第404話 二人は再び出逢う③

 風で揺れる白い砂浜。

 ――ざく、ざくっ、と。

 二人は、波打ち際沿いに砂浜を歩いていた。 

 サクヤの歩幅に合わせて、アッシュがゆっくりと歩く。

 足音と、さざ波の音だけが周囲に響く。


 二人は、ずっと無言だった。

 互いにまだ困惑していたのもあるが、沈黙が心地よいからだ。

 けれど、いつもでもこうしてもいられない。


「……サク」


 アッシュは足を止めて口を開いた。

 サクヤも足を止めて、アッシュの方に振り向く。


「教えてくれ」


 アッシュは、真剣な面持ちで尋ねた。


「一体、お前に何があったんだ? あの日、光になって消えちまったお前が、どうしてここにいるんだ?」


 ――あの日。

 相棒と共に《聖骸主》だったサクヤに挑み、アッシュは勝利を手にした。

 遂に宿願を果たした。

 しかし、アッシュの胸中にあったのは、深い虚無と絶望だった。

 アッシュは強い焦燥と共に、数年ぶりに彼女を両腕に抱いた。

 力を使い果たしたサクヤは、四肢の端から光と成っていた。

 そうして、そのままアッシュの腕の中で、完全に光になって消えてしまったのだ。

 それが《聖骸主》の最期。

 何度か見てきた最期のはずだった。


「どうしてお前は……」


「……とても暗い世界に……」


 サクヤは、瞳を細めて語り出した。


「ボロボロで、一人ぼっちのドラゴンさんがいたの」


「……サク?」


 アッシュは眉根を寄せる。サクヤは歌うように言葉を続けた。


「かつては、怒りと憎悪に囚われていた暴虐の化身だった。けど、本当の彼は少し皮肉屋さんで、とてもお節介なドラゴンさんだったの。消えてしまう寸前の魂に、涙を零すぐらいに彼は優しかった」


「…………」


 アッシュは表情を改めて耳を傾ける。


「彼は、消えてしまうはずだった私に機会をくれたの」


 サクヤは風になびく黒髪を手で押さえた。


「ステラクラウンに戻れるかは私の想い次第。私が心から本当に逢いたいと願えば、世界の狭間を越えられるって。それがステラクラウンに戻る道標になる。そう言って、彼は私に加護を与えてくれた」


 暴虐の化身が流した一滴の慈悲の涙。

 それこそが、サクヤに与えられた加護だった。


「そうして、お前は戻ってきた訳か……」


 アッシュがそう呟くと、サクヤは「うん」と答えた。


「信じられない話だと思うけど、それが、ここに私が戻ってこられた理由なの」


「…………」


 アッシュは無言だった。

 正直、サクヤの言葉であっても信じ難い話だ。

 しかし、アッシュにはその話と似た知識があった。


(……『異界渡り』か)


 かつて神学者を気取る男が語った話だ。

 死の国である煉獄さえも一つの異界と定義するのなら、『異界渡り』によって人は蘇ることが出来る。あの男はそう語っていた。

 眉唾な話だが、サクヤの身に起きたことは、まさにそれだった。

 そして、彼女の言うお節介で優しいドラゴンとは……。


「サク……お前は」


「……トウヤ」


 サクヤは、アッシュの声を遮った。

 その表情は少し緊張した面持ちだった。


「……私も聞きたいことがあるの」


 彼女は視線を逸らして、アッシュに問う。


「私にはもうその資格がない。それは分かっている。だけど、それでも聞きたいの。確認したいの。トウヤは……」


 そこで、サクヤは口を噤む。

 何かを堪えるように強く拳を固める。

 数秒の間が空いた。

 そして――。


「トウヤは、今でも私を愛してくれていますか……?」


 言って、サクヤはギュッと瞳を瞑った。

 アッシュは大きく目を瞠った。


「わ、私は、トウヤに酷いことばかりしたから。だ、だからもう……」


 サクヤは瞳を瞑ったまま、言葉を続けた。

 沈黙が続く。

 サクヤは、ただひたすらアッシュの言葉を待ち続けた。

 すると、


「……馬鹿だな」


 言って、アッシュは彼女の頭に手を置いて、自分の胸板に強く寄せた。

 サクヤは閉じていた瞳を見開いた。


「愛してなきゃ、ここに逢いに来る訳ねえだろうが」


「……トウヤぁ」


 サクヤは、くしゃくしゃと表情を崩した。

 アッシュは、彼女を強く抱きしめた。


「俺は今でもお前を愛しているよ」


「……ぐすっ、ホント?」


 サクヤが、瞳に涙を滲ませて問う。


「女の子があんなに一杯いるのに?」


「……ん?」


 アッシュは少し眉根を寄せた。サクヤはゴシゴシと瞳を擦って、


「オトハさんとか、ユーリィちゃんとか、サーシャちゃんとか、アリシアちゃんとか、ミランシャさんとか、シャルロットさんとか、ルカちゃんとか……」


「――サク!? なんでお前があいつらの名前を!?」


 アッシュは愕然とした。

 想定外の台詞に、思わずサクヤから飛び退くほどだ。

 が、少し冷静になって、


「あ、そういや、ミランシャとシャルとは、もう面識があるって話だったか? オトのことは……ああ、そっか。『屠竜』関連で知ってんのか。けど、なんでサーシャとかルカ嬢ちゃんの名前まで……」


「それは当然調べるよ」


 涙を拭き終え、サクヤは顔を上げた。


「……当然なのか? それって?」


 困惑するアッシュ。すると、サクヤは少しムっとした表情を見せた。

 両手を腰に、大きな胸をたゆんっと揺らして、前屈みにアッシュを睨みつける。


「当然だよ。まあ、ドラゴンさんの話だと、今の私は狭間を越えたせいで、少し心が変質してて、本能が強くなっているそうだから、嫉妬深くはなっているんだけど」


「…‥いや。お前、今さらりと変質とか怖い台詞を言ったな」


「それはいいの。もう色々と自分の本音が分かって乗り越えたから。それより、私を愛してくれる、私の愛するトウヤさん」


「お、おう……」


 サクヤの迫力の前に、アッシュは声を詰まらせた。


「あれほどの美女と美少女ばかり本当によく集まったものだわ。それでどうなのかな、トウヤさん? もう何人かは手を出しちゃったのかな?」


「いや!? 何人も手を出してねえよ!?」


 アッシュの叫びに、サクヤはジト目を向けた。


「ふゥん。何人もじゃないのか。?」


「――うぐっ!?」


 アッシュは、ダラダラと汗をかき始めた。

 サクヤは深々と溜息をついた。頬に手を当てる。


「やっぱり予想通りね。順当に考えると、オトハさんかミランシャさんかな? もしくは容姿や性格が凄くトウヤ好みのサーシャちゃんとか。まさか意表をついてユーリィちゃんとか、ルカちゃんとかじゃないよね?」 


「い、いや、サクヤ?」


 アッシュは困惑した声を上げるが、サクヤは聞いていない。


「……まあ、いいわ。これも予想通りなだけだし。コウちゃんでさえあの状況だもの。トウヤがこうなっているのは想像できたし。私が愛されていることを確認できた今、私もようやく覚悟を決めたわ」


 言って、サクヤはアッシュの胸に指先を突き付けた。


「トウヤ。これだけは改めて言わせて」


「お、おう……」


「一番は私だから! 私こそがトウヤの正妻だから!」


「…………え」


 アッシュは一瞬ポカンとした。

 が、すぐに顔色を変えて、


「サクッ!? 何言ってんだ!?」


「……え?」


 すると、今度はサクヤの方がキョトンとした。


「……? だから、奥さんが沢山いても私が一番って話だよ?」


「サクッ!?」


 アッシュはサクヤの額に手を当てた。


「お前、熱でもあんのか!?」


「……? 私、平熱だよ?」


 サクヤは、ますますキョトンとした。

 アッシュは唖然とした。長い付き合いで分かる。サクヤは本気で言っている。


(……おおう)


 アッシュは言葉を失った。

 ようやく再会した恋人は、随分とぶっ飛んだ思考に辿り着いていた。

 アッシュはサクヤの額から手を離し、自分の頭をかいた。


「ま、まあ、その話は後でしよう」


「うん。そうだね」


 サクヤは、こくんと頷いて呟く。


「これだけ花嫁さんがいると結婚式も大変だろうし」


「いや……あのな、サク」


 アッシュが頬を強張らせる。

 と、その時だった。



「〈いやいや。それは小生が困るのである〉」

 


 不意に、砂浜に新たな声が響いた。

 聞いたこともない声だった。

 アッシュは振り向き、サクヤも視線を声の方に向けた。

 二人は大きく目を見開いた。

 そして――。


「……おいおい」


 アッシュは、双眸を細めて呟く。


「随分と斬新で個性的な格好じゃねえか。近くで仮装パーティでもしてんのか?」


「〈それはとても楽しそうであるが、小生とは無関係である〉」


 と、声の主は言う。

 円筒の頭部を持つ、黒のタキシードに身を包んだ怪物。オルドスだ。

 アッシュはサクヤに囁く。


「…‥サク。知ってる奴か?」


「……ううん」


 サクヤは神妙な顔つきでかぶりを振った。


「知らないよ。初めて見る人……そもそも人なのかな?」


「それは疑わしいよな」


 アッシュは苦笑を浮かべつつ、オルドスに尋ねる。


「そんで円筒さん。俺らに何か用か?」


「〈そなたには用はないのである〉」


 オルドスは、サクヤをじっと見つめた。


「〈用があるのは、そちらの花嫁だけである〉」


「……花嫁だって?」


 アッシュは剣呑な表情を浮かべた。

 サクヤは悪寒を感じたのか、アッシュの背に少し身を隠す。

 それに対し、オルドスは上機嫌だ。


「〈そう。花嫁である。さあ、我が花嫁よ〉」


 オルドスは両手を広げて告げた。


「〈小生の元に。そして小生の子を産んで欲しいのである〉」

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