第388話 神は願う②
シーラ=ノワール。
彼女は、怪物の娘だった。
元々は戦争孤児。荒れ果てた街で野垂れ死ぬ直前だった。それを、その日たまたま出かけていた《冥妖星》の気まぐれで拾われた少女だった。
拾われた当時は十歳だったのだが、《冥妖星》のコネと意向で《黒陽社》に入社。教育と訓練を重ねて現在は二十一歳になっていた。
コツコツ、と彼女は通路を歩く。
紫に近い瞳に、腰まで伸ばしている、さらりとした同色の髪が風になびく。やや小柄でスレンダーな肢体には《黒陽社》では珍しく、黒いスーツではなく、金糸で縁取りした黒い制服とスカートだ。両足には黒のストッキングを履いている。
すれ違った《本社》に努める男性社員達は揃って彼女に目を奪われた。
それも仕方がないことだった。
何故なら彼女は《星神》だからだ。その美貌もまた群を抜いている。社内においてはかのリディア=ヒル、カテリーナ=ハリスとも並ぶ美女として知られていた。しかも、出世面においては、第5支部の支部長補佐であるカテリーナさえも凌いでいる。
彼女は若くして本部長代理であり、『特殊情報管理室』の副室長でもあるのだ。
カルロス=ランドヒルが《土妖星》として台頭するまで、彼女こそが若手最高の出世頭だったのである。
しかし、その重責のためか、表情は常に冷酷な女性だった。
無垢な赤ん坊であっても、顔色を一切変えずに殺す女。
そんな噂が彼女にはあった。
それゆえか、彼女の美貌に魅入っても声をかける者は少ない。
ただし、例外もあるが。
「――シーラさま!」
不意に背後から声が響く。
シーラは、髪を揺らして振り返った。
そこにはシーラと同じ制服を着た二人の女性社員がいた。
シーラと同年代らしき、髪を頭頂部辺りで団子状に丸めた娘と、十八歳ぐらいのまだ少女と呼んでもいい年齢の娘だ。ちなみにシーラと違って中々の胸を持っている。
「……何用です」
表情を変えずに、シーラは尋ねる。
彼女達はシーラの部下。『特殊情報管理室』に所属する社員達だった。
シーラの冷たい声と圧力に、彼女達は一瞬怯むが、
「あ、あの、室長はどこに行かれたのでしょうか?」
と、お団子頭の女性社員が、勇気を振り絞って尋ねる。
「こ、今夜の『情報探査』は私達の番なんです。けど、オルドスさま……室長が本部長室のどこにもおられなくて……」
と、年上の社員の背中に隠れるようにもう一人の社員が言う。
シーラは、彼女の方を見つめた。
肩まである栗色の髪を左右で纏めた少女。
彼女は一か月前に配属された新入社員だ。元は親に売られたと聞いている。
そのまま《商品》として売買されるところをオルドスが拾い上げたのだ。シーラ達の室長は時々そういった不幸な娘を自分の配下――金糸雀にしていた。
そして新たなる金糸雀は、配属されたその日の夜にオルドスの寵愛を受ける。
当然だが、オルドスの容姿に本気で恐怖して泣き叫ぶ者達もいるのだが、そこはオルドスの人徳(?)か、神の魅力なのか。一夜もあれば、ほとんどの娘が彼に心酔し、虜になっていた。目の前の少女もそうだった。
(……しかし)
一か月前に配属されて、もう二巡目が回ってくるとは。
ちなみに、ローテーションのスケジュールに関しては、シーラは関与していない。
室長自らが組んでいるのである。
シーラは一切表情を変えずに、おどおどとした娘を見据えた。
少し身じろぐだけで、ゆさりっと揺れる。
……やはり、あの大きな胸が要因だろうか。
彼があの長い腕で後ろから捕らえるように包んで相手の胸に触れることを好むことはよく知っているが、どうも自分の時は、そこに少し不満があるように思える節がある。
入ったばかりの金糸雀に早く慣れてもらうために、優先的なローテーションを組んでいると信じたいところだが。
「…………」
シーラは無言だった。心なしか圧力が増したように感じる。
「シ、シーラさま」
すると、お団子頭の女性社員が再びシーラの名を呼んだ。
シーラは彼女に視線を移した。
「室長はおられません」
「……え?」
「戻ってこられる時期も未定です。従ってしばらく『情報探査』は中断となります。各室員にも連絡しておきなさい」
「そ、そんな!?」
「―――ッ!?」
お団子頭は愕然とし、新入社員の娘は口元を押さえて目を見開いた。
「ローテーションは今のままで維持です。室長がお戻り次第、再開となります。以上」
淡々とした声でそう告げて、シーラは背中を向けて歩き出した。
部下達はまだショックを受けているようで、ただ黙ってシーラを見送った。
シーラは、コツコツと歩き続ける。
そして、とある部屋で止まった。彼女の私室である部屋だ。
シーラは鍵を開けて部屋に入った。
そこは殺風景な部屋だった。簡素な机にパイプベッド。壁の内部に設置されたクローゼット。特徴としてそれぐらいしか挙げるような物がない部屋だ。
――いや、もう一つだけ目立つ物がある。
ベッドの上に抱き枕があるのだ。
シーラは、ツカツカとベッドまで進むと、その抱き枕を片手で掴み上げた。
ちらりと抱き枕を見やる。
それは、無地の枕ではなかった。
一人の少女の全身まで表す姿絵が描かれている枕だ。
年の頃は十二歳ほどか。
空色の髪に、翡翠色の瞳。驚くほど美麗な顔立ち。四肢は華奢で、肌は透き通るほどに白い。服装は足にスリットの入った白いドレスを纏っている。
姿絵は仰向けに横たわるデザインだった。なお少女の顔は無表情である。
「………」
シーラは、無言のまま抱き枕を裏返した。
そこには、表とは違うデザインが描かれていた。
少女は誰かを招くように両手を広げていた。胸元は大きくはだけており、ドレスの隙間から鎖骨のラインが見えている煽情的なデザインだ。
ちなみに無表情なのは変わらないが、微かに頬に朱が入っていた。
(……聖女たん抱き枕)
これは、確かそんな名前の商品だった。
犯罪組織・《黒陽社》。そのさらに裏のルートで取引されているアイテムだ。
彼女の手腕を以てしても、入手するのに困難を極めた一品である。
ちなみに別シリーズで『水のお姫さま抱き枕』や『皇女たん抱き枕』などもある。
「………」
シーラは無言のまま、抱き枕を、ポイっとベッドに放り投げた。
ボスン、とベッドの上に落ちる抱き枕。
直後、シーラは跳んだ。全体重を乗せた肘鉄を抱き枕に喰らわせる!
パイプベッドが大きく軋み、抱き枕がくの字に曲がった。
シーラは続けて、抱き枕の上に馬乗りになった。
そして、心底不快そうに眉をしかめた。
「……どうしてなの」
どうして、この女なのか。
何故、私ではないのか。
何度もそう思った。
「……オルドス」
シーラは、彼を愛していた。
野垂れ死ぬ寸前に出会った怪物。最初は死神かと思った。
事実、死神だった頃もあったそうだ。
彼に拾われ、シーラは食事や寝床に加え、教育の機会まで与えられた。
それは、今でも心から感謝している。
だからこそ、恩人である彼の役に立てるように努力を続けた。
彼が実は人間の女性に興味があると知った時は、彼に純潔を捧げる覚悟をした。十四の時である。それほどの恩義と愛情を彼に抱いていたからだ。まあ、あの時は知識もロクになかったのに早まりすぎて、彼を喜ばせるどころか困らせてしまったが。
十六の頃には、持ち前の優れた才能とオルドスの後押しもあり、本部長代理兼、『特殊情報管理室』の副室長の役職に就き、名実ともに彼の右腕となった。
正直、この頃はかなり辛かった。
本部長代理としての激務の方はまだいい。
辛かったのは『特殊情報管理室』の副室長としての仕事だ。大前提として、彼が他の女を抱くのを容認しなければならなかったからだ。
女として本当に辛かった。
けれど、十八歳になった時、今度こそ彼に純潔を捧げることが出来た。
ようやく自分も彼の金糸雀になれたのだ。
あの夜の喜びは、今でも大切な思い出だった。
あれから金糸雀の数は増えたが、週に一度、必ず呼ばれるのは自分だけである。複数で呼ばれることが多い中、自分だけは一人で呼ばれることが多いのも密かな自慢だ。
勿論、『情報探査』の時だけではない。
プライベートでだって、彼には求められている。
今回の外出の件も聞いたのはプライベートの時。彼の腕の中でだ。
金糸雀達の中でも最も愛されている者。それが自分なのだ。
だというのに――。
「……私ではオルドスの子を産めない」
シーラは、両手でググっと抱き枕を握りしめた。
神であるオルドスの子は、神の因子を強く持つ者しか宿せない。
本当に無念だった。
オルドスの子を宿せるのは、まだまだ子供のこの女だけなのである。
肌の綺麗さは認めるが、胸など自分よりも小さいくせに。
そして、遂にオルドスはこの女を迎えに行った。
情報では、この女はまだ十八にはなっていないはずだが、恐らく、早めに連れてきて情操教育でもするつもりなのだろう。
金糸雀達のみに伝えてあるオルドスの悲願を、遂に実行するのだ。
準備は万全にして当然だった。
「………」
シーラは、引きちぎりそうな力で抱き枕を左右に引っ張った。
不満だ。不満だ。不満だ。
しかし、オルドスの願いはすべてに優先される。
それを叶えることこそが、シーラの――金糸雀達全員の『欲望』なのだ。
「不満はあるけど……」
シーラは、大きく嘆息する。
「オルドスのことを第一にしなくちゃ」
そう呟いて、彼女は抱き枕から手を離した。
次いで、抱き枕の少女の顔を見やる。着崩れた胸元辺りも。
「流石というべきか、確かに美貌は申し分ない。けど、その貧相の体ではオルドスを満足させるには全然足りないわ。ただ子供を産むだけなど論外よ。彼を悦ばせてこそ金糸雀なのだから。彼のために、せめて知識とテクニックぐらいは必要ね」
シーラは双眸を細めた。
そして――。
「あなたはオルドスの花嫁なのよ。それに相応しい教養を私が授けてあげるわ」
そう言って、シーラは微笑んだ。
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