第310話 虎が吠える⑤

 そうして、場所は変わってホルド村。


『おし。全員揃ったな。そんじゃあ出発するぞ』


 アッシュの声に一同は頷いた。

 そこはホルド村の門前だ。アッシュ達は出立する直前だった。

 アッシュとユーリィは《朱天》に。シャルロットは《アトス》。ライクは荷物を積んだ馬車に乗っている。


 そして一行は出立した。

 響くのは鎧機兵の足音と、馬の嘶き。そして車輪の音。


 アッシュ達はずっと無言だった。

 背にしたホルド村は徐々に遠ざかっていく。


 そんな中、アッシュは一人考えていた。

 この先どうすべきか。まずライクをサザンに送り届ける。それから先のことだ。

 ライクには騎士団を動かせといったが、もし状況がアッシュの推測通りならば動かす訳にはいかない。そんなことをすればとんでもない数の犠牲者が出る。


 無論、現状を放置しておくのも悪手だ。いずれは討伐が必要だった。

 しかし王都パドロならばいざしらず、サザンだけでは『彼女』を討伐できるだけの戦力はないだろう。


(……《聖骸主》か)


 目を細める。

 やはり自分がどうにかするしかない。

 アッシュの愛機・《朱天》は単独で《聖骸主》を倒すことを前提に改良を加え続けた機体だった。アッシュ自身もそれを目的にして腕を磨き続けていた。


 ――無力の果てに殺されたかつての少年はもういない。


 幾つもの死線を越え、自分は力を得た。

 たとえ《聖骸主》であっても負けることはない。

 だが、


(………サクヤ)


 胸の奥が強く痛む。

 ……まさか、こんな場面に立ち会う日が来るとは思っていなかった。

 あまりにも今のこの状況は似過ぎていた。

 かつての自分と《彼女》の結末に。


(……どうにもならねえところまでそっくりだな)


 我知らず自嘲の笑みが零れてしまう。

 しかし、それでもライクだけは救いたいと思った。


 何も知らさず、何も教えず。

 真実を知った時、どれほど恨まれることになったとしても。


 ――自分がすべて闇に葬り去ろう。


「なあ、ユーリィ」


 アッシュは自分の腰を掴む愛娘に語りかけた。


「……なに?」


「サザンに着いたら、個人的に少し野暮用があってな。悪りいが俺は三日ほど留守にすることになる。その間、シャルと一緒に待っていてくれねえか?」


 今回の件、シャルロットには事前に事情は話していた。

 彼女は一人で戦うと宣言するアッシュにかなり渋い顔をしたが、最終的には承諾してくれた。ユーリィも預かってくれると約束してくれた。

 ユーリィを預けることはアッシュにとっては異例中の異例だ。しかし《聖骸主》を相手にする状況に愛娘を連れて行くことは流石に出来なかった。

 それにシャルロットは実力こそアッシュが信頼する二人には届かないが、人となりは充分すぎるほど信頼できる女性だ。彼女に任せておけば、仮に自分に何かあったとしてもユーリィは大丈夫だろう。後はユーリィの承諾だけだった。

 しかし、


「………イヤ」


「え? なんでだ?」


 アッシュは目を丸くした。操縦棍から片手を離し、後ろへと振り向く。

 ユーリィはどこか不機嫌そうな眼差しをアッシュに向けていた。


「………最近、灰色さんはあまり私に構ってくれない」


「い、いや、それはだな……」


 どうやら彼女は拗ねているようだ。アッシュは困った表情を見せた。


「けど本当に野暮用なんだ。ユーリィは別にシャルのことは嫌いじゃねえだろ? 少しの間だけ一緒に待っていてくれねえか?」


「………イヤ」


 しかし、ユーリィは無下もない。


「シャルロットさんのことは嫌いじゃない。けど、どうして灰色さんは彼女のことを『シャル』って呼んでいるの?」


「え、ま、まあ、そこは色々あってさ」


 と、頬を引きつらせるアッシュにユーリィはさらに追求する。


「灰色さんはシャルロットさんと凄く親しい。彼女を特別扱いにしている」


「いや、う~ん、まぁシャルには色々と頼っているからな……。それに今まで愛称で呼んだ相手なんてサクかオトぐらいだったし……」


 言ってポリポリと頬をかくアッシュ。何度か耳にしたことはあるが一度も会ったことのない女達の名にユーリィはさらに不安になった。目に涙が溜まってくる。


「灰色さんは私が邪魔なの……?」


「お、おい! そんなことねえぞ!」


 アッシュは《朱天》を停止させユーリィの方に振り向いた。ライクの馬車とシャルロットの《アトス》が何事かとつられて止まるが気に掛ける余裕もない。

 アッシュはユーリィを抱き上げ、自分の前に移動させた。

 ユーリィはもう泣き出す寸前だった。


「ああ、泣くなよ。ユーリィ」


 ぐすぐすと鼻を鳴らす愛娘の頬を両手で押さえ、涙を親指で拭ってやる。


「お前は俺の宝物なんだぞ。邪魔な訳ねえだろ」


「……ぐすっ、ホ、ホント?」


「もちろん、ホントだ」アッシュは優しく微笑んで告げる。「お前には誰よりも幸せになって欲しい。それが俺の望みだ」


「……ひっく、だったら……」


 ユーリィは少し立ち上がるとアッシュの首に手を回した。


「置いていっちゃヤダ。私、頑張るから。一人にしないで」


 言って力一杯抱きついてくる。

 そして、しゃっくりを上げながら彼女は自分の望みを告げた。


「ずっと傍にいて。私はアッシュと一緒にいたい」


「……ユーリィ」


 愛娘にそんなことを言われては断れるはずもない。

 もう留守番を頼むことは出来なかった。


「ごめんなユーリィ。ああ、ずっと一緒だ」


 言って、アッシュも彼女をギュッと抱きしめる。

 どうやら《聖骸主》戦は何がなんでも負けれなくなってしまったようだ。


「多分怖い目に遭う。お前にとって酷なもんも見せちまう。それでもいいか?」


「ひ、ひっく。構わない。私、頑張るから」


「……そうか」


 アッシュは愛しさを込めてユーリィの頭を撫でた。

 幼い少女はより強くアッシュにしがみついた。


「ひっぐ、頑張って、ちゃんとアッシュ好みの女の子になるから」


「おう、そっか………ん?」


「ご飯もいっぱい食べる。嫌いなものも我慢して食べる。シャルロットさんみたいにおっぱいが大きくなるように努力する。だから――」


「うん。ちょっと待てユーリィ。待つんだ。お父さんと少し話をしようか」


 言って、アッシュはユーリィから手を離すと自分の前に座らせた。

 ――しかし、家族の団欒の時間はそこまでだった。

 不意に、ガガガガガッ――と巨岩でも転がり落ちてくるような轟音が森中に鳴り響いたからだ。馬車の馬が怯え、嘶きを上げた。


「ッ! ユーリィ! 後ろに回れ!」


 アッシュの指示にユーリィはこくんと頷いて後ろに回った。


『シャル! ライク! 気をつけろ! 何か来るぞ!』


 次いで同行者達に警告する。

 が、内心ではアッシュはかなり焦っていた。

 魔獣ならまだいい。最悪なのは《聖骸主》が現れることだ。

 ライクに非情な現実を突きつけてしまうことになる。


(――くそ! どうする!)


 いっそライクを気絶させるか。

 だが、それをするには《朱天》から降りなければならない。

 轟音は徐々に大きくなっている。敵はもう直前にまで来ていた。


(この状況でそんな隙を作る訳にはいかねえ……)


 ならば方法は一つしかなかった。

 現れた直後に彼女を攫って跳躍し、戦闘場所を変えることだ。

 ライクに変わり果ててしまった彼女の姿を断じて見せさせない。

 そう決意してアッシュは《朱天》を身構えさせた。


 ――しかし、状況は彼の想定とは全くの別物ものだった。


 轟音と共に現れたのは魔獣でも《聖骸主》でもなく数機の鎧機兵だったからだ。

 しかもどの機体もかなり損傷していた。左腕がなく荒い切断面から火花を散らしている機体。または足などに水晶を突き刺している機体もある。

 突然の来訪者達にアッシュは勿論、ユーリィ、シャルロット、ライクも唖然とした。

 一方、突如現れた鎧機兵達は騒然としていた。


『――くそッ! あの化けモンが! あんな距離から攻撃なんてアリかよ!』


『全員無事か!? 機体の損傷は!?』


『俺の機体はもうダメだ! 右足と尾をやられた! ルクスお前は!』


『俺はまだいけます! 腕をやられたけどすぐに切断しました!』


『俺のは……くそッ、ダメか! 水晶に浸食されている! もう破棄するしかねえ! まともに動くのは――ルクスだけか! ルクス! 胸部装甲ハッチ離脱着パージして身軽になれ! お前だけでもホルド村に先行するんだ!』


『はい! 了解しました!』


 ――バシュウッ!

 鎧機兵の一機が胸部装甲を切り捨てた。

 そして操縦席が露わになる。そこにいたのは二十歳ほどの青年と、桃色の髪を持つ十五歳ぐらいの少女だった。


「…………え?」


 その姿を見て目を見開いたのはライクだった。


「キャシー!? 《山猫》キャシー!?」


「――え?」少女がキョトンとした顔を上げた。「え、えっと、誰スか?」


 そこで初めて鎧機兵の操手達はアッシュ達の存在に気付いた。


『……おい、あんたら。一体どうしたんだ?』


 と、《朱天》の中からアッシュが声を掛けた。

 すると、


「――その声は……嗚呼、《夜の女神》さま! この幸運に心から感謝します!」


 操縦席に乗っていた青年が叫んだ。

 その声にキャシーと呼ばれた少女がハッとする。


「隊長さん! あんたが隊長さんなんスか!」


『は? 隊長?』


 見知らぬ少女に何故か隊長と呼ばれてアッシュは眉根を寄せる。と、


「――《黒蛇》の切り込み隊長!」


 そう叫んだのは青年――ルクスだった。


「頼みがあるんだ! 報酬は後でいくらでも出します! だから助けてください! どうかうちの団長達を助けてやってください!」


 言って、地面に降りると両手をつき、深々と頭を下げた。

 鎧機兵を破棄した他の団員達も次々とルクスに並んで額を地面に打ち付けた。

 アッシュ達は状況が分からず呆然としていた。


「お願いするッス隊長さん!」


 キャシーが森の奥を指差しながら青ざめた顔で叫ぶ。


「この先に少し大きめな広場があるッス! そこで今おっさん達が戦っているんスよ! セレンに……セレンに襲われて!」


「セ、セレンだって!」


 その名前に最も早く反応したのは当然ライクだった。


「セレンが襲われているのか!」


「え? ち、違う。襲われてるのは――」


「セレン! いま行く!」


 そう言って、ライクは弓と矢筒を手に森の中へと駆け出した。

 咄嗟にアッシュが『待つんだ! ライク!』と呼び止めるがセレンの名を聞いて少年が止まるはずもない。傭兵達も唐突な少年の行動に困惑していた。

 セレンの名を聞いた時点で、アッシュは事態をおおよそ把握した。


 やはり推測通り最悪の事態だったようだ。

 そしてそんな最悪の場所にライクは一人向かっている。一人で行くのは当然危険だが、それ以前にこの先には絶望しか待っていないのだ。

 ――かつて自分が味わった絶望しか。


『――シャル!』


 アッシュは叫ぶ。


『ライクの奴を追ってくれ! 鎧機兵では追いつけない! 頼む!』


 少し具体性の欠ける指示だったがシャルロットは迅速に応えた。

 すぐさま《アトス》から降り、ライクの消えた方向に目をやった。


「クライン君はどうしますか!」


『俺は――ライクよりする! 《聖骸主》を討つ!』


 その宣言にルクス達は顔を上げた。


「引き受けてくれるんですか!」


『正直言って戦うのは俺の都合だ。だが助けられるようだったら助けてやるさ。お前らの団長ってのもな』


「ありがとうございます! 今あの広場では三人の傭兵が《聖骸主》と戦っています! 団長の名はバルカスです!」


 その情報にアッシュとシャルロット、ユーリィまで驚いた。


『はあ? あのエロ親父なのか? 何してんだこんなところで?』


「色々あったんです! それより俺が案内します!」


 言ってルクスがまだ動く愛機に再び乗ろうとするが、


『いや必要ねえよ』


 アッシュが止めた。次いで《朱天》が空を仰ぐ。


『《聖骸主》の気配はもう掴んでいる。そろそろ行くぜ』


 そこでシャルロットを一瞥する。


『――シャル。ライクのこと頼んだぜ』


「お任せください。クライン君こそご武運を」


 言って、シャルロットは夫に尽くす貞淑な妻のように一礼した。

 アッシュは愛機に手を振らせるだけで応えた。

 そして――。


『――行くぜ』


 地面が大きく陥没し、雷音が森に轟く。

 そうして鋼の鬼は木々を越え、空高く飛翔した。

 同時にシャルロットはライクを追って森の中へと消えた。

 残されたのは御者がいなくなった馬車と、静かに待機する《アトス》。そして唖然とする《猛虎団》の面々だけだった。


「あ、あれが、《黒蛇》の切り込み隊長なのか……」


 誰かポツリと呟くが応える者はいなかった。



       ◆



 ――はあ、はあ、はあ……。

 荒い声が零れ落ちる。

 それが誰のものか。バルカス達にはもう分からなかった。


『おい……二人とも生きてっか……』


『……生きてるさ』


『あいにくな。まだ動ける』


 と、仲間の二機が声を返してくる。

 愛する女と親友の声。少し安心したが、バルカスの愛機・《ティガ》も含めて各機の損傷は激しい。苦境は一切変わらなかった。

 目の前にそびえ立つのは天を突き刺すような水晶の巨柱。《聖骸主》が生み出した破滅を撒き散らす死の結晶だ。


(……くそったれが)


 あの巨柱が無尽蔵に水晶の槍を撃ち出してくるのだ。バルカス達はただそれを凌ぐだけでどんどん消耗していった。水晶の前でじっと佇む《聖骸主》に近付くこともままならない状況だ。しかも最悪なことに水晶の槍は逃げた団員達の方にまで降り注いでいた。果たして仲間は無事なのだろうか……。


 ――が、そんなことを考えている内にも次の砲撃が始まった。

 水晶の巨柱が光輝き、槍を次々と撃ち出してくる。三機はそれぞれの武器や闘技で凌ぐが止まない砲撃に徐々に圧されていった。


 そして――。


『――クッ!』


 ゾットの愛機・《ラング》が右腕を貫かれた。この水晶の槍が突き刺さるとすぐに抜かない限り浸食してくる。


『――ゾット!』


 即座にジェーンの《スカーレット》が《ラング》の右腕を切り落とした。しかしそれが隙となり、今度は彼女の愛機の左足が二本の水晶に貫かれた。


『くそッ!』


 ジェーンはすぐさま自機の左足を切断した。『ジェーンの嬢ちゃん!』《ラング》が《スカーレット》に肩を貸すが、これで二機は動きを止められてしまった。

 青ざめる二人の前にバルカスの《ティガ》が盾となった。


『くそがあああああああアァ―――ッッ!』


 そして両腕のかぎ爪を縦横無尽に振るい続ける!

 水晶の槍の嵐の中、バルカスはひたすら抗い続けた。

 しかし、世界はあまりにも無情だった。

 槍は決して止むことはない。

 鋼の虎は徐々にその爪牙を削り落とされていく。

 ――バキンッ、と。

 限界を超えて動き続けた右腕はへし折れ、水晶に槍に呑み込まれてしまった。

 水晶化をし始める右腕を《ティガ》は肩から引き抜いた。


 どうにか嵐を凌いだ。しかし、数秒の間も空けずに再び輝き始める水晶の巨柱。

 もはや凌ぐことが出来ないと悟ったバルカスは愛機に腕を広げさせる。文字通り仲間の盾になるつもりだ。ジェーンが『バルカス!』と男の名を呼んだ。


『――死なせねえッ!』


 死の直前。それでもバルカスは吠えた。


『俺の女も! ダチも! 仲間も! 誰一人死なせてたまるかあああ――ッッ!!』


 水晶の巨柱が輝きを増した。

 と、その時だった。


『へえ。案外立派な団長さんやってんじゃねえかよ。エロ親父』


 不意にそんな声が広場に届く。

『は?』と唖然とするバルカス。次の瞬間、今まで微動だにしていなかった《聖骸主》が急に走り出した。身の危険を感じた回避行動だ。

 そして――。

 ――ズゥドンッッ!

 莫大な恒力が降り注ぎ、水晶の巨柱が圧壊されていく。まるで《悪竜》が爪を振り下ろしたかのように地面がめり込んでいった。

 土煙が吹き荒れ、振動はバルカス達にも届く。


『な、何だいあれは……』


 ジェーンが唖然として表情で呟いた。ゾット、バルカスも同様だ。

 だが、呆然としているのも束の間、そいつは、ズズンッと地面に着地した。

 ――白い鋼髪をなびかせる漆黒の鬼。

 桁違いの凶悪な攻撃に我が目を疑うが、それは間違いなく鎧機兵だった。


(……おいおい、マジで間に合ったのか)


 剛胆なバルカスもこればかりは度肝を抜かれた。


『後は俺に任せときな。おっさん達は下がっていろよ』


 そう告げて、鋼の鬼は粉砕した水晶の残骸跡に佇む人影に目をやった。

 ――《聖骸主》は静かに鬼を見つめていた。

 鬼もまたしばし彼女を見つめる。が、ややあって、


『……もう終わりにしよう。セレンの嬢ちゃん』


 そう言って、鋼の鬼が雄々しく両の拳を叩きつける。

 その声には敵意も殺意もなく、ただ哀しみだけが宿っていた。

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