第一章 帰ってきた王女さま

第218話 帰ってきた王女さま①

 ザザザザ……。

 静かな波の音が耳朶を打つ。

 そこは帆船の甲板。船首近くの場所だ。

 潮風の匂いに包まれるその場所には今、一人の少女がいた。

 歳の頃は十四~五ほど。淡い栗色のショートヘアに、まるでそこだけ切り忘れたように両目を覆う長い前髪が印象的な少女だ。時折、澄んだ水色の瞳が顔を見せる。

 前髪のせいであまり目立たないが、充分すぎるほど顔立ちが整っている少女だ。加え、スタイルも同年代よりも相当優れている。紛れもなく美少女と呼ばれるレベルの容姿なのだが、いかんせん地味な印象が強い。そのためか、周辺には他の客員の姿もあっても、誰も彼女に声をかけようとはしなかった。


「…………」


 少女は無言のまま、大海原を見つめていた。

 彼女は襟まで締めるタイプの黒を基調にした騎士服を着ており、足には軍靴を履き、腰の後ろには短剣と白布ケープを纏っている。どうやらこの布は一種の道具袋でもあるようでポケットが多数あるのが見受けられる。この明らかに騎士学校の制服であると分かる姿もお堅いイメージがあり、少女を孤立させている要因の一つかもしれない。


「………あ」


 不意に少女は呟き、空を見上げた。

 遥か上空。そこには船に近付いてくる一羽の小鳥がいた。

 少女は右腕を掲げた。

 するとその小鳥はバサリと翼をはためかせて下降。少女の右腕に止まった。

 よく見るとその小鳥は異様な姿をしていた。

 羽毛は一切なく全身が銀色に輝いているのだ。一見するとまるで鎧を纏っているようにも見える。ただ愛らしい瞳のおかげか、威圧感はなく玩具のような鳥だった。


「お、おか、えり」


 と、少女が少しどもりながら小鳥に挨拶する。

 すると、鋼の小鳥は首を傾げて。


「……ウム。オレ、キカンシタ」


 と、人間の声で答えて来た。しかもかなり渋い声だ。

 本来ならば目を丸くするような状況なのだが、少女はふふっと笑い、


「どう、だった? アティスの空は?」


「……ウム。カイテキ。アニジャタチ、ニモ、ミセタイ」


「う、うん。君の眼には写真機が、ある、から。後で現像しよう」


 言って、少女は鋼の小鳥を肩に乗せた。

 そして再び大海原に目をやった時だった。


「……お嬢さま」


 不意に後ろから声をかけられた。

 少女が振り向くと、そこには彼女のよく知る人物が立っていた。

 灰色系統のドレスを纏う四十代の女性だ。

 幼き日より彼女の傍に居て、礼儀作法から一般教養まで多岐に渡って教えてくれた教師であり、専属メイドでもある人物だ。


「もうじき港湾区に着く予定です。そろそろ降船のご用意を」


 と、メイドは淡々と進言する。

 対し少女は「は、はい」と頷き、


「わ、分かり、ました。部屋で荷物を、まとめます」


 そう告げた。メイドは「よろしくお願いします」と言って立ち去る。

 彼女は必要以上には関与しない人間だった。

 多少性格の影響もあるが、基本的には少女を自立させるための方針である。

 ともあれ、再び一人と一羽になった少女は、船室に向けて歩き出す。

 が、船楼の入り口付近でふと足を止めて、


「そ、それにしても、久しぶり」


 そう呟き、大海原の方へ目をやった。

 そこには横たわる大きな陸地の姿が見える。彼女の故郷であるグラム島だ。

 父と母を筆頭に多くの人々に見送られて旅立ったのが、およそ一年前。

 とある理由のため、今回の一時帰国と相成ったのだが、いざ見るとやはり懐かしさを感じる。この景観を見られただけでも親しくなった級友達や優しい先輩達、そして『お師匠さま』との別れを乗り越えて来た価値があるような気がする。


「ふふ……」


 鋼の鳥を肩に乗せた少女は、口元を綻ばせた。


「本当に、懐かしい」


 そう言って、青い空を見上げる。

 そして少女は呟いた。

 懐かしき人物達の顔を浮かべて――。


「アリシアお姉ちゃん。サーシャお姉ちゃん。二人とも元気、かな?」



       ◆



 アティス王国・王城区にある騎士学校。

 その日の講堂は、少しばかり騒がしかった。

 時節は進級が近付く『三の月』の中旬。そんな忙しい時期なので騒がしいかと思えばそうでもない。単純に、その日には少し珍しい話題があったからだ。

 ガヤガヤと、あちこちで談笑の声が上がっている。

 と、そんな騒がしい雰囲気の中、


「なあなあ、エイシス。ちょっといいか?」


 そう言って、講堂の長机に座って親友と談笑していた少女に話しかけて来たのは、ブラウンの髪を持つ小柄な少年――エドワード=オニキスだった。

 彼の隣にはまるで定位置のように若草色の髪を短く刈りそろえた大柄な少年――ロック=ハルトの姿もある。二人は騎士学校の制服である、中央に赤の太いラインを引いた橙色の騎士服を着ていた。彼らがこの学校の生徒である証だった。


「……何よ。オニキス」


 そう呟いて座ったまま、同じく騎士服を着た少女は振り返った。同時に絹糸のような長くきめ細やかな栗色の髪が緩やかに揺れる。

 彼女の名は、アリシア=エイシス。

 切れ長の蒼い瞳と、しなやかかつスレンダーな肢体を持つ少女だ。

 彼女は最近、徐々に幼さが消えて本気で綺麗だとよくいわれるようになった美しい顔立ちをしかめてエドワードを睨みつける。


「またつまらない冗談じゃないでしょうね。少しは話術を学びなさいよ」


「あはは、まあ、いいじゃないアリシア」


 と、最近つまらない冗談ばかり聞かされていきなり喧嘩腰なアリシアを宥めるのは隣に座っていた少女だった。制服の上から短い外套が付いた女性的なフォルムのブレストプレートを装着し、更には机の上に無骨なヘルムを置いた変わった少女である。

 しかし、その変人(?)ぶりを帳消しにするほど美しい少女でもあった。

 琥珀色の瞳と綺麗な顔立ち。年齢離れした抜群のプロポーション。そして何よりも肩まで伸ばした美しい銀色の髪が印象的な少女。

 彼女の名前は、サーシャ=フラム。

 アリシアの幼馴染であり、親友でもある少女だった。


「それでどうしたの? オニキス」


 サーシャは覗き込むようにエドワードに視線を向けた。

 対し、エドワードは「ああ、実はよ」と呟き、


「実はさっきグレイの奴に聞いたんだけどよ。何でも、留学中の王女さまが帰国しているらしいって噂があんだが、それってマジなのか?」


 と、尋ねてくる。

 アリシアとサーシャは目を丸くした。


「え、もしかして、朝から騒がしいのってそれが原因?」


 アリシアがそう尋ね返すと、


「ああ、そのようだな。上級貴族出身の何人かがそんな事を噂しているんだ。おかげで朝からその話で持ちきりだな。それでエイシスならば何か知っているかと思ったんだ。エイシスの親父さんは第三騎士団の団長でもあるしな」


 と、ロックがエドワードの質問を補足する。

 対し、アリシアとサーシャは互いの顔を見合わせた。

 それから、ほぼ同時に破顔し、


「ははっ、流石は田舎よね。もう噂になるなんて」


「うん。帰国してまだ三日目なのにね」


 と、少女達は言う。エドワードとロックは目を大きく見開いた。


「おいおい、その反応からするとマジなのかよ?」


「意外だな。エイシスだけでなく、フラムまで知っていたのか」


 と、少年達が呟く。少々失礼な話だが、侯爵令嬢であるアリシアの方はともかく、歴史こそあるが爵位は持たず、今やかなり衰退した家系であるサーシャの方にまで王族の情報が伝わっているとは思わなかったのだ。

 するとアリシアは苦笑を浮かべて。


「えっとね、私達って、実は『あの子』と面識があるのよ。と言うより、歳が二つぐらいしか違わないから普通に友達なのよね。何気に幼馴染って奴なの」


「うん。私の方も子供の頃、アリシアを通じて知り合ったの。だから、帰国してからまだ会えてはいないけど、帰って来ている連絡は受けているよ」


 と、少女達は朗らかに語る。

 これもまた意外な情報だった。


「おいおいマジか! お前らって王女さまと面識あんのかよ!」


「それは……完全に初耳だな」


 と言って、エドワードとロックは少し驚いた顔を見せた。

 アティス王国の王族はかなり民衆寄りだ。一般人でも面識がある者は結構いるので侯爵令嬢であるアリシアが王女と顔見知りなのは不思議ではない。

 しかし、少年心とでも言うべきか、『王女』という響きには特別な趣を感じるのだ。特にこの国の王女はほとんど公の場に出ない上に、一年ほど前から王族と縁故関係にある他国に見聞を広めるという名目で留学していたため、何気に秘密のベールに包まれた人物でもあった。

 そんな王女と、同じクラスの同級生達が幼馴染であると言うのは、エドワード達にとっては思いのほか衝撃的な内容だった。

 それに対し、アリシアはパタパタと手を振った。


「あははっ、王女さまって言っても『あの子』は普通の子よ。皇国のフェリシア皇女さまとは全然違うわよ。控えめな大人しい性格の子でね。昔から機械いじりが大好きだったわ。そのせいかしらかね、体つきや格好はむしろ男の子みたい子だったわね」


 と、一国の王女に対し、そんなことを宣う侯爵令嬢。

 当時の頃を知るサーシャは、ふうと嘆息する。


「全くよく言うわ。確かに『あの子』はいつもつなぎばかり着て、まるで男の子みたいだったけど、それはアリシアだって同じでしょう。服装こそ女の子物だったけど、木剣をやたらと振り回していたし」


「……ム」


 それに対し、アリシアはムッとした表情を見せた。


「何を言ってるのよ。それならサーシャだってそうじゃない。私達って父さんやアラン叔父さまから『お転婆三姉妹』って呼ばれていたのよ」


「……う」


 サーシャは声を詰まらせる。それは事実だった。

 ほんの二、三年前の話だが、当時の三人はそれほどまでにお転婆だったのだ。

 まあ、実際のところはお転婆だったのはアリシアとサーシャだけで、王女はそれに振り回されるような感じではあったが。


「ふ~ん、なんにせよ、お前らって何気に凄いコネを持っているんだなぁ」


 と、エドワードが腕を組み、しみじみと頷く。

 ロックもあごに手をやり、苦笑を浮かべていた。

 一方、アリシア達としてはコネと言われてもピンとこない。

 彼女達にとっては『あの子』は、親しい友人以外何者でもないからだ。

 少女達は顔を見合わせ、


「まあ、いずれにせよ、『あの子』は私達の可愛い妹分なのよ」


「うん。再会するのが楽しみだね」


 そう言って、笑顔を見せるアリシアとサーシャであった。

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