第七章 二人は再び出逢う

第402話 二人は再び出逢う①

 ……ザザザザ。

 さざ波の音が耳に届く。

 ふと見上げると、空は晴天。カモメが飛ぶ姿も見える。

 太陽の輝きが眩しい。

 サクヤは、黒い瞳を細めた。


 時刻は、午前十時を過ぎた頃。

 サクヤは、ジェシカと一緒に自室で朝食を取った後、炎の華の紋が刺繍された白いタイトワンピースを着て身を引き締め、王都ラズンを出た。

 そうして海岸沿いに三十分ほど歩いて、この砂浜に辿り着いたのである。


 いつもなら同行するジェシカの姿もない。

 彼女には、今回のみ同行を辞退してもらった。

 何故なら、今日は再会の日だからだ。


『……決意されたのですね』


 ジェシカは、珍しく微笑んでくれた。

 サクヤは久しぶりに一人になっていた。

 周囲には人気もない。


「……海か」


 その時、強い風が吹いた。

 潮の香りがする海風だ。

 サクヤは、長い黒髪を片手で押さえた。

 山村で暮らしていた彼女には、まだあまり馴染めない風だ。


「……あの頃は、川遊び程度だったから」


 昔を懐かしみ、サクヤは再び瞳を細める。

 川遊びは、クライン村では定番の遊びだった。

 サクヤは意外と泳ぎが上手く、皆が感心していた。

 ただ、成長するにつれて、異性の視線が気になってきてあまり遊ばなくなったが。


「海だとやっぱり違うのかな?」


 手持無沙汰に砂浜を歩きながら呟く。

 サクヤは、この場所を再会の場所に決めていた。

 ここ数日、サクヤはずっと部屋に籠りきりだった。

 それが突然、行動すれば、きっとトウヤは意図を感じ取ってくれるだろう。

 そう確信して、この場所に来たのだ。

 ただ、いつ来てくれるかは分からない。


 けれど、サクヤは何時間でも待つつもりだった。

 彼が来てくれるまで。


 再び風が吹く。

 思えば、遠い場所まで来たものだ。


 あの小さな村。

 とても小さな世界が、サクヤのすべてだった。

 それが今や、大海原を前にしている。


(あの頃は……)


 サクヤは髪を押さえて物思う。


(普通にトウヤと結婚して、一緒に暮らして、子供を産んで……)


 そして歳をとって、お婆ちゃんになって、子供や孫に囲まれて笑って死ぬ。

 そんな未来を想像していた。

 だが、そんな未来はもう来ない。

 あの炎の日に、断ち切られてしまった。

 もう、トウヤと共に歩く未来はない。

 ささやかだけど、幸せな未来はもう来ない。

《聖骸主》と成り、おぼろげになった意識でそう考えていた。


「……だけど」


 サクヤは、ポツリと呟く。

 昨晩訪れた彼のおかげで、彼女は再びこの世界に戻ってこられた。

 こうして、再び人として生きる機会を与えられた。


「…………」


 サクヤは、無言になって大海原を見つめた。

 心はとても穏やかだった。

 そして――。

 ――ざくっ、と。

 不意に後ろから足音が響いた。

 ざくっ、ざくっ、と足音が続く。

 誰かが近づいている証だ。

 トクン、トクンと心臓が鼓動を打つ。

 サクヤは小さく息を吐き出して、ゆっくりと振り向いた。


 すると、そこには……。


「……よう」


 腰に小さなハンマーを差した白いつなぎ姿の、白髪の青年がいた。

 サクヤが知っている頃よりも成長していて、顔つきや体格に精悍さが増しているが、間違いなく彼女の愛しい人だった。


「久しぶりね。トウヤ」


 サクヤは微笑んでいた。

 鼓動は、今も高鳴っている。

 けれど、彼の前だと自然に笑みが零れていた。

 一方、青年も穏やかに笑う。


「ああ。久しぶりだ」


 ゆっくりと歩を進めながら、青年――アッシュはボリボリと頭をかいた。


「コウタからは聞いていたが、本当にお前なんだな。サク」


「……うん。私だよ」


 サクヤは、少し眉を落として告げる。


「ごめん。トウヤ。私は……」


「悪りい。ちょっと待ってくれ」


 アッシュは、サクヤの言葉を遮って彼女の前に立った。


「お前に色々と語りたいことが山ほどあんのは分かるよ。俺だって、お前に何があったのか聞きたいしな。けど、その前にだ」


 言って、アッシュはサクヤに手を伸ばした。

 サクヤは少しビクッと肩を震わせた。

 それを見て、アッシュの手が躊躇うように止まる。

 が、アッシュは覚悟するように息を吐くと、再び手を伸ばした。

 そして、サクヤの柔らかな頬に触れた。


「……トウヤ?」


 サクヤは困惑した。


「……どうしたの?」


「……幻なんかじゃねえ……」


 アッシュは、グッと唇を噛みしめた。


「……本当にサクだ。俺のサクヤだ」


 言って、アッシュはサクヤを抱き寄せた。

 サクヤが目を見開く中、アッシュは強く彼女を抱きしめる。

 腕の中の柔らかさ、彼女の息遣い、そして体温を全身で感じ取る。


「……サク。サクヤなんだよな」


 アッシュは、一滴の涙を零していた。

 サクヤは言葉もなく、ただ抱きしめられていた。

 が、不意にくしゃくしゃと表情を崩して、


「うん。私だよ。トウヤ、トウヤぁ……」


 サクヤもまた、彼の背中に手を回してしっかりと抱き着いた。

 二度と感じ取れないと思っていた彼の鼓動を感じる。

 二人は抱擁を続けた。

 風が吹き、さざ波が揺れる。

 大海原だけが、その様子を見つめていた。

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