第223話 少女の挑戦③

「………ふん」


 大歓声に包まれる闘技場の一角。

 観客席へと繋がる通路の一つであり、闘技場の舞台が見下ろせる場所で一人の男が鼻を鳴らした。年齢は二十代前半ほどか。他者を威圧するようながっしりとした体格に、煉瓦色の髪と彫りの深い顔立ち。突き刺すような鋭い眼光を持つ青年だ。白い貴族服に身を包んだ彼は腕を組んで通路に背中を預けている。


 彼の隣には同じぐらいの年代の青年の姿もあった。

 青年によく似たデザインの貴族服を纏っており、青白い顔色に線の細い面持ちが目立つ人物だ。彼の髪の色も同じ煉瓦色。ただし、ボサボサ感のある青年に対し、彼の髪はストレートであり、肩辺りですっぱりと切っていた。そのためか、共通点が多くてもかなり印象の違う二人組だった。


「随分と呑気なことだな。まさかこんな場所で腕試しかよ」


 腕を組む青年はかなり苛立っているようだった。

 無意識の内に、指先でコツコツと二の腕をつついている。


「まあ、落ち着いて下さい。兄上」


 すると、青年の隣に立っていたもう一人の青年がそう声をかけてきた。


「偶然とはいえ、こうして無事、彼女の居場所も分かったのですから」


 と、フォローを入れる。どうやらあまりに似ていないが二人は兄弟らしい。


「あのな。居場所が分かればいいって訳じゃないだろう」


 しかし、そんな穏やかそうな弟の言葉も、兄である青年の不快感を刺激するだけのようだった。ギロリと眼光を弟に向ける。


「お前は今回の件で一体どれだけ周囲に迷惑をかけたと思っているんだ」


 という兄の正論に、弟は「そ、それは」と呟くだけだった。


「で、ですが兄上。彼女も気を張っていたのでしょう。兄上も息抜きは大事だと常々仰っていたではありませんか」


「確かにそうだが、あくまでそれは自分で責任を取れる程度でだ」


 と、頑固な兄は無下もない。弟はやれやれと嘆息した。


「では兄上。この試合を止めますか?」


 そう尋ねる弟に、


「……いや」


 兄はかぶりを振って答えた。

 続けて闘技場全体を、観客席も含めて見渡した。

 耳に届く大歓声。中にはまだ始まって間もない今の時点で立ち上がって声援を送っている者も大勢いる。今回は出場している選手があまりにもレアなこともあり、周囲の熱気は普段以上のものだった。


「流石にこれを止めるのは難しいだろう」


 兄は苦笑を浮かべた。弟も肩をすくめて同意する。


「では、ここは静観で?」


「……まあ、今回に限りいいさ」


 と、兄は弟に意志を告げる。

 それから、青年は眼下の闘技場を見下ろし皮肉気に笑った。


「わざわざ抜け出してまでここに来たんだ。ここはお手並み拝見といくか」




『やあああ!』


 ルカの可愛らしい掛け声が闘技場に響く。

 意外にも先手を打ったのは、彼女の方だった。およそ六セージルはあるフレイルが、勢いよく《デュランハート》に襲い来る。大きく横に薙ぐ一撃だ。

 対するアッシュは自機を半歩ほど下がらせ、鉄球を回避した。

 目標を失って過ぎ去っていく鉄球。が、ルカは諦めない。

 愛機を一歩踏み込ませ、右腕を上に掲げる。それに追従し、鉄球は空へと飛んだ。

 そして《デュランハート》の頭部めがけて振り下ろす!


『へえ。トリッキーな武器なのに、中々使いこなしてんじゃねえか』


 一方、アッシュは焦らない。

 操縦棍を握りしめ、《デュランハート》を後方に退避させた。

 鉄球は再び空を切り、地面に叩きつけられる――と思われた瞬間だ。


(――なにッ!)


 アッシュは息を呑む。

 いきなり鉄球がバウンドするように軌道を変えたのだ。

 振り下ろしからの刺突へと変化した一撃は、《デュランハート》の頭部へと迫る!


(おお、凄えな)


 流石に驚いたアッシュだが、反応は早かった。

 咄嗟に《デュランハート》が持つステッキを軌道上に構える。ガンッと強い衝撃をステッキ越しに感じた。が、そのおかげで鉄球は逸れてアッシュは危機を凌いだ。

 続けて、アッシュは自機に間合いを取らせた。


「「「おおおお……」」」


 観客席から、どよめきが沸き上がる。

 が、その声はその直後、さらに大きくなる。

 何故なら、ルカの愛機・《クルスス》が持つフレイルが、まるで生き物のように宙空で蠢き始めたからだ。


『……へえ』


 アッシュは感嘆の声を零す。


『面白い技だな。見たところ、《黄道法》の操作系の闘技だろ。武器に恒力を通せて自在に操っている訳か』


 まじまじと、蠢くフレイルを見据えてアッシュはそう分析する。

 彼本来の相棒は闘士型の機体だ。そのため、アッシュ自身は滅多に使う機会のない闘技だが、武器の恒力を通わせるのはよくある技だった。例を挙げれば、アッシュの弟分である赤毛の少年もよく使っていた。しかし、こんな風に武器そのものを操るような使い方は結構珍しいタイプだ。


『うん。大したもんだな。お嬢ちゃん』


『あ、ありがとう、ございます』


 すると、フレイルを操りながら《クルスス》が頭を下げてきた。


(……ははっ)


 アッシュは内心で苦笑する。どうも誉められたことに感謝を述べたようだが、戦闘中にすべきことではない。少し天然そうな少女だった。

 ともあれ、それも一瞬だけのこと。

 アッシュの苦笑をよそに、すぐさまルカは表情を引き締めた。


『で、では、行きます!』


 言って、ルカは武器に恒力をさらに注いだ。

 同時に、蠢いていたフレイルは予備動作もなく《デュランハート》に襲い掛かる!

 その動きは先程までの慣性に従った動きではない。鉄球を頭部に見立てた大蛇のような動きだ。目新しい攻撃方法に歓声が「「「おおっ!」」」と沸いた。


『おっと』


 しかし、アッシュは職人ではあるが、同時に百戦錬磨の戦士でもある。

 こういった不規則な動きをする敵とは戦った経験もある。不意打ちでもない限り、焦ることもない。冷静に軌道を見切って自機を回避させた。

 右に左に跳躍し、時には首を動かすだけで攻撃を凌ぎ続ける。


「おおっ!」「凄げえッ! 流石は師匠!」「全く当たんねえぞオイ!」


 観客達は大いに沸いた。

 鉄球がさらに加速するが、一向に《デュランハート》を捕えられない。

 回避のたびに観客席から声援と拍手が響き渡るが、そんな盛り上がる大歓声に反して青ざめていくのはルカであった。


「な、なんで? なんで全然当たらないの?」


 呆然とした呟きを零す。

 この《黄道法》の操作系闘技――《鉄球操蛇》は、ルカが独自に考案して編み出した得意技であり、同時に必勝の技でもあった。

 かつてこの技を初見で受けて無傷で凌いだのは、たった一人のみ。彼女が尊敬してやまない先輩だけだった。あの時も先輩はこの闘技を誉めてくれた。だからこそ彼女は、この技にかなりの自信を持っていた。

 それが、こうも容易く見切られるとは……。


「う、うそ……」


 ルカは唖然と呟き、ごくりと喉を鳴らした。まさか故郷において娯楽施設であるはずの闘技場の選手のレベルがここまで高いものとは思わなかった。

 そして現在も、シルクハットを被る鎧機兵は優雅にも見える態度を以て鉄球をかわしている。もはや大国の上級騎士でも真っ青になる見切りのレベルだ。


「……ウム。オチツケ、ルカ」


 と、オルタナが肩の上で忠告するが、ルカの耳には届かない。

 ただ焦りだけを抱き、彼女は鉄球を引き戻した。


(なら、こ、これで!)


 そして直突きの動きで鉄球を撃ち出す!

 狙いは敵の頭部だ。撹乱が通じないのならば、速度で押すまでだ。それは、《クルスス》最速の一撃であった。

 しかし、それさえも《デュランハート》は見切っていた。

 ステッキを持っていない左手で、正面から鉄球を受け止めたのだ。

 ガキンッと金属音が響き、掌から火花が散るが、砕けるような事はない。

 紳士風の鎧機兵は見事、敵の武器を封じた。

 しかも、それだけでは終わらない。


『――――え?』


 ルカが愕然と目を見開く。

 ――ガクン、と。

 突然、フレイルが半ばから鋭角に折れたのだ。ルカはこんな操作はしていない。全く予定外の動きだった。そのため、《クルスス》は思わず前にたたらを踏んだ。

 すると、《デュランハート》がクイと左腕を動かした。


『――あ』


 ポツリと零れるルカの声。

 今の敵機の動きによって、フレイルを奪われてしまったのだ。が、ルカが武器を奪われた事に動揺する間もなく、《デュランハート》は次の行動に移行していた。

 左手に鉄球を持ったままその場で反転。左腕を勢いよく振り抜いたのである。

 そして次の瞬間、ルカの《クルスス》は横転していた。


(ッ!?)


 少女は目を丸くする。

 が、続く衝撃にグッと呻く。操縦棍からは手が離れ、オルタナは「……ギャア!」と叫んで内部の壁にぶつかる。そしてルカは後方の壁に背中をぶつけた。


『う、ぐ……』


 強い痛みに思わず呻き声がもれる。と、


『悪りい。少しやりすぎたか?』


 どこか心配そうな声が間近から聞こえた。

 ルカが痛みを堪えて前を見やると、胸部装甲の内壁に映し出された画像には、タキシードを模した鎧機兵が佇んでいた。その上、その機体――《デュランハート》は、ステッキを剣のように突きつけている。


『けどまあ、これでチェックメイトだな。お嬢ちゃん』


『………あ、う』


 ルカは無念そうに呻いた。機体の体勢からして恐らく愛機は今、仰向きに倒れているのだろう。操縦棍からも完全に手が離れ、もはや死に体だった。

 チェックメイトなのは、誰の目にも明らかであった。


『恒力を通しやすいように鞭の構造に細工をしてたんだろ? それが裏目に出たな』


 アッシュはふふっと笑って語る。


『それって相手にとっても操作しやすいってことだぞ。相手にも利用されかねない諸刃の技だな。今後はその可能性も考慮した方がいいぞ』


 と、少女に助言を与える。アッシュの操る《デュランハート》の手には、未だ鉄球が握りしめられていた。しかも鞭の部位が鉄柱のように真直ぐ延びている。 

 これが《クルスス》が横転した原因だった。

 要するにアッシュは、黄道法で鉄球側からフレイルを操ったのだ。鞭の部位を鉄柱のように硬直させて、間合いの外から《クルスス》の足元を刈り取ったのである。

 ルカにとっては、完全に想定外の反撃方法だった。


『まっ、熟練度によっては、触れているだけで操る奴もいるってことさ』


 そう言って、アッシュは《デュランハート》の中でにこやかに笑った。


『けど、発想自体は決して悪くねえぞ。お嬢ちゃんの闘技は結構凄かった。さらに磨き続ければ、もっともっと強くなれるさ』


『……え、えっと』


 自分よりも遥かに格上の操手に誉められてルカは少し困惑した。


『あ、ありがとう、ございました』


『ははっ、対戦相手に礼を言ってどうすんだよ』


 言って、アッシュは目を細める。

 そして少ししみじみとなって思う。

 確かに未熟な面もあったが、総合的には練度の高い少女だった。

 正直、ギリギリでかわした攻撃も稀にあったのだ。


(う~ん、しかし、この歳でここまで出来るとはなあ)


 その時、アッシュの脳裏に、最近メキメキと上達している愛弟子であるサーシャの笑顔が思い浮かんだ。あまり戦闘向きではない穏やかな性格の少女だ。何となくだが、目の前の機体を操る少女に似ているような気もする。

 アッシュはもう一度、横たわる機体に目をやった。

 もしかすると、この小動物のように愛らしい少女は、サーシャ並みか、下手すればアリシアにも届く腕かもしれない。だとすればかなりの逸材である。


(ふふ、案外将来有望じゃねえか。この国も)


 と、そんなことを思いつつ、口角を緩める。

 今は転職したとはいえアッシュも元騎士だ。自分の所属していた騎士団とは違うが、第二の故郷と決めたこの国の騎士団の将来性は気になるものだ。


 サーシャにアリシア。ロックに……一応エドワード。そして眼前の少女。

 思いのほか、この国の未来は明るいようだ。

 と、考えていた時だった。


『あ、あの、仮面さん』


 仰向けに倒れ伏した山吹色の機体から少女が声を上げる。


『いや、仮面さんって……ん? どうしたんだ? お嬢ちゃん』


 不本意な呼び名に思わず頬を引きつらせるアッシュ。しかし、少女の声がわずかに上擦っていることに気付き、優しい声で返した。

 すると、少女はさらに震えた声で告げてくる。


『そ、その、さっきから、その、胸部装甲ハッチが全然開かなくて、その、倒れた時、肩のジョイント部が壊れたみたいで……』


 そこで一拍置いてから、彼女は願う。


『で、出れないの。た、助けて下さい』


『……ウム! タスケロ!』


 泣き出しそうな少女の声に、玩具の小鳥の声。

 アッシュは一瞬キョトンとしていたが、すぐに「ははっ」と笑った。

 どうやらどれほど才覚があっても、すぐさま一人前とはいかないらしい。


『はは、分かった分かった』


 そしてアッシュは、優しい笑みを見せて少女に告げる。


『そんな泣き出しそうな声を出すなよ。今助けてやるからさ』



 かくして。

 ルカの闘技場のデビュー戦は、出られなくなった鎧機兵の中から対戦相手に救出されるという何とも締まらない結末で終わったのであった――。



       ◆



「……ふっ。やはりこうなったか」


 そして、盛大な拍手と大歓声で沸く闘技場の一角。

 舞台の決着を見届けた青年は、皮肉気な笑みを深めた。


「所詮はお嬢さまのお遊戯だな」


 と、呟く兄だが、それに対し、弟の方は眉をひそめた。


「ですが兄上」


 闘技場を一瞥して弟は言う。


「相手はあの師匠です。まだ奮戦した方では?」


 という擁護の台詞に、兄は別の意味で軽く目を剥いた。


「これは驚いた。まさかお前が師匠のことを知っていたとはな。お前は闘技場には、ほとんど興味がないと思っていたが」


 彼の弟は勤勉な性格をしており、内制などの勉学を好む傾向にあった。


「……ふむ」


 大柄の青年はあごに手をやった。弟の勤勉さは良い事だと思っているのだが、反面どうしても屋敷に籠りがちになるため、弟は世事には疎いはずだった。

 そんな弟が、あの『流れ星師匠』のことを知っているのはかなり意外だったのだ。

 すると、弟は肩をすくめて。


「いえ、私はここによく通う兄上ほど詳しくないですよ。ただ、師匠はこの国では有名人でしょう。彼の『弟子』も含めてね。噂程度ならば私でも知っています」


「……ほう。そうなのか」


 そう言われ、兄は闘技場に立つ鎧機兵に目をやった。

 確かに彼は有名人だ。別段、闘技場に興味がなく通う事がなくても、噂ぐらいならば耳に入っても不思議ではないか。


「ふん。まあ、そういうこともあるか」


 兄は一人納得する。


「だが、それよりも今は……」


 青年は、くるりと背中を見せて通路の奥に歩き出した。

 彼の弟も無言のまま後に続く。

 が、一瞬だけ足を止めると大歓声の鳴りやまない闘技場の方を一瞥して――。


「やはり貴女には『教育』が必要なようだな」


 青年は淡々と呟く。


「次代のアティスの女王。ルカ=アティス王女よ」

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