第302話 「ホルド村」④

(さて。《猪王》が四頭か)


 アッシュはコキンと首を鳴らした。

 討伐難易度で言えばBランク相当か。単独で挑んでいいランクではない。

 しかし、彼が目指す《彼女》に比べれば敵でさえなかった。


『さっさと片すか。来な。猪ども』


 そう告げる。愛機・《朱天》がクイクイと手を動かして挑発した。

 すると侮辱されたことだけは理解したのか、《猪王》達は怒号を上げた。


「――ブオオオオオオオオオッ!」


 そして一頭が《朱天》を吹き飛ばそうと突進してくる!

 勢いに乗った《猪王》の突進は城壁さえも粉砕する。鎧機兵の重量であってはね飛ばされてしまう。しかし、《朱天》は微動だにしなかった。

 正面から迎え撃つ。

 そうして次の瞬間には《朱天》は《猪王》の牙を片手で掴んでいた。

 突進の威力を受け、両足がわずかに地面を削るがそれだけだ。鋼の鬼は膂力だけで魔獣の攻撃を押さえつけていた。しかもそのまま片手で巨大な猪を宙に持ち上げた。


「――ブオッ!? ブオオオオオォ!?」


 四肢をバタバタと動かして持ち上げられた《猪王》が悲鳴を上げる。

 それに対し、兄弟が動いた。牙を向けて突進してくる。

 だが、それにもアッシュは動じない。


『中々兄弟思いじゃねえか』


 気軽な口調でそう告げると、相棒を動かした。

 鋼の鬼は《猪王》を持ったままゆっくりと薙ぐ。そして突進してくる《猪王》のタイミングを読んで横から叩きつけた!


「――ブオッ!?」「ブギャア!?」 


 二頭の《猪王》は悲鳴を上げた。一頭は森の奥へと吹き飛び木々を粉砕する。もう一頭は《朱天》に牙を掴まれたまま痙攣を起こしていた。


「ブオッ!? ブオオオオオォ!?」


 残された二頭――子供の方は明らかに怯えていた。

 絶対に手を出してはいけない相手に手を出してしまった。そう理解して方向転換。森の奥に逃げだそうとする――が、


『街道にまで出てきた以上、悪りいが見逃せねえな』


 アッシュがボソリと宣告する。

 その直後、《朱天》がズズンと地面を蹴りつけた。地面が大きく陥没する中、鋼の鬼は腕を振りかぶった。その手に掴むのはぐったりし始めた《猪王》だ。

 何をしようとしているかは一目瞭然だ。


「ブオオオオオォ!?」


 そして砲弾のごとく撃ち出された《猪王》は、逃走していた兄弟に直撃した。どちらのものかベキベキと骨が粉砕される音が響く。だが、それでも勢いは一切衰えない。二頭は重なり合ったまま木々をへし折り森の奥へと消えた――。

 もはや断末魔の声も聞こえない。


 シン……と、森に覆われた街道が静寂に包まれる。

 あまりにも一方的な戦いだった。


『さて。後は母ちゃんだけか』


 言って《朱天》がズズン、ズズンと歩き出す。

 鋼の巨体が歩くたびに木々がわずかに震え出した。


「……ブゥオオオオォォ」


 そんな中、唯一残された五セージル級の《猪王》は静かに威嚇した。

 力の差は歴然だ。だが、この敵からは逃げられない。

 生き延びるためには倒す以外に道はなかった。


「――ブゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 そして最後の《猪王》は全力の突進をする!

 地面を砕き、森全体を振動させる。

 破城槌さえも比較にならないほどの、まさしく生きた砲弾だ。


『へえ。結構な迫力だな』


 アッシュはすっと目を細める。同時に魔獣の咆哮を前にして可愛い愛娘がギュッと腰を強く掴んだのを感じ取った。


『けど、うちの子をあんまり怖がらせるんじゃねえよ』


 そう呟く。そして主人の意志に従い、《朱天》は動いた。

 かぎ爪のように右手を開いて構えると莫大な恒力を収束させる。それから、何かを抉り取るかのように弧を描いて振り上げた!


「――ッ!? ブゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!?」


 魔獣の絶叫が響く。

 鋼の鬼の掌から放たれた恒力が地面を抉り、《猪王》を呑み込んだのだ。

 大量の土砂に巻き込まれながら《猪王》は宙を飛ぶ。それも後方ではなく、遙か上空にへとだ。まるで噴火口に脚を踏み入れたかのごとく《猪王》は吹き飛んだ。


「ブゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!?」


 断末魔が空に木霊する。

 吹き上げられた距離は数百セージル。もはや助かる道はなかった。


『せめて森の中で逝きな』


 アッシュは哀悼の念を込めて呟く。

 そうして、いつしか《猪王》の断末魔は聞こえなくなった。未だ上昇しているのか、もしくは森のどこかにへと落下したのだろう。


 ――あまりにも容易く。それこそ一体どちらが魔獣だったのか分からないほどに、あっさりと決着はついた。


『おし。これで終わりか。大丈夫だったか、ユーリィ』


『うん。大丈夫』


 と、アッシュとユーリィは気軽に会話しているようだが、その戦闘の一部始終を見ていたシャルロットの方は言葉もなかった。

 流石にこれはない。


(な、なんて無茶苦茶な……)


 技量が高いとか。戦術が巧みだとか。動きの先を読んでいるとか。傭兵だからとか。優れた鎧機兵を所有しているからとか等々――……。

 もはや、そういった次元の話ではなかった。


 ――ただ強い。ひたすらに強い。


 これはもう人外の領域だ。改めて自分などまだまだ人の域だと自覚した。

 と、そうこうしている内にアッシュは鎧機兵から降りてきた。両手でユーリィを抱きあげて彼女も降ろしてあげている。

 呆然としながらも、シャルロットも愛機から降りることにした。


「どうにか怪我もなく終わったみてえだな」


 と、アッシュが二カッと笑って声を掛けてくるが、シャルロットには何を答えていいのか分からない。ただ心臓だけが早鐘を打っていた。

 幼い少女と並んで立つ目の前の少年が、まるで強大な魔獣のように見えてきた。


「とんでもなく強いのですね。クライン君は」


 それでも気まずさを誤魔化すためにそう告げたのだが、


「ん。まあ、本職だしな」


 それだけで済ますのか。この男は。

 自分の力を理解していないのかと少し呆れてしまう。と、


「ん? どうしたスコラさん? もしかしてどっか怪我してんのか?」


 そう言って、ずいっとシャルロットに顔を近付けてきた。

 表情にまでは出さなかったが、シャルロットの鼓動が跳ね上がる。


(こ、これも卑怯です……)


 彼のこういった優しさは本当に急所を射抜いてくる。

 心の中で深呼吸。意志を強く持つ。

 たとえ実力で遙かに劣ろうとも自分は年上なのだ。年下の少年に一喜一憂して押されっぱなしなのは不本意だ。そんなことは『お姉さん』の矜恃が許さない。

 もう一度だけ深呼吸。


「あら。そうかもしれませんね」


 そうして、シャルロットは平静を装って告げた。


「しかし、背中など自分では確認できないところも多々あります。出来ればクライン君が確認してくれませんか?」


「いやいや、それはユーリィに頼んでくれよ」


 と言って、アッシュはとても困ったような顔を見せた。そんな少年の顔が凄く愛しくてシャルロットはクスクスと口元を綻ばせる。


「あら? どうしてですか? 別にクライン君でも構わないでしょうに。何故ならクライン君は私のあるじさまなのですから」


「いやスコラさん……だから、それはマジでやめてくれって」


 と、アッシュは懇願するが、シャルロットは意味深な笑みを見せるだけで了承しようとはしない。しばらく遊ばれ続けるのは確定しているようだ。

 アッシュはどこか諦めた表情で嘆息した。が、その一方でユーリィは何かを感じ取ったのか、ムッとしていた。


「……シャルロットさん」


「な、何でしょうか? ユーリィさん」


 じいっと見つめてくる少女に、思わずシャルロットは視線を逸らした。


「ん? どうしたんだ? 二人とも?」


 アッシュが呑気にそう尋ねると、


「なあなあ! アッシュの兄ちゃん! シャル姉ちゃん!」


 いつしか馬車から降りていたライクが弾んだ声を上げた。


「あれ! あれ貰っていいかな!」


 と指差す。ライクはシャルロットが仕留めた《猪王》を凝視していた。


「《猪王》の骸ですか? 別に構いませんが」


 と、シャルロットが承諾するとライクは瞳を輝かせた。


「《猪王》は、牙は高値で売れるし、何より肉が凄く美味いんだ」


 そう言ってライクは腰に下げていた鉈を引き抜くと血抜きをし、しばらくしてから巨大な猪を解体し始める。この手際の良さは流石に狩人をいったところか。

 そして馬車の荷台にシートを敷き、《猪王》の肉や牙を載せようとするのだが、


「おいおい。待てよライク」アッシュが苦笑を浮かべながら指摘する。「肉や牙を荷台に載せたら俺らはどこに乗ればいいんだよ」


「あ、そっか」


 ライクがキョトンとした表情で返す。


「流石に血まみれの猪と相乗りするのは嫌ですね」


「うん。嫌」


 と、女性陣の反応もよろしくない。

 極上の獲物を前にライクは困り果てた顔をしたが、


「ああ、そんな顔すんなって。荷台に肉を載せても構わねえよ。俺達はこのまま鎧機兵で村まで付いていくからさ」


 と、アッシュが救済案を告げた。ライクの顔がパアと輝く。


「いいのか? アッシュの兄ちゃん」


「まあ、それぐらいならいいさ。どうせ、あと半日ぐらいの距離なんだろ? スコラさんもユーリィもいいよな?」


「ええ、構いません」「うん。大丈夫」


 と、二人も了承する。ライクは申し訳なさそうな顔で頭を下げた。


「ごめん。けど有り難いよ。後でこの肉はみんなで食べよう」


「おう。期待してるぜ」


 アッシュは二カッと笑った。


「本当にありがとう。村に、セレンに良い土産が出来たよ」


 そう言って、ライクも笑うのだった。



       ◆



 ガラララッ、と馬車が遠ざかっていく。

 その様子を眺めつつ、


(しかし、何だったんだあれは?)


 農耕用の鎧機兵に乗って門を守る自警団の青年は、不意に眉をひそめた。

 あの馬車は確か村長が所有する馬車だった。キャビン付きの村で一番豪華な馬車だと認識している。それが丁度今、門を通り抜けていったところだった。


(サザンに用でもあるのか?)


 青年は首を傾げる。村長が出かけるような話は聞いていないが、挨拶してきた御者は知っている顔だった。盗難という訳でもないだろう。


「なあ、あれって何だったんだと思う?」


 青年は同僚の門番に尋ねた。

 青年よりも少し年上の同僚は「そうだな」と呟く。


「サザンに催促に行ったんじゃないか? 騎士団を要請してもう一週間を過ぎた。流石に予断が許されない状況だからな。先遣隊だけでも依頼してくるんじゃないか?」


「う~ん、ならいいんだが……」


 どうにも気になる。

 特にあの馬車には見知った連中が鎧機兵に乗って同行していた。

 全部で七機。すべて胸部装甲のない機体だ。どれも見たことがある。よく裏路地にたむろしている連中の鎧機兵だった。彼らは農耕用鎧機兵を改造して使い、かなり好き放題している輩だった。若さ故に力と意欲を持て余しているような奴らである。


 青年は職業柄よく注意することがあったので顔見知りも多い。

 そして一行の中にも見知った少女がいた。


『……《山猫》か』


『う~いッス。お勤めご苦労さんッス~』


 八重歯が印象的な彼女は、二カッと笑うと手を振って青年に挨拶してきた。

 青年は鎧機兵の上から、まじまじと少女の様子を窺った。

 肩まであるふわりとした桃色の髪と、若干残るそばかす。歳は十五だったか。弟の二つ下だったと記憶している。

 服装は寒くなってきたこの時期に、ホットパンツとタートルネック型のノースリーブという薄着だ。露出は多いが、まだまだ子供体型なので色気よりも寒そうだという印象が強い。上下とも黒系統なのがせめてもの救いか。


『お前ら、一体どこに行くんだ?』


『ん~、まあ、野暮用ッスよ』


 そんなことを言う。

 他の連中も彼女につられてか、ニタニタと笑っていた。

 揃って侮辱しているような笑みだった。


 ……一体何なのかこいつらは。

 どうしてあんな連中が村長の馬車に同行しているのか全く分からなかった。


「考えても仕方がないだろ」


 回想を遮って同僚が言う。


「俺達がすべきことは敵を警戒することだ。奴らの姿を見つけたらすぐに門を閉じる。それ以上に重要なことはないだろ?」


「まあ、確かにそうだよな」


 同僚の指摘に青年も納得する。

 今は非常事態だ。現在は壁上から同僚達も周囲を警戒してくれている。

 同僚達は総員で正門のみならず壁上全体を巡回していた。

 戦時中にも等しい最大級の警戒体制だ。しかし、それが警護の油断になっては元も子もない。人や物の出入りのため、日中は開かれた正門こそが最も危険なのだ。


(もっと気を引き締めなきゃな……)


 青年は面持ちを鋭くした。

 自分の使命とは敵の察知。そしてこの門の死守なのである。


「絶対にここは通さない。来るなら来い。化け物どもめ」


 馬車に関する疑惑は一旦置いて。

 青年は愛機の操縦棍を強く握りしめるのだった。



 そして――……。



 ――ギチギチギチギチギチギチギチ。


 不気味な音が鳴る。

 無数の複眼が森の奥から村の様子を覗いていた。

 その内の一匹が街道に視線を送る。

 そこには、一台の馬車が遠ざかっていくのが見えた。

 その個体は複眼の機能を拡大して馬車と、数頭の馬に乗る類似種を確認する。

 雄が九匹。そして雌が二匹。それも二匹とも若い類似種だ。


 ――ギチギチギチギチギギチギチチギチギチ。


 歯を鳴らす。

 それに対し、他の数体も歯を鳴らした。

 その数体は飛ぶような勢いで馬車の後を追った。

 これでよし。

 後は予定通り捕獲を進めるだけだ。


 ――ギチギチギチギチギチギチギチギチギギチギチチギチギチ。


 三度歯を鳴らした。

 すると森のあちこちから同様の音が響いた。

 その総数は軽く百を超える。


 ――ギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギギチギチチギチギチギチギチギギチギチチギチギチギチギチギチギチギチギチギギチギチチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギギチギチチギチギチギチギチ。


 まるで真夏に蠢く蟲のように。

 森はおぞましい異音に包まれた。

 そして、その中心に居る個体はおもむろに片腕を上げた。

 一瞬だけ静寂が訪れる。

 感情のないと言われる化け物は、ニヤリと人間そっくりな笑みを零した。

 それが歓喜の笑みなのか。それとも何かの習性なのか。

 それは誰にも分からないことだった。だがしかし一つだけはっきりしている。


 ――振り下ろされる異形の腕。

 かくして、二種族の生存を賭けた戦いが始まったのだ。

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