第406話 目覚める本懐②

 ……ザザザ、と。

 波の音だけが響く、白い砂浜にて。

 アッシュ達と怪物は、静かに対峙していた。


「……いきなりロクでもない台詞を吐いたな。てめえ」


 アッシュは、突き刺すような眼差しを円筒頭の怪物に向けた。

 殺意さえ感じさせる眼光だ。

 並みの人間ならば竦みあがることだろう。

 強者であっても息を呑む威圧感だった。

 しかし、対する怪物は、臆することもなく頭を揺らして。


「〈はて? 小生は用件を率直に告げただけであるが?〉」


「……そうかよ。サク」


 アッシュは、不意にサクヤの名を呼んだ。

 サクヤはパチクリと目を瞬かせる。


「え? 何かな? トウヤ」


「円筒さんはあんなことを言っているが、お前の返答は?」


「えっと……」


 サクヤは一歩前に踏み出して頭を下げた。


「ごめんなさい。円筒の方はちょっと……」


「……ということだ」


 アッシュは、サクヤの肩を強く抱き寄せる。そうやって、彼女が自分の女であるという明確な意思を見せつけてから、改めて円筒の怪物を睨みつける。


「そもそも、まずは名乗るのが礼儀だろうが。てめえは何モンなんだよ?」


「〈おっと。そうであったな〉」


 言って、オルドスはシルクハットを外した。

 次いで、大仰な仕草で胸元にシルクハットを移す。


「〈まずは自己紹介をすべきであった。これは我が花嫁に失礼したのである〉」


 そして、異界の魔神は名乗る。


「〈小生の名はオルドス=ゾーグ。勤め先は《黒陽社》。本部長を務める者である〉」


「………は?」


 アッシュは眉をしかめた。サクヤは「え?」と目を丸くしている。

 それらには構わず、オルドスは自己紹介を続けた。


「〈勤務歴は十八年。『特殊情報管理室』の室長も兼務しているのである。一応、《冥妖星》の称号を持っているのである〉」


 そこで頭を横に揺らして。


「〈年収額も教えた方がいいであるか?〉」


「……いや、いらねえよ」


 アッシュは吐き捨てるように答える。


「また《黒陽社》かよ。こないだボルドのおっさんに遭ったばかりだぞ。どんだけ暇なんだよ、てめえらは。しかも今回はもう変人の域を越えてるしよ」


 うんざりした様子でオルドスを睨みつける。と、


「……え、えっと。それで」


 アッシュに肩を抱き寄せられたままのサクヤが、おずおずと尋ねる。


「《黒陽社》の本部長のあなたが、私に何か用なの?」


「〈その前に〉」


 オルドスはシルクハットを被り直した。

 そしてアッシュに視線を向ける。


「〈そこの男〉」


「……あン?」


「〈不愉快である。いい加減、小生の花嫁から手を離すのである。いつまで彼女を腕の中に納めているつもりであるか〉」


「……………」


 アッシュは無言になって、オルドスを睨みつける。

 サクヤはアッシュの顔を見上げた。


「なに? もしかしてあの円筒の人、本気で私を花嫁とか言っているの?」


「……そうみてえだな」


 アッシュが、ほとんど表情を消して呟く。

 すると、オルドスは頭を左右に揺らして補足した。


「〈いや。その娘だけではないのである。もう一人の《金色》の因子を持つ少女も、小生の大切な花嫁なのである〉」


「………え?」


 サクヤが、ギュッとアッシュの服を両手で掴んで目を瞠る。


「もう一人の《金色》って、まさか……」


「〈そなたと、かの少女には、壮健な小生の子を産んで欲しいのである〉」


 と、オルドスはどこか上機嫌に告げる。

 一方、対照的なのは――。


「………サク」


 完全に、表情を消したアッシュだった。


「ト、トウヤ……?」


 サクヤはアッシュの顔を見上げた。

 そんな彼女の頭を、アッシュはポンと叩く。


「少し離れていてくれ」


 言って、サクヤから離れてオルドスに向かって歩き出す。


「〈……む? 何であるか?〉」


 オルドスは首を傾げた。


「〈小生の邪魔をする気であるか? 無駄である。《双金葬守》よ。小生は神ゆえに、人の身では抗えないのである。いかにガレックを倒したそなたであってもな。小生が花嫁と決めた以上、それは天命である。もう覆らな――」


 と、オルドスが語っている最中だった。

 突如、アッシュの上段蹴りハイキックが、オルドスの頭部に炸裂したのである。


「〈――ッ!?〉」


 オルドスは絶句する。

 その威力は、まさに桁違いだった。身長は二セージル。全身には、鋼のような分厚い筋肉を纏うオルドスの体を軽々と吹き飛ばしたのである。数セージル先までノーバウンドで吹き飛び、砂浜に激突。そこから坂を転げ落ちるように回転を繰り返した。

 恐ろしいことに、オルドスは、優に八セージル以上も吹き飛ばされていた。


「……


 アッシュは、表情を消したまま呟く。


?」


 ――あの日のように。

 またしてもサクヤを。

 この手から、奪おうとする。

 この俺から二度も――。


「……その上、ユーリィまで奪うってか?」


 アッシュの口調は、淡々としていた。

 だが、その怒りはあまりにも激しかった。

 サクヤまで口元を押させて息を呑むほどだ。

 そして――。


「立てよ」


 アッシュは、横たわるオルドスに手招きをして告げた。


「俺の前でそんな台詞を吐いたんだ。塵にされる覚悟は出来てんだろ?」


「〈……む、むう〉」


 オルドスは、ふらつきながらも立ち上がった。

 側頭部を片手で押さえて頭を揺らす。


「〈そ、そなた……本当に人間であるか?〉」


「うっせえよ」


 アッシュは、ゴキンと拳を鳴らした。


「俺の大切な女達を奪いに来たんだ。相手が神だろうが怪物だろうが関係ねえよ。そもそもてめえが神ってツラかよ。この円筒野郎が」


 そして、途方もない怒りと共に。


「サクもユーリィもくれてやる気はねえ。てめえは今、ここでぶち殺す」


 アッシュは、そう宣告した。

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