第五章 母は語る

第232話 母は語る①

 果たして、これは一体何度目の会合だろうか。

 クライン工房二階。茶の間にて、彼女達四人は集まっていた。

 アッシュの旧友にして《七星》の一人である紫紺の髪の美女。オトハ=タチバナ。

 王立騎士学校きっての才媛であり、侯爵令嬢でもあるアリシア=エイシス。

 銀色に輝く髪が神秘的にまでに美しいアッシュの愛弟子。サーシャ=フラム。

 そして最後に、まるで人形のように整った容姿を持つアッシュの愛娘。金色の力を持つ《星神》の少女――ユーリィ=エマリア。

 誰もが群を抜いた美しさを持つ女性陣が何も語らず、丸い卓袱台を囲っていた。

 卓袱台に置かれた紅茶は一度も口をつけられる事なく、すでに冷たくなっている。

 そしてそのままさらに数十秒が経過し……。


「……そうか」


 と、ようやく口を開いたのは議長であるオトハだった。


「よもやそんな状況になっていようとは……」


 そして渋面を浮かべる。

 今日の会議は互いの情報交換も兼ねていた。


「まさかあの子が『王女さま』だなんて思いもしなかった」


 と、ユーリィが闘技場でのアッシュの試合を思い出しつつ嘆息する。

 サーシャとアリシアは苦笑を浮かべた。

 ユーリィの証言から『仮面さん』がアッシュであることは確証されてしまった。

 そもそもデュークの仮面は、あの日以降、何故か持ち主が回収に来ないため、まだこの茶の間に置かれていたりする。物証まである状況だ。


「それにしても、ガロンワーズの長男坊。わざわざクライン工房まで来てアッシュさんにそんなことを言ったんだ……」


 と、今度はアリシアが渋面を浮かべて呟く。

 全くもってしつこい男だった。流石に不愉快になってくる。

 それに加え、アッシュがほぼ無反応だというのも何気にキツイ。


「……うゥ、アッシュさん。少しぐらいなら嫉妬してくれてもいいのに」


 と、思わず本音も零れた。

 すると、隣に座るサーシャが微妙な笑みを浮かべて。


「アリシア。それについては気にしなくてもいいと思うよ。きっと先生なら誰が対象であっても同じような反応をするだろうし」


 と、身も蓋もないことを言う。しかし、それは紛れもない事実であるため、アリシアは勿論、オトハとユーリィも言葉を噤んだ。


「あいつは……」


 オトハが卓袱台に肘をつき、ポツリと言う。


「親しくなればなるほど、何故か扱いがエマリアに近付いて行くんだ。昔は私の頭を撫でたことなど一度もなかったのに、最近は当然のように撫でてくる」


 と、語る彼女の頬は少しだけ赤かった。正直な話、親愛からのスキンシップなので嫌ではない。だが、それはそれで体面的に恥ずかしいのだ。


「まったく。何なのだ。昔のあいつにあんな癖はなかったぞ」


 続けてそうぼやくオトハに、ユーリィは静かな眼差しを向けた。

 そして「オトハさん」と彼女の名を呼んで語りかける。


「もしかすると、あれは癖じゃないのかもしれない」


 一拍の間。


「……なに?」


 オトハは訝しげに眉根を寄せた。


「それはどういう意味だ? エマリア」


「……うん。それは」と、オトハの問いかけに対し、ユーリィは少し躊躇うように一呼吸入れてから、最近気付き始めたことを語り始めた。


「あの頭を撫でる行為。アッシュ自身は癖になっているって言っているし、私達もそう思っていたけど、実のところ、は全く違うのかもしれない」


「……真相だと?」


 オトハは少し目を見開いて、神妙な顔をする少女を見つめた。

 サーシャとアリシアもユーリィに注目する。

 そんな中、空色の髪の少女は淡々と言葉を続ける。


「私は不本意ではあるけど、まだ『娘』。それは事実」


 と、前置きしてから、


「いつかは覆すからそれはいい。けど、アリシアさんとメットさん、特に歳の近いオトハさんのことは時々異性として意識していると思う」


「「……え?」」


 少女達の声が重なる。オトハの方は声を出さず軽く目を剥いていた。

 思いがけない指摘に女性陣は困惑していた。

 ユーリィはさらに言葉を続ける。


「あれは多分……心理的な予防線の一種だと思う」


「予防線、だと? それは――」


 と言いかけた所でオトハは、ハッとした表情を浮かべる。

 サーシャとアリシアはキョトンとした顔をしていたが、アッシュとの付き合いが誰よりも長く、そしてユーリィ並みにあの青年の過去を知る彼女だけは、アッシュの愛娘が言わんとしていることが理解できた。


「……そういうことか」


 美麗な眉を少し落として、オトハは小さく反芻した。


「うん。無意識かも知れないけど、アッシュは極力、みんなを異性として見ないようにしている。だから、自然と対応が子供扱いになっているの」


 相手が子供なら恋愛対象にはならないから。

 ユーリィは小さな声でそう付け加えた。

 アッシュにとってはサーシャ、アリシアは勿論、オトハさえも妹分だ。

 頭を撫でる行為とは、その事を強く認識するための一種の儀式なのかもしれない。


「……きっと、アッシュは」


 そして誰よりもアッシュの傍にいた少女は、自分の推論を告げる。





 彼女は一瞬だけ視線を落とし、強く唇をかむ。


「そんな呪縛を自分自身にかけている。それが生来の『鈍感さ』を極端に悪化させているのだと思う」


「…………」


 その台詞に、オトハは完全に沈黙した。

 一方、サーシャとアリシアは困惑していたが、この重い雰囲気から、アッシュの異常なまでの『鈍感』には何かしらの理由があるということだけは察した。


「(……ねえ、サーシャ)」


「(うん。多分これって……)」


 ふと、二人の脳裏に、つい最近までこの国にいた赤髪の騎士――ミランシャ=ハウルとのやり取りがよぎる。あの時、少しだけアッシュの過去を教えてくれたミランシャも、今のユーリィやオトハと同じような表情をしていた。


「(やっぱり、アッシュさんの過去には何かがあるってことよね)」


 確信を持った声でアリシアは呟く。サーシャもこくんと頷いた。――いや、実はサーシャの方は、アリシアよりもずっと具体的にイメージしていた。

 脳裏によぎるのは自分しか知らない、かつて師と交わした会話だ。



『ユーリィがと同じ《金色の星神》だったから。俺が守れなかったとユーリィを重ねて見てたんだ。せめてユーリィだけでもってな。最低の自己満足だ』



 ――

 あの時、聞きそびれたその存在が胸を締め付ける。

 サーシャは、少しだけ痛む自分の胸元を押さえて黙り込んだ。


「(……サーシャ? どうかしたの?)」


「(……ううん。何でもない)」


 そう答えてからサーシャは真剣な面持ちで、幼馴染に目をやった。

 アリシアはわずかに眉根を寄せている。


(ううん。何でもなくはないよね)


 幼馴染の蒼い眼差しを見て、サーシャは思い直した。

 たとえ恋敵であっても、同時にアリシアは唯一無二の親友だ。あの時、アッシュから聞いた話は教えなければ不公平のような気がした。


「(アリシア)」


「(え、なに?)」


 長い髪を揺らして小首を傾げるアリシアに、


「(後でね、私が知っていることを教えるよ)」


 小さな声でそう告げて、サーシャは微笑んだ。

 一瞬だけ二人の間に静寂が訪れる。


(……? サーシャ?)


 アリシアはますます眉をひそめる。が、


「……ともあれだ」


 オトハが大きく嘆息した後、長い沈黙を破る言葉を紡いだ。

 ユーリィも含めたサーシャ達の視線が彼女に集まる。


「とりあえず、クラインの『鈍感』の件については一旦置いておこう。思っていた以上に根が深い問題なのかもしれんしな。それよりも今は……」


 そこでオトハは少女達を順に見やり、


「問題は王女の方だ。どうするか対応を練らねばならんだろう」


 と、もう一つの議題を提示する。


「……うん。それが問題」


「まあ、目前の危機としてはそれですよね」


「はは、危機って……」


 と、重い空気を払拭するため、少女達は務めて明るく振舞った。

 そしてオトハの司会の元、次々と問題提起していく。


「とにかく! これ以上ライバルはいりません! 特に胸の格差が問題だわ!」


「それは同意。特におっぱいが大きいのはもういらない」


 言って貧民である二人の少女は、恵まれた者達を睨みつける。

 殺意さえ混じっているような眼光に、オトハとサーシャは頬を強張らせた。


「……い、いやエイシス、エマリア。その目は流石に怖いぞ」


 と、オトハが豊かな胸を両手で守るように呟き、


「う、うん。まるで刺し殺しそうな視線だよ。あ、あはは、ア、アリシア。それとユーリィちゃん。その、ホントにその目はやめて……」


 オトハと同じ仕種をしつつ、サーシャが本気で怯えた声を出す。

 そんな風に、徐々に騒がしくなるクライン工房の茶の間。そうしてさらに一時間ほど経過し、もはや何度目か分からなくなってきた緊急会議は閉幕と成った。


 決まった内容としては一つだけ。

 新たな恋敵の危険性を持つ少女に対する方針についてだった。

 話を聞く限りならば恐らく警戒する必要のない少女だ。少なくも姉貴分であるアリシアとサーシャの感覚では、ルカは純粋にお礼を言いたいだけのように感じ取れる。きっとルカが抱いている想いは恋とは無縁の感情なのだろう。


 しかし、まだ恋心にも疎そうな少女とはいえ、やはり『女』なのだ。それに年齢的にはユーリィとほぼ同い年。最悪の可能性も捨てきれないのもまた事実だ。


 結果、件の王女の扱いは極力慎重に行い、特に再会はドラマティックにではなく、至極ありきたりなものを装おうという方針が決まった。とにかくこれ以上、恋敵が増えては困るというのが全員一致の認識だ。そのためにはわずかな芽も見逃せなかった。多少卑怯ではあるが、女性陣はそう判断した。


「とりあえず作戦が整うまで、再会の件はもう少し待ってもらいましょう」


「う、うん。そうだね。あと一週間ぐらいなら誤魔化せるし」


 と、ルカの姉貴分達は言う。

 オトハとユーリィも無言で頷いた。

 だが、彼女達は知らなかった。

 ほんの数時間後――。

 そんな小細工を鼻で笑うかのように、ルカの元に強力な味方が現れようとしていることなど知る由もなかったのである。

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