第499話 旅立ちと、日常④

 丁度、その頃。

 クライン工房の作業場の方にて。

 その青年は、腕を組んで唸っていた。

 年齢は二十代前半。黒い眼差しに、毛先のみが黒い、雪のような白髪。痩身ながらも鍛え上げられた体には、白いつなぎを纏っている。


 ――アッシュ=クライン。

 サーシャたちの意中の人物である。


「……う~ん」


 アッシュは唸る。

 彼は今、怪奇現象に悩まされていた。


「なぁ、相棒」


 目の前の鎧機兵に語りかける。

 白い鋼髪に、四本の赤い角。三層に及ぶ黒い鎧装を身に着けた漆黒の鬼。

 完全武装したアッシュの愛機・《朱天》だ。


「お前、何かに取り憑かれてねえか?」


 思わず、そう尋ねてしまう。

 当然ながら、相棒は何も答えてくれない。

 アッシュは嘆息しつつ、相棒の胸部装甲に目をやった。

 そこには、まるで太陽を思わせる黄金の炎輪が刻まれていた。

 いつしか、《朱天》の胸部装甲に刻まれた謎の紋章である。装甲ごと取り換えても、次の日には新しい装甲に移っているという、かなり青ざめそうになる紋章だ。

 しかも、今は、さらに恐ろしい事実に気付いた。


「……なんで増えてんだよ」


 アッシュは渋面を浮かべた。

 この紋章。黄金の炎輪の中に等間隔で宝玉が配置されているのだが、こないだ見た時は八つだったはずなのに、今は九つになっているのである。

 しかも、その時は、確か時計回りに二つだけ紅い宝玉だったのに、それが、今は四つになっている。紅い宝玉が四つ。無色の宝玉が五つ並んでいる状況だ。

 いや、よく見ると、五つ目の宝玉も、少し紅くなっているような気がする。


「本当に何なんだ? これ?」


 疑問だけが残る。

 まあ、現状、何かある訳ではないので放置しても問題はないのだが。


「う~ん、九つになったのはなんかしっくりくるし、今はどうでもいいか」


 不気味な現象ではあるが、今はそれ以上に優先すべきこともある。

 それは、レナのことだった。

 結論から言えば、アッシュは、彼女にも手を出してしまったのである。

 はあぁっと、この上ない溜息をつく。

 あれは、サクヤたちが旅立つ日だった。

 アッシュは、サクヤの身を案じて、一流の傭兵団である《フィスト》に、サクヤの護衛を依頼したのだ。


 それは、我ながら名案だと思った。

 依頼そのものは期間が長く、相手は悪名高い《ディノ=バロウス教団》。

 危険な依頼ではあるが、これは約定として充分釣り合いの取れる内容でもあった。

 アッシュは、これをレナとの約定として扱おうと思ったのだ。


『お、おう。そうだよな。うん。仕切り直しもいいか』


 と、レナ自身もどこかホッとした様子で、コクコクと頷いて承諾してくれた。

 アッシュは安堵した。

 サクヤも守れて約定も果たせる。良いとこ尽くしだった。

 旅立つ日に、レナと会話をするまでは、そう思っていたのだ。

 しかし、


『そんじゃあ、サクのことを頼むぜ』


『おう! 任せとけ!』


 レナは、グッと親指を立てた。


命に代えて・・・・・でも、サクは守って見せるぜ!』


『おいおい』


 アッシュは苦笑した。


『そこまで力むなよ。お前が死んだらダメだろ』


『あはは、なに言ってんだよ』


 レナは笑った。


『オレが死んだらオレの自己責任だろ。依頼者の命に代えれるもんじゃねえよ』


『……レナ?』


 アッシュは、違和感を覚えた。

 そうして少し考えてから、傭兵の中ではよくされる『命の天秤』の話をした。

 海難事故に遭った時、誰を助けて、誰を見捨てるかという話だ。

 傭兵ならば、命の選択をしなければならない時がある。

 これは、いかに状況を見極める力があるかを知るための問答だった。


 どちらが救うべき相手なのか。

 本来は、様々な立場の者同士で測る問答である。


 けれど、アッシュは、あえて片方をある人物に固定して尋ねた。

 そうしてレナが答えたのは、すべてその人物を見捨てる選択だった。


『……レナ、お前……』


『え? だって当然だろ?』


 レナは、ニカっと笑って言う。


『オレは団長なんだ。誰かを救うためなら当然の判断さ』


『………………』


 ――親しい誰かの命の危機の際。

 レナは、当然のように、自分が死ぬことを選び続けたのだ。

 躊躇いもなく。少しも悩む素振りもなく。

 即答で、自分が死ぬことを選んだ。


『……お前』


 流石に、アッシュも顔色を変えた。

 レナの自分の命に対する価値は、恐ろしく低い。

 とは言え、自分の命に対して執着していない訳ではない。

 流石にそんな人間では一流の傭兵にはなれない。

 ただ、レナの場合、自分の命が常に優先順位の最下位にあるのだ。親しい相手や、依頼者などの守るべき相手を天秤にかけると一瞬で傾くほどに。

 それを、はっきりと感じた。


(……確か、レナは貧民街の出なんだよな)


 アッシュには、貧民街出身の傭兵の知り合いもいる。

 そういった奴らは、むしろ自分のことばかりを考えていた。

 他人を押しのけてでも生き延びる。そんな執念めいた意志を持っていた。


 しかし、レナはその真逆だった。

 陽気な性格からは想像がつかないぐらいの極端な自己犠牲精神。

 まるで二者択一しかないような判断だった。


(……いや、そっか……)


 アッシュは、ふと思い出す。


(レナには、歳の離れた妹がいたんだったな)


 過酷な貧民街で、大切な者を育てる。

 それが、レナの自己犠牲精神の根幹になっているのだ。

 大切な者のためならば、自分は犠牲になっても当然だと考える精神の……。

 だが、それは、あまりにも極端すぎる考えだった。


(……真っ直ぐすぎるんだよ。この馬鹿は)


 アッシュは、レナを見つめた。

 レナは状況が分かっていないらしく、キョトンとした顔をした。


(このまま、放置すべきじゃねえな……)


 いずれ、彼女は、本当に誰かのために犠牲になるような気がした。

 アッシュは、出発の日を遅らせてでも、レナを説得することにした。

 しかし、レナの自己犠牲精神は、幼少時からの強固な観念だ。

 食事中も何度も説明したが、レナは終始、よく理解していない顔をしていた。


 ……言葉では無理だと感じた。

 いや、そもそも、数時間程度の説得で長年の価値観が変わるはずもない。

 レナが産まれ、生きてきた世界は、それほど優しくはない。


 アッシュは沈黙する。

 美味しそうに、パスタを平らげたレナ。

 そんな彼女を見据えて――。


(…………)


 グッと拳を強く固める。

 アッシュは一度だけ双眸を閉じて、覚悟を決めた。


『……レナ』


 そして尋ねる。


『……腹は一杯になったか?』


『おう! マジでこの国の飯は美味いよな!』


『……そっか』


 ニカっと笑うレナ。

 アッシュは備え付けのナプキンを手に取った。

 それから、彼女の口元に着いた食事の汚れを拭ってやり、


『そんじゃあレナ』


『おう! なんだ!』


『今から約定を果たしてもらうからな』


『おう! ……へ?』


 そうして、アッシュは、その食堂の二階にあった宿の一室を借りた。

 唐突すぎる展開に、レナの方は『ふわっ!? ふわっ!?』と激しく狼狽して、完全に挙動不審になっていたが、アッシュにもう退く気はなかった。

 無意識の内に自分の命を軽視してしまうレナの極端な自己犠牲精神を覆すには、これ以外に方法はないと思ったからだ。

 深い愛情を示す。自分が愛されているのだと、全力で伝える。

 それだけが、レナの価値観を変える方法だった。


『う、うん。うん。そうだよな。傭兵の約定だもんな。保留になんて出来ねえよな。その、よ、よろしくお願いします』


 十分後。レナはベッドの縁に腰を降ろしてそう告げた。

 胸元に片手を当てて、さっきから何度も深呼吸を繰り返している。

 挙動不審は少しマシになっていたが、代わりにガチガチに緊張していた。

 そんな彼女を見やり、アッシュは小さく嘆息した。


『そうじゃねえよ。いや、確かに約定もあるが、俺の伝えたいことはそうじゃねえ』


『え?』


 目を丸くするレナに、アッシュは真剣な眼差しを向けた。


『今からお前を抱く。唐突で悪りいとは思う。けど、旅立つ前に知ってくれ。お前がどれだけ愛されているのかを』


 そう告げて、アッシュはレナを抱いた。

 根が臆病な彼女を怖がらせないように、とても優しく。

 レナは少しずつだったが、緊張を解いてくれた。

 そうして、彼女を腕の中に抱いて、改めて思った。

 レナもまた、自分にとって、決して失いたくない愛しい者であると。

 そして、やはり彼女は愛されることに慣れていないのだと。


『だ、だってェ、仕方がないだろォ』


 しばらくして、レナはこんなことを呟いた。


『オレなんて、実の母親にだって見捨てられて……』


『……それはこれまでのことだろ?』


 アッシュはレナの髪を撫でて、強く抱き寄せた。

 それから、優しい笑みを見せて。


『お前はもう、誰にも愛されないような人間なんかじゃねえ。これからは、俺が目一杯愛するからな』


『……う、うん』


 想いを刻むように、口付けを交わす。

 唇を離した時、レナは熱い吐息を零した。緋色の瞳をゆっくりと閉じていく。

 そうして宣言通り、アッシュはそのまま朝まで彼女を愛した。

 ……………………………。

 …………………。


 アッシュは、無言で頭をボリボリとかいた。


「まさか、こうなるとはな」


 まあ、レナのことについては、もう決めたことだ。

 サーシャと結ばれてから、どうも心理的ハードルが下がった感は否めないが、レナに対する想いは間違いなく本物だ。

 サクヤと共に無事帰ってきた時、二人とも受け止めるつもりだった。

 ともあれ、これで悩みの一つは解決したことになる。

 ――が、その代わりに、


「……はァ」


 アッシュは深々と嘆息した。


「……それにしても、ミランシャにまで告白されるとはなぁ」


 ミランシャとコウタたちが去った別れの日。

 いきなり彼女にキスをされて、告白までされたのだ。

 ミランシャが自分に好意を抱いていることは、オトハから聞かされていた。

 しかし、どこか半信半疑だったところに、この一撃だった。


(どうなってんだ? 俺の人生……)


 思わず、遠い目をしてしまう。

 レナに続いて、ミランシャまでである。

 我ながら、恐るべきモテ期だった。

 が、そこで、恐ろしい事実にも気付く。


「え? 俺、告白された相手、全員嫁さんにしてねえか?」


 凄い勢いで嫁の数が増えているような気がする。

 しかも一人が確定したら、次の女性に告白されている。

 もはや、嫁さんが五人もいる状況だ。


「このままだと、マズいよな」


 アッシュはそう呟くと、作業場の奥へと向かった。

 嫁が増えること自体はもう覚悟している。


 サクヤも、オトハも、サーシャも、レナも。

 誰一人とて、半端な想いで抱いた訳ではない。


 絶対に失いたくない。生涯を共にする。

 そう思ったからこその決断だ。

 シャルロットに関しても、その想いは同じだった。

 問題なのは、将来のことだった。

 彼女たちに苦労は断じてかけたくない。

 経済面こそが、大きな問題だった。


「正直、そろそろ抜本的に考えなくちゃいけねえよな」


 言って、作業机の前に立った。

 そこには一枚の紙があった。アッシュはそれを手に取って目を細めた。


「……はは」


 そして苦笑を浮かべた。


「やっぱ、こういったチャンスは逃すべきじゃねえよな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る