エピローグ

第411話 エピローグ

 その日の朝。

 とある宿の一室にて。

 ジェシカは、極めて難しい顔をしていた。

 理由は明白だ。

 目の前の主君の行動にある。


「サクヤさま」


 ジェシカは進言する。

 もう何度目か分からない進言だ。


「どうか、ご再考していただけないでしょうか?」


「ん~、ダメだよ」


 主君――サクヤは、にこにこ笑って却下する。


「これはトウヤのためにも避けて通れないことだしね」


 と、ベッドの縁に腰をかけたまま告げる。

 控えるように佇むジェシカは、溜息をついた。

 ――主君が想い人と再会して、すでに三日が経っていた。

 あの日、サクヤは再会のために朝に出かけた。

 しかし、夜になっても一向に戻ってこない。

 気が気でないジェシカをよそに、主君が戻って来たのは翌日の夕方頃だった。


『……お帰りなさいませ。サクヤさま』


『う、うん。ただいま。ジェシカ』


 その時のサクヤが、酷く疲労困憊だったのは、見てすぐに分かった。

 なにせ、まるで酩酊状態のようにフラフラだったのだ。

 ただ、精神面ではそうではないようだ。

 サクヤの顔は、眩しいほどの生気に満ち溢れていた。


(……なるほど)


 流石に悟る。

 どうやら大幅に不足していた成分を一気に補充したようだ。

 さぞかし、求め、求められ、愛し、愛されたのだろう。

 まあ、二度と逢えないはずだった恋人との再会だ。

 こうなるのも当然の帰結か。


『えへへ。えへへ』


 サクヤは、もうずっと笑顔の状態だった。

 足元はまだ少し覚束ないのに、活力だけは満ちている。そんな感じだった。

 ジェシカは、内心では苦笑しつつ、


『トウヤさんと再会できたのですね』


『う、うん』


 サクヤは、コクコクと頷いた。


『円筒さんとか色々あったけどね。ちゃんと再会できたよ』


 そこでサクヤは少し俯いて、カアアァと顔を赤く染めた。


『そ、それで、ゴメンね。こんなに遅くなっちゃって。その、最初はジェシカに連絡するつもりだったんだけど、その、ずっと、夢の中にいるみたいで……』


  前髪で顔を隠して深く俯く。そしてブツブツと呟き始めた。


『それに、その、久しぶりにトウヤの「そろそろ本気」を聞いちゃって……。私が知ってた頃とは、もう全然違ってたし、時間の感覚とかまで飛んじゃって……うわあ、オトハさんって、初めてであれだったんだ……』


『……サクヤさま』


 ジェシカは、コホンと喉を鳴らして告げた。


『まあ、連絡されなかったことはもう構いません。ご無事だったようですし』


『う、うん。ありがとう』


 サクヤは、まだ少し赤い顔を上げた。


『トウヤが守ってくれたしね。あ、そうだ。ジェシカ』


『……? 何でしょうか?』


『うん。私、一度オトハさんやミランシャさん、ユーリィちゃん達と会うつもりだから』


『………え』


 ジェシカは目を丸くした。

 対し、サクヤはグッと両の拳を固めた。


『これからのことや、トウヤについて色々と相談しないといけないしね』


『サ、サクヤさま?』


 ジェシカは唖然とした。


『《天架麗人》や《蒼天公女》と会うのですか? 我々の立場としては、彼女達は敵といっても過言ではない相手ですよ』


『うん。分かっているよ』


 しかし、サクヤは意志を変えない。


『けど、必要なことなの。トウヤのためには』


『サ、サクヤさま……』


 ジェシカは言葉を失った。

 しかし、その後、何度説得してもサクヤの決意は変わらず、今日に至るのである。


「ゴメンね。ジェシカ」


 ベッドに座ったまま、サクヤは申し訳なさそうに微笑んだ。


「けど、これは必要なことなの」


 再びそう宣言して、サクヤは立ち上がる。

 ジェシカは嘆息した。


「分かりました。もう止めはしません。ですが私も同行させていただきます」


 言って、ジェシカはサクヤの後ろに控えるように移動した。

 サクヤは再び微笑む。


「ありがとう。頼りにしてるね」


 と、信頼の言葉をかける。が、そこで頬に指を当てて。


「けど、ホントはジェシカも行きたいんでしょう? あそこにはジェシカが逢いたくて仕方がない人もいるし」


「サクヤさま!」


 ジェシカは表情を険しくして、主君を睨み据える。

 だが、その頬は微かに赤かった。

 サクヤは「あはは」と笑った。


「ゴメンね。冗談よ」


 そして、彼女は告げる。


「じゃあ行こうか。王城ラスセーヌへ」



       ◆



 ――王城ラスセーヌの第三会議室。

 かつて、傑出した美女と美少女が集まった部屋に、再び同じ女性陣が集まっていた。

 いつぞやのようにそれぞれが席に座っている。

 緊張した面持ちのサーシャとルカ。そしてユーリィ。

 どこか疲れた様子の、ミランシャとシャルロット。

 そして、対照的に、何故か活力に満ち溢れている様子のアリシア。

 彼女は頬杖をついて、にこにこと笑っていた。

 ただ、それ以上に元気な者もいた。


「さて! お前達!」


 たゆんっと大きな胸を揺らして、オトハが言う。


「いよいよ彼女との対話の時だ! 覚悟をしておけよ!」


 と、一人、この上ない意気込みを見せている。


「……何かオトハさん、元気だよね」


 と、制服姿のサーシャが、隣に座るアリシアに声をかける。


「ん? うん、そうね」


 笑顔を抑えて、同じく制服姿のアリシアが答える。


「何でも《九妖星》の一人に負けそうになった話だけど、完全に復帰したみたい」


 オトハの敗北は、アリシア達にも伝えられていた。

 ただ、ゴドーの名は出していない。

 二人の父親がゴドーの親友ということで、まだ伏せているのだ。


「まあ、敗北一つに、いつまでも落ち込んでもいられないでしょう」


 と、アリシア達の呟きを耳にしたミランシャが言う。


「ええ。その通りです」


 と、シャルロットも続く。

 しかし、実は二人はオトハが元気な本当の理由を知っていた。

 ――そう。あれは二日前のことだった。

 クライン工房の裏手にて。

 オトハが、アッシュに詰め寄っていたところを、二人は目撃したのだ。


『……対人訓練に付き合って欲しいだって?』


『ああ! その通りだ!』


 眉をひそめるアッシュに、オトハはそう告げた。

 オトハは、ギリと歯を軋ませた。


『悔しいが、あの男は今の私よりも強い。少なくとも対人戦ではな。私は私自身を守るためにも、もっと強くなる必要があるんだ』


『……まあ、訓練に付き合うぐらい構わねえが』


『そうか!』


 オトハは、パアッと表情を輝かせた。

 すると、それに対し、アッシュは少し眉をしかめた。


『けど、一つだけ聞かせろよ』


『……? 何だ?』


 オトハは、キョトンとした顔を見せた。

 アッシュは真剣な面持ちで問うた。


『対人戦闘は一朝一夕じゃねえのは言うまでもないだろ? ましてやオトは華奢だからな。技巧で戦うタイプだ。簡単には強くなれねえ。そんで、もしもだ』


 一拍おいて告げる。


『またあの野郎に負けたら、どうするつもりだ?』


『……そんなこと決まっているだろう』


 オトハは、剣呑な顔つきで答えた。


『あんな男に手籠めにされるぐらいなら死を選ぶ。当然だろう』


『……そっか』


 アッシュは、ボリボリと頭をかいた。

 そしてしばし渋面を浮かべる。

 何やら、酷く葛藤しているような顔つきだ。

 オトハは眉根を寄せた。


『……はぁ、くそ』


 アッシュは、吐き捨てるように嘆息した。

 一度胸元をグッと強く掴み、その後、ガリガリ、と頭を掻きむしる。


『……最悪だ。決めてたはずだろ。なのに何で今さらそう思う』


 深く眉をしかめる。


『……なんつう不誠実さだよ。俺はクズか。ガチのクズかよ。自分を思いっきりぶん殴ってやりてえ……』


『……クライン?』


 アッシュの独白に、オトハはますます眉根を寄せた。

 すると、アッシュは『……けど、ようやく分かったよ。これが俺の本心か』と呟いて、おもむろにオトハの後頭部に手を回した。

 そして、


『……いいか、よく聞いてくれ。オト』


 コツン、と自分の額をオトハにぶつける。

 急接近した愛しい青年の顔に、オトハは耳まで赤くなった。


『な、なんだ?』


『……俺にはサクがいる』


 ――ズキン、と。

 オトハの胸が痛む。


『そ、そうか。お前は……』


 選んだのだな。

 そう続ける前に、アッシュは口を開いた。


『俺はサクを選んだってここでお前に告げるつもりだった。今日、ここでお前に別れを告げるつもりだったんだ。けど、お前を見て――思っちまった。やっぱ俺はお前を失いたくねえ。いや違うな。俺はお前失いたくねえんだよ』


『………え』


 オトハは目を見開いた。

 アッシュは、真剣な眼差しでオトハに告げる。


『……オト。今から、最低で最悪の台詞を言うぞ』


 そこで大きく息を吐く。あの意味、途轍もない覚悟を込めて。


『サクヤは俺の女だ。そして――オトハ。お前も生涯、俺だけの女だ』


 そう宣告した。

 息を呑むオトハ。

 アッシュは一拍おいてから、さらに言葉を続けた。


『サクヤも……お前も。誰にも渡す気はねえ。そしてお前らが死ぬことも許さねえ。特にオトハ。今ヤバいのはお前の方だ』


『……………え?』


『いいか。オト。本当に勝てないと思ったら逃げるんだ』


 瞳を瞬かせるオトハに、アッシュは懇願するように告げた。


『あのおっさんの相手は俺がする。だから、ヤべェと思ったらお前は逃げるんだ。頼むから、死ぬなんて選択肢だけは選ばないでくれ』


『……クライン』


 オトハは、唖然としてアッシュを見つめていた。

 お互いの額を離すと、アッシュは自嘲の笑みを浮かべた。


『……マジでクズだよな。サクも、お前も失いたくねえって……』


 それは、心底うんざりした口調だった。

 あまりにも不義理で、自分勝手な台詞だ。

 アッシュは、ここで拒絶され、殴られる覚悟もしていた。

 けれど、オトハは、


『……ふふ』


 しばし茫然とはしていたが、おもむろに口元を片手で押さえて笑った。

 そして彼女は告げる。


『全くだ。全くのクズだ。だがな、クライン』


 一呼吸入れて、オトハは上目遣いでアッシュを見つめた。


『コホン。私を失いたくないというのなら、その、な』


 もじもじと指先を動かす。


『私は今回、結構酷い目にあったんだ。痛かったし、プライドはボロボロだし、あの男は本当に気持ち悪かったし。その、だから、な』


 そこで、オトハは躊躇いながらも言った。


『私を、その、もっと、大切にして欲しいのだ。率直に言うと散々な目にあったから、その、少しだけでいいから、あ、甘えさせて欲しい……のだ』


『…………え』


 アッシュは、少し目を剥いた。


『いや……殴んねえのか?』


『ふん』


 ポスンっ、とオトハはアッシュの胸に頭を乗せた。


『私の愛を侮るなといっただろ。これぐらい想定内だ。それより』


 オトハは顔を上げた。少しジト目だ。


『あの女は甘やかしたのだろう? 不公正だ。私も早く甘えさせろ』


『……いや、お前な』


 アッシュは困惑した声を上げるが、彼女の瞳を見ていると何も言えなくなった。

 代わりに、オトハの頭をそっと撫でる。

 彼女は『……ん』と声を零した。


『ところでクライン』オトハは意地悪く笑う。『仮に、私がここでお前を殴ったとして、お前は私を手放すのか?』


『……そいつは、殴られるよりも痛てえ質問だな』


 アッシュは苦笑した。それからオトハを見つめて。


『……これから、少し買いモンに行くか』


『……うん』


 こくん、と頷くオトハ。


『そんじゃあ、ちょいと出かけるか。店は……一旦閉めとくか』


 そこで、アッシュは一瞬だけ躊躇いつつも、


『身勝手なのは分かってる。自分が最低のクズだってこともな。だが――』


 オトハを強く抱き寄せる。


『やっぱ、俺にはもうお前を離すことなんて出来ねえ』


 アッシュは、はっきりと告げた。

 オトハは耳まで真っ赤になりつつも、『……うん』と頷いた。

 それから、お互いの誓いを示すように二人は長い口付けを交わした。

 そうして二人は、それぞれの愛馬に乗って、市街区に出かけて行ったのである。

 ちなみに、その時、物陰に隠れていたミランシャとシャルロットの心臓は、もうバックンバックン状態だった。

 二人とも真っ赤で、もはや嫉妬とか通り越している。


(……あれは強烈だったわ)


 回想から戻って、ミランシャは吐息を零した。

 ちらりとオトハの顔に視線を向けると、実に肌艶がよかった。

 あの後、存分に愛されたのだろう。

 オトハが、完全復帰するのも当然だった。


 羨ましくもあり、悔しくもある。

 改めて、ああいった現実を目の当たりにして、大きなショックもあった。

 けれど、アッシュがオトハを離さないと誓ったことは、ミランシャ達にとって大きな朗報でもあるのだ。

 ――これで、ハーレムが本当に現実味を帯びてきたのだから。


(後はサクヤ=コノハナ次第ね)


 果たして、彼女がどう出るのか。

 それによって、戦術を考えなければならない。


「さて」


 ミランシャは嘆息する。


「待ち人は、もうじきかしらね」



       ◆



(……はあ)


 一方、アッシュはかなりヘコんでいた。

 自分のクズっぷりに、心底うんざりしていたのだ。

 二人の女を同時に愛して、二人とも失いたくないなど最低の考えだ。

 そもそも、自分はこんなにモテただろうか?

 今まで冗談――少なくともアッシュ本人はそう思っている――で告白されたことはあったが、アッシュの人生で愛した女は二人だけだった。

 それこそ、サクヤとオトハだけなのである。

 特にオトハに関しては、いずれ結婚を申し込み、アッシュにとって大恩ある団長――オトハの父に殴られる覚悟で、彼女を貰う報告をするつもりだった。

 一時の迷いなどで、大切な彼女を抱いたりしない。

 それぐらい本気だったのだ。


 しかし、そこにサクヤが現れてしまった。


 当然ながら、アッシュはサクヤを愛している。

 彼女は、『アッシュ=クライン』という存在の根源たる女性だ。


 あの炎の日から――いや、クライン村にいた頃から、彼女への想いが揺らいだことなど一度もない。生涯において、ただ一人だけと決めていた女性だ。


 サクヤへの想いは、オトハにも劣らなかった。

 ――そう。全く劣らないのだ。


 仮に、どちらを失うことを考えると、ゾッと思うぐらいに。

 それだけで、心の一部が、ごっそりと欠けるような感覚を抱いた。


 結果、今の状況に陥った訳だが。


(……まあ、サク達はまだいいか……)


 決して離さない。

 その点に関しては、すでに覚悟済みだ。

 サクヤもオトハも必ず幸せにする。

 自分がすべきことは、その方法を模索するだけだった。

 自己嫌悪で落ち込んでいても、迷いはない。


(むしろ、問題は……)


 アッシュは、表情を曇らせた。

 脳裏に浮かぶのは、シャルロットのことだった。

 彼女にも、とんでもない告白をされたまま、返答を保留にしている状況だった。


 アッシュには、彼女に大きな責任がある。

 あの日、シャルロットの心を折ったのは間違いなく自分だ。その彼女が本気で望むことなら、自分に拒絶する権利があるのか分からない。


 そして、忘れてはいけないのが、ユーリィの件である。

 サクヤの方はともかく、オトハとそういった関係になったことは、まだユーリィに伝えていない。オトハに口止めされているとはいえ、それも不誠実な行為だ。

 ユーリィの気持ちは、すでに聞いている。

 ならば、せめてオトハのことは伝えるべきだろう。


 実のところ、オトハの件は、ユーリィだけどころか、アッシュの周囲の女性陣全員に微に入り細を穿って伝わっているのだが、流石に夢にも思わないアッシュだった。


「……はあ」


 クライン工房の作業場で、再び嘆息するアッシュ。

 自分はそれなりには誠実だと思っていた分、落ち込みも大きかった。

 自分の倫理観やタガは一体どこに行ったのか、と真剣に頭を悩ませる。と、


「……タメイキガ、重イゾ」


 コツン、と右足を軽く叩かれた。

 視線を向けると、そこには自称アッシュの友人の零号がいた。


「……悩ムナ。ミンナ、シアワセニ、スレバイイ」


「いや、お前な」


 アッシュは渋面を浮かべる。

 すると、


「お義兄さま」


 不意に、可憐な声が耳に届いた。

 アッシュが目をやると、そこには一人の少女がいた。

 紫がかった銀髪に、ピコピコと動くネコミミ。金色の瞳が美しい少女だ。

 ――メルティア=アシュレイ。

 弟の幼馴染の少女である。

 普段は、着装型鎧機兵を纏う彼女なのだが、今は素の姿でいた。

 二体のゴーレムを従えた彼女は、手にチェックシートを携えていた。


「私も一通りチェックしましたが、異常は見つかりませんでした」


「……そっか」


 アッシュは嘆息する。


「メルティア嬢ちゃんでも分からないか」


「すみません。お役に立てなくて」


 しゅん、と、ネコミミを垂れさせるメルティア。

 アッシュは、ニカっと笑った。


「気にすんなって。まあ、特に何か影響がある訳でもねえしな」


 言って、視線を作業場に佇む完全武装の《朱天》に向けた。

 アッシュが、メルティアにチェックしてもらったのは《朱天》だった。

 ――《冥妖星》と戦った日以降に発生する、謎の黒い炎輪現象。

 最初はただの偶然だと思っていたのだが、《朱天》が恒力を完全開放すると、必ず発生することが分かったのだ。

 流石に何かの不具合かと思い、調べてみたのだが、異常は見つからなかった。

 ならば、と、ここは視点を変えて、天才的な鎧機兵の職人であるメルティアにも見てもらったのだが、それでも結果は同じだったようだ。


「黒い輪っかの方はとりあえず置いとくよ。問題はあっちだよな」


 アッシュは嘆息しながら、《朱天》の胸部装甲に目をやった。

 メルティアも、アッシュの視線を追った。


「……あれは紋章ですか?」


 メルティアが眉根を寄せる。

 ――《朱天》の胸部装甲。

 そこには、一つの紋章が浮かび上がっていた。

 黒い装甲を下地に、まるで太陽を思わせる白い炎輪が刻まれているのだ。

 さらによく見ると、白い炎輪の中に等間隔で宝玉がある。

 頂点から時計回りに二つの紅い宝玉。そこから六つの無色の宝玉が並んでいる。

 要は、白い炎輪に沿って、八つの宝玉が連なっているのである。

 メルティアの記憶にはない装飾だった。


「どうして装飾の追加を?」


「いや。あれって俺が追加した訳じゃねえんだよ」


 アッシュは渋面を浮かべた。


「気付いたらあそこにあったんだ。しかも、何をしても取れねえし」


「……え?」


 メルティアは目を丸くした。


「正直、どっかの組織の紋章に似てて気にいらねえんだよ。だから、工具で削り取ろうとしたんだが全く刃が通らねえ。しゃあねえから、最後の手段に出たんだが……」


 アッシュは親指で作業場の隅を差した。

 そこには、黒い胸部装甲が置かれていた。

 メルティアは眉をひそめた。


「あれは……?」


「《朱天》の装甲だ。紋章が削れねえんなら、いっそ装甲ごと取り替えたんだよ」


「……え?」


 メルティアは再び《朱天》に目をやった。


「ですがお義兄さま。紋章はあちらにあります。これから取り替える予定なのですか?」


「……いや。もう取り替えた後だ」


 アッシュは本気で少し青ざめていた。


「確かに古い装甲ごと取り外したんだよ。それはユーリィもオトも確認している。けど一晩経ったら、紋章が新しい装甲の方に移ってたんだ」


「……何ですか、その怪奇現象」


 メルティアも青ざめた。

 アッシュは、何とも言えない表情を見せた。


「……マジで気持ち悪いだろう?」


「……はい」


 敬愛すべき義兄の愛機といえども、こればかりはメルティアも頷く。

 アッシュは、深々と溜息をついた。


「すっげえ気味が悪いんだが、これも放置するしかねえんだよなあ……」


 諦めの境地でアッシュが呟いた、その時だった。



「――おっ! あそこみたいっすよ!」



 不意に、外から声が聞こえてきた。

 メルティアがビクッと肩を震わせて、アッシュは視線を外に向けた。


「きっと、ここっすよ、ここ。街で言ってた元騎士がやってる店って」


「……はてさて。大丈夫かねえ、そんな落伍者みたいな職人で」


「まあ、こんなド田舎の国なら、どこの店だって似たようなもんっすよ。別に改造まで頼むって訳でもないっすから。きっと大丈夫っすよ」


 そんな声が聞こえてくる。

 アッシュはふっと笑った。


「どうやら、お客さんみてえだな」


 そしてメルティアに目をやる。


「メルティア嬢ちゃんは人が苦手なんだろ。二階に上がっていてくれ」


「は、はい」


 メルティアは頷く。彼女は早足で階段の方へ向かった。零号を含む三機のゴーレム達も「……テッタイ!」「……カクレロ!」と叫んで、二階に上がっていく。

 そうこうしている内に、四人ほどの客人が作業場に入って来た。

 大体が二十代前半ぐらいの若い客人達だ。

 一目で骨格の太さが分かる、まるで岩のような大男が一人。彼だけは二十代後半ほどに見える。次いで、やや痩身の男性が一人。長い髪を片方だけ結いだ女性が一人。


 遅れて入ってくる最後の一人も女性のようだ。


(へえ。珍しいな)


 アッシュは、すぐさま気付く。

 恐らく四人とも傭兵だ。歩き方が素人ではない。

 アティス王国では、かなり珍しい客人だ。


「いらっしゃい。クライン工房へようこそ」


「あ、店員さんっすか。いいっすか。鎧機兵のメンテナンスを頼みたいんすけど」


 と、一番手前にいた痩身の男性が告げてくる。

 アッシュは営業スマイルを見せて。


「ああ、任せてくれ。こう見えても鎧機兵のメンテナンスは――」


 と、言いかけたところで、アッシュの視線はふと止まった。

 一番奥にいた女性の姿が、目に入ったからだ。

 ――いや、よく見ると、どうやら女性というよりも、少女のようだ。

 全員が二十代の傭兵団と思ったが、彼女だけは違うらしい。


 恐らく年の頃は十四、五歳。ユーリィやルカと同じぐらいか。

 身長もかなり低い。小柄なユーリィと、ほとんど変わらないかもしれない。

 ただ、胸の大きさに関しては、サーシャやオトハ、サクヤ並みだ。

 しなやかな手足に、腰なども、とても引き締まっている。いわゆるトランジスタグラマーという奴である。年齢離れした見事なプロポーションだった。

 年下の少女が相手だと分かっていても、流石に少し目が引かれた。

 服装は動きやすさを重視しているのか、比較的に肌の露出が多く、茶系統のホットパンツと黒いニーソックス。上にはノースリーブ型の黒い革服レザースーツと、その上に、丈と袖が短いベージュ色のジャケットを着ている。ちなみに腹部に関しては剥きだしだった。一応、腰には短剣を差しているが、傭兵というよりも、まるで盗賊トレジャーハンターのような格好だ。

 瞳の色は、明るい炎を彷彿させる緋色。髪の色はアイボリー。髪は全体的に短く、外に飛び出すような乱れザンバラ髪だ。耳にかかる左右の二房だけは少し長かった。その瞳の色と顔立ちからか、活発な印象が強い美少女だった。


(……ん?)


 アッシュは眉根を寄せた。

 どうも、彼女に見覚えがあるような気がしたのだ。

 どこか懐かしさまで感じる。

 すると、


「……団長?」


 髪の長い女性が、アイボリーの髪の少女に声をかける。

 驚いたことに、このとても小柄な少女が団長らしい。


「ん? どうかしたんすか? 団長?」


 と、最初に話しかけてきた男性も声をかけた。

 アッシュも視線を向けてみると、彼女は唖然とした顔をしていた。

 そして――。


……?」


 不意にそう呟く。

 アッシュは、大きく目を瞠った。


「え……」


 そう呟くと、


「ふえええ……」


 突如、少女がボロボロと泣き出したのだ。


「ふええええええええええええええええええええええええェェェん!」


「お、お客さん……?」


 流石に困惑するアッシュ。すると、


「トウヤああ! トウヤあああぁあ!」


 そう叫んでアイボリーの髪の少女が、いきなりアッシュの首に飛びついてきた。

 アッシュは驚いたが、お客さまを邪険にはできない。身長差から彼女の両足が地面に着かないため、反射的に彼女の細い腰を片腕で抱き寄せて支えた。そのため、サクヤやオトハにも劣らない豊かな胸が、アッシュの胸板でより押し潰される。


(――うお、マジでサクやオト並み……じゃねえ!)


 眉をしかめて、自分を叱責するアッシュ。

 対し、彼女は叫び続けていた。


「よかったああ! やっぱり! やっぱり生きてたんだあああ!」


 言って、ボロボロと涙を零している。アッシュは勿論、彼女の同行者である三人もまた困惑し、階段からこっそり覗いていたメルティアが目を瞬かせていた。零号は「……ヌウ! ヤハリ、九人目ガイタノカ?」と唸っている。

 そんな中、アイボリーの髪の少女は「よかったあぁ。トウヤああぁ、マジでよかったよォ」と、ずっと泣き続けていた。


(え? 何だこれ?)


 アッシュは、ただただ困惑していた。

 どうやら、アッシュの女難ぶりは、ますます加速するようだった。





第13部〈了〉

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