第305話 水晶の都③
時刻は日が沈んだ頃。
旅は順調に進んでいた。
ライクの馬車が先導し、アッシュの《朱天》とシャルロットの《アトス》が、その後に続く。ユーリィは《朱天》に同乗していた。
《猪王》の襲撃後は、特に魔獣と遭遇することもなかった。四人は軽い談笑をしながら旅を楽しんでいた。
――その時までは。
「……ユーリィ」
アッシュは愛娘に告げる。
「目を閉じておけ」
「うん。分かった」
ユーリィは素直に頷き、瞳を閉じた。
シャルロットは表情を険しくし、ライクは青ざめていた。
そこはホルド村にかなり近い街道。
後二十分も進めば到着する距離の場所だ。
今までと同じ森に覆われた街道なのだが、一つだけ違う点がある。
――馬車が一台倒れていた。
しかもそれだけではない。確認する限り大破した鎧機兵が七機いる。
その上、七機の六機は操手だと思われる人間の死体付きでだ。そして周囲には《蜂鬼》の死骸もある。が、何よりも不可解なのが……。
『スコラさん』
アッシュはシャルロットに声を掛けた。
『俺が確認する。スコラさんは周囲を警戒してくれ。ユーリィとライクを頼む』
『承知しました。気をつけてください。クライン君』
シャルロットの承諾を聞いてから、アッシュは《朱天》の胸部装甲を開いた。
次いでユーリィはその場に残し、アッシュは地面に降り立った。
「ま、待ってくれ。アッシュの兄ちゃん!」
その時、ライクが叫んだ。
「俺も確認するよ……俺も状況が知りたい」
「……分かった。だが俺から離れるなよ」
アッシュは一瞬躊躇したが承諾した。この被害者達はホルド村の住人の可能性が高い。少しでも情報を得るにはライクに見聞してもらうのが一番だった。
そしてライクも馬車から降りると、アッシュと共に現場へと赴いた。
「……酷えな」
アッシュは呟く。
鎧機兵の操手の遺体はどれも無残なモノだった。喉元を掻き切られた遺体は恐怖で表情を歪めたまま絶命している。そうでない遺体は針鼠だ。顔さえ判別できない。
「こいつらに見覚えはあるか?」
「う、うん」ライクは吐きそうな顔で答えた。「一人だけ。確かいつも裏路地でたむろってた奴だ。《山猫》と一緒にいたとこを見たことがあるよ……」
「……《山猫》?」
「裏路地のお転婆娘だよ。えらく喧嘩っ早くて改造した鎧機兵を乗り回すような危ない奴なんだ。あ、そう言えばここにその機体があるよ」
言って、ライクは大破した鎧機兵の一機を指差した。
アッシュは視線をそちらに向ける。それは唯一死体のない機体だった。
一瞬の沈黙の後、アッシュは渋面を浮かべた。
「お転婆娘ってことは女なんだな。そいつ」
「う、うん。結構可愛い子だ。俺より一つぐらい年下だった――」
と、言いかけたところでライクは青ざめる。《蜂鬼》の生態を思い出したのだ。
「ま、まさか《山猫》は……」
「十中八九そうだろうな。だが、連れ去られた先が分からねえからどうしようもねえな。今はまず」
アッシュは倒れた馬車に目をやった。
そこには二人の男が倒れていた。一人は貴族風。もう一人は執事のようだ。
アッシュはライクを伴って遺体に近付いた。
絶望に染まった表情で二人とも喉を掻き切られていた。
「ア、アルドリーノさん!?」
倒れている男の一人を見るなり、ライクは愕然とした。
アッシュは尋ねる。
「知ってる奴なのか?」
「う、うん。フランク=アルドリーノさん。村長の息子だよ。よく見たらこの馬車って村長のだ。なんでこんな場所に……」
「何かの用でサザンに向かっていたのか……。鎧機兵は護衛ってとこだな。そこを《蜂鬼》に襲われた。男は皆殺し。《山猫》っていう嬢ちゃんは攫われた。だが……」
そこまで呟いて、アッシュは表情を険しくした。
そして視線を街道の先に向ける。
「あれは一体何なんだ?」
思わずそう呟いた。
そこにあったのは二十体を越える《蜂鬼》の死骸だった。
護衛者たちの奮闘の結果……ならば納得もいく。
しかしそれはあまりにも異様な光景だった。
――彫像。
そこには水晶で造られた《蜂鬼》の彫像……いや恐らくは死骸か。それが多数、街道を塞ぐように林立していたのだ。
アッシュは警戒しながら死骸の一つに近付いた。その死骸は肩から水晶の柱を突き出していた。見れば見るほどに彫像だった。水晶の体越しに風景が見れるほどに。
パッと見た総数は二十体以上。
正直言えば、死骸には見えない光景だ。
だが、こんな作品を造る芸術家がいるとしたら狂っているとしか言えない。街道に設置する労力も馬鹿げている。いかなる力によるモノかは分からないが、これは《蜂鬼》の死骸で間違いないと考えるべきだろう。
『……クライン君』
その時、《アトス》に乗ったシャルロットが声を掛けてきた。
『これはどう見ても異常事態です。すぐにでもホルド村へ向かうべきです』
「ああ、そうだな。急ごう――」
と、アッシュが答えた瞬間だった。
「――セレン!」
不意に声が響く。見るといつの間にかライクが馬車に乗っていた。
「いま行くから! 無事でいてくれ! セレン!」
そう叫んでライクは馬車を走り出させた。
「――待てライク! 一人で行くな! 危険だ!」
アッシュが鋭い声で呼び止めるが、焦るライクには届かない。
馬車は土煙を上げて疾走した。
「――スコラさん! ライクを追ってくれ!」
『承知しました!』
そう答えて《アトス》を加速させるシャルロット。
アッシュは急ぎ《朱天》に乗り込んだ。
「ユーリィ! 俺に掴まれ!」
「うん、分かった」
約束を守って瞳を閉じていたユーリィは戻って来たアッシュの腰を掴んだ。
アッシュは早速、《朱天》を加速させた。《雷歩》まで使用した全力の加速だ。
街道に幾度も雷音が響く。そしてアッシュはライク達に追いついた。
――が、追いつくのも当然だ。
ライクもシャルロットも街道の途中で硬直してしまっていたのだから。
「なん、だと……」
そしてアッシュもまた愛機の足を止めて息を呑む。
その光景は、先程のものさえ比較にならないぐらい異様なものだった。
「な、なん、だよ、これ……」
馬車の上でライクが呆然と呟く。
彼らの眼前に広がるのは異様なる世界。
そびえ立つ幾つもの水晶の巨柱。
完全に水晶化した建物。人、鎧機兵、そして《蜂鬼》。
どれもこれも誰もが水晶に射抜かれていた。
まるでそこだけ時間が止められたようにすべてのものが凍り付いていた。
――水晶の都。
そこにあったのは、ホルド村の変わり果てた姿であった。
「な、何なんだよ、何なんだよこれはあああァああああああああああああああああああああああああああァああああああああああああアあああ――――ッッ!!」
狂気さえ孕んだライクの絶叫が響く。
だが、それに答えることが出来る者は誰もいなかった。
◆
――ギチギチギチ。
そいつは森の中を走っていた。
――ギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチ。
口から零れ落ちる歯軋りは言葉でも習性でもない。
恐怖だ。
蟲と並び称されるそいつは、生まれて初めて恐怖を抱いていた。
その顔は人間が怯える時と同じように酷く歪んでいる。
――仲間はみんな殺された。
一方的に殺された。
捕獲作業の最中、あれは唐突に現れた。そして抵抗さえ出来なかった。
あれはきっと『災厄』だ。類似種と同じ姿をしているだけの『災厄』なのだ。
――ギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチ。
歯の震えが止まらない。
走り続ける両脚を止めることも出来ない。
――逃げないと! 逃げないと殺される! 自分も殺される!
唾をだらだらと垂れ流しながら、そいつはまるで人間のように涙を流した。
――生きたい! 死にたくない!
強く、強くそう願った。
しかし。
――ズンッ!
『――ギ、チッ!』
胸を貫く激痛。そいつは脚をゆっくりと止めて胸を見た。
そこにあったのは自分を貫く水晶の槍だった。
『ッ!? ギイイイイイイイッ!』
そいつは必死に水晶を引き抜こうとするが、ビクともしない。
それどころか、水晶に貫かれた傷口からどんどん水晶が侵食していく。瞬く間に両腕が水晶化した。仲間達を死に追いやった現象と同じだ。
そいつは両目を見開いて後方に振り向いた。
そして――恐怖する。
そこには『災厄』がいた。
夜風に吹かれてなびく銀色の長い髪。表情のない仮面のごとき顔。
そしてすべてを見通すような水晶の魔眼。
――ギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチ――……。
恐怖に表情を歪ませたそいつは、最期まで歯を鳴らし続けた。
そうして歯軋りが終わった時、そこにいたのは一体の《蜂鬼》の彫像だった。
これがホルド村を恐怖に陥れた《蜂鬼》。その最後の一体の結末だった。
「―――――――――」
《蜂鬼》を殲滅した『災厄』は何も語らない。
これは『災厄』にとって煩わしい制約が消えただけに過ぎなかった。
『――知っているぞ! お前は《星神》なんだろ!』
心の中に男の声が響く。
『アサンブルがホーク金貨を持っていたことも知っている! あれは僕の家の金貨をお前の力で複製したものなんだろ! 全部知っているんだからな!』
男の悲鳴じみた声はさらに続いた。
『だがお前は知っているか! 奴らは女を攫うんだ! 女を犯して孕ませる! そして用済みになった後には喰い殺すんだッ! お前は奴らの子を産みたいのか! 嫌だろう! 嫌なら死ね! せめて僕を助けてここで死ねッ!』
そこで馬車が横転する。同時にドアが無残に破壊された。迫る幾つもの黒い影。男は必死の形相で最後の絶叫を上げた。
『僕の《願い》を叶えろッ! こいつらを皆殺しにしろおおおおおおおおッ――』
そして次の瞬間には、男の声は断末魔に変わって消えた。
「―――――――――」
『災厄』は《蜂鬼》の彫像を一瞥した。
あの男の《願い》は果たした。
後は存在意義に従って行動するのみだ。
「―――――――――」
ゆっくりと頭を横に向ける。少しだけ遠いが気配を感じた。
そして『災厄』は歩き出すのだった。
ただ、己の存在意義に従って。
すべての人間を――鏖殺するために。
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