第230話 探し人②
アティス王国・市街区。
学生達に重宝される《獅子の胃袋亭》にて――。
「…………はあ」
アリシア=エイシスは盛大な溜息をついた。
そして丸テーブルの上に頬をつく。彼女と同じ席には肩を落とすサーシャと、何とも言えない渋面を浮かべるエドワードとロックの姿もある。
一応ここは飲食店であるため、男性陣はコーヒーを。そして女性陣は紅茶を注文していたのだが、エドワード達のコーヒーはすでに空になり、紅茶の方は一度も口をつけられることもなく冷え切っていた。
「……一体どうしろって言うのよ」
と、アリシアが突っ伏したまま愚痴を零す。
「どうするもこうするも、すべきことは一つしかないと思うんだが」
同級生の呟きを聞いたロックが腕を組んでそう告げた。
アリシアはムッとした表情で顔を上げた。
「完全に他人事ね。そんな簡単な話じゃないでしょう」
「……うん。そうだね」
机の上に置いたヘルムを両手で支えるサーシャも、こくんと頷く。
「ルカの話だと……あの子の探してる人って……」
そこで銀髪の少女は、少し頭を垂れて溜息をついた。
先日に遡る王宮での出来事。ルカが語り出した最初の頃は、サーシャとアリシアはかなり驚いていた。なにせ人見知りも激しく男性の話など一度もした事のないルカが――あの可愛い妹分が、とても楽しそうに異性の話をしているのだ。
これは実に新鮮であり、興味深いことであった。
『(あらあら、やっぱりこれってあれよね)』
『(うん。ルカがこんな楽しそうに男の人のことをしゃべるなんて)』
と、アリシアとサーシャは、お互いの視線を重ねた。
この子も遂に初恋を経験する歳なのか。
そんな母のような気持ちを抱き、二人は眼差しを優しくする。
だが、それはほんの数十秒間だけのことだった。
『それで、ね。仮面さんは、真っ白いつなぎを着てたの』
(……ん? つなぎ?)
会話の中で最初に小首を傾げたのは、サーシャだった。
続けてアリシアも首を傾げて長い髪を揺らした。それから話が進むにつれてサーシャ達の表情は少しずつ変化していった。徐々に疑問符が「……ん?」が「んん?」へと増えていき、闘技場での『師匠』コールの時点では、笑顔のまま固まっていた。
『(お、おい、これって……)』
『(ああ、間違いないな)』
と、今度はロックとエドワードが小声で会話を交わす。
サーシャとアリシアの方は、もはや表情だけではなく全身が石像と化している。
そんな傍ら、ルカの話はさらに続き、
『そ、それでね。仮面さんにどうしても、お礼をしたいの』
と、彼女が一通りの出来事を語り終えた時には、四人はルカの言う『仮面さん』という人物に具体的な想像が当てはまっていた。
そもそもこの国で『師匠』コールを受けるような人間は一人しかいない。
『けど、私はしばらく王宮から、出れないから、お姉ちゃん達にお願いしたいの』
と、ルカが上目遣いでお願いして来る。
当然ながら、サーシャ達に可愛い妹分のお願いを断ることなど出来なかった。
そしてとりあえずその場では、探してみると承諾して今に至るのである。
「――なんでよ!」
バンッと丸テーブルを両手で叩き、アリシアが吠える。
「なんでいきなりあの子、アッシュさんに会ってるのよ!」
よほど興奮しているのか、彼女は少し涙目だった。
続けて、「ムムム」と無念そうに下唇を噛み、
「あの子は仮にも一国の王女さまなのよ! それがなんでこんなあっさりと出会っているのよ! 私、今回密かにこれだけは警戒してたのに!」
と、本音まで叫ぶ。隣に座るサーシャも言葉こそ出さなかったが、内心では同じ気持ちだったのだろう。頬を少し強張らせていた。
「いや、警戒って……」ロックが少し呆れた様子で尋ねる。
「もしかして姫殿下に、師匠のことは紹介しないつもりだったのか?」
「……そんな訳ないでしょう」
アリシアは、ロックを横目で睨みつけた。
「今回は一時的な帰国だけど、いずれ、あの子が正式に留学から戻ってきたら絶対会う機会は来るのよ。いつかは紹介しなきゃいけないとは思ってたわ」
そこでアリシアは深々と溜息をついた。
「だから、そのタイミングをサーシャやユーリィちゃん、オトハさんにも相談するつもりだったのよ。紹介する時は慎重に事を運ぶ予定だったの」
なにせ、あのアッシュに女の子を紹介するのだ。慎重になるのも当然だ。
ただでさえ、やたらと多い恋敵がこれ以上増えるのは本当にご免こうむる。
「それなのに……」
肩を力なく落として、アリシアは椅子にトスンと座る。
「まさか、策を用意する機会さえもなくこうなるなんて」
言って背もたれに寄りかかり、彼女は天井を見上げた。
「うん。そだね」と、サーシャも嘆息しつつも親友に同意した。
「幼馴染の私達でさえ四日も経ってようやく面会できたのに、まさか面識もない先生が先に闘技場で会ってるなんて予想もしてなかったよ」
「「まあ、そこは師匠だしな」」
と、声を揃えてエドワード達は言う。
少女達は肩を落として溜息をついた。そもそもアッシュが何故闘技場に参加していたのか疑問は残るが、ともあれ今一番問題なのはこれからどうするかであった。
「一体どうすればいいのよ」
アリシアは天井を見上げて呟いた。
「いや、そんなの簡単だろ」
それに対し、エドワードがのほほんと答える。
「普通に師匠を紹介すればいいじゃねえか。まだ『仮面さん』ってのが師匠とは限らないんだぜ。とりあえず会わすだけでもいいんじゃねえか?」
その意見に対し、「まあそうだな」とロックも同意する。
「何にせよ、姫殿下の願いを無下には出来んだろう。闘技場で師匠のことを聞けば誰もがクライン工房のことを教えるぞ。先延ばしもあまり出来んだろうしな」
少年二人の意見に、アリシアとサーシャは渋面を浮かべた。
「それは分かってるわよ」
そしてアリシアがかぶりを振って答える。
「アッシュさんは有名すぎて先延ばしも難しいのも理解しているわ。けどねオニキス。『仮面さん』ってどう考えてもアッシュさんじゃない」
「うん。それは間違いないよ。なんで仮面を被っていたのかは分からないけど」
と、アッシュの愛弟子であるサーシャも首肯する。
「言動が完全に先生だもん。闘技場で『師匠』なんて呼ばれるのも先生だけだし。それに真直ぐ目を見つめられたっていうくだりは特に……」
と語る途中で、サーシャは台詞を止めた。
そして言葉の代わりとばかりに、どこか諦めたような表情で深々と嘆息する。
横に座るアリシアも、ほぼ同じタイミングで溜息をついていた。
それから、数秒間だけ沈黙した後、
「……やれやれだわ」
アリシアはそう呟くと、長い髪を揺らしつつ頬杖をついた。
「まったく。厳つい男どもに絡まれて怯えている時に、優しい目でアッシュさんに見つめられたのなら、さぞかし効いたことでしょうね」
「……うん」サーシャも少し遠い目をして頷いた。「あれって前もって身構えておかないと本気でどうしようもないよ。多分、心を鷲掴みにされると思う」
二人とも何か思い当たる経験があるのか、少女達の頬は少し紅潮していた。
その一方でエドワードは「ん? なんで目を見つめると効くんだ?」と首を傾げ、ロックの方は額を覆って「……ぬうう」と呻いていた。
「ま、まあ、それはともかく!」
アリシアは仲間達に目をやり告げる。
「やっぱりアッシュさんのことは、素直に紹介するしかないのは確かよね」
「……うん。やっぱりそれしかないのよね」
サーシャがヘルムを持つ手の力を少し強めて呟く。
「ユーリィちゃんとオトハさんにも相談して……」
と言いかけた所で彼女は、
「ううゥ、けど私、何か嫌な予感がするよォ」
と、泣き出しそうな顔で呻く。
「……そんなの私も同じよ」
アリシアも力なくそう呟いた。
そうして、少女達の苦悩は延々と続くのであった。
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