第307話 虎が吠える②

 ――チュン、チュンと。

 小鳥の声が耳に届き、ユーリィはむくりと起き上がった。

 寝ぼけ眼で周囲を見渡す。


(……?)


 はて。ここはどこだろうか?

 柔らかいベッドに、整頓された清潔な部屋。窓からは日の光が差し込んでいる。綺麗な部屋ではあるが、周囲を見渡しても見知った物がない。


(あ、そっか)


 そこでユーリィは思い出す。

 ここはホルド村の村長の家だった。同時に昨日見た光景も思い出す。

 ブルリと小さな体を震わせる。

 脳裏によぎるのは水晶の都。人間、魔獣、鎧機兵が凍り付いた光景。

 まるで亡霊でも出てきそうな不気味な情景だった。


「……灰色さん」


 怖くなったユーリィは保護者の姿を求めた。

 しかし室内にはいない。彼女は大人用の枕を片手に部屋を出た。

 ――会いたい。

 とても怖いから早くアッシュに会ってギュッとして欲しかった。

 そして抱っこしてもらい、頭も撫でてもらうのだ。

 寝起きの彼女は結構甘えん坊だった。

 しかし、村長の館はそこそこ広く、中々アッシュに出会えない。

 もしここで水晶化した犠牲者と出くわしてしまえば泣いてしまいそうだった。


「……灰色さぁん。あっしゅ、あっしゅゥ……」


 どんどん不安になってきたユーリィは何度もアッシュの名を呼びながら、トコトコと廊下を彷徨った。少し目尻に涙が溜まってきた。

 と、その時、どこからかとてもいい匂いがしてきた。

 ユーリィは匂いにつられて歩き出した。

 そして一分後。

 辿り着いたのは厨房だった。


「……シャルロットさん?」


 そこには鍋を煮込むメイドさんの姿があった。

 彼女はぐるぐるとオタマを回していた。

 ユーリィはしばし彼女の姿を見つめていた。そして不意に気付く。珍しいことにシャルロットが歌を口ずさんでいたのだ。

 中々の美声だ。歌を口ずさむぐらい料理が好きなのだろうか……。


(……ううん、ちょっと違う気がする)


 メイドを職業に選ぶぐらいだ。きっと料理は嫌いではないだろう。けれど、あれは少し違うような気がした。シャルロットの横顔を見れば何となく分かる。ただ料理を作っているのではない。ありったけの愛情を料理に注いでいる。そんな感じだ。

 それこそ妻が愛しい夫のことを想って作るように……。


(………むう)


 何だかよく分からないが、ユーリィは少しモヤモヤとした気分になった。

 すると、


「あら。ユーリィさんですか?」


 シャルロットの方がユーリィに気付いた。


「おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?」


「……うん。よく眠れた。おはようシャルロットさん」


 ユーリィは枕を背後に回していつもより少し無愛想に答えた。


「そうですか。昨夜は大変でしたから。安心しました」


 言って、シャルロットは微笑む。

 どうも彼女はユーリィと正反対でかなり上機嫌のようだ。

 ……昨晩何かいいことでもあったのだろうか?

 そんな感想を抱きつつ、ユーリィは肝心なことを尋ねた。


「アッ……灰色さんはどこにいるの?」


「クライン君ですか? 彼なら朝早くから村の様子を見に行きました」


 夜と朝では見えてくるモノも違う。

 アッシュは早速情報収集に出向いていた。

 ユーリィはお目当ての相手がいないと知ってぶすっとした。

 そんな心情を見抜いてか、シャルロットは困ったように口元を綻ばせた。


「もうじき戻って来ますよ。そうそうユーリィさん」


 そこでシャルロットは鍋の火を一旦切った。


「少しの間だけこの鍋を見ておいてくださいませんか。もう調理はほぼ終了していますのでこのままにしておいてください。そろそろライク君も起きている頃でしょうし、私は少し彼の様子を見てこようと思います」


「うん。分かった」


 それぐらいならお安いご用だ。ユーリィは承諾した。

 シャルロットは「それではお願いします」と告げて厨房から出て行った。

 一人になったユーリィは枕を近くの調理机の上に置いて鍋の様子を見てみた。

 何ともいい匂いがする。どうやら昨日の《猪王》の肉を用いたクリームシチューのようだ。見た目も実に美味しそう。まさにプロの逸品だ。

 もし自分がこんな料理を作ったら、アッシュは喜んでくれるだろうか……。

 そんなことを考えながら、ユーリィはポツリと呟いた。


「私も料理を憶えようかな」



       ◆



 朝食は思いのほか豪華なモノだった。

 主なメニューは《猪王》の肉を使ったクリームシチューと持参していたパン。

 調理器具はともかく、食材を勝手に拝借するの気が引けるし、何よりこの村は今異常事態にある。万が一だと思うが食材にも異常があるかも知れない。従って朝食は持ち込んでいた自前の食材によるものになった。


 しかしそこはプロのメイドさん。シャルロットの技だ。

 調理器具を借りて作ったクリームシチューは絶品だった。パンは固かったが、シチューに浸せばかなり美味い。アッシュとユーリィは勿論、明らかに消沈していたライクでさえも口に運んでいたぐらいだ。


「……こんな時でも腹は減るし、飯は通るんだな……」


 まあ、自嘲気味な笑みが印象的だったが。

 ともあれ朝食を終えたアッシュ達は、そのまま食堂で今後について話し合っていた。

 そして――。


「――なんでだよ!」


 バン、とライクが机を叩いた。


「昨日は一緒にセレンを探してくれるって言ってたじゃないか!」


 ライクは激怒していた。

 何故ならアッシュがいきなりサザンに戻ると言い出したからだ。

 シャルロットは何も語らずアッシュを見つめている。ユーリィは少し驚いたが、アッシュの判断は疑っていない。彼女も何も沈黙していた。


「……落ち着けライク」


 アッシュは告げる。


「今は一旦戻るしかねえんだよ。俺達はたった四人しかいないんだぞ。しかもその内の一人は子供。二人は地理に疎い。探せる範囲なんてたかが知れているぞ。人手がまるで足りねえんだ」


「人数なんて関係ない! こうしている内にもセレンは――」


「――聞け! ライク!」


 アッシュは一喝した。


「ホルド村の住人がこうなった以上、この辺の地理に詳しいのはもうお前だけなんだよ。いいか、俺達はこれからサザンの騎士団の元に向かう。そこで事情を話してお前が騎士団を動かすんだ。むしろ指示するつもりぐらいでいろ。セレンって娘だけじゃねえ。まだ他の住人も生きてるかも知れねえんだ。何としてでも人手を確保するんだ」


「人手って……騎士団に頼るのか? けどあいつらは……」


 未だ動いてくれない。言外にライクはそう告げていた。

 しかし、アッシュは頭を振り、


「街道と村にあった《蜂鬼》の彫像は二百を越えていた。奴らはすでに全滅している。討伐じゃなく捜索なら騎士団もすぐに動くはずだ」


「た、確かにそうかもしれないけど……」


 なお躊躇うライクにアッシュは告げる。


「騎士団なら大人数を用意できる。お前は騎士団に詳細かつ的確な情報を伝えろ。それが生存者を最も早く見つけられる方法なんだ」


 そこで息を吐いた。


「焦るお前の気持ちはよく分かるよ。けど耐えるんだ。俺は絶対にお前を騎士団の元にまで送り届ける。その後も手を貸すことを約束する。だから今は耐えてくれ」


「―――……」


 ライクは無言だった。ただ強く拳を固める。

 誰も言葉を発さない。長い沈黙が降りた。

 そして――。


「……分かったよ」


 ライクは決断した。


「きっと、それが一番いい方法だ。アッシュの兄ちゃんに従うよ」


「……ありがとなライク」


 アッシュは大きく息を吐いた。


「じゃあ早速出発するぞ。各自三十分以内に準備してくれ。時間が惜しい」


「うん。分かった」


 と言ってユーリィが自分の荷物を取りに食堂から出た。

 ライクも早足でそれに続く。そしてアッシュ自身も席から立ち上がり、食堂から出ようとするが――。


「……クライン君」


 不意に呼び止められた。声の主は未だ席に座るシャルロットだった。

 彼女はとても真剣な表情をしていた。


「どうかしたか? シャル」


「いえ。あの、一つ宜しいですか」


 言って、シャルロットも立ち上がる。

 そして彼女は尋ねた。


「もしかして何か隠していませんか?」


「……何でそう思う?」


「そうですね。メイドの直感です」


 本当は直感など関係ない。

 ただ、アッシュの横顔ばかり見ていたら、何となく違和感を覚えたのだ。


「クライン君は別のことで焦っているように見えましたから。一刻も早く出立したいと急いでいるようにも見えます」


「…………」


 アッシュは沈黙した。

 しかし、数秒ほど経過すると、


「……どうもシャルには隠し事が出来ねえみてえだな」


 遂に観念したか、そう呟いて嘆息した。


「やはりそうなのですね。では、何か隠しているんですか? 教えてください」


 と、尋ねるシャルロットに、アッシュは「ああ、分かったよ」と頷く。

 そして少し言葉を選びながら話を始めた。


「なあ、シャル。ライクから貰った金貨ってまだ持ってるか?」


「? ええ。持っていますが」


「あれって実は複製品なんだよ」


「え?」シャロットは目を丸くしてポケットから小さな革袋を取り出し、中の金貨を手に取った。黄金に輝くコインはとても偽物には見えないのだが……。


「まさか偽造金貨なのですか?」


「いや違う。それは間違いなく本物の黄金だ。価値は変わらねえ。ただそれは――」


 そこで一瞬躊躇うが、アッシュは言葉を続けた。


「多分、《星神》の力によって創られたもんだ。オリジナルがこの館に展示されていた。それを複製したのさ」


「……《星神》、ですか」


 シャルロットは眉根を寄せた。

 ――《星神》。それは人の中から稀に生まれ、大気に満ちる万物の素――星霊を操る者のことだ。その力によって他者の《願い》を実現できるという神秘の種族である。男女問わず美形が多いとも聞く。ただ、彼らはかなり稀少な種族らしく、シャルロットは一度も出会ったことがなかった。


「この村に《星神》がいたと?」


「ああ、間違いねえな。シャル、知っているか。《星神》ってのは自分の素性を他人に語りたがらない。言えばトラブルに巻き込まれるからな。だから、自分の素性を語る相手は家族か、親友、そして伴侶。もしくは恋人ぐらいなんだ」


「…………え?」


 シャルロットは再び目を丸くした。


「え? この金貨は元々ライク君が持っていましたよね? ならもしかして……」


「まあ、そうなんだろうな」


 アッシュはどこか遠い眼差しで同意した。


「ライクに家族はいねえそうだ。あいつの性格なら友人ダチはいるとは思うが、この異常事態であいつが叫んだのは恋人の名前がほとんどだった。《星神》の秘密を共有し、村の命運のために金貨を託してくれるほどの親友がいんのなら、もっとそいつの名前の方も呼んでおかしくねえのにな。ならやっぱ可能性が高いのはセレンって子だ」


「そうだったんですか……」シャルロットは嘆息した。「まさかライク君の恋人さんが《星神》だったなんて」


「ああ、そうだな。だが問題はそこじゃねえ」


「……え?」


 アッシュは渋面を浮かべてさらに言葉を続ける。


「今朝、一通り村を見てきたよ。あれはやっぱ遺体だった。体に水晶を突き刺され、そこから水晶化したんだ。こんな異能は聞いたこともねえ。人体を構成する星霊・・を直接操らねえ限りこんなことは出来ないはずなんだよ」


「そうですか……。星霊を―――え」


 シャルロットは愕然として息を呑んだ。


「せ、星霊……? ど、どういうことなんですか? クライン君?」


 そして動揺を隠しきれない表情でアッシュを見つめた。

 アッシュはグッと拳を固めた。


「何があったかは分からねえ。確実に言えんのは、その何かのせいでセレンって子はどうしようもなく追い詰められちまったんだ。シャル。《聖骸主》は知ってるか?」


「―――ッ!」


 そう問われたシャルロットは口元を片手で押さえ、ごくりと喉を鳴らした。

 知っている。以前、騎士学校の講習で習ったことがあった。


 ――《聖骸主》。


 それは《星神》の成れの果て。《星神》が自らの命と引き替えにあらゆる《願い》を叶える《最後の祈り》。それを実行した者が変貌する姿だ。

《聖骸主》と化した者にはすでに命の光はなく、永遠に彷徨い続けると聞く。


 だがそれだけではない。《聖骸主》の最も恐ろしい特徴は――。


「だから俺は一刻も早くここから離れたいんだ。ライクには見せられねえから。とても教えられねえよ……」


 アッシュは沈黙した。

 シャルロットはただ唖然とした表情で、アッシュの返答を待っていた。

 そして、


「多分ライクの、あいつの大切な恋人は――」


 彼女の優しいあるじさまは、歯を軋ませて非情な宣告をするのだった。


「《聖骸主》に成り果てたんだ。《蜂鬼》を、住人を皆殺しにしたのはセレンって子だ。そして彼女は今も殺すべき人間を求めて彷徨っているはずなんだ」

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