? なんか楽しいことでもあったのか?」


 男勝りな性格の美しき女傭兵。

 傭兵団・《フィスト》の団長であるレナは、小首を傾げてそう尋ねてくる。

 その愛らしさは本当に少女にしか見えないのも驚きだ。


「ちょっと昔を思い出したの」


 サクヤは微笑んだ。


「けど、レナもようやく本調子に戻ってきたみたいね」


「お、おう。その、迷惑かけて悪かったな」


 少し恥ずかしそうに頭をかくレナ。

 その耳は微かに赤かった。

 ここ二週間ほどの彼女は一言で言えば挙動不審だった。

 最初の三日ほどは上の空。食事の時もポーっとして、部屋に引き籠っては「うへへ」とベッドの上でゴロゴロとしていた。

 三日以降は一転、彼女にしては珍しく劇的に気落ちし始めた。

 溜息が常に零れ落ち、食事を抜くことも度々あった。

 同じ《フィスト》の団員であるキャスリンなどは心配していたが、それはサクヤから見れば一目瞭然だった。

 寂しくて寂しくて仕方がないのだ。

 旅立ちの日。レナは想い人と結ばれた。

 サクヤとしては実に複雑な気分だが、とにかく結ばれた。

 長年抱いていた想いが遂に結実したのだ。

 愛の完全覚醒である。

 本来ならば存分に『彼』に甘えたいところなのだろう。

 その気持ちはサクヤもよく分かる。自分もそうだったからだ。

 しかし、レナは旅立たねばならなかった。

 逢いたい想い、甘えたい想いは募り、今の彼女の挙動に繋がっているのである。


『サクゥ、アッシュがいないィ、寂しいよォ、サクゥ』


『ああ~、よしよし』


 そんなレナをサクヤは何度も慰めたものだ。

 レナは同じ人を愛し、そして愛された同志だ。無碍には出来ない。

 これも彼の正妻としての務めである。

 そうして二週間経って、ようやくレナは復帰したのである。


「本当にサクには世話になったな」


 レナは破顔した。


「この恩義は忘れねえ。そうだな……」


 そこでへの字に口元を結んで「むむむ」と唸り、


「うん。よし。ここは凄く我慢するぞ。この旅から戻ったらアッシュに甘えるのはまずサクからでいいから」


「あはは」


 サクヤは笑った。


「それは感謝して受けるわ。私だって平気な訳じゃないし」


「……むむむ」


 忖度なしにそう返すサクヤにレナはまた唸った。

 が、すぐにボリボリと頭を掻き、


「そのためにも早く用を済まさねえとな」


 そう告げて、面持ちを真剣なモノにしてサクヤを見据えた。


「名前こそ有名だけど、改めて《ディノ=バロウス教団》ってどんな組織なんだ? 主な活動とか、構成員の規模とかさ」


 これから向かう組織。

 その実態を知るのは戦術として当然だった。

 サクヤは「う~ん」とあごに手をやった。


「《教団》の規模かあ」


 この世界に帰還した時、サクヤの後ろ盾になってくれた組織。

 盟主であるサクヤは当然その実態も知っていた。


「組織としては相当古い組織だからね。主にセラ大陸で活動しているけど、各大陸にもいるし、総数としては三万人ぐらいかな? 総本山にいるのは千人ぐらい。あと、創設者の名前は『北方天』とか呼ばれていた人だって」


「……誰だ? それ?」


 レナは眉をひそめた。


「《教団》が終末思想のヤバい大組織だってことぐらいは聞いたことがあるけど、創設者の話は初めて聞いたな」


「私も幹部の人たちから話で聞いただけなの」


 サクヤは言う。


「なんでも《煉獄》の北方にあるせい焔郷えんきょうって所を統治する四方天の一人だって」


「それも初めて聞くけど……」


 レナは何とも言えない顔した。


「すげえ胡散臭い話だよな。流石は宗教集団っていうか……」


「あはは。確かにそうだけど」


 サクヤは苦笑いを零した。


「意外と事実っぽいのよ。ドラゴンさんの話の中でも四方天の名前は時々挙がったこともあったから」


「……いや、サクの言うその『ドラゴンさん』ってあの伝説の《悪竜》のことなんだよな? それも怪しいだが……」


 レナは「う~ん」と腕を組んだ。


「けど、サクがいるって言うんならいるって信じっか」


「ありがとう。レナ」


 サクヤは笑う。


「まあ、何にせよ今は創設者のことは関係ないわよね。ちょっと話がズレちゃったか。それで《教団》の活動なんだけど主な活動としては宝探しかな」


「宝探し?」


 レナは目を丸くした。


「どういうことだ?」


「ドラゴンさんがこの世界で死んだ時に散らばったドラゴンさんの肉体や遺骨を集めているの。それらを私たちは《悪竜》の秘宝と呼んでいるわ。特に心臓とかは女神さまの力で封印されているそうよ」


 サクヤは風で揺れる長い髪を抑えて答える。


「それらは依り代になるの。ドラゴンさんの魂をこの世界に呼び寄せるためのね」


「呼び寄せるって……」


 レナは眉をひそめた。


「神話だと《悪竜》ってのは《夜の女神》に心臓をぶち抜かれたんだろ? 魂だけってもう死んじまったってことじゃねえのか?」


「ドラゴンさんは不死なのよ」


 サクヤは説明する。


「これはドラゴンさんに限らず《煉獄》で生まれた人たち全員に言えるそうなんだけど、死者の国の獄卒である彼らは殺されても復活するんだって。個人によって時間差は結構あるらしいけど。それでドラゴンさんも復活したんだけど、色々あって世界同士の狭間のような空間で復活しちゃったせいで迷子みたいになっているの」


 かつて自分も彷徨った闇の世界。

 そこを思い出しつつ、サクヤは双眸を細めた。


「ドラゴンさんであってもあそこでは何も出来ない。だから北方天はドラゴンさんの魂だけをこの世界に呼び寄せて、ここで復活させ直そうと考えたのよ。《悪竜》の秘宝をドラゴンさんのこの世界における核とする。そうすれば、ドラゴンさんはこの世界で改めて肉体を再生させることも可能だから。まあ、結論を言うと」


 一拍おいて、サクヤは言う。


「《煉獄》に帰還できないドラゴンさんを最も縁が深いこの世界で蘇らせる。復讐とか以前にそれが《教団》の最終目的なの。まあ、その結果、世界が滅びても構わないと思っているから、あの組織が終末思想なのは違いないけどね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る